建物探訪   (ちょっとだけヨ)

令和の丸一国府商店

●望楼の中は床の間付き和室●

このお店を訪れたお客様から、よく質問いただきます。「看板のある(望楼)の中は、どうなっていますか?」ってご質問に、ご説明致します。

一番上の4階は「床の間付の和室」になっており、北側の丸窓からは、四季を通じて「窯神神社」の杜、春は桜、夏は目に眩しい緑、秋は紅葉、冬は雪景色を楽しめます。こういう「仕掛け(借景)?」というのでしょうか

あと南側、東側は廊下もあり、猿投山などの山々、そして眼下には瀬戸川が見渡せます。

建物は明治の末、完成

 明治5年の創業の後、数々の戦争、不況を乗り越えて、令和の現在も陶器店として営業する「丸一国府商店」

 創業(名古屋市本店)の際は、犬山城の成瀬家より借財し開業したと伝え聞いております。また私の祖父は、瀬戸の「丸一商店」で働いていた1人で、昭和の初期(第二次世界大戦頃)まで、東京出張の際は成瀬子爵にご挨拶を兼ねて返済に伺っていたと聞いております。その後、祖父が商店を引き継ぐこととなり、現在の「丸一国府商店」となりました。

創業明治5年

 瀬戸電(現在の名鉄瀬戸線)の開通に合わせて、建てた瀬戸の「丸一商店」

 瀬戸電を利用して全国に、そして海外向けにに陶器の販売を始めました。     ちなみに「本店」は名古屋市東区森下にありました。「丸一商店」は犬山城に仕えていた家臣が廃藩置県の明治となり、始めた会社であったと伝え聞いております。    写真の建物の前の小川のような川は、今の瀬戸川です。まだ道路も砂利道、大八車で荷物を運び、人力車で送り迎えしていた時代です。    そして窯神神社のお祭りや深川神社の陶祖祭の折、店前に木製のりんご箱と戸板を使って商品を並べて、商品を売ったのが9月の「せともの祭り」4月の「陶祖祭り廉売市」の始まりです。