自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /本編完結/外伝更新中
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL
Date: 2009/07/07 20:17
この作品は、フィクションです。
現実に存在する団体、個人とはまったく関係はありません。例え、現実に存在する誰かや組織、国家を連想させるような描写が為されていても、それは現実の存在とはまったく関係がありません。
それでも、現実をモチーフにして国際情勢を描きますと、ある種の毒が出て参ります。それを読んでいて胃もたれする方もおられるようです。
自分は味の濃い作品はちょっとと思う方は、弱毒版を用意しておりますので、そちらをお試し下さい。
『門』は閉じられなければならない。
世界は、『門』の存在によって崩壊の危機に瀕していた。
二つの異なる世界を繋ぐと言うことは不自然なことであり、それを超常の力で無理強いすることは、世界の存在そのものを揺るがす。事実、大陸の各地では虚黒の闇が浸食するようにして広がり、その大地は少しずつ削られている。
だが、『門』の周囲にはそれを取り囲み、閉ざすまいとしている集団がいる。
あちら側と、こちら側。言葉も文化も異なるこの二つの世界を繋き、物や人が行き来する。これによって得られる利益は莫大だと言う。
この利を知れば、誰もが門を開いたままにしておきたがる。そして、門の存在が世界を崩壊させると言う警告には耳を両手で塞ぎ、瞼は固く閉じて現実を見ないようにしてしまうのだ。
「言葉で、交渉すべき時はもう終わりを告げた。今度は鉄と血の番だ」
皇女 ピニャ・コ・ラーダの言葉に、集まった戦士達はみな頷いた。
燃えるような朱色の髪を豪奢にも腰まで伸ばした彼女は、士官服に身を包んで凛々しいまでに背筋を伸ばして敢然と言い放った。
「アルヌスの丘を攻め落とすことは、至難の業に違いない。だが我らは、屍山血河を築いてなお進まなくてはならぬ」
人間の騎士が、ドワーフの斧兵が、エルフの弓兵が、様々な種族の戦士達が彼女を取り囲み、その決意を握り拳を持って示した。
精霊使い達、神官達が、それぞれの信仰にふさわしい祈りを唱えている。
さらにはオークやゴブリンと言った怪異達、ダーク・エルフ、トロル…この世界が危機に瀕することによってその安全が脅かされる、光闇のあらゆる種族が、武器を手にして一堂に会しているのだ。
「イタミ、良いのか?門を閉じてしまえば、おまえは向こう側には戻れなくなってしまうのだぞ」
皇女の言葉に、男は苦笑した。
「別に気にするフリなんてしなくてもいいさ。だって、いいも悪いもないんだろう?閉めるしかないんだから…」
皇女は「そうか」と頷くと、集った戦士達に男を紹介した。
「すでに知るものもいよう。だが、紹介しておく。向こう側の世界より、我らに味方してくれるジエータイ軍の指揮官だ」
戦士達は盾を剣で打ち鳴らし、歓迎の意を表した。
一人一人がたてる音はそれほどでもないが、万を超える数が集まると、すさまじいばかりの轟音となる。そのため伊丹はビクッと肩をすくめてしまった。
黒い神官の少女に背を押されて前に出てきた伊丹は、演説を求められ困ったように頭を掻く。
「え~、何を話すかなぁ…。そうだ、アルヌスの要塞で待ちかまえる敵のことを話しておこうか。あそこにいるのは、きっと誰かの愛する息子であり、また誰かの愛すべき夫であって、彼らのことを大切に思う人間が、門の向こう側にいると思う」
戦士達は、伊丹が何を言おうとしているのか訝しがりながらも、その話に耳を傾けた。
「でも、今日この瞬間に敵と味方に分かれてしまった。もう、是非はない。あの門は閉めないと、向こう側もこちら側も関係なく世界は終わっちまう。それは事実だとここにいるみんな知ってるし俺等は納得した。だから、邪魔する奴は誰だろうと押し退けることになる」
戦士達は頷いた。
「ホントのこと言うと、俺の祖国は門を閉じることに賛成してくれた。でも、国連の手前おおっぴらにそれを言うわけにも行かなくなってしまった。お定まりの政治という奴だ。…だから俺等がここに来ることに決めた時、上の連中は、やめろ、行くなと言いつつも武器や弾薬や食料を持ち出すのを見ない振りをしていてくれたわけだ」
伊丹は、遠くアルヌス・ウルゥを指さした。
「あそこにいる奴らは一人一人を見ればきっと悪い奴じゃないと思う。もし、門を開いたままにしておいたら、世界が滅びるのだと教えたら、みんな門を閉じるのを賛成してくれただろう。けれど彼らは解ることが出来ないんだ。国の偉い人の言葉や、学校で教えられたことが全て正しくて、それを疑ったり違う意見や考え方を持つことは間違っているのだと教えられて育っている。彼らはそういう国から来ているんだ」
戦士達は痛ましそうに口をつぐんだ。アルヌスの丘には、国連旗と共に、翩翻と紅地に黄色い星だの、陰陽図をモチーフにした旗がひるがえっていた。
「もう、巡り合わせが悪かったとしか言いようがない。彼らと彼らの家族には、それで納得して貰うしかないと思う。判ってもらいたいことは、ひとつ。俺等はここに来たのは憎いから戦うのではなく、世界を救うためだということ」
群衆の一角を占める、迷彩服をまとった陸上自衛隊の隊員達に注目が集まる。その中には民間人…カメラを抱えた報道の人間や、私服姿の男女の姿も混ざっていた。門が止まる寸前まで、こちらの出来事を伝えるべくカメラの前でキャスターの娘が喋っていた。
「まいったな、世界だってよ」この言葉を受けて、自衛官達は笑った。「小説だのアニメだのには出てくるけど、世界を救うなんてセリフは募金活動やら慈善運動の標語だけだと思ってたぜ。……なんの話だっけ?そだ。
俺等は持てるすべてを投入して、今日はみんなと肩を並べて戦う。俺等が門の向こう側を代表しているわけじゃないけど、門の向こう側にいる連中全てが敵な訳ではないことを知っていて欲しい。それだけは頼む」
伊丹は、足下から自分を見上げているエルフの少女を一瞥した。エルフの少女と視線が合うと、男は「うん」と頷いた。
エルフの少女ばかりではない、あらゆる種族の戦士達が彼を見上げていた。
魔導師達の呪文の詠唱は、大空を揺るがすほどのうねりとなって響いた。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 01
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:17
-序の壱-
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平成××年 夏
その日は、蒸し暑い日であったと記録されている。
気温30℃を越え湿度も高く、ヒートアイランドの影響もあって街は灼熱の地獄と化していた。
にもかかわらずその日は土曜日。多くの人々が都心へと押し寄せ、行楽や買い物を楽しんでいた。
午前11時50分。
陽光は中天にさしかかり、気温もいよいよ最高点に達しようとした頃、東京都中央区銀座に突如『異世界への門』が現れた。
中から溢れだしたのは、中世ヨーロッパ時代の鎧に似た武装の騎士と歩兵。そして……ファンタジーの物語や映画に登場するオークやゴブリン、トロルと呼ばれる異形の怪異達だった。
彼らは、たまたまその場に居合わせただけの人々へと襲いかかった。
老いも若きも男も女も、人種国籍すら問わない。それは殺戮そのものが目的であるかのようでもあった。
平和な時代。平和であることを慣れ親しんだ人々に抵抗の術はなく、阿鼻叫喚の悲鳴と共に、次々と槍や剣にかけられていく。
買い物客が、親子連れが、そして海外からの観光客達が次々と馬蹄にかけられ、槍を突き刺され、そして剣によって斬られた。
累々たる屍が街を覆い尽くし、銀座のアスファルトは血の色で赤黒く舗装された。その光景に題字を標するなら『阿鼻叫喚の地獄絵』。
異界の軍勢は、積み上げた屍の上に、さらなる屍を積み、そうして出来た肉の小山に漆黒の軍旗を掲げた。そして彼らの言葉で、声高らかにこの地の征服と領有を宣言した。
それは聞く者の居ない一方的な、宣戦布告だった。
『銀座事件』
歴史に記録される異世界と我らの世界との接触は、後にこのように呼ばれることとなった。
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時の首相、今泉内閣総理大臣は国会で次のような答弁を行っている。
「当然のことであるが、その土地の地図はない。
どんな自然があり、どんな動物が生息するのか。そして、どのような人々が暮らしているのか。その文化レベルは?科学技術のレベルは?宗教は?統治機構の政体すらも不明である。
今回の事件では、多くの犯人を『逮捕』した。
『逮捕』などというの言葉を使うのも、もどかしく感じる。これと言うのも、憲法や各種の法令が『特別地域』の存在を想定していないからである。そして我が国が、有事における捕虜の取り扱いについての法令を定めていないからでもある。
現在の我が国の法令に従えば、彼らは刑法を犯した犯罪者でしかない。
