教会からのメッセージ

須田 毅牧師

「慰めを得る」

16世紀のキリスト者の中に、彼らの信仰とは、「慰めを得ていること」と言いました。

信仰によって、自分自身が自分の力で生きているのではなく、

自分は救い主イエス・キリストのものとなっていることが、慰めであり、平安なのだ、と説明します。

現代の私たちは、自分自身の力でどれくらい慰められるものを持っているでしょうか。

真実に人間に慰めを与えるものは、自分自身の中になく、

外的に支える経済力や広い人間関係、生活環境の快適さなど、

外側のものが多いように思います。

しかし、それらは不安定でもあります。

信仰者は、聖書を通して、外から神が与えてくださる慰めを得ているのです。

それは神が確かに約束されていると、素朴に信じているのです。

素朴ですが、力強いものです。

そのような、キリスト教信仰について聞きたいこと、知りたいことがあれば、

ぜひ教会をお訪ねください。