先行研究を無視したら処分された話

1 はじめに

 2024年3月1日に以下のような報道がありました。



  以下、比較的詳細な毎日新聞の記事を引用します。


 熊本大学は1日、大学院人文社会科学研究部の准教授が書いた論文で、自身のゼミに所属していた学生の先行研究があったにもかかわらず「ない」と明記するなど「先行研究の不適切な扱い」があったと発表した。今後、処分を検討する。

 発表によると、不正が確認されたのは、同部の安高啓明准教授(45)=日本近世史=が2022年に国内の学術誌で発表した歴史学の論文。先行研究として、学生の卒業論文や修士論文などがあったにもかかわらず、故意に引用しなかった上、先行研究がないと明記していた。23年3月、同大に設置されている公益通報窓口に学外者から情報提供があり、発覚した。

 熊大は同年5~12月に学内外の有識者ら5人でつくる調査委員会を計8回開催し、「認識していた先行研究の存在を無視し、研究成果を否定して言及しなかった」として24年2月に安高氏の不正行為を認定。論文を取り下げるよう勧告し、本人も承諾した。安高氏は「指導学生と自分の研究は違う」と弁明していたが、異議申し立てはなかったという。

 小川久雄学長は「再発防止と信頼回復に向けた努力を精いっぱい行う」とコメントした。


 「未刊行の学位論文を引用していないから処分されるとは信じられない」とか、「指導生に対するパワハラがあったのではないか」とか、いろいろな反応がSNS等で散見されます。

 今回の事案については、確かに報道等を見る限りわかりにくいのですが熊本大学が研究不正に関する調査結果を公表しており、そこに理由が書かれています。ただ、この結果報告もそれ単体では理解しにくく、各種資料をもとに読み解かないといけない部分があります。

 以下、熊本大学の調査結果について、その内容を読解し、私なりの理解を整理していきます。

2 調査報告について

 熊本大学が公開している「熊本大学教員による研究活動上の不正行為(先行研究の不適切な扱い) の認定について」によると、当該准教授については以下のように「研究活動上の不正行為」が認定されました。


令和5年3月30日、本学准教授が発表した論文について、指導学生の論文・論考内容に大いに関連しているにもかかわらず、その先行研究を無視しているとして、研究倫理上の疑義がある旨の告発があった。予備調査の結果を受けて本調査を行うこととし、研究活動調査委員会を設置した。本調査の結果、研究活動上の不正行為である「先行研究の不適切な扱い」が行われたと認定した。


 その認定理由は以下のようになっています。


(認定理由) 当該准教授は、論文冒頭において、「・・・の研究は、・・・・ものの、他国者に対する法概念を検討したものはない」と記述している。 しかしながら、指導学生が学部生時代に提出したレジュメや卒業論文、修士論文等と比較すると、「他国者に対する法概念を検討した先行研究」として当然踏まえるべきものであったと判断される。

指導学生への指導を通し、当然認識していた先行研究の存在を殊更無視し、その研究成果を否定し言及しなかったことは、著しく研究作法・研究倫理に反したものである。特定不正行為には該当しないものの、研究活動上の不正行為である「先行研究の不適切な扱い」と認定した。


 調査委員会は当該准教授の行為を「特定不正行為」とは認定しませんでした。

  「特定不正行為」とは文科省が定義している3つの不正のことです。


1 捏造 存在しないデータ、研究結果等を作成すること。

2 改ざん 研究資料・機器・過程を変更する操作を行い、データ、研究活動によっ て得られた結果等を真正でないものに加工すること。

3 盗用 他の研究者のアイディア、分析・解析方法、データ、研究結果、論文又 は用語を当該研究者の了解又は適切な表示なく流用すること。


文科省「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」10ページ

  毎日新聞の報道によると、当該准教授は「『指導学生と自分の研究は違う』と弁明」していたので、当初は彼自身あるいは調査委員会は「盗用」のセンを疑っていたのかもしれません。しかし、今回はこれに該当しませんでした。