ならば、強弁と呼ばれるのも覚悟で『特別地域』を日本国内と考えることにする。
門の向こう側には、我が国のこれまで未確認であった土地があり住民が住んでいると考えるのである。
向こう側に統治機構が存在するとしても、これと交渉し国境を確定して、国交を結ばなければ独立した国家としては認められない。現段階では、彼らは無辜の市民・外国人観光客を襲った暴力集団でありテロリストなのだ。
『平和的な交渉を』という意見もあるだろう。だが、それをするには相手を交渉のテーブルにつけさせなければならない。どうやって?現実的に我々は『門』の向こうと交渉を持っていないのに。
我々は『門』の向こう側に存在する勢力を、『我々の』交渉のテーブルに付かせなければならないのだ。力ずくで、頭を押さえつけてでもだ。
そして交渉を優位に進めるには、相手を知る必要もある。
逮捕した犯人達…言葉が通じない彼らからも、少しずつ情報を得ることが出来るようになった。だが、それだけを頼りにするわけにはいかない。誰かがその眼と耳で確かめるために赴かなければならないだろう。
従って、我々は門の向こう側へと踏み入る必要がある。
だが、無抵抗の民間人を虐殺するような、野蛮かつ非文明的なところへと赴くのである。相応の危険を覚悟しなければならないだろう。
まずは、非武装と言うわけにもいかない。さらに『特別地域』内の情勢によっては、交戦することも考えられる。未開の地で誰を味方とし、誰を敵とするかその判断も、現場にある程度任せる必要もあるだろう。
なにも、危ないところへわざわざ行く必要はない。いっそのこと、門が二度と開かれることのないように破壊してしまえばよいという意見が、共産主義者党や社会主義者党から出ているが、ただ扉を閉ざせばこれで安全だと言い切れるのだろうか。
これから日本国民は、同じような『門』が今度はどこに現れるかという不安を抱えて生活しなくてはならなくなる。今度、あの『門』が開かれるのはあなた方の家の前、家族の前かも知れない。
さらには、被害者やご遺族への補償をどうするかという問題もある。
もし、『特別地域』に統治機構があってそこに責任者がいると言うのであらば、我が国の政府としては、今回の事件について誠意のある謝罪と補償、そして責任者の引き渡しを断固として求めなければならない。
もし相手方がこれに応じないならば、首謀者を我らの手で捕らえ裁きにかける。資産等があればこれを力ずくにでも差し押さえて、遺族への補償金に充てる。
これは、被害者やご遺族の感情からみても当然のことである。
従って、我が日本国政府は、門の向こうに必要な規模の自衛隊を派遣する。
その目的は調査であり、かつ銀座事件の首謀者逮捕のための捜査であり、補償獲得のための強制執行である」
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『特別地域』自衛隊派遣特別法案は、共産主義者党及び社会主義者党が反対するなか、衆参両議院で可決された。
なお、アメリカ合衆国政府は、「『門』の内部の調査には、協力を惜しまない」との声明を発表している。今泉内閣総理大臣は「現在の所は必要ではないが、情勢によってはお願いすることもありえる。その際はこちらからお願いする」と返答している。
中国と韓国政府は、『門』という超自然的な存在は、国際的な立場からの管理がなされることが相応しい。日本国内に現れたからと言って、一国で管理すべきではない。ましてや、そこから得られる利益を独占するようなことがあってはならなないとのコメントを発表した。
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-序の弐-
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「はっきり申し上げさせて頂きますが、大失態でありましたな。陛下にお尋ねしたい。この未曾有の大損害にどのような対策を講じられるおつもりか?」
元老院議員であり、貴族の一人でもあるカーゼル侯爵は、議事堂中央にたって玉座の皇帝モルト・ソル・アウグスタスに向けて歯に衣着せぬ言葉を突きつけた。元老院議員は議場内であれば、至尊の座を占める者に対してもそれをすることが許されていたし、またそれをすることが求められていると確信していたからでもある。
薄闇の広間。
そこは厳粛であることを旨に、華美な飾り付けを廃し静謐と重厚を感じさせる石造りの議事堂だった。円形の壁面にそって並べられたひな壇に、いかめしい顔つきの男達が座って、中央をぐるりと囲んでいる。
数にしておよそ三百人。帝国の支配者階級の代表たる、元老院議員達であった。
この国において元老院議員となるには、いくつかのルートが存在する。その一つが権門の家に生まれること。いずこの国であっても、貴族とは稀少な存在であるが、この巨大な帝国の帝都では石を投げれば貴族に当たると言われているほどに数が多いのだ。従って、ただ貴族の一人として生まれただけでは、名誉ある元老院議員の席を得ることは出来ない。貴族の中の貴族と言われるほどの名門、権門の一員でなければ、元老院議員とはなれないのである。
では、権門でもなく名門でもない家に生まれた貴族は、永遠に名誉ある地位を占めることは出来ないかというと、そうでもないのである。その方法として開かれている道が、 大臣職あるいは軍に置いて将軍職以上の位階を経験することであった。
国家の煩雑且つ膨大な行政を司るには官僚の存在が不可欠である。権門ではないが貴族の一族として生まれ、才能に恵まれた者が立身を志したなら、軍人か官僚の道を選ぶという方法が存在した。軍や官僚において問われるのは実務能力である。名ばかり貴族の三男坊であっても、才能と勤労意欲、そして幸運さえあればこの道を進むことも可能なのである。
大臣職は宰相、内務、財務、農務、外務、宮内の六職ある。軍人となるか官僚の道を選び、大臣か将軍の職を経験した者は、その職を退いた後に自動的に元老院議員たる地位が与えられる。ちなみに将軍職については、出身階級が平民であっても着くことが出来る。というのも、士官になると騎士階級に叙せられ、位階を進めるにつれ貴族に叙せられることも可能だからである。
カーゼル侯爵は、男爵という爵位としてはあまり高いとは言えない位階の家に生まれた。そこからキャリアを積み、大臣職を経て元老院議員たる席を得たのである。そうした努力型の元老院議員は、自らの地位と責任を重く受け止める傾向がある。要するに張り切りすぎてしまうのである。得てしてそういう種類の人間は周囲からは煙たがれるもので、そして煙たがられれば煙たがられるほど、より鋭く攻撃的な舌鋒になってしまうのだった。
「異境の住民を数人ばかり攫ってきて、軟弱で戦う気概もない怯懦な民族が住んでいる判断したのは、あきらかに間違いでした」
もっと長い時間をかけて偵察し、可能ならばまずは外交交渉をもって挑み、与し易い相手かどうかを調べ上げるべきだったのだ、と畳みかける。
確かに、現在の情勢は最悪であった。
帝国の保有していた総戦力のおよそ6割を、此度の遠征で失ってしまったのだ。この回復は不可能でないにしても容易ではなく、莫大な経費と時間を必要とする。
当面、残りの4割で帝国の覇権を維持していかなくてはならないのだ。だが、どうやって。
モルト皇帝は即位以来の30年、武断主義の政治を行ってきた。周辺を取り囲む諸外国や、国内の諸侯・諸部族との軋轢、諍いを武力による威嚇とその行使によって解決して、帝国による平和と安寧を押しつけてきた。
帝国の圧倒的な軍事力を前にしては周辺諸国は恭順の意を示すより他はなく、あえて刃向かった者は全て滅んだ。
諸侯の帝国に対する反感がどれほど高かろうと、圧倒的な武威を前にしてはそれを隠すしかない。帝国は、この武威によって傲慢かつ傍若無人に振る舞うことが許されてきたのである。
だが、その覇権の支柱たる『圧倒的な軍事力』の過半を失った今、これまで隠忍自重をつづけてきた外国や諸侯・諸部族がどう動くか。
帝国におけるリベラルの代表格となったカーゼル侯爵は、法服たるトーガの裾をはためかせるように手を振り、声を張りあげて問いかけた
「陛下!皇帝陛下は、この国をどのように導かれるおつもりか?」
カーゼル侯爵が演説を終えて席に着く。
すると皇帝は、重厚さを感じさせるゆっくりとした動きで、その玉座の身体をわずかに傾けた。その視線はゆらぐことなく、自ら指弾したカーゼル侯爵へと向けている。
「侯爵…卿の心中は察するぞ。此度の損害によって帝国の軍事的な優位が一時的に失せたことも確かだ。外国や諸侯達が隠していた反感を顕わにし、一斉に帝国へ反旗を翻し、その鋭い槍先をそろえて進軍してくるのではないかと、恐怖に駆られて夜も眠れないのであろう?痛ましいことだ」
皇帝のからかうような物言いに、議場の各所から嘲笑の声がわずかに漏れた。
「元老院議員達よ、250年前のアクテクの戦いを思い出してもらいたい。全軍崩壊の報を受けた我らの偉大なる祖先達が、どのように振る舞ったか?勇気と誇りとを失い、敗北と同義の講和へと傾く元老院達を叱咤する、女達の言葉がどのようなものであったか?
