人類学と地域研究
―人文研で学んだこと―
田辺明生
〈人間と環境〉への視点
人類学の最終的な問いは「人間とは何か」であり、地域研究のそれは「私たちが生きる場としての地域はいかなるものか」である。人間とその生きる環境とは切り離せない。生命・生活の営みは社会・生態的環境との相互作用においてこそ成立する。呼吸すること、食べること、性的な交わりを持つこと、おしゃべりをすること、あらゆる〈生〉の営みは、人間と環境のあいだで物質・情報を交換することからなる。その〈人間と環境〉という人生のユニットに対して、人類学は人間のほうからアプローチし、地域研究は環境あるいは場のほうからアプローチする。私の理解では、人間の生を理解するにあたって、両者は補完的である。
京都大学の人類学および地域研究の特徴は、人間の生における空間性と身体性つまり〈その場に在ること〉の重視にあると私は考えている。その源は、西田幾多郎の「場所の論理」や今西錦司の「棲み分け理論」などに求められるだろう。西洋の哲学や歴史学の多くが、人類や民族や個人といった主体を措呈したうえで、その主体がいかに歴史的に発展していくのかという主体の時間的変容に注目してきたのに対して、京大の人類学や地域研究は、いかなる主体が空間的・関係的に構築されているのかを問うてきた。それは上に述べた、〈人間と環境〉をひとつのユニットとしてみるということと通じる。こうした視点はおのずから、人間が身体性をもってある特定の場に位置を占めること、そしてその主体が他の生命体や事物との関係性において固有の生きる場を形成していること、への注目へとつながっていった。つまりそれは、ひとつの目的論的な歴史観を拒否し、世界における多元的で固有な主体(関係性の中の生命体)と環境(生きる場としての地域)に注目したのであった。
〈人間と環境〉の相互作用的な構築への視点はさらに、人間の個体性と共同性の媒介についての思考へと発展した。人間は一個の身体存在として固有の経験を持つものであると同時に、自らの経験を人にコミュニケートし、また他者の経験を理解・想像・類推することができる。そして人間は他の人間の経験だけでなく、他の生命体や物の立場に立って感じたり考えたりすることもできる。荘子を引くまでもなく、人は、水に泳ぐ魚の楽しさを人なりにわかるのだ。さらに人間は、自己、他の人間、生命体、物との新たな関係性の可能性を想像・構想し、その実現のために世界に対して働きかけることができる。
これは人間と環境の新たな関係性のありかた、つまり新たな〈生のかたち〉を構想し、その実現に向けて行為することができるということだ。このことは人間が自分以外の立場に立ってものを考えたり想像したりする能力をもつことと関連している。人間は身体を持ちつつ、共感と記号の能力を通じて、「今ここ」から脱した思考をすることができる。こうして人間は、〈その場に在る〉ことを基盤としながら、自己と環境における過去と現在の関係性を再帰的に吟味し、その未来の新たな可能性を想像・構想できるのだ。
フィールドのなかからの知
京大の人類学と地域研究で重視されるフィールドワークは、こうした人間の環境理解の能力を学術的に用いようとしたものである。それは単なる仮説証明のための現地調査とは全く異なる意味を持つ。
フィールドにおける現実は混沌としている。しかし不思議なことに人間は、自らの育った環境とは違う環境でも、しばらくそこに生活し、その新しい環境との相互作用を続けていると、その環境について何事かを了解することができる。それは経験の蓄積を踏まえた上での、〈直観〉の作用である。環境世界を理解するうえで決定的に大事なのは、関係性の〈かたち〉を把握することであり、それは、既存の命題から結論を論理的に導く演繹(ディダクション)や、複数の類似の事例から一般化した命題を導く帰納(インダクション)によってのみでは得られない。むしろ身体存在にとっての世界理解は、経験とイメージからの推測を通じた直観的認識、つまりアブダクションといわれる認識作用によって獲得されるものである。
アブダクションとは、経験的に観察された諸事実を最も適切に説明する理解の枠組みを推論することである。煙をみて火事が起きているかもしれないと思ったり、顔色が変わったのをみてその人が怒ったのを感じとったりといった如くである。その認識は、頭の論理だけで行うものではなく、身体全体で経験を蓄積することを通じた世界了解であるといえよう。アブダクションによって、自己をとりまく関係性のかたちを理解し、自分が生活する環境を把握することができる。環境の意味を知るとは、自分と他者と事物とがどのような関係性におかれているのか、その関係性のなかで自分および他者はどのような行為をすることができるのか、そして、そうした行為はその関係性をどのように変える可能性があるのかということを実践的に知るということである。それは、対象についての客観的な知(knowing that)や、目的達成のための技術知(knowing how)とは異なり、生きる場のなかからの知(knowing from within)であるといえるだろう。
