2024/5/22 委員長 高野雅典(サイバーエージェント)
人工知能学会 多様性・包摂推進委員会は2023年度、多様な社会的背景・属性の研究者・技術者・学生がそれらに起因するハードルなく自由に人工知能研究・学習に邁進できる環境の整備および研究者・学生の支援を目的として設立されました。
人工知能を含むコンピュータサイエンス関連の職業(研究者・技術者など)は人種・民族的マイノリティや女性が少ないことが指摘されています [Ambrose2019]。属性に起因して人工知能やコンピュータサイエンスの研究・活用への参入障壁が異なるのであれば、それは学問分野として望ましいことではありません。またそれらの職業の平均的な待遇は良いため、ジェンダーや人種・民族の偏りは、それらの格差拡大につながるため対策が必要です [Wu2022]。
そのために本委員会では以下の活動を行っていきます。
社会的/文化的/性的/経済的マイノリティのコミュニティ(リソースグループ)の醸成・支援
人工知能学会の参加者・運営者の啓発
人工知能学会や人工知能研究のDE&Iの観点からの環境改善
人工知能学会や人工知能研究環境における課題調査・改善点の発見と施策提案
など
ここでは(社会的/文化的/性的/経済的)マイノリティを社会の中で数的に少ない、または社会的・文化的・経済的に主流から外れた立場にある人々と考えます。この人々は、人種・民族、性別、文化、性的指向、性自認、宗教、家庭環境、社会経済的地位、身体的または精神的能力など、さまざまな特性により識別されることがあります。本委員会ではこのような人々を含む全ての研究者・技術者・学生がハードルなく人工知能研究・学習に取り組める環境整備・支援に取り組みます。最初はジェンダーギャップに主に焦点を当て、体制を拡充しながら対象を広げていきます。
差別や不公正の捉え方には大別して、個人の心理レベル(偏見・差別的行動)と集団や社会のレベル(構造的差別)があります [Fibbi2021]。学会という組織としてアプローチしやすい/効果的なのは後者の構造的な課題であると考えられるため、以下では構造的差別とその対策について議論します。
構造的差別とは多数派を前提とした制度設計や慣習によって少数派が不利益を被るというものです [Pincus1996]。これは制度上は中立であっても発生します。集団の偏りが大きいとロールモデルに出会う機会が少ない、制度や慣習が無意識に多数派向けになっている、ステレオタイプなどが挙げられます [Falkner2015,Kofoed2019]。またコミュニティが特定の属性に偏ると、他の属性への敬意・配慮のない言説・行動(ハラスメント、マイクロアグレッションや無意識のバイアスなど)が発露されやすく、それは当然、他の属性が居心地を悪化させ、参入障壁を上げることになります [坂無2007]。これも少数派であるために少数派が不利益を潜在的・顕在的に被っているということであり、構造的差別の一種であると言えます。
構造的差別は本来全く差がなかったとしても発生するものです [OConnor2019]。偶然の偏りが増幅され累積し社会的に固定化されるからです [Fibbi2021]。一度発生した構造的差別はマイノリティを更に不利にし、格差をより強固なものにしてしまいます。一方で、この差別は意図的でなく、違法でもなく、通常通りの振る舞いとして行われているため、対処が難しく重大な問題です [Pincus1996;Fibbi2021]。
すなわち現在のコミュニティの状態(結果の不平等)が機会の不平等を引き起こし、機会の不平等が更に結果の不平等を促進する相互フィードバック構図になってしまいます(図1)。例えば、日本においては「外国人」、「女性」、「育児中/介護中」、「地方在住」などが当てはまるかと思います。私感ですが(私が就職活動していた)15年ぐらい前の「博士課程学生の非研究職の新卒就活」の状況にも当てはまると思います(※ 当時は過渡期で改善されつつあったので、現在の博士の就活事情は大きく変わっていると思われます)。
図1: 結果の不平等と機会の不平等のフィードバック構造
構造的差別は人数構成比や(歴史的背景などによる)権力に差があると、それがフィードバックによって拡大・定着するという構造的な問題です。このことは「完全に差別がない状態」というのは無対策では不安定な状態であることを示唆します [OConnor2019]。そのため差別がない状態の実現とともにその状態を維持し続けることも重要です。以上から本委員会のゴールを「様々な人々の学会・研究活動における課題を把握・対応できる体制を構築・維持すること」と設定します。
上記のゴールを達成するために以下の活動を行っていきます。
本委員会では各マイノリティのコミュニティ(リソースグループ)の醸成・支援をします。目的はロールモデルとのマッチング、交流促進、それによる学会の課題発見が目的です。
前述のように少数派が新規に参画しづらい理由の一つに「ロールモデルを得づらい」があるからです。ロールモデルとは職業・生き方において参考にする/したい人物のこと [溝口2020] です。それはキャリアイメージの確立、それに伴う学習の動機づけなどの面でロールモデルは重要な役割を果たします。ロールモデルの効果はピア効果(周囲の人・類似属性の人から受ける影響)[Epple2011,井上2022] の一種です。