『失った5万6万がどうしたというのか?その程度の数、これで幾らでも産んでみせる』そう言ってスカートをまくって見せた女傑達の逸話は、あえて言うまでもないだろう?
この程度の危機は、帝国開闢以来の歴史を紐解けば度々あったことだ。わが帝国は、歴代の皇帝、元老院そして国民がその都度、心を一つにして事態の打開をはかり、さらなる発展を得てきたのだ」
皇帝の言葉は、この国の歴史である。元老院に集う者にとっては、改めて聞かされるまでもなく誰もがわきまえていることであった。
「戦争に百戦百勝はない。だから此度の戦いの責任の追求はしない。敗北の度に将帥に責任を負わせていては、指揮を執る者がいなくなってしまう。まさかと思うが、他国の軍勢が帝都を包囲するまで、裁判ごっこに明け暮れているつもりか?」
議員達は、皇帝の問いかけに対して首を横に振って見せた。
誰の責任も問われないとなれば、皇帝の責任を問うことも出来ない。カーゼルは、皇帝がたくみに自己の責任を回避したことに気付いて舌打ちをした。ここであえて追求を重ねれば、小心者と罵倒された上に、『裁判ごっこ』をしようとしていると言われかねない雰囲気になっている。
さらに皇帝は続ける。
此度の遠征では熟練の兵士を集め、歴戦の魔導師をそろえ、オークもゴブリンも特に凶暴なモノを選抜した。
十分な補給を調え、訓練を施し、それを優秀な将帥に指揮させた。これ以上はないという陣容と言えよう。
将帥が将帥たる責務、百人隊長が百人隊長たる責務、そして兵が兵たる責務を果たすよう努力したはずだ。
にもかかわらず、7日である。
ゲートを開いてわずか7日ばかり。
敵の反撃が始まってから数えれば、わずか2日で帝国軍は壊滅してしまったのだ。
将兵の殆どが死亡するか捕虜となったようだ。『ようだ』、と推測することしか出来ないのも、生きて戻ることが出来た者が極めて少ないからである。
今や『ゲート』は敵に奪われてしまった。『ゲート』を閉じようにも、『ゲート』のあるアルヌスの丘は敵によって完全に制圧されて、今では近付くことも出来ないでいる。
これを取り戻そうと、数千の騎兵を突撃させた。だがアルヌスの丘は、人馬の死体が覆い尽くし、その麓には比喩でなく血の海が出来た。
「敵の武器のすごさがわかるか?パパパ!だぞ。遠くにいる敵の歩兵がこんな音をさせたと思ったら、味方が血を流して倒れているんだ。あんな凄い魔術、儂は見たこともないわ」
魔導師でもあるゴダセンが、敵と接触した時の様子を興奮気味に語った。
彼と彼の率いた部隊は、枯れ葉を掃くようになぎ倒され、丘の中腹までも登ることが出来なかった。ふと気づいた時には、静寂があたりを押し包み、動く者は己を除いてどこにもいない。見渡す限りの大地を人馬の躯が覆っていたと描写した。
皇帝は瞑目して語る。
「すでに敵はこちら側に侵入してきている。今は門の周りに屯(たむろ)して城塞を築いているようだが、いずれは本格的な侵攻が始まるだろう。我らは、アルヌス丘の異界の敵と、周辺諸国の双方に対峙していかなければならない」
「戦えばよいのだっ!」
禿頭の老騎士ポダワン伯爵は、立ち上がると皇帝に一礼して、主戦論をもって応じた。
「窮しているのであれば、積極果敢な攻勢こそが唯一の打開策じゃ。帝国全土に散らばる全軍をかき集めて、逆らう逆賊や属国どもを攻め滅ぼしてしまえ!!そして、その勢いを持ってアルヌスにいる異界の敵をうち破る!!その上で、また門の向こう側に攻め込むのじゃ!」
議員達は、あまりな乱暴な意見に「それが出来れば苦労はない」と、首を振り肩をすくめつつヤジった。全戦力をかきあつめれば、各方面の治安や防衛がおろそかになってしまう。皆が口々に罵声をあげ、議場は騒然となった。
ポダワンは、逆賊共は皆殺しにすればよい。皆殺しにして、女子どもは奴隷にしてしまえばよい。街を廃墟にし、人っ子一人としていない荒野に変えてしまえば、もうそこから敵対するものが現れる心配などする必要もなくなる…などと、過激すぎる意見で返す。だが非現実的なことのようだが、歴史的に見れば帝国にはその前科があった。
帝国がまだ現在よりも小さく、四方が全てが敵であった頃、四方の国をひとつずつ攻略しては、住民を全て奴隷とし、街を破壊し、森は焼き払い農地には塩をまいて、不毛の荒野として、周囲を完全な空白地帯とすることで安全を確保したのである。
「だが、それがかなったとしても一体全体どうやってアルヌスの敵を倒す?力ずくでは、ゴダセンの二の舞を演じることになろうな?」
議場の片隅からとんできた声に対して、ポダワン伯は苦虫を噛みつぶしたような表情をしながらも、苦しげに応じる。
「う~そうじゃな…属国の兵を根こそぎかき集めればよい。四の五の言わせず全部かき集めるのじゃ。さすれば数だけなら10万にはなるじゃろて。弱兵とは言え矢玉除けにはなろうて。その連中を盾にして、遮二無二、丘に向かって攻め上ればよいのじゃよ!」
「連中が素直に従うのものか!?」
「そもそもどんな名目で兵を供出させる?素直に全力の過半を失いましたから、兵を出してくださいとでも言うのか?そんなことをしたら、逆に侮られるぞ」
カーゼルは、空論を振りかざして話をまとまりのつかない方向へとひっぱっていこうとするポダワンという存在を苦々しく思った。
タカ派と鳩派双方からのヤジの応酬が始まり、議場は騒然となる。
「ではどうしろと言うのか?!」
「ひっこめ戦馬鹿!」
議員達は冷静さを失い、乱闘寸前にまでヒートアップする。時間だけが虚しく過ぎ去り、わずかに理性を残す者もこのままではいけないと思いつつ、紛糾する会議をまとめることが出来ない。
そんな中で、皇帝モルトが立ち上がった。発言しようとする皇帝を見て、罵り合う貴族達も口を噤み静かになっていく。
「いささか、乱暴であったがポダワン伯の言葉は、なかなかに示唆に富んだおった」
ポダワンは、皇帝にうやうやしく一礼。
皇帝の言葉に、貴族達は冷静さを取り戻していく。皇帝が次に何を言うのかと聞こうとし始めていた。
「さて、どのようにするべきかだ。このまま事態が悪化するのを黙って見ているのか?それも一つの方法ではあるな。だが、余はそれは望まん。となれば、戦うしかあるまい。ポダワン伯の言に従い属国や周辺諸国の兵を集めるが良かろう。各国に使節を派遣せよ。ファルマート大陸侵略を伺う『異世界の賊徒』を撃退するために、援軍を求めるとな。連合諸王国軍をもってアルヌスの丘へと攻め入る」
「連合諸王国軍?!」
皇帝の言に元老院議員達は、ざわめいた。
今から二百年程前に東方の騎馬民族からなる大帝国の侵略に対抗するため、大陸諸王国が連合してこれと戦ったことがあった。それまで戦っていた国々が集うのに、「異民族の侵攻に対して仲間内で争っている場合じゃない」という心理が働いたのである。不倶戴天の敵として争っていたはずの国が、馬を並べて互いに助け合い異民族へと向かっていく姿はいくつもの英雄物語の一節として語られている。
「それならば、確かに名分にはなるぞ」
「いやしかし、それはあまりにも…」
そう。そもそも門を開いて攻め込んだのはこちらではなかったか?皇帝の言葉はその主客を転倒させていた。こちらから攻め込んでおいて、「異世界からの侵略から大陸を守るため」と称して各国に援軍を要請するとは、厚顔無恥にも程がある。…それをあえて口にする者はいなかったが。