そして人類学また地域研究とは、フィールドに在りつつ、自社会の人々が通常は理解できにくいような生とその環境のかたちについてフィールドワークという生の経験の蓄積に基づくアブダクションを通じて把握し、それを理解できるように翻訳する営みである。京大での「とにかくフィールドに行って来い」という学生への指導には最初は少々戸惑ったものの、フィールドにおける〈直観〉が重要視されること自体は、理論的にも極めて正統である。1)
個から広がる世界の総合理解
私がこうしたことを曲がりなりにも少しずつ理解できるようになってきたのは、京大という環境に身を置いて暮らして、その知を身体化してきたからもしれない。私が1998年に京都大学に赴任してきたときに、田中雅一氏主宰の『個をめぐるミクロ人類学確立に向けての基礎的研究』の研究会に出席させていただくようになった。人文科学研究所で行われていたこの研究会は、京都大学に在籍する多くの人類学者が集う場であり、きわめて刺激的であった。そこは、私にとって、京大の人類学へのイニシエーションの場のひとつとなった。
最初に特にとまどいかつ興味深かったのは、研究者自身の経験や嗜好性(食や性に関わる欲望を含む)が前面において問われることであった。それは、「体を張った実践」としてのフィールドワークが重視されることから当然のことかもしれないが、フィールドのなかの自分を消してはいけないということがしばしば文学的にのみ解決されることが多い人類学的営みを見てきた私にとって、こうした会話は(ときにはかなりどぎつくもあったが)とても新鮮であった。個の経験や欲望に関する問いを互いに投げかけつつ打打発止の議論をすることは、「自己」の境界を互いに侵犯しあいながら、親密感と緊張関係の同居する知的な共同体をつくっていく過程でもあったように思う。
この研究会の成果として出版された『ミクロ人類学の実践―エイジェンシー/ネットワーク/身体』は、人類学の新しい方向性を示した書として長く読み継がれるだろう。それは、身体存在としての個を出発点としながら、その身体がネットワークを通じて共同世界に開かれていること、そして他者と響応する身体は新たな世界を生みだすエイジェンシーを有することを高らかに宣言している。
こうしたミクロ人類学の成果に立ちつつ、現在私たちは、人間の生とその環境について、社会文化の視点からのみではなく政治経済そして自然生態の視点からも理解することが求められている。また関係性のかたちの空間的把握だけでなく、その歴史性と未来可能性、つまり<かたち>の現れとその潜在力についての理解をも促進する必要がある。別言すれば、ミクロとマクロ、地域と地球、そして空間と歴史を総合した世界理解が求められているのだ。それは個から広がる世界のありかたを総合的に把握しようとするミクロ人類学の論理的帰結でもあるだろう。
人類学と地域研究が手を携えて、人間とその生存基盤の全体を明らかにしていく総合的な知の営為は、これからますます重要性を帯びることを確信している。2)京大というフィールドにますます豊饒なる実りがあることを祈りつつ、自らもそのなかで果敢に学んでいきたい。
1)ただここで学生諸君のために付け加えておきたいのだが、何も準備をせずにただフィールドにいけばよいというものではない。本を読む必要なんかない、と京大でしばしばいわれるのは、真理はフィールドにこそあるからだ。そのことは間違いない。フィールドで頭でっかちの理論をふりまわしても詮無いことだ。しかし、フィールドに行く前に、さまざまな学問の蓄積を自らの血肉としておかないと、天才でもない限り、みえるものもみえないし、研究者としての直観さえも働きようがない。自分の得た直観をデータや言葉に翻訳していくためにも、読書を通じた教養は必要である。「本なんか読まんでええぞ」とおっしゃる諸大家は、古今東西の古典を読みつくした方々である。賢人の言葉を字面だけで理解しようとするなかれ。フィールドで本を忘れるためにこそ、フィールド前には本をしこたま読みたおしておくことをお勧めしたい。むろん準備をしつくすことなぞありえない。時がくれば、「とにかくフィールド」に行こう。
2)小生も共編者の一人として加わった『地球圏・生命圏・人間圏―持続的生存基盤とは何か』は、人間とその生きる環境を総合的に理解するための学際的な試みである。古くて新しい根本的な課題に諸専門家の知を結集して大胆果敢にとりくむ、こうした本にも京大らしさが現れているように思う。
(『人類学の誘惑 京都大学人文科学研究所人類学部門の五〇年』2010年10月 39-41頁)
(後記:これを書いたのは、京都大学人文科学研究所を去って、アジア・アフリカ地域研究研究科に戻った年であった。この頃は京大をも去って、東大に戻ってくることになるとは思ってもいなかった。京都大学の人類学と地域研究を学ぶ機会を得たことは私にとってかけがえのない経験であった。)