CV-JP-HISTORY

思い出と反省と予定を含む履歴書みたいなの

1975年 6月 京都市左京区に生まれる

毛むくじゃらで生まれたらしい 

1988年 3月 京都市立明徳小学校 卒業 

素直ではなかった。とても反省している。 

1991年 3月 東大寺学園中学校 卒業

ハンドボールのキーパーをやっていた。 

橋本行弘氏に憧れる。 

1994年 3月 東大寺学園高等学校 卒業 

いろいろとインチキな公約をかかげ

生徒会長に当選するも、 何一つ実現できなかった。

1998年 3月 大阪大学経済学部 卒業 

軽音楽部でジャズをやる。 

下手くそなくせにマーチンの黒いトランペットを吹いていた。 

マイルス・デイビスに憧れる。

2000年 3月 大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程 修了 

この頃は数理経済学者になりたかった。 

今はもう少しソフト路線な気がする。 

ジェラール・ドブリューに憧れる。 

2000年 4月 大阪大学大学院経済学研究科博士後期課程 入学

2004年 9月 同研究科 退学

 2001年 9月 米国ロチェスター大学 経済学 Ph.D. コース 入学

ニューヨークでテロが起こった年に渡米。

 その後、3年間の休学の後に阪大を退学。 

2007年 5月 米国ロチェスター大学 Ph.D. (経済学) 取得 

留学の感想を一言で言うなら、長かった。 

いろいろな人と出会い、お世話になり、そして別れた。 

2007年 4月 龍谷大学経済学部 専任講師

久しぶりに関西に戻ってきた。 

学生時代は貧乏だが時間があったことを噛み締めている。

2010年 4月 〜 2011年 3月 龍谷大学経済学部学生生活主任

この時期はつらかった。辛すぎて任期2年のところを1年で投げ出した。

残りの任期を押しつけてしまった小峯さん、ごめんなさい。

2012年 4月から2022年3月 龍谷大学経済学部 准教授

年齢では専任講師は准教授と給料が一緒なのにノルマが1個少ないという素敵な待遇だったので昇進によりかえって給料が減るはめに...。

2012年 9月 〜 2013年 8月 ボストン大学 客員研究員

サバティカルのためボストン大学へ。

期待がだいぶ低いとはいえ、思ってたよりも英語がしゃべれる気がする。

やはり教員になってどんな風にしゃべるかを身につけたのだろうか。

2014年 4月 〜 2016年 3月 龍谷大学経済学部研究主任及び大学院経済学研究科教務主任

再び、役職につくこととなった。

2018年 4月 〜 2020年 3月 龍谷大学経済学部研究主任及び大学院経済学研究科教務主任

再び、役職につくこととなった。2回目なのでいろんなことをした。

やらなきゃいけない義務をサボる同僚の名前を教授会で公開したりして敵を増やしたかも。

2020年 9月 〜 2021年 8月 龍谷大学でサバティカル

本当はビーレフェルト大学(ドイツ)客員研究員の予定だったが、COVID-19のために国内で過ごすことに。オクトーバーフェストやクリスマスマーケットや、、、。人生はままならない。

2022年 4月から現在 龍谷大学経済学部 教授

なかなか時間がかかったな。言いたいことを言ってたからか。これまでとは違って,毎年たくさん昇任人事を起こしていきたい。