とは言え、『帝国だけでなくファルマート大陸全土が狙われている』と檄を飛ばせば、各国は援軍を送ってよこすだろう。要するに、事実がどうであるかではなく、どう伝えるかということだ。
「へ、陛下。アルヌスの麓にはさらに人馬の躯で埋まりましょうぞ?」
「余は必勝を祈願しておる。だが戦に絶対はない。故に、連合諸王国軍が壊滅するようなこともありうるやも知れぬ。そうなったら、悲しいことだな。そうなれば帝国は旧来通りに諸国を指導し、これを束ねて、侵略者に立ち向かうことになろう」
周辺各国が等しく戦力を失えば、相対的に帝国の優位は変わらないということになる。
「これが今回の事態における余の対応策である。これでよいかなカーゼル侯?」
皇帝の決断が下った。
カーゼルは連合諸王国軍の将兵の運命を思って、呆然となった。
カーゼルら鳩派を残し、元老院貴族達は皇帝に向かい深々と頭を下げると、各国への使節を選ぶ作業にうつっていた。
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-序の3-
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打ち上げられた照明弾が、漆黒の闇を切り裂き大地を煌々と照らす。
彼らがみずからをして『コドゥ・リノ・グワバン(連合諸王国軍)』と呼ぶ、敵の『突撃』が始まった。
人工の灯りと、中空に打ち上げられた照明弾によって、麓から押し寄せる人馬の群れが浮かび上がる。
重装騎兵を前面に押し立て、オークやトロル、ゴブリンと言った異形の化け物がが大地を埋め尽くして突き進んで来る。その後ろには、方形の楯を並べた人間の兵士が続いていた。
上空には、人を乗せた怪鳥の群れが見える。
数にして、数千から万。はっきり言って数えようがない。
監視員が無線に怒鳴りつけていた。
「地面3分に、敵が7分。地面が3分に敵が7分だ!!」
敵意が、静かにと、ひたひたと押し寄せて来る。
哨所からの知らせを受けた、陸上自衛隊『特地』方面派遣部隊 第52普通科連隊第522中隊の隊員達は交通壕を走ると、第2区画のそれぞれに指定された小銃掩体へと飛び込んで、担当範囲へ向けて銃を構える。
陸自の幕僚達は、今回の自衛隊『特地』方面派遣部隊を編成するに当たっては、かなり苦心惨憺していた。なにしろ、文化格差のある敵である。槍や甲冑で身を固めた敵と対峙したことのある者などどこにもいないし、魔法やら、ファンタジーな怪異、幻想種の対処法など、知るよしもない。
そこで彼らは、小説や映画にアイデアを求めることとした。
『戦国自衛隊』は小説をもとより、漫画、挙げ句の果てに新旧の映画版やテレビ版のDVDが飛ぶように売れたと言う。さらにはロードオブリングや、ファンタジーなアニメを求めた幹部自衛官が秋葉原の書店に列を作るという、笑っていいのかいけないのか判らない事態すらおこっている。
宮崎○氏や富野△氏といったアニメ監督や小説家などが、市ヶ谷に集められて参考意見を求められたという話がまことしやかに語られているほどなのだ。
そして彼らは某かの結論を下した。
そしてそれに基づいて、全国の各部隊から併せて3個師団相当の戦力を抽出した。
それは一尉~三尉の幹部と三等陸曹以上の陸曹を集中するという特異な編成であった。
その理由としては、首相の答弁にある『未開の地で誰を味方として、誰を敵とするか』という高度な判断力を現場に指揮官に求める必要があるからと説明しているが、それだけではないことは、誰の目にも明らかだった。
『特地』方面派遣部隊は、かき集められた装備にも特徴があった。比較的古い物が多く見られるのである。
まず隊員達の携行する小銃は64式。集結した戦車は74式だった。全て新装備が導入されたことで、第一線からは姿を消しつつあるものだ。
「在庫一斉処分」などと口の悪い陸曹は語っている。そういう側面がないとも言えないが、そればかりではない。
64式小銃が選択されたのは89式の5.56㎜弾では、槍を構えて突っ込んで来るオークを止めることが出来なかったからだ。さらに銃剣で敵を刺突すると、チェーンメイル身につけた敵だと、そのまま抜けなくなってしまうことがわかっている。
さらには、情勢によっては装備を放棄して撤退しなければならない事態も想定されていた。
一両数億円もする高価な兵器を、簡単にうち捨ててくるわけにはいかないので、廃棄してもおしくない、廃棄予定あるいはすでに廃棄済みであるが、手続きの遅れによって倉庫に眠っていた装備をかき集めたのだった。
64式小銃を持つ者は二脚を立てて、照星と照門を引き起こす。配られた弾が常装薬なので、規整子は『小』にあわせる。
ある者は5.56mm機関銃のMINIMIを構え、カチカチと金属製ベルトリンクで繋がれた弾帯を押し込んでいる。(62式機関銃は、陸曹や幹部が血相を変えて「俺たちを殺すつもりかぁ」と反対したので、『特地』には持ち込まれていない)
高射特科のスカイシューターをはじめとする、35mm二連装高射機関砲L-90 や、40mm自走高射機関砲M-42と言った新旧そして骨董品の対空火器が、上空から近付く怪鳥へと砲口を向ける。
次の照明弾が上げられ、ふたたび明るくなった。
上空から降り注ぐ光が、暗闇の向こう側にいた敵を浮かび上がらせる。敵も、その足を速め、足音と言うよりは轟きに近くなっている。
小銃の切り替え軸(安全装置)を『ア』から『レ』へとまわす。
耳に付けたイヤホンから、指揮官の声が聞こえた。
「慌てるなよ、まだ撃つなぁ…」
慣れたわけではないが、これが初めてという訳でもない。自衛官達は近づいてくる敵を前に、息を呑みもつつも号令を待つことが出来た。
敵が、彼らの言葉で『アルヌス・ウルゥ』と呼んでいるこの丘に押し寄せて来るのは、これで3回目となる。そのうち2回は彼らの失敗だった。大敗北と言っていいはずだ。
この世界の標準的な武器である槍や弓そして剣、防具としての甲冑では、その戦術はどうしても隊伍を整えて全員で押し寄せるという方法となる。時折、火炎や爆発物を用いた攻撃(魔法かそれに類するものではないかと言われている)も行われているが、射程が短い上に数も圧倒的に少ないため、それほどの脅威にならない。
そのために、どれほどの数を揃えようとも、現代の銃砲火器を装備した自衛隊の前では敵ではなかったのだ。
黒澤明監督の映画『影武者』に、武田騎馬隊が織田・徳川の鉄砲隊を前にたちまち壊滅するという場面が描かれていたが、それよりもさらに映画的に、人馬の屍が丘の麓を埋め尽くす結果となった。
だが、それでもなお彼らはこの丘を取り戻そうと攻撃を始める。
自衛隊はこの地に居座って、この丘を守ろうとする。
すべてはここに『門』があるからだ。
門こそが、異世界を繋ぐ出入り口となる。この門を用いてこの地の兵は銀座へとなだれ込んだのだ。
東京そして銀座の惨劇を防ぐためにも、自衛隊はこの門を確保し続けるしかない。
奪おうとする。そして守ろうとする。
この意志の衝突が、3度目の攻防戦へと行き着く。
過去の2回の経験を学んだのか、今回は夜襲だった。
月の出ていない夜間なら見通しも利かない。夜ならば油断も隙もあり得る…というのも、この世界の感覚であろう。悪い考えとは言えない。
