ポリプテルスの話
概要
ポリプテルス類(多鰭類、腕鰭類)は、現生種の条鰭類の中で、最も初期に分岐した系統だと考えられています。ハイギョやシーラカンスと同様に「生きた化石」と呼ばれます。
ポリプテルスは、腹腔の全長に渡る発達した「肺」を持ち、肺呼吸ができます。さらに腕のように肉質部が発達した胸鰭を持ち、稚魚には肺魚類や両生類と同様に「外鰓」があるなど、肉鰭類のハイギョと多くの共通点を持ちます。肉鰭類のハイギョやシーラカンスと共に、初期の硬骨魚の進化を知る上で欠かすことのできない一群です。
ハイギョの生息する湿地に行くと、同じ場所にポリプテルスが生息していることがあります。両者は肺呼吸ができるので、他の魚が死んでしまうような低酸素環境でも生き残ることができます。
ポリプテルスには2属(アミメウナギ属、ポリプテルス属)がありますが、いずれもアフリカ大陸にのみ生息します。
ポリプテルス・エンドリケリー・コンギクス(タンガニーカ湖近傍にて)
胸鰭の発達した筋肉が、腕のようになっています。
2009年タンガニーカ湖(ウジジ)
2016年タンガニーカ湖(キランド)
2016年タンガニーカ湖(キランド)
種類:
◆ポリプテルス属:Polypterus
◎下顎突出系
P. bichir bichir Lacépèd, 1803 (Polyptère:Geoffroy, 1802)
+ P. bichir lapradii Steindachner, 1869
+ P. bichir katangae Poll, 1941
P. endlicheri Heckel, 1847 (Endlicherii: 1843)
P. congicus Boulenger, 1910
P. ansorgii Boulenger, 1910
◎上顎突出系
P. senegalus senegalus Cuvie, 1829
+ P. senegalus meridionalis Poll, 1941
P. palmas palmas Ayres, 1850
+ P. palmas buettikoferi Steindachner, 1891
P. polli Gosse, 1988
P. weeksii Boulenger, 1898
P. retropinnis Vaillant, 1899
P. delhezii Boulenger, 1899
P. ornatipinnis Boulenger, 1902
P. teugelsi Britz, 2004
P. mokelembembe Schliewen & Schafer, 2006
◆アミメウナギ属:Erpetoichthys ( Calamoichthys )
E. calabarics Smith, 1865
分布:
◎下顎突出系
◎上顎突出系
(編集中)
発見の歴史
(1)ポリプテルスの発見
1798年にナポレオン・ポナパルトが、当時オスマン帝国属領のエジプトに遠征を行った際に、数多くの学者が同行しました。その一人ジョフロワが、ナイル川からポリプテルスを発見しました(ジョフロワは1802年に帰国)。
ジョフロワがナイル川で発見したポリプテルス。
発達した肺で空気呼吸をする魚の登場は、動物分類学の分野に一石を投じるものでした。その 翌年1803年にラセペードが発行したHistoire naturelle des poissons(魚類の自然史)の5巻には現在の「Polypterus」の表記で記述されています。
(2)キュヴィエのポリプテルス
当時仏領セネガルの行政長官を務めたジュブラン海軍代将がポリプテルスを入手し、パリ博物館に寄贈しました。これをキュヴィエが、地名セネガルにちなんでP.セネガルスとして記載しました(1829年)。
(2.5)アーノのナイル川のポリプテルスと肺魚
ムハンマド・アリ朝エジプトの、1840年からのナイル上流への遠征事業に参加したフランスの技術者アーノArnaudは、白ナイルで肺魚とポリプテルスを入手ました。後に、このポリプテルスの標本は一旦はセネガルスから分離してP.アルナウディとされますが(動物学者デュメリルによる)、最終的にはセネガルスに統合されました。
※ちなみにこの時の肺魚の標本も、一旦はレピドシレン・アルナウディ(カステルノによる)とされますが、こちらもプロトプテルス・アネクテンスに統合され、分類から消えました。現在のプロトプテルス・エチオピクス・エチオピクスに相当するもの思われますが、スーダンには一部地域に現代の意味でのプロトプテルス・アネクテンスも生息するため注意が必要です。
(3)コッチのナイル川のポリプテルス
ナイル上流からシリア、ペルシャ方面にまで旅行した探検家で採集家のテオドール・コッチ(コチュヒ)は、白ナイル(産地ハルツームを含む)で入手したポリプテルスをウィーン自然史博物館のヨハン・ヘッケルのもとにもたらしました。これは1843年にヨハン・ヘッケルが発表したシリアの魚類に関する本の中に追加されているアフリカの魚類に関する章で、新種P.エンドリケリーとして記載されました。この種小名のエンドリケリーは、S・エンドリヒャー教授(ウィーン植物園長)にちなんで命名されたものです。
