イメージさせることの難しさ

6月15日。先週11日に「代表的な作品との出合い」と題して取り上げた2年国語科の「スイミー」(レオ=レオニ・作/谷川 俊太郎・訳)の学習。作品の冒頭に出てくる、小魚の兄弟たちが仲良く暮らしていたところに、恐ろしいまぐろが飛び込んでくる場面をイメージ化させていました。教科書には、

ある日、おそろしい まぐろが、おなかを すかせて、
すごい はやさで ミサイルみたいに つっこんできた。
一口で、 まぐろは、 小さな 赤い 魚たちを、 一ぴきのこらず のみこんだ。
にげたのは スイミーだけ。

と書かれています。見ていると、子どもたちにとって「ミサイル」という言葉がイメージしにくいようでした。担任は、前の体育科の時間に使ったジャベボール(※以前、他学年で使った授業を記事にしています)を思い出させてイメージ化を試みますが、子どもたちにとってはなかなか難しそうでした。

(ロケットを引き合いに出した方が分かりやすかったかな…)
と思いつつ、言葉を頼りにイメージ化させることの難しさを感じました。

ところで、イメージ化が難しいことは指導者に限ったことではありません。実は谷川さんもこの作品を訳す際、相当、苦労されました。この場面のすぐ後に、スイミーが海底を歩く伊勢海老に出会う場面があり、谷川さんは原作をもとに、

水中ブルドーザーみたいな いせえび。

と訳されていますが、実はここのところ、レオ=レオニは、

A lobster,who walked about like a water-moving machine.

と書いています。直訳すると、「水力機械みたいに動き回る一匹のロブスター」となるでしょうか。これでは分かりにくいので、「水中ブルドーザーみたいな いせえび」とされたわけです。

外国の作品を、どう日本語に訳すかは訳者の仕事。訳された作品を使って、どう教えるかは教師の仕事。いずれも難しい仕事には変わりありません。

登録日: 2021年6月15日 / 更新日: 2021年6月15日