しかし……次の照明弾があがり、コドゥ・リノ・グワバン(連合諸王国軍)将兵の姿が、はっきりと浮かび上がった。
「撃てぇ!!」
東京そして日本は24時間営業は当たり前の世界だ。昼だろうと夜だろうと、列べられた銃口は挨拶代わりに、砲火を持って彼らを出迎えた。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 02
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:19
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伊丹 耀司 二等陸尉(33歳)はオタクであった。現在もオタクであり、将来もきっとオタクであり続けるだろうと自認している。
『オタク』と言っても、自分でSS小説を書いたり漫画を描いたり、あるいはフィギュアやSD(スーパー・ドルフィー)をつくったり愛でたりするという、クリエイティブなオタクではない。もちろん初音○クを歌わせたりもできない。
他人が「創ったり」「描いた」ものへの批評や評価を掲示板に投稿するという、アクティブなオタクでもない。
誰かの書いた漫画や小説をただひたすらに読みあさるという、パッシブな消費者としての『オタク』であった。
夏季と冬季のコミケには欠かさず参加するし、靖国神社なんかには一度も行ったことがないが中野、秋葉原へは休日の度に詣でている。
官舎の壁には中学時代に入手した高橋留美子のサイン色紙と、平野文のサイン色紙が飾られていて、本棚には同人誌がずらっと並んでいる有様だ。法令集や教範、軍事関係の書籍はひらくこともないからと本棚にはなくて、新品状態のままビニール紐でしばりあげて押入の中に放り込んである。
そんな性向の彼であるから、仕事に対する態度は熱意というものにいささか欠けていた。例えば、演習の予定が入っていても「その日は、イベントがありまして…」と臆面もなく休暇を申請してしまうというように。
彼はこう嘯く。
「僕はね、趣味に生きるために仕事してるんですよ。だから仕事と趣味とどっちを選ぶ?と尋ねられたら、趣味を優先しますよ」
そんな彼が、よーも自衛官などになったものだと思うのだが、なっちゃったのだから仕方ないのである。
そもそも彼のこれまでは、『息抜きの合間に人生やっている』と言われるに相応しい物であった。(出展元ネタ/『究極超人あ~る』より)
競争率の低い公立高校を選んで、あんまり勉強することなく入試に合格。成績は中の下。アニメ・漫画研究会で漫画や小説を読みふける毎日。たまに映画の封切り日には朝早く映画館に列ぶという3年間を過ごす。
大学は、新設されたばかりで競争率の低そうな学科を選び、これもまたあんまり勉強することなく合格。やはりアニメを観賞し、漫画やライトノベルを読みつづける毎日を過ごすが、在学中無遅刻・無欠席で全ての講義に出席していたこともあって、講師陣の受けはそれなりに良く「伊丹だから、ま、いいか」と『良』と『可』の成績をもらい4年で卒業。
「就活どうする?」と言う話題が、学生の間でそろそろ話題になり始めた頃に、彼はしゃかりきになって会社訪問するのは好きじゃないなぁ…などと呟きながら自衛隊地方連絡部某所の事務所の戸を叩いたのである。
「こんな奴、よくも幹部にしたものだ」とは、誰のセリフだっただろうか。
彼の国防意欲というか、熱意に欠ける職務態度に業を煮やした上司が、「お前ちょっと鍛え直して貰ってこい」と有無を言わせず幹部レンジャーの訓練に放り込んだ。
案の定、すぐに音を上げて「やめたいんですけど」と普及間もない携帯で電話をかけて来た。
これには彼の上司も困ってしまった。あの手この手で励まし、頑張らせようとしたのだがどうにもならない。そもそも言ってどうにかなるなら最初から苦労しない。疲れはて、どうしょうもなくなって、最後にポツリと呟いた。
「ここで止めたら、年末(29.30.31)の休暇はやらん」
「じゃぁ、頑張ってみます」
伊丹の上司は、自分が口にした何に効果があったのかと、今でも悩んでいると言う。
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さて、こんな伊丹がある日、新橋駅から某所でおこなわれている、イベントに行くために『ゆりかもめ』を待っていたところ、とんでもない事件に出くわした。
後に『銀座事件』と呼ばれるアレである。
突然あらわれた巨大な『門』。
そこからあふれ出た、異形の怪異をふくむ軍勢。
門の向こう側を政府は『特別地域』などと呼んでいるが、伊丹には『異世界』だとすぐに理解できた。理解できてしまった。
そしてこう思った。
「くそっ!このままでは、夏○ミが中止になってしまう」
その後の彼の活躍は、朝○新聞ですら取り上げざるを得なかったほどである。
霞ヶ関や永田町も襲われ何が起きているのかわからず、ただ逃げ回るばかりの政府の役人と政治家。(土曜日だったが、彼らは働いていた。ご苦労さんである)
命令が来ないために、出動したくても出来ない自衛隊。
桜田門以南の官庁街がほぼ壊滅したために指揮系統がズタズタになり、効果的な対応が出来ない警察。
そんな中で伊丹は、付近の警察官を捕まえて西へ指さした。
「皇居へ避難誘導してくれ!」
だが、「そんなことできるわけない」という言葉が返ってくる。一般の警察官にとって、皇居内に立て籠もるなどと言うアイデアは思案の外にあったからだ。
とは言え、皇居はもとより江戸城と呼ばれた軍事施設である。従って数万の人々を収容し、かつ中世レベルの軍勢から守るのにこれほど相応しい施設はない。いや、籠城の必要はない。避難した人々は、半蔵門から西へと逃がせばいいのだ。
伊丹は、指揮系統からはずれた警察官や避難した民間人の協力を仰いで、皇居へと立て籠もった。皇宮警察がやかましかったが、これも皇居にお住まいの『偉い方』の『お言葉』一つで鎮まった。
徳川の手によって造られた江戸城は実戦経験のない城塞である。だが、数百年の時を経て平成の代に初めて城塞としての真価を発揮したのである。
この後、皇居にある近衛と称する第一機動隊、そして市ヶ谷から自主的に出動してきた第四機動隊によって、『二重橋濠の防衛戦』は引き継がれたのであるが、それまでの数時間、数千からの人を救ったという功績が認められ、伊丹は防衛大臣から賞詞を賜り、二等陸尉へと昇進することとなった。
なっちゃったのである。
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で、時が少しばかりたって、『特別地域』派遣部隊である。
三度目の攻撃をうけた翌朝。
明るくなって見えた光景は、夥しい人馬の死骸であった。
『アルヌス・ウルゥ』の周辺は怪異と人馬の屍によって埋め尽くされていた。さらには高射機関砲の40㎜弾を受けて墜ちた飛竜が横たわっていた。ドラゴンの鱗は鉄よりも硬いと語られているが、確かにそうらしい。ただ40㎜弾をうけては流石に耐えることが出来なかったようだ。
「大きな都市一個分の人口が、まるまる失われたってことか」
伊丹二尉は、これを見て思う。
銀座事件で攻め込んできた敵は、約6万。第1次から、昨晩の第3次攻撃で、およそ6万が死傷。(オークやゴブリン等は含まず)併せて12万もの兵を失っちゃって、敵はどうするつもりなんだろか?