  一部報道では、


歴史学の論文で当時、研究室の教え子であった大学院生の公表されている研究内容を使用したにも関わらず、その事を記載せず「独自の研究」として国内の学術誌に発表していたということです。


「信頼関係が壊れていった」准教授が教え子の研究を『不正に使用』し国内の学術誌に発表 熊本大学(RKK熊本放送)2024年3月1日(金) 18:44

と「大学院生の公表されている研究内容を使用した」とされています。

  この報道ではデータや資料等を当該准教授が盗んだ印象ですが、調査委員会は「盗用」とはしておらず報道が正確ではなかった可能性があります。

 

  今回、調査委員会はこの事案について「先行研究の不適切な扱い」としています。これは一体何なのでしょうか。

  そもそも熊本大学は研究不正を4つに分類しています


イ 故意又は研究者としてわきまえるべき基本的な注意義務を著しく怠ったことによる、捏造(存在しないデータ、研究結果等を作成することをいう。)、改ざん(研究資料等・研究過程を変更する操作を行い、データ、研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工することをいう。)、盗用(他の研究者のアイディア、分析・解析方法、データ、研究結果、論文又は用語を当該研究者の了解又は適切な表示なく流用することをいう。)、二重投稿(他の学術雑誌等に既発表又は投稿中の論文と本質的に同じ論文を投稿することをいう。)又は不適切なオーサーシップ(論文著作者が適正に公表されないことをいう。)


ロ イに掲げる行為の有無を証明するための研究資料等(資料、試料及び実験装置のことをいい、再実験等の再現のために不可欠なものを含む。)の破棄、隠匿、又は散逸


ハ イ及びロに掲げる行為以外の研究活動上の不適切な行為であって、科学者の行動規範及び社会通念に照らして研究者倫理からの逸脱の程度が甚だしいもの


ニ 故意若しくは重大な過失による研究費の他の用途への使用又は研究費の交付の決定内容及びこれに付した条件に違反した研究費の使用


「国立大学法人熊本大学における研究不正の防止等に関する規則」(第2条)

 特定不正行為の「捏造」「改ざん」「盗用」はイに該当します。ロは特定不正行為に関する証拠隠蔽のことを指します。1つ飛ばして二は研究費の不正流用です。

 そして、ハがそれ以外の「研究活動上の不適切な行為」であり、その行為の中でも「科学者の行動規範及び社会通念に照らして研究者倫理からの逸脱の程度が甚だしいもの」と程度の重いものを指します。今回の処分はこれに該当すると思われます。

3 「先行研究の不適切な扱い」をめぐって

  「研究活動上の不適切な行為」としての「先行研究の不適切な扱い」とはどのようなことを指すのでしょうか。探ってみると日本学術振興会「科学の健全な発展のために」編集委員会が出した「科学の健全な発展のために-誠実な科学者の心得-」という冊子に行き当たります。


 この冊子の中で「不適切な発表方法」という章があり、その中に「二重投稿・二重出版」、「サラミ出版」とともに「先行研究の不適切な参照」という項目があります。以下、引用します(70-71ページ)。


 科学研究は,それまで他の研究者によってなされた研究成果の蓄積の上に築かれます。 したがって,研究の実施にあたって先行研究をきちんと踏まえることは重要ですし,論文執筆にあたっても先行研究を適切に配慮する必要があります。先行研究を十分に調査することで,オリジナリティのある適切な研究計画が立案でき,研究の意義も明確になります。

 すでに行われた研究に対して正当なクレジットを与えるためには,先行研究を十分に調査すると共に,論文執筆にあたって先行研究を適切に参照することが不可欠です。ときに自分の研究グループと対立する研究グループによる先行研究を意図的に参照しない事例が見られます。しかし,そのような不適切な先行研究の扱いは,科学研究の客観性・信頼性を揺るがすものであるということを認識する必要があります。


 ここでは確かに「先行研究を適切に参照することが不可欠・・・・先行研究を意図的に参照しない事例」が「不適切な先行研究の扱い」とされ「科学研究の客観性・信頼性を揺るがすものである」と断罪されています。

