09:“生きる”ことは“関係する”こと

絵本を読みたくなる。

少し疲れて日常から離れたいとき、楽しみたいとき、元気がほしいとき、ひとりになりたいとき、何かを見失ったように感じるとき・・・。

時々思い出す絵本がある。

「うまれたくなかったから うまれなかった 子どもが いた」という文章で始まる佐野洋子さんの『うまれてきた子ども』(*)

という絵本。

【ものがたり】

うまれたくなかったからうまれなかった子どもは、宇宙のまんなかを毎日うろうろしていた。星にぶつかっても痛くないし、太陽のそばに行っても熱くない。うまれてないからかんけいない。

ある日子どもは地球にやってくる。ライオンに吠えられても怖くないし、蚊にさされてもかゆくない、犬になめられてもくすぐったくない。何をみてもかんけいなくて、のこえやまこえ、どんどん歩いて町について、かんけいないものをじろじろながめていた。

「うまれているの くたびれるんだ」という言葉が印象的だ。

うまれていなかった時は、何も感じなくて何があっても関係なかったけど、うまれたくなってうまれてきたら、あらゆる感覚や感情が目覚めて、うまれたばかりのこころと身体で受けとめるにはあふれてしまいそうな毎日を、めいっぱい生きているのだろう。“関係する”ということは、痛み、刺し、お腹が減り、そして、疲れる。だけど、それをやさしくしっかり受けとめるおかあさんの抱っことキスという関係がある・・・・・。

うまれたことによって、これまで関係なかったことと関係していくこと、感じていなかったことを感じるようになる。それらが自分の中でさまざまなことと結びついていくプロセスは、これまで慣れ親しんだ閉じた世界とは異質なものごとを受け入れる体験であり、そこにはいつも不安や戸惑いがつきまとう。それは怖かったり、面倒だったり、悲しかったり、時に絶望的な瞬間であるかもしれない。しかし、関係するということは、ほのかではあってもひとがぬくもり・希望を手に入れる瞬間でもある。

これは心理療法の営みの中で感じることでもあるし、ひとが成長していくことそのものでもあるだろう。

いままで関係なかったこと、関係ないことになっていたことに触れ、自分のなかに引き受け、根づかせ、自分のものとして“生んでいく”。それは生きていなかったひとが“生きる”と言うことだ。ひとはこうして、少しの強さとしなやかさを得て生きていくものなのかもしれないと思う。

さあ、明日もまた生きていく? うん、生きていこう・・・・。

(O)

(*)『うまれてきた子ども』 佐野 洋子 ポプラ社 1990

2011.02.01

そんな子どもが、町で女の子に出会う。そこでふたりとも犬にかみつかれてしまうのだけど、女の子は「おかあさーん、おかあさーん」と泣き叫んで帰っていく。うまれなかった子どもは、女の子のあとをすたすたとついていき、おかあさんが女の子にバンソウコウをはっている姿をみて、うまれたくなる。そしてうまれるのだ。「おかあさーん」と。

うまれた子どもは、たくさんのことを感じ体験するようになる。おかあさんのやさしさや、暖かさはもちろん、痛みも、空腹も、風というものも、魚への関心も・・・。そしてよるになると、ねまきをきて、おかあさんに言うのだ。「もう、ぼく ねるよ。うまれているの くたびれるんだ」と。

おかあさんは、笑ってしっかり抱いてキスをする。うまれてきた子どもは、ゆめもみないでぐっすり眠る。