この世界の人口がどの程度か知るよしもない。何しろ、門とその周辺を確保しただけなのだから。まだなんの調査も出来てない。
だが一般的な常識から考えても、数万の戦力を全滅に近い形で失って、その部族だか国家が無事でいられるはずがないのだ。
見たところ、倒れている兵士の中に、子供にしか見えない者もいる。実際に子供なのか、そのような容姿の種族なのかはわからないが…。もし、子供を戦場に送るようなら、その国の有り様はもはや末期的と言える。
伊丹ですらこのように思うのだから、他の幹部達も考えていた。
この世界の調査をしなければ…と。
侵攻して占領するにしても、『門』周辺を確保し続けるにしても、あるいは敵と交渉するにしても、方針を定めるには情報が不足している。
幸いにして、OH-1ヘリの撮ってきた航空写真から周辺の地図は起こすことができた。滑走路が開けば、無人偵察機のグローバルホークを飛ばすこともできるだろう。従って、次はどんな人間が住んでいるか、人口や人種、産業、宗教が何か、そして住民の性向はどういうものかの調査をすることになる。
どうやって、調査するのか。
もちろん、直接行ってみるのである。
「それがいいかも知れませんね~」
「それがいいかもじゃない!君が行くんだ」
檜垣三等陸佐は、物わかりの悪い部下に疲れたように言った。
伊丹は、上司から言われて首を傾げる。自分は部下を持っていない。員数外の幹部として第52普通科連隊に所属している、おまけみたいな二尉だ。
「まさか、一人で行けと?」
「そんなことは言わない。とりあえず君を含めた6個のチームを、各方面に派遣する。当然、君にも部下をつけよう。君は、担当地域の住民と接触し民情を把握するのだ。可能ならば、事後の今後の活動に協力が得られるよう、友好的な関係を結んできたまえ」
「はぁ…ま、そう言うことなら」
ポリポリと伊丹は後頭部を掻くのだった。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 03
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 15:19
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アメリカ合衆国
ホワイトハウス
「大統領閣下。東京に現れた『門』に関する、第6次報告です」
ディレル大統領は、カリカリに焼き上げた薄切りのトーストをサクッと囓ると、彼の優秀なスタッフが差し出した報告書を受け取った。
大統領は表紙を含めて数枚ばかりめくる。
さっと目を通した程度で、テーブルの上にポンと放り出す。
「クリアロン補佐官。この報告によると、日本軍は折角『門』の向こう側へ立ち入ったのに『門』の周囲を壁で囲んで、亀の子みたいに首を引っ込めて立て籠もっている。そういうことなのだね?」
「その通りです、閣下。自衛隊は守備を固めて動いていません」
軍ではなく自衛隊だと、さりげなく訂正する補佐官。だが大統領はそれに気づかないのか話を続けた。
「ふむ…圧倒的な技術格差。高度な訓練を受けた優秀な兵士。いったい何を躊躇う必要がある?君の考えを述べたまえ」
「大統領閣下、ご説明いたします。日本は、かつての大戦の教訓から学んだのです。いかに強力な戦力を有しているとは言え、広大な地域を制圧支配しようとするには、その戦力は不足します。選択しうるオプションとしては、『特別地域』の政治状況を明確に見極め、要点を抑えるという戦略しかありません」
そのことは、中級指揮官の層を異常なまでに厚くした自衛隊の編成からもうかがい知ることが出来る。『門』を確保する段階を終えて、現在は『特別地域』の各地に小部隊を派遣し、情報収集や宣伝工作にあたらせていると言うことである。
大統領はナプキンで口元をぬぐうと、部下を一瞥した。
「つまり、日本軍の現状は『特別地域』の情勢を伺っているからだと言うのだね…」
「そのとおりです大統領閣下。今泉首相は石橋を叩く男のようです。成果を急いでいません」
大統領は、ススッとコーヒーを口に含んだ。
今泉は、空前の支持率を受けて政権が安定している。だから成果を急ぐ必要がないのである。
我が身を振り返るとディレルは支持率が急落している。早急に具体的な成果をあげて国民に示さなければならない。それが彼の立場だった。
「補佐官、『門』はフロンティアだ」
「その通りです、大統領閣下」
「門の向こう側に、どれほどの可能性が詰まっているか、想像したまえ」
手つかずの資源。圧倒的な技術格差から生ずる経済的な優位。汚染されていない自然。これら全てに資本主義経済は価値を見いだす。
資源は存在する。これは間違いがない。東京に攻め込んできた兵士の武装の材質から、ほぼ地球と同じ鉱物資源があるであろうことがわかっている。こちら側ではレアメタル・レアアースとされる稀少資源が、『特地』には豊富に存在する可能性も指摘されていた。
そして技術格差は、武器の種類や構造から類推することが出来る。見事な、工芸品と見まがうばかりの細工が施されていたが、所詮は手工業の域を出ない。これらの武装で身を固めた騎士達が攻め込んで来るという戦術から、その社会構造と生産力まで予想できるのだ。
さらに、こちら側には存在しないファンタジーな怪異、動物、亜人達。これらの生き物が持つ『ゲノム』は、生命科学産業の研究者達にとって宝の山と言えるだろう。
極めつけは『門』である。この超自然現象を含めた様々な神秘現象に、全世界の科学者達が注目していた。
「ご安心下さい大統領閣下。わが国と日本とは友邦です。価値観を同じくする国であり、経済的な結びつきも強固です。『門』から得る利益は、わが国の企業にも解放されるでしょう。また、そのように働きかけるべきです」
「それでは不足なのだ」
同様の働きかけならば、すでにEU各国が始めている。アセアン諸国も『門』がもたらすであろう利益を狙って水面下の活動を始めていた。
「問題は、どれほどの権益を確保できるかなのだ」
これこそが、ディレル大統領が国民に示すことの出来る成果となる。
「その為には、わが国はもっと積極的に関与するべきではないかね?米日同盟の見地から陸軍の派兵を検討しても良と思うが」
だが、補佐官は首を振った。
「アフガンや、イラクだけでも手を焼いているのに、余所様の喧嘩に手を出す余裕はありません」
それに『門』のもつ可能性は、必ずしもよい面ばかりとは限らないのだ。未開の野蛮人を手なずけ、教化しようとすれば多額の予算と人材を、長期間にわたって投入しなければならないだろう。かつての植民地時代のように、ただ収奪すればよいと言う時代ではない。
大統領は、深いため息をついた。
「報告によれば、『門』の向こう側での戦闘は苛烈きわまりなかったようだね?」
「弾薬の使用量が尋常ではなかったようです。ですが、ここ最近は落ち着いています。自衛隊は守り通すでしょう。自衛隊は元来から守勢の戦力です」
「ふむ。では、わが国の対応はどうするべきかな?」
「現段階としては日本国政府の武器弾薬類調達を支援する程度でよいでしょう。これは兵器産業界に声をかけるだけで済みます。あとは、『特別地域』の学術的な合同調査を持ちかけ『門』の向こう側に人を送り込みたいところです。これ以外については、状況次第かと存じます」
あまり、日本に肩入れしすぎると万が一の時に巻き込まれる畏れがある。
物事は、どう転ぶかわからないものなのだ。日本が『特別地域』に自衛隊を進めることについては、多くの国が大義名分があると認めている。だが一部…中国や韓国、北朝鮮は、かつての軍国主義の復活であり、侵略であると非難している。この3カ国は日本が何をやっても非難する国だから国際社会は全く相手にしていないのだが、日本が『門』から得られる利益を独占するような素振りを見せれば、この主張に同調する国が出てくる可能性もある。そうなった時に、共犯呼ばわりされる事態は避けたい。