 今回のケースでは、当該准教授は先行する指導生の研究が存在していることを知っているにも関わらず「ない」と断言しています。確かにこの研究は未刊行ですから一般的にそれが存在することを知るのは不可能です。しかし、自身が指導しているなら「知らない」ということはできません。つまり、存在を確実に知ることができるわけです。

 未刊行論文だから引用する必要はないと言う人もいそうですが、当該准教授は「研究は・・・ない」と研究の不存在を明示しています。厳密には「刊行された論文、書籍はない」のであって「研究はない」というのは事実に反します。何よりその「研究の存在」及び「不存在の不存在」というその事実を当該准教授は知る立場にありましたから、これは意図的な否認になります。

 この状況はまさに「先行研究を意図的に参照しない事例」に合致しており(つまり、研究は存在するが意図的に参照・言及せず「ない」と存在を意識的に否認する)、「不適切な先行研究の扱い」と認定されてもおかしくありません。

  調査委員会は当該准教授の研究姿勢について「当然認識していた先行研究の存在を殊更無視し、その研究成果を否定し言及しなかった」と認定していますが、日本学術振興会の提示する「不適切な先行研究の扱い」に該当し、さらに熊本大学の規定でいうところの「研究者倫理からの逸脱の程度が甚だしいもの」とされるのも仕方ないでしょう。これらを踏まえれば、当該准教授の行為が「研究不正」と認定されるのは妥当なものです。

 調査委員会は「発生要因」として「研究公正・研究倫理に対する認識・知識・理解の欠如」と「准教授のサバティカル取得や師弟間の信頼関係が壊れていっていた背景」を指摘しています。この点でこのケースをアカハラの一種とすることは可能ですが、やはり研究不正として捉えたことは慧眼に思えます。

 調査委員会が指摘していないことですが今回の研究論文のテーマは当該准教授曰く「・・・の研究は・・・ない」わけで非常に新規性が高いものです。指導学生がもしこの論文を刊行しようと思っても、当該准教授が先に同一テーマの論文を発表したなら、その新規性は格段に下がります。この点を当該准教授は考慮した上で自身の論文を作成し、発表する際には指導学生に対して確認、許可を得る必要があったでしょう。

 当該准教授はこの論文を発表する際、指導学生に「私はあなたの学位論文と同じテーマを新規なものとして発表したいが、あなたは学位論文を刊行する意思はあるか」と確認した上で注釈や謝辞に指導学生の名前とその研究が自分の研究に与えた影響、および感謝の言葉、さらに指導学生が学位論文を刊行する準備をしているなら、それを待つか、後発研究として学生の学位論文の存在に言及しながら、先に刊行する旨を書き添える必要があったと私は思います。

 先の日本学術振興会「科学の健全な発展のために」には次のようにあります(71ページ)。


オーサーシップの条件を満たさない関係者については「謝辞」で述べるのが適切だと述べています。具体的には,研究費を獲得した人や研究室主宰者,研究代表者,アドバイスを行った人,草稿執筆にあたって文章面・英文構成などで協力してくれた人などで,オーサーシップの条件を満たしていない人です。謝辞では,具体的にどのような寄与・貢献を行ったかと共に明記することが望まれます。


 今回の場合は上記具体例の中にはありませんが「具体的にどのような寄与・貢献を行ったかと共に明記すること」とあり、当該論文のテーマと関係する未刊行先行研究の著者として敬意を払ったほうが望ましかったでしょう。

 このようなことは日本のアカデミズムでは比較的によくあることだと思います。当該准教授にとっては「まさか」という事態だと思いますが、当該指導生と和解した上で、日本のアカデミズムがより良い方向に向かうための捨て石になったつもりでこの事案については納得していただければと感じます。

4 おわりに:雑感

 以上のようにみてきたように、熊本大学の処分は一定の妥当性があるものだと理解できます。


 今回の熊本大学の事案に関しては個人的には「よくこのアプローチで攻めたな」と感嘆の念を覚えます。経緯を考えれば、アカハラで攻めることもできましたがそれではなく、研究不正、それも盗用では難しいとなって「先行研究の扱い」で一本取ったのは面白い切り口だなと感じます。

