日本の大学でジェンダー平等を達成する確実な方法

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1 はじめに

春先に、ある国立大学の先進的な副学長が大学の「女性限定公募」をめぐってSNS 上で論争を展開していました。その中で、勢いのままに、若手男性研究者に対する差別発言を行いました。


私は即座にこのことに抗議をして懸命な副学長は発言を訂正しました。一連の経緯を以下の記事にまとめています。


彼女のダイバーシティ:「大隅典子」の場合


彼女の発言については、SNSの「フェミニズムとアンチフェミニズム」の対立の中で、アンチフェミニズム(あるいは単なるミソジニー)から批判的あるいは攻撃的に取り上げられています。


元来、開明的な女性研究者が、なぜSNSの掃き溜めに自ら飛び込んでいったのか。不思議でなりません。


「女性限定公募」を擁護する、その熱意の背景には日本のアカデミアにおけるジェンダー平等という長年の課題が存在していることは理解できます。


いちいち、引用も言及もしたくありませんが、コロナ禍に勃発した日本の人文社会科学史最大の汚点である「フェミニズムとアンチフェミニズム」の祭典はさまざまな禍根を残しながら、現在も終わることなく燃え続けています。


そんな中で騒ぎと関連して日本歴史学協会は「歴史学界における若手研究者問題の解決にむけて」を発表し「​​ジェンダーは『若手研究者問題』の縮図」(2021年7月7日)とさえ、言いました。


これらの「ジェンダー」問題の一方で彼女に限らず、全国の国立大学は女性限定公募に熱心に取り組みはじめており、それは政策レベルの問題となっています。


読売新聞「女性教員採用 京大が本腰」(2022/09/25) 

朝日新聞「教員公募で「女性限定枠」 山形大、来年度の採用で4割超の18人」(2022/10/4)


この背景には国立大学協会が明確な数値目標を提示し、女性の教員を増やす政策を推進していることがあります。


≪アクションプラン(2021年度~2025年度)概要≫

国立大学全体として、2025年までに女性教員比率を24%以上に引き上げるとの達成目標を設定する。また、大学の特性により事情が異なることを考慮して、大学の特性別区分に合わせた女性教員比率の達成目標も併せて設定し、2025年までに総合大学は24%以上、理工系大学は14%以上、文科系・医科系・教育系大学は31%以上を目指すこととする。

学長・理事・副学長については20%以上、大学の意思決定機関等は20%以上、教授は20%以上、准教授は30%以上、課長相当職以上は25%以上と、職階ごとに、2025年までに女性が占める割合の目標値を設定する。

国立大学における男女共同参画推進について -アクションプラン(2021 年度~2025 年度)- (2021/1/14)


改革派の大学執行部であるならば女性限定公募含めた女性教員を増やす手立てを実行するのは大学行政上の使命だというわけです。


とはいえこのような女性限定公募は多くの若手男性研究者たちを不安に駆り立てることでしょう。自分たちの本来得られるはずだった(と本人は思っている)ポストが女性に奪われるのではないかというわけです。それが SNS において攻撃的な(時に愚かしい)反応に繋がることもあり得るわけで、結局それが巡り巡って副学長の発言に行き着いたというわけです。


ところで私はこの数ヶ月、日本のアカデミズムでこれから起きる最大の転換点について論じてきました。すなわち「専任教員」から「基幹教員」へ。


未知の領域へ:「大学設置基準」と「基幹教員」


この「基幹教員」制度が実は日本の大学におけるジェンダー平等を推し進める機会にもなるといえば、あなたは信じるでしょうか。


私は確実に日本のアカデミアにおけるジェンダー平等を達成するプランを提案できます。それは社会正義を成し遂げることにちっとも結びつかないにも関わらず、大学執行部及び事務局を喜ばすことができるものになるでしょう。今回はそれを説明します。

2 雇用を劣化させよ

2022年10月、大学設置基準が改正され、日本の大学においては今後、フルタイム雇用者で構成される「専任教員」がなくなり、「基幹教員」に置き換わります。基幹教員の25%はパートタイム雇用の教員でも良いことになります。これが日本のアカデミアをどのように地獄に陥れるのかはすでに論じた通りです。


これからの人事:「クロスアポイントメント」など

大学設置基準改正の最悪の帰結:「ケース4」


しかしこの危機はある種の「チャンス」、正しく言えば「ズタボロのチャンス」とも言えるわけです。


私は1つのやり方を提案したいと思います。それは25%のパートタイム基幹教員の収入を「主たる家計の支持者として容認できないほどの低賃金」に据え置くということです。簡単にイメージするなら、「年収100-200万円の大学教授」を作り出すということです。さらにその低賃金教授は非常勤やアルバイトがしづらい勤務システムにするのです。これこそが社会正義を達成するために重要なのです。


例えば、週4日勤務、タイムカード管理のもと出勤し、授業を含め学生対応や会議出席、事務仕事をこなす。勤務時間は10時から16時で1時間の休憩で1日5時間勤務。週20時間で1月4週で80時間とします。