※数多くの貴重な標本をもたらしたコッチについてもエンドリケリーの記載と同じ本のなかで、ナイル川の魚に新種 Alestes Kotschy として献名されていますが、これはのちに Alestes baremoze の異名同種として消えてしまいました。
※コッチは当時最もナイルの源流に近づいた探検家たちのひとりです。現在の南スーダン南部まで到達しました。最初のナイル上流への旅はルッセガー(ルッセゲール)の探検(1836-38)に随行したものです。彼は隊とともに帰国せず、再びナイル上流へ旅行しました。
※後にヨハン・ヘッケルは、1851年に宣教師のノブレハ司教がナイル川上流域から持ち帰った新種のナイル産肺魚をプロトプテルス・エチオピクスとして記載しました。ノブレハ司教は現在の南スーダンの首都ジュバ近傍のゴンドコロ付近に、最初の伝道と探検の拠点を築いた人物です。
(4)パルマス岬のポリプテルス
ギニア湾沿岸のアメリカ植民地メリーランド(のちに独立、リベリアに併合)のパルマス岬(ケープ・パルマス)から、パーキンスが、ボストン自然史学会にもたらしたポリプテルスが、その地名にちなんでP.パルマスとして論文に新種として記載されました(1850年、エアーズによる)。
(5、6)シュタインダハナーとポリプテルス
1869年に、ウィーンの動物学者F・シュタインダハナーがセネガルの新種の大型ポリプテルスを記載しました(P.ラプラディー)。
Polypterus bichir lapradei (2011年、ガンビアにて撮影)
スイス出身のオランダの動物学者のビュティコファーは、ライデン博物館の動物学者シュレーゲルの後援のもと、リベリアで学術調査の旅を行いました。首都モンロビアからその周辺への旅行や、その北西の港でオランダ商館のあったロバーツポートからその周辺・内陸へと旅行をし、その際(後者の地域で)、ポリプテルスも採集されました。これをF・シュタインダハナーが新種のP.ビュティコフェリーとして記載しました(1891)。現在では、パルマスの亜種として、P.パルマス・ビュティコフェリーとされています。
※ビュティコファーの旅したロバーツポートからスリマ(ソリマー)にかけての地域全体は独立当初のリベリアの領土でしたが、英国がその西側の地域(スリマ周辺地域)を、リベリアとの国力の差を背景に半ば強引に英領シエラレオネに編入しました。
※一回目のリベリア旅行から戻って欧州滞在中に、シュレーゲルが亡くなりました。シュレーゲルは、日本産標本の研究でも著名で、シュレーゲルアオガエルも彼の名に因んだものです。
(7-11)コンゴ地域のポリプテルス
エジプト遠征から丁度100年後の1898年、大英博物館に勤務していたベルギーの動物学の権威ブーランジェが、新種のポリプテルス、P.コンギクス(後にP.エンドリケリ・コンギクスとされ、さらにその後P.コンギクスに戻る)とP.ウィークシーを記載しました。これにより、この時点でのポリプテルスは全部で7種類となりました。
コンゴ川沿いの町の市場で売られているコンギクス(コンゴ民主共和国、2019年撮影:古明地)
前者の名は地名「コンゴ」に、後者はコンゴでこの標本を入手して大英博物館に寄贈した人物ウィークスの名にちなんだものです。ウィークスは1882年から30年間コンゴに暮らした宣教師で、自然科学の標本の他にも、数多くの人類学・民俗学の記録を欧州にもたらした人物です。
翌年、ブーランジェはさらに、コンゴ自由国でM・パウル・デルヘスが発見した新種(P.デルヘジー)を加えました。
1899年、フランスの動物学会の権威レオン・ヴァイヨンが新種のポリプテルス、P.レトロピンニスを報告しました(1886年に一旦発表されたものについて)。標本を採集したのはJ・ブラザで、1882年から学術調査団を率いてコンゴ地域を調査しました。J・ブラザは、仏領コンゴ成立の立役者として著名の探険家P・ブラザの弟です。
※現在のコンゴ共和国の首都ブラザビルはP・ブラザの名前にちなんだものです。
1902年には、さらにウィークスがコンゴ川のモンセンベで得た標本をブーランジェのいる大英博物館に寄贈しました。これは装飾のような模様が特徴だったため、P.オルナティピンニス(ornate:華美な)と命名されました。
(12)ポリプテルスの発生学。アンソージとバジェット
グラハム・カーの南米グランチャコ探検に同行したJ.S.バジェットは、カーと共に、レピドシレン・パラドクサの全発生・成長段階の標本を学界にもたらしました(1897年)。
その後バジェットは、西アフリカの英領ガンビアに拠点を移しポリプテルスとアフリカハイギョの胚発生の記録に成功しました。
さらにその後、バジェットはウガンダ・ナイルを旅しましたが、ちょうどその頃、W.J.アンソージ(アンゾーゲ?)がニジェール川から外鰓を持つポリプテルス幼若個体の標本を多数もたらし、これをブーランジェが報告していました。
これに注目したバジェットは研究の拠点としてニジェール川に狙いをつけ、1903年に向かい、結果、数百にも上るポリプテルスの標本を分析して研究を前進させました。しかし、ここで罹患したマラリアがもとで、帰国後数カ月のうちに亡くなりました(1904年)。
