ヒトの個体間や集団間には肌の色や体格などに大きな多様性があり、その中には現代人を悩ますさまざまな疾患に関わるものがあります。そして、このような多様性はわたしたちの祖先が歩んできた進化の結果の一つです。私達の研究室では、ヒト個体を対象とした形質測定実験、実験参加者から提供されたDNAの塩基配列および化学修飾状態の測定、分子生物学実験、集団遺伝学解析等を通して、現代のヒトの生物学的多様性の形成史を明らかにすることに取り組んでいます。最近の活動について紹介します。
ヒトは寒い環境におかれるとカラダの中で熱を作るなどして体温を保とうとします。この熱を作る働きに、褐色脂肪組織(Brown adipose tissue:BAT)という特殊な脂肪組織が関わっています。また この熱産生はエネルギー消費亢進を伴うため、肥満の予防や治療の標的として注目されています。
日本人にはBATの活性に大きな個人差があることが知られていました。この個人差の一部は年齢や性別とは独立して存在していますが、その成因は明らかになっていません。現代の日本人は専従集団である縄文人と約3000年前ごろから移住してきた弥生人の混合で成り立っていることが知られていますが、弥生人は縄文人に比べてより寒冷適応的な形質を持っていたと考えられてきました。現代日本人のBAT活性の個人差には、このような日本人の成り立ちが関与しているのかもしれません。この問いに答えるため、まずは日本人成人のBAT活性の個人差に寄与するゲノム領域を同定するための遺伝子解析を実施しています。
BATの熱産生は寒冷刺激などで亢進し、βアドレナリン受容体(β-AR)がこのはたらきの仲介をしていることが古くから知られていました。特にげっ歯類を用いた研究からBATで発現する3型β-ARが中心的な役割を果たしているとされてきましたが、ヒトでどのβ-ARサブタイプが重要かははっきりしていませんでした。私達はPET-CT、赤外線サーマルイメージング、近赤外線時間分解分光法などの手法で、寒冷条件下での成人のBAT活性の多様性をin vivo測定し、この多様性に、3型ではなく2型のβ-ARの一塩基多型が関連していることを見出しました。この成果は、BATにもヒトとげっ歯類で種間差があることを示唆しています。(Ishida et al., 2024)
ΔTempは、BAT活性を示す。数値が大きいほどBAT活性が高い。
BAT活性が日本人で多様性が高いことは以前より知られていましたが、近縁な周辺の集団ではどうかということは知られていませんでした。私達は、日本あるいは中国出身の成人男女に対して同条件で寒冷刺激を実施し、赤外線サーマルイメージングでの褐BAT活性の測定を行いました。その結果、日本人は中国人に比べてBAT活性が低く、さらに夏季に特にこの傾向が強まることを見出しました。(Ishida and Nakayama., 2025)
ヒトのカラダは外環境が変化すると、体内の恒常性を保つためにさまざまな生理反応を示します。また、同じ刺激を繰り返し受けることにより、その刺激に対して生理的に順応していきます。このような過程には細胞での遺伝子発現パターンの変化が関与しています。遺伝子発現制御に関わるDNAのメチル化修飾は安定なため、RNAの解析が困難な核酸試料からも細胞の状態を知ることができます。私達は、採取から10年近く経過したDNA試料のゲノムワイドなDNAメチル化状態を定量することで、モンゴル人の免疫細胞に遊牧生活と関連した様々なストレスの痕跡を見出すことに成功しています(Inaba et al. 2022)。現在は、ヒトにとって最も困難な環境の一つである高地への適応メカニズムの解明を目指して、人工気候室による低圧低酸素曝露実験や高地集団の現地調査等にこの技術を応用することを進めています。
私達は一生のうちに様々な病気にかかります。その多くは、多因子遺伝性疾患という環境要因と多数の遺伝要因の組み合わせで発症する疾患です。このような病気のかかりやすさに影響をあたえるゲノムの多様性が、ヒトの進化の過程でどのように形作られてきたのかについて、ヒト集団ゲノムデータを用いた自然選択検出解析などの手法で取り組んでいます。以前には、日本人の内臓脂肪蓄積に関連する遺伝子が寒冷環境への適応に関係した自然選択を受けていたことや、モンゴル人がごく最近に経験した自然選択が、この集団での肥満感受性に強く関連していたことなどを報告しました。最近では、近視の感受性に寄与する多型が、ヒトの拡散の過程で光の強度の地域差や免疫機能に関連した自然選択の影響を受けて進化してきたことを発見しています(Xia and Nakayama 2023)。