ホーム‎ > ‎

OpenCampus&学園祭 in 2009

茨城学習センターでは、初めてのOpenCampus&学園祭を2009年11月14〜15日に実施した。
河本様からの寄稿ならびに写真集など掲載します。
     (記事投稿者 管理者)

2009スナップ写真から

2010/03/02 6:49 に システム管理者 が投稿   [ 2010/03/02 7:18 に更新しました ]

(学生表彰式の一コマ)
(表彰された皆さん)
(入学希望者への説明をする柏村室長)
(茨城同窓会のパネル展示)
(英会話サークルのパネル展示)
(ふるさと探勝会のパネル展示)
(PCクラブのパネル展示)
(ゴルフサークルのパネル展示)
(数楽会のパネル展示とメンバー)
(喫茶コーナー)
(物産展の状況1)
(物産展の状況2)
(英会話サークルの体験)
(パター体験)
(リハビリ体操体験)
(ロクロ体験)
(尺八演奏)
(陶芸展示)





















第一回学園祭に参加して

2010/03/02 6:30 に システム管理者 が投稿   [ 2010/03/02 7:27 に更新しました ]

生活と福祉  河本紀久雄

 ある日放送大学OB会の知人から電話が入り、「第一回学園祭をやるので協力して欲しい」とのことであった。 思い起こせば、放送大学に入ってから随分月日が流れている。この間一旦は卒業したものの、学習の雰囲気が忘れがたく再入学したので、既に9年が過ぎたが、未だ学校に恩返しらしき事をした記憶はない。


 定年直前の人間ドックで糖尿病と診断され、予定していた第二の人生設計が白紙となり、時間消化に放送大学の門を叩いた劣等生なので、そんな思いも浮かばなかったが、一つの電話が頭の片隅を叩きノーとは言えないぞ、の言葉を発していた。そして何回かの実行委員会を経て、ハーモニカ演奏と紙芝居上演をやることになった。

(ハーモニカ演奏する仲間たち)

 会社人間が定年後、最も困ることは時間が余ることであると聞くが、落ち着きの無い性格が幸いし毎日やることを探し歩き、10数件の活動や学習の席に顔を出した。そして現在、地域活動にドップリで、時間不足を嘆く日々の中に、この両者は生き残っている。思えば、この活力源の大半は糖尿病のお蔭で放送大学から頂いたものである。


 ハーモニカ仲間は20名余居るが平均年齢は後期高齢者なので、遠路の参加は難しく今回は6名だけのミニ編成で参加した。一方紙芝居は、東海村に伝わる民話を紙芝居に編集する活動を15名程度の仲間で進めていて、既に15の物語を完成している。その途上4年前の生涯学習フェスティバルには東海村代表として参加し、一昨年は国民文化祭「民話フェスティバル」ではフォスト役も務め、少しは村の役にたっている。

(紙芝居の様子)

 今回上演した紙芝居「肥やしをかけてはいけない田んぼ」の物語は、ネットワーク一の井戸端会議からの情報が大変役立っているので、その意味から選択した。その理由はnet上に絵本「にれの町」がUPされたことである。絵本の筋は「札幌の町はこうして出来上がった」であり、それを眺めていた一本の“にれの木”の独り言として語を展開させているが、その奥には自然破壊を諌めている匂いが漂っていた。


 ピンと閃いたのは、これは使えるであった。早速仲間に計り、このロジックの取込法の議論をし、次の活動日には地域の古老の案内で、物語の場所である大杉神社の境内の下見に出かけた。この神社は小さな祠で杉の茂った稲荷神社境内の片隅にある。周辺を見渡すと参道脇に注連縄(しめなわ)の巻かれた神木の杉があり、その脇に小さな杉の木が芽を出し、更にその近くに腐りかかった大きな杉の切り株が目に付いた。決めた「親子三代杉で命の伝承を骨子にしよう」と衆議が一致、にれの木に代わって親子杉の会話で物語を進めることにした。


 更に物語に幅を持たせたのが、稲敷市阿波にある大杉神社総本社の訪問で有る。この神社の存在を教えてくれたのも、井戸端の会話である。神社訪問の目的は、昔この神社から分霊したであろうとの推測の元、その記録を確かめる為であったが、残念ながらそれは残されていなかった。しかし、大杉(あんば)信仰の歴史を教わり、その流布に「あんば囃子」が大きく貢献していた事実を知った。よしこの話も物語に取入れようと思い、神主さんからCDまでも頂いて帰った。


 後でお礼の手紙を出したのは勿論であるが、ずうずうしいのも成功の為には大切な要素である。

その後も地域の古老からの聞き取りや文献調査などを続け、一年かけて紙芝居を作りあげ、年度末の3月、村内初披露を行った。その席での地域の皆さんから“ありがとう”の言葉と後の“涙が出たよ”の遠慮がちな声に我々も目頭を熱くしたのである。こうした汗が篭った物語は井戸端netにもUpして頂き、こんな地域の声が学園祭役員の耳にも届いたのであろう、学園祭参加への足掛かりになったと思っている。


 まんざら在学9年、捨てたものではないと安心した次第である。そして、学園祭後のありがとうの声は普段聞きなれた子供たちや高齢者の声とは違った響きを感じ、これで少しは学校への恩返しになったのかな、と勝手ながら今の実感である。


 そして、また、丸まった背中は学園祭で頂いた暖かい言葉にも押されて、6人の子供たちと一緒に次の物語の展開に頭を絞っている。

 (茨城同窓会機関誌寄稿文より掲載)

1-2 of 2