前述のように少数派はロールモデルを得る機会が少なく、その結果、その分野や職業のキャリアを選択しない・途中で辞めてしまうという問題があります。少数派である分野ではメンター制度や講演などによってロールモデル候補を提示することが、キャリア継続に有効です [Kofoed2019;Porter2022;Wu2022]。ただし、それによってメンターや講演をする少数派の方に負荷が掛かりうるので学会全体で負荷を分散していくことも重要です。
またコミュニティの重要な点として、そのコミュニティが大きくなる・少数派同士の交流の機会が増加すると、その属性の課題が顕在化しやすくなります。それは制度設計が見直される機会につながります。
本委員会で多様性のある環境、他属性への理解を推進するために参加者や運営に携わる方々を対象に啓発を行っていきます。
コミュニティが特定の属性に偏っていると、自然とそのコミュニティの環境がマジョリティ向けの文化になり、他の属性への敬意・配慮のない言説・行動(ハラスメント、マイクロアグレッションや無意識のバイアスなど)が発露されやすく、それは当然、他の属性が居心地を悪化させ、参入障壁を上げることになります [坂無2007]。コミュニティの多様性を高くすることはこの問題に対して有効ですが、そもそも居心地の悪い環境のまま多様性を上げることは困難ですし、多様性が高くなるまではマイノリティ属性に負荷がかかることになります。
マイノリティ属性の方にも居心地の良い環境の構築・維持のために当委員会では全学会参加者・会員を対象とした啓発活動を行っていきます。例えばマジョリティが自然と享受できている環境は、実はマイノリティ属性にとってはそうではないこと(見えない特権 [出口2021])、マジョリティを含む各属性についてどんな(意識的・無意識的・社会的な)偏見があり、それがどのように問題ないのかなどが啓発活動の一環として考えられます。
また人工知能学会では倫理委員会を中心としてアンチハラスメントポリシーを策定しており、該当案件ごとに理事会主導の下に委員会を組織し、具体的な対応をいたします。
研究の実施、学会発表、学会運営などには様々な制度・慣習が存在しています。コミュニティの属性に偏りが大きい場合、制度・慣習の多くは自然とマジョリティに沿ったものになりがちです。差別や偏見などがなかったとしても、「現状のメンバー」に合わせて制度や慣習が作られるからです。これも構造的差別に起因するものであり、見えない特権 [出口2021] の一つであると言えます。例えば、国内の大学や国立の研究機関を前提とした制度設計や慣習が育児・介護中、外国籍、企業勤務、地方在住、海外在住などの方にとって不自由であるということが考えられます(開催時間・日程・場所、コミュニケーション方式など)。
本委員会ではこのような課題についてセミナー開催、アンケートやインタビューなどによって調査を行い、当学会内での課題の共有、解決策の提案を行っていきます。
上記のように本委員会では構造的な視点から研究や学会にまつわる多様性・包摂性に関する課題に対して取り組んでまいります。学会に関わる多様な皆さまが快適に研究できる環境を目指して尽力してまいりますので、ご協力いただけますと幸いです。
また本文でいくつかの論文を引用している通り、多様性や包摂性は学術的にも大変興味深いものでもあります。またそれらを解決するための技術的アプローチも挑戦的テーマであると言えます。そういった視点でも多様性や包摂性について関心を持っていただけるとよいと考えております。
[Ambrose2019] Ambrose, M. "Panel Warns US Faces STEM Workforce Supply Challenges", FYI Science Policy News from AIP, 2019.
[OConnor2019] C. O'Connor, "The origins of unfairness : social categories and cultural evolution", Oxford University Press, 2019. 邦訳: ケイリン・オコナー, “不平等の進化的起源 性差と差別の進化ゲーム”, 大月書店, 2021.
[井上2022] 井上ちひろ, "日本の学校における性別ピア効果とそのメカニズム", 三菱経済研究所 経済研究書, Vol. 2022, No. 142, pp. 1-52, 2022.
[坂無2007] 坂無 淳, "大学研究室とハラスメント", 現代社会学研究, Vol. 20, pp.19-36, 2007.
[出口2021] 出口真紀子, “論点3 みえない「特権」を可視化するダイバーシティ教育とは?”, In: 多様性との対話 ダイバーシティ推進が見えなくするもの (岩渕功一 編著 ), 青弓社, 2021.
本文書を作成にあたり、詳細なコメントと洞察に富む助言を与えていただいた東洋大学 社会学部 高史明准教授、人工知能学会 会長 津本周作教授、副会長 栗原聡教授、委員会メンバー(荒井ひろみ(理化学研究所 革新知能統合センター)、清田陽司(麗澤大学工学部)、斎藤明日美(株式会社コーピー)、長倉克枝(中央大学大学院国際情報研究科))に感謝を申し上げる。