アンソージはポルトガル領ギニア(現在のギニアビサウ)に渡り、探索・採集・研究を続け、1910年に新種のポリプテルスを発見しました。標本は大英博物館に寄贈され、ブーランジェは彼の名前にちなんで、これをP.アンソルギーと命名しました。
(12.5)その他の西アフリカ沿岸のポリプテルス
1911年初にウィロウビー・ロウがリベリア海岸のナンナ・クル(現ナナクル) で採集した標本が、P.ローウェイ と命名されました。この標本は分類学上の変更を経て名前が消え、現在はP.パルマス・ビュティコフェリー とみなされています。
(13、14)ベルギー領コンゴのポリプテルス
新たに2亜種についてブリュッセル自由大学のM・ポール教授が提唱しました。
P. senegalus meridionalis Poll, 1941
・・・・“南方のセネガルス”
P. bichir katangae Poll, 1941
・・・・“カタンガのビキール”
ポールはリベリアのローウェイとされていた標本をレトロピンニスの亜種として、カメルーンのローウェイとされていた標本をレトロピンニス基亜種としました。
(これらは後にパルマスに分類されます)
(15)名称と分類の整理
ゴスは、ポールがP.パルマス・コンギクスとしていたものを、命名上の混乱を避けるためにP.パルマス・ポーリーとしました。またゴスは、P.ローウェイとされていたポリプテルスは、P.パルマスだとしています。さらに、ビュティコフェリも含める見解が存在することも指摘しています。
1995年、これら相互に混乱した分類をパルマス1種に一括した上で3タイプが存在する事を認め、それぞれ P.パルマス・ビュティコフェリ、P.パルマス・パルマス、P.パルマス・ポーリーと区分する見解が示されました。
P. palmas polli Gosse, 1988
現在ではP.ポーリーとして、パルマスの亜種ではなく独立した種として扱うのが主流となっています。
(16)カメルーンのトゥジェルシー(トゥゲルシ)
レトロピンニスのカメルーンのクロス川の個体群はやや体が細長いなどの特徴があり、新種として分離されるべきとされポリプテルス・トゥジェルシーと命名されました。種小名のトゥジェルシー(トゥゲルシ)は、発見に寄与した、ベルギー王立中央アフリカ博物館の亡きトゥーヘルス(トゥーゲルス)への献名です。
P. teugelsi Britz, 2004
(17)モケーレムベンベ(モケレンベンベ)
ポリプテルス・モケーレムベンベは、当初レトロピンニスとして記載された3標本のうちの2標本が、別の種として区別されるべきものとして新たに種小名が与えられました。コンゴの未確認生物のモケーレムベンベにちなんだ名前です。
P. mokelembembe Schliewen & Schafer, 2006
※2001年頃から日本の熱帯魚業界ではレトロピンニスとされるポリプテルスには異なるタイプが存在することが認識されていて、「ザイールグリーン」と呼ばれていました。そして2006年のモケーレムベンベの報告以降は、日本では「ザイールグリーン」が「モケーレムベンベ」として流通するようになりました。ところが、2009年にTaKa(Amebaブログ「ハゲのいえのニョロ」)氏によって、「レトロピンニス」として日本で流通しているものが実際はP.モケレンベンベであり、「ザイールグリーン」や「モケーレムベンベ」として流通していたものが実際はP.レトロピンニスであるということが確認されました。2010年以降は、レトロピンニスについては流通の際に「旧モケレンベンベ」「ザイールグリーン」、モケーレンベンベについては「旧レトロピンニス」などと付記されるようになり、現在に至ります。
(18)分類の再確認
ドイツ海洋博物館のモリッツとロンドン自然史博物館のブリッツにより、ポリプテルス全種を網羅する、分類に関しての総合的な情報整理が行われました。(2019, Timo Moritz and Ralf Britz, ”Ichthyological Exploration of Freshwaters” pp. 1-96 )
(X)増え続ける謎
観賞魚業界においては数年ごとに新たな特殊な形態・色彩を持ったポリプテルスの集団が紹介されています。それらの系統分類学的な評価に関しては未解決の問題として残されています。
(A)アミメウナギ
アミメウナギは、非常に細長い体をしたウナギ型をしたポリプテルスの仲間です。
ナイジェリア南部のカラバルで活動していた宣教師のA.ロブ(数十年に及ぶ布教活動の後、ジャマイカに転任)が標本を入手して、それを受け取ったJ.A.スミスが1865年にエルペトイクチス・カラバリクス(E. calabarics Smith, 1865)と命名しました。“カラバルの円柱魚”の意味です。翌年、属名が既に使われていとしてカラモイクチス(Calamoichthys)に訂正されましたが、現在では当初の名称が主に使用されています。
最初の標本(1865)はオスのみでしたが、翌年、スミスの元へG.W.ミルネからメス標本が送られ、ポリプテルスと同様にメスの尻鰭は幅が狭いということもこの時に確認されました。