 「オーサーシップ、あるいは研究への貢献」という点で画期的な判断に思えます。確かに込み入った事情はあるのですが、「状況的に知って当然である他者の研究を無視すること」、あるいは「無視されたと感じさせること」について、それが不適切であると処断されたのはアカデミックコミュニティに一定の緊張感を与えるものになるでしょう。


 このようにいうのは、「先行研究の無視や盗用まがいのこと」は私も何度も経験したからです。


 私が2021年、ウェブ上で公開したSNSの社会運動についての報告書と同一対象について(私の報告書刊行後にデータを取得し)論文化した国立大学の先生がいました。

   その先生はその論文で「このテーマの先行する論文はない」と述べていました。私の報告書はSNSの大学教員コミュニティで拡散していたのですが、その先生も同じコミュニティへ活発に投稿していました。この点から疑いを持ったのですが、これだけでその先生が私の報告書を見てこのテーマを研究したとはいえません。私もこの先生の投稿をきちんと読んでなかったのでこの先生が私の調査報告を知らない可能性も大いにありいます。とはいえ、あまり気持ちのいい話ではありません。こういうことを避けるためには先行する調査に関して論文化されていないウェブの記事や報告書であっても網羅的に示す必要があるでしょう。

   他にも似たようなことは複数ありますが、決定的だった話を書き残しておきます。

   私が大学院生時代、博士論文に組み込む予定だったある論文を学内紀要に投稿したのですが不採択になりました。理由も意味不明な内容で首を傾げるものでした。

   とある筋から、某先生がリジェクトを決めたという話が舞い込みました。私はその先生の指導生である先輩大学院生に相談し刊行されなかった論文を託しました。その先輩は「読んでおくよ」と言い、それからその話は何もしなくなりました。私は結局、その論文の内容を棄却し、(他にもいろいろ事情はあるのですが)博士論文も書くことはできませんでした。

 数年後、その先輩の博士論文が書籍として刊行されました。読んでみて驚きました。あのとき、私がリジェクトされた論文の鍵となるアイデアが無断で使用されていました。当然ながら謝辞に私の名前はなかったです。

 ふと、その先輩がかつて言っていた「えらい先生の手伝いを、たとえ小間使いみたいなことでも、やっていればいいことがあるんだよ」という言葉を思い出しました。その先輩は悪い人ではないのですが、研究者としての純粋さがどこかで欠けていました。その先輩は今は有名大学のテニュア付き准教授です。


 このような経験から私は熊本大学の調査委員会の判断を大変興味深く感じました。


 ちなみに「コロナ禍の大学で何が起きたのか」調査シリーズでは時折、オーサーが「蒲生諒太とプロジェクトc」、「蒲生諒太とプロジェクトa-K/c」など、「内山田洋とクール・ファイブ」みたいになっていたり、「プロジェクト xxx 代表:蒲生諒太」とグループになっていたりとよくわからない表記になっていることがあります。本文でも「私」と「私たち」が混在していて読みにくいと感じた方もいたかもしれません。

 このような表記は調査を手伝ってくれている学生たち、調査内容の壁打ちに付き合ってくれている学生たちの存在を暗示したものでした。本来なら共著あるいは(どちらかといえば)謝辞に名前を載せるべきなのですが、この調査シリーズがSNSの一部の過激アカウントに目をつけられ誹謗中傷の標的になっている以上、学生の身を守るためにこのようにボカしたものなっているのです。

    私一人で文字通り孤独な調査をしているのは事実なのですが、それでもどこかでこの研究に関与してくれた人たちの存在を残したい思いはあるわけです。学生も学生で名前を出してほしいと言っているわけではないのですが、それでもどこかのタイミングでメンバーの名前は歴史に刻みたいなと思います。

 結局なところ、私が書いたものは「私一人で書いたものだけど、私一人で書いたものではない」わけで、そこ(ある紙面)に交差する様々な人の軌跡を後世に残すことが研究倫理の要なのかなと思います。

公開日:2024年3月2日

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