東京都の最低時給が​​​​​​​​​​1,072円なので奮発して時給を1,500円としましょう。月給は額面で12万円。12ヶ月で年収は144万円。ここに授業手当を加えても200万円にはならない。


「年収200万円以下で週4日勤務の大学教授」の公募が出ていたとして、あなたは応募するでしょうか。週4日10時から16時まで働くということは非常勤やアルバイトがほとんどできないか、できても週1日、わずかな研究日を犠牲にして行なうしかありません。それによって得られる収入もそれほど大きな金額にはならないでしょう。


このポストは永続性を持った、昇給も昇進もないという特性を要求します。言うなれば無期契約のパート。賃金は永遠にその大学が立地する都道府県の最低時給の相関として設定される、安定した、しかし、金銭的に魅力のないポスト。これこそが最も望ましいものです。

3 見せかけのジェンダー平等

このポスト、誰が応募するのか。想定している対象の1つにして、大きなボリュームゾーンとなるのは性別役割分業のもと、男性が「主たる家計の支持者」になりがちな日本においては「正社員の夫を持った妻」ではないでしょうか。


「想定している」ということで、例えば想定対象に入らないような「年収200万円でも大学教授になりたい」という男性が応募してきた時はどうするのでしょうか。研究業績も教育業績もある、その男性は選考に勝ち残るかもしれません。しかし、彼は着任したとして年収200万円生活に満足することはできないでしょう。彼は今の日本の文化において、結婚も家庭を持つことも叶わない、それどころか経済的な自立を勝ち得ることもできないからです。


すぐにより良い条件の大学に移籍してしまい定着しないか、あるいはまともに働かず部屋にこもって自分の研究をする、つまり、「ただ飯食らい」になってしまうかです。

そうなるとこの大学は労働条件のマッチングから、男性よりも女性を、それも「主たる家計の支持者が別にいる女性」を研究業績や教育業績の優劣はほどほどに、採用しようとし始めるでしょう。


退職教員が出るなら順次、このやり方で採用しましょう。自然と「25%枠」の多くを「パートタイム労働の女性」で占めることができます。25%以外枠、つまりフルタイム枠においても女性は従来通り雇用されますから、合算したとき、その大学の女性教員の比率は大幅に伸びることは間違いありません。

かくして非常に穏やかで同時に人件費も抑制できる大学経営陣からすると魅力的な方法で社会正義を達成できるのです。


・・・と、果たして、これは社会正義を達成したと言えるのでしょうか。

懸命な方ならこの企てが持つ差別的で抑圧的な側面を理解することが可能でしょう。


ここで示されたプランは、女性の社会進出を男性への経済的依存を前提としたものとしてのみ許す、女性の経済的自立を正面から否定したものです。

同時にこれは男性側から見ても研究・教育業績ではない、低賃金雇用を容認できるかという全く別の条件で自分たちをふるいにかける意味不明でアンフェアな競争でしかありません。


ここで示された「ジェンダー平等の解決策」は女性に対しても、男性に対しても差別的なものです。雇用を劣化させることで男女の経済的な性別役割を温存しながら、見せかけの「ジェンダー平等」を達成し、キャンパスにハリボテのダイバーシティを構築する。恐ろしく邪悪で狂気に満ちた方法論なのです。


私がこのようなことをお話ししたのは、見せかけのジェンダー平等は女性・男性両方に意味不明な混沌を運ぶということを示したかっただけではありません。

本当に示したかったことは、このような計画、つまり、人件費抑制とジェンダー平等の両立という経営陣にとって魅力的なプランはすでに実施可能ということです。


基幹教員の25%をパートタイムにして良いということは、この25%に対して新しい職階、給与体系、つまり、人事設計を行わないといけないということであります。

組合の交渉の埒外に、従来とは異なる給与規定を設計すること、それによってそのポストにふさわしい、研究業績や教育業績とは全く関係ない、「劣化した雇用を許容できる人々」を迎え入れる制度設計が可能だということなのです。

4 おわりに

上記の内容を正確に実施することはさまざまな要因から難しいかもしれません。

しかし、基本のテーゼはどのようなかたちであれ誰かによって実行されるでしょう。

すなわち「雇用の劣化により達成されるジェンダー平等」。


ここで示したことは、古典的な抑圧の原理、すなわち使用者と被使用者の間にある緊張関係を当代流行りの「フェミニズム  vs. アンチフェミニズム」の構図を利用して描いたカリカチュアなのでしょうか。それとも私たちが直面する全く新しい「正義」(表から見れば光り輝く正義、しかし裏から見れば恐ろしいほど邪悪)の登場の予告なのでしょうか。


私には SNS で起きている諍いなど、愚者のための目眩しに過ぎないのです。今、注意すべきことは「衰退期における正義に内包された邪悪」とその依代は誰になるのかということなのです。


それは、大学の生き残りに尽力し、かつ女性の解放者として歴史に名を残す偉人であり、大学の基盤たるアカデミアを破壊し、女性の経済的自立を妨げる狂人です。


大学の守護者であると同時に破壊者、フェミニストであると同時にアンチフェミニスト。ーー時代は偉大なる革命家の到来を準備しているのです。

公開日:2022年1024

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