「火中の栗は、日本に拾わせるべきです」
そして、こじれたらしゃしゃり出て抑えてしまえばよい。そのために国連を利用する手配もしてある。補佐官はそう言っていた。
だが、ディレルとしては不満だった。
今のところ日本はうまくやっており、口や手を出す機会が見いだせそうもない。
ディレルは国内向けに具体的な成果を迫られているのだ。かといって、補佐官の危惧を無視するわけにもいかない。大統領は舌打ちしつつも「そうだな」と頷き、次の懸案事項に話題をうつした。
『門』の出現。それは、新大陸発見に続く歴史的な出来事なのである。
アメリカ大陸の発見よってスペインが世界帝国へと飛躍したように、『門』の存在は世界の枠組みを大きく変えることが予想される。あらゆる国の政府が、その事を理解しているゆえに、『門』内部での日本の動向が注視されていた。
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-ウラ・ビアンカ(帝国首都)-
皇帝モルトの皇城では、毎日数百人の諸侯が参勤する。
元老院議員、貴族や廷臣が集い、諸行事に参加するととも、政治を雑事でもあるかのように行っていた。
会議では優雅に踊り、美食に耽り、賭け事や恋愛遊戯といった遊興を楽しみつつ、議場で少しばかり話し合う…という感じである。軍を派遣するかどうかを、貴族達が狐狩りの獲物の数で決めるということもあった。
だが、ここ暫く続いた敗戦は宮廷の諸侯、貴族達を消沈させるに充分な出来事であった。煌びやかな芸術品は色あせて見え、華やかな音楽も空虚に聞こえる。
栄耀栄華を誇るモルト皇帝の御代を支えるものは、強大な軍事力と莫大な財力。この両輪こそが、帝国を大陸の覇権国家たらしめていることは小児であっても理解している。
だが、今ではその片輪が失われてしまった。
宮廷を彩った武官や貴族も出征していた。その為にかなりの犠牲が出ている。未亡人が量産されて、貴族達は連日葬儀に出席しなくてはならない。宮廷は喪に服して行事を控え、皇帝の周囲もこの日ばかりは閑散としていた。
「皇帝陛下、連合諸王国軍の被害は甚大なものとなりました。死者・行方不明者はおよそ6万人。負傷し軍役に再び着くことのできぬ者とを併せますと損害は実に10万にも達する見込です。敗残の連合諸王国軍は統率を失い、それぞれちりぢりになって故郷への帰路に就いたようです」
この数には、オークやゴブリン、トロルといった亜人達は含まれていない。亜人達は軍馬と同じ扱いなのだ。
内務相のマルクス伯爵の報告に、皇帝は気怠そうに応じた。
「ふむ、予定通りと言えよう。わずかばかりの損害に怯えておった元老院議員達も、これで安堵することじゃろう」
「しかし、ゲートより現れ出でました敵の動向が気になりますが」
「そなたも、いささか神経質になっているようだな」
「この小心は生来のもののようでして、陛下のような度量は持つに至ることはできませんでした」
「よかろう。ならば、股肱の臣を安堵させてやることにしよう。なに、そう難しいことではない。アルヌス丘からここまでの距離は長い。すなわち帝国の広大な国土を、防塁としてこれにあたればよいのだ」
皇帝は続けた。
敵がこの城に向けて進んでも、ここに至るまでの全ての街と村落と食糧を焼き、井戸や水源に毒を投げ入れ焦土と化せば、いかな軍と言えども補給が続かず立ち往生する。そうなれば、どれほど強大な兵力を有していようと、優れた魔導を有していようと、付け入る隙は現れる、と。
現地調達できなくなれば食糧は本国から運ぶしかなく、長距離の食糧輸送は馬匹を用いたとしても重い負担だ。これよって敵の作戦能力は、帝都に近付けば近付くほど低下することとなる。それに対して帝国軍は、帝都に近付けば近付くほど有利になる。それが『この世界における軍学上の常識』であった。
敵を長駆させ、疲れたところを撃つという、どこの世界においてもみられる至極一般的で判りやすい戦略であり、効果的でもある。しかし身を切る戦略であるが故に、その影響は深刻かつ甚大であり回復は容易でない。人民の生活を全く考慮しない非情さ故に、確実に民心を離反させる。守ってもらえなかった。それどころか食べ物も、飲み水も奪われたという恨みは、永久に受け継がれていくことになるだろう。そうした影響を考えれば、それをするわけにはいかないのが政治であるはずだった。しかし…
「しばし税収が低下しそうですな」
マルクス伯はそういう言い方で、民衆の被害を囁いた。
皇帝は「致し方あるまい。園遊会をいくつか取りやめるか。それと、離宮の建造を延期すれば良かろう」と応じるだけだった。強大な帝国に置いては、民衆の被害や民心などその程度のものなのである。これまでは…。
「カーゼル侯あたりが、うるさいかと存じますが」
「何故、余がカーゼル侯の精神衛生にまで気を配らねばならぬのか?」
「恐れ多きことながら、侯爵は一部の元老院議員らと語らって、非常事態勧告を発動させようとする動きが見られます」
元老院最終勧告は帝国の最高意志決定とされている。これが元老院によって宣言されれば、いかに皇帝であろうと罷免される。歴史的にも元老院最終勧告によって地位を追われた皇帝は少なくない。
「ふむ面白い。ならばしばらくは好きにやらせてみるが良かろう。そのような企てに同調しそうな者共を一網打尽にするよい機会かも知れぬ。枢密院に命じて調べさせておくがよい」
マルクス伯は、一瞬驚いたがただちに恭しく一礼した。元老院の最終勧告に対抗する皇帝側の武器が国家反逆罪である。枢密院に証拠固めという名の証拠ねつ造を命じる。
「元老院議員として与えられた恩恵を、権利と勘違いしている者が多い。いささか鬱陶しいのでこのあたりで整理をせねばな」
皇帝はそう呟くとマルクス伯の退出を命じようとした。恭しく頭を下げるマルクス伯。だが、静謐な空気を破って凛と響き渡る鈴を鳴らしたような声が、宮廷の広間に鳴り響いた。
「陛下!!」
つかつかと皇帝の前に進み出たのは、皇女すなわち皇帝の娘の一人であった。
片膝を付いてこれ以上はないと言うほど見事な儀礼を示した娘は、炎のような朱色の髪と白磁の肌を、白絹の衣装で包んでいる。
「どうしたのか?」
「陛下は我が国が危機的状況にあると言うのに、何を為されているのですか?耄碌されたのですか?」
優美なかんばせから、棘のある辛辣なセリフが出てくる。
モルト皇帝はここにも恩恵と権利を勘違いしている者がいることに気付いて微苦笑した。皇女の舌鋒が鋭いのはいつものことであるが…。
「殿下、いったいどのようなご用件で、陛下の宸襟を騒がされるのでしょうか?」
皇帝の三女 ビニャ・コラーダは、腰掛けて微笑んでさえいれば、比類のない芸術品とも言われるほどの容姿を持っている。だが、好きに喋らせると気の弱い男ならその場で卒倒しかねないほど辛辣なセリフを吐くので国中にその名を知られていた。
「無論、アルヌスの丘を占拠する賊徒どものことです。アルヌスの丘は、まだ敵の手中にあると聞きました。陛下のそのような安穏な様子を拝見するに、連合諸王国軍がどうなったのかいまだご存じないと思わざるを得ない。マルクス、そなた陛下に事実をご報告申し上げたのだろうな?」
「皇女殿下、ご報告申し上げましたとも。連合諸王国軍は多大な犠牲こそはらいましたが、敵のファルマート大陸侵攻を見事に防ぎきったのです。身命を省みない勇猛果敢なる諸王国軍の猛攻によって物心共に大損害を受けた敵は、恐れおののき強固な要害を築いて、冬眠した熊のごとく閉じこもろうとしております。閉じこもって出てこない敵など、我らにとってなんら脅威ともなりません」
マルクス伯の説明に、ピニャは「フン」とそっぽを向き言い放つ。
「妾(わらわ)も子どもではない故、ものは言いようという言葉を知っておる。知っておるが、言うに事欠いて、全滅で大敗北の大失敗を、成功だの勝利だのと言い換える術までは知らなんだぞ」
「事実でございます」
「こうして真実は犠牲になり、歴史書は嘘で塗り固められていくと言う訳か?」
「そのようにおっしゃられても、私にはお答えのしようもなく」
「この佞臣め!聖地たるわれらがアルヌスの丘は連中に抑えられたままではないか?何が防衛に成功したか?真実は、諸国中の兵をこぼって累々たる屍で丘を埋め尽くしただけであろう」
「確かに、損害は出ましたな…」
「この後はどうするのか?」
マルクス伯爵は、とぼけたように兵の徴募から始まって、訓練と編成に至るまでの一連の作業を説明した。軍に関わる者なら誰でも知る、新兵の徴募と訓練、そして編成の過程を告げられ、ピニャは舌打ちした。
「今から始めて何年かかると思っているのか?その間にアルヌスの敵が、なにもせずじっとしていてくれると?」
「皇女殿下。そのようなことは私めも存じております。しかし、現に兵を失った上には、地道にでも徴兵を進め、訓練を施し、軍を再建するしか手はありません。兵を失ったことでは諸国も同じ。もう一度、連合諸王国軍を集めるにしても、軍の再建は国力に比例いたします。諸国の軍再建にしてもわが国より遅くなっても、早くなることはありますまい」
この言いようには、ピニャは鼻白まずをえなかった。
「そのような悠長なことを言っていては、敵の侵攻を防ぐことは出来ぬっ!」
皇帝はため息と共に、手をわずかに挙げて二人の舌戦を止めた。
皇帝の察するところピニャには騒動屋の傾向があった。責任を負うことのない野党的立場の者がよくすることと同じで、批判ばかりで建設的な意見はなにも言わない。言っても実現不可能な夢物語みたいなことばかり。現在と将来に対し責任感を有する者なら、できないようなことばかりを求めてくる。何かあれば、さあ困った、どうするどうすると、責め立て、実務者に「じゃあ、どうすればいいんだ!」と言わせてしまうまで追い込んでしまうのである。
今回の事態を考えれば、マルクス伯が言うように、地道に軍を再建するしかない。このための時間を稼ぐのが、政治であり外交と言える。皇帝としてはそのための連合諸王国軍の招集であり、その壊滅をもって目論見は成功した。
いささか辟易としてきた皇帝は、娘に向かって話しかけた。
「ピニャよ。そなたがそのように言うのであれば、余としても心を配らねばならぬ」
「はい、皇帝陛下」
「しかし、アルヌスの丘に屯(たむろ)する敵共について我らは、あまり多くのことを知らぬ。ちょうどよい、そなた行って見て来てくれぬか?」
「妾がですか?」
「そうだ。軍は再建中でな、偵察兵にも事欠く有様じゃ。国内各所の兵を引き抜くわけにもいかぬ。新規に徴募してもマルクス伯の申した通り、実際に使えるようになるまで時間がかかる。今、一定以上の練度を有し、それでいて手が空いているのは思いを巡らしてみればそなたの『騎士団』くらいであった。そなたの『騎士団』が兵隊ごっこでなければ…の話だがな」
皇帝の試すような視線に正対して、ピニャは唇をぎゅと閉じた。
アルヌスの丘は、騎で片道で10日もかかる。
しかも危険な最前線だ。そんなところへ自分と自分の『騎士団』だけで赴くことになる。
華々しい会戦で勝利を決定づける突撃と違い、地道な偵察行。
日頃から兵隊ごっこと揶揄されてきた『騎士団』にとって、任務が与えられたことは光栄と思わなければならないことだろうが、それが不満でもある。
さらに、彼女の『騎士団』は実戦経験など皆無。自分や、自分の部下達は危険な任務をやり遂げることが出来るだろうか?
皇帝の視線は、「嫌なら口を挟むな」と告げている。
「陛下…」
「どうだ。この命を受けるか?」
ピニャは、ギリッと歯噛みしていたが、思い立ったような顔を上げた。そして…
「確かに承りました」
と、ピシャリと言い放つと、皇帝に対して儀礼にのっとって礼をとった。
「うむ、成果を期待しておるぞ」
「では、父上。行って参ります」
そしてピニャは、玉座に背を向けた。
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「空が蒼いねぇ。さすが異世界」
伊丹が呟いた。青空に、大きな雲がぽっかりと浮かんでいる。電柱とか電線などもない。前から後ろまで、上半分は完全に空だった。
「こんな風景なら、北海道にだってありますよ」
運転席の、倉田三等陸曹が応じた。倉田三等陸曹は、北海道は名寄から来ている。
「俺は、巨木が歩いていたり、ドラゴンがいたり、妖精とか飛びかっているトコを想像してたんですけどねぇ。これまで通ってきた集落で生活していたのは『人間』ばっかしだし、家畜も牛とか羊にそっくりでガックリっす」
倉田は一般陸曹候補学生課程を修了したばかりの21歳だ。伊丹が上下関係に鷹揚ということを知ると、気軽に話しかけてくるようになった。
青空を背景に、緑の草原をオリーブドラブに塗装された軍用車両が列を組んで走り抜けていく。
先頭を73式小型トラック、その後ろに高機動車(HMV)、さらには軽装甲機動車(LAV)が続く。
まぁ、名前を言われてもよくわからないとおっしゃる皆様には、前二台はジープみたいな乗り物、後ろの一台は装甲車みたいな乗り物が走っているとイメージしてくれればよいのである。
伊丹は2両目の高機動車に乗っていた。
後席には彼の率いる第三偵察隊の隊員達が乗り込んでいる。車両3台、総勢12名が偵察隊の総戦力であった。
後席でガサガサと地図を広げていた桑原曹長が、運転席に顔を突きだした。
「おい倉田、この先しばらく行くと小さな川が見えてくるはずだ。そしたら、右に行って川沿いに進め。そしたら森が見えてくる。それがコダ村の村長が言っていた森だ」
航空写真から作られた地図と、方位磁石とを照らし合わせながら説明する桑原曹長は、二等陸士からの叩き上げで今年で50才。教育隊での助教経験も長いベテランだ。新隊員達からは『おやっさん』と呼ばれて恐れられていた。倉田も新隊員時代、武山駐屯地で桑原曹長の指導を受けて前期教育を終えたそうだ。
この世界ではまだ衛星を打ち上げてないのでGPSが使えない。その為に、地図とコンパスによるナビゲーションだけが頼りとなる。そして、こういうことは経験の長いベテランのほうが上手いと、伊丹は隊の運営を桑原に押しつけている。
「伊丹二尉、意見具申します。森の手前で停止しましょう。そこで野営です」
桑原の言葉に伊丹は振り返って「賛成」と応じた。桑原は、軽く頷いて通信機のマイクをとる。
倉田は、バックミラーで後ろに続く軽装甲機動車との車間距離を確認した。
「あれー伊丹二尉。一気に乗り込まないんすか?」
「今、森に入ったら夜になっちゃうでしょ?どんな動物がいるかもわからない森の中で、一夜を明かすなんてご免こうむります。それに、情報通りに村があるとしたら、そこで住んでいる人を脅かすことになるでしょ?僕たちは国民に愛される自衛隊だよ。そんな威圧するようなこと出来ますかってーの」
だから森には少人数で入ると伊丹は告げた。
この偵察行の目的は現地住民と交流し、民情を調査することにある。ヘリを使えば速いのに、わざわざ地面を行くのだって通りすがる住民と交流するためだ。
暴力で制圧することが目的ではない。悪感情をもたれるような事は極力避ける。それが方針だった。
これまで3カ所の集落を通り、この土地の住民と交流をとってみた。住民達は戦争なんて領主様のすることで、俺らには関係ねぇやという態度であり、伊丹達に特別悪感情を示すと言うこともなかった。ならば余計なことをして仕事を難しくする必要はない。
「えーーと」
伊丹は胸ポケット黒革の手帳を取り出すと、この土地の挨拶を綴ったページを開いて予習する。銀座事件の捕虜を調査した言語学者達の成果である。
「サヴァール、ハル、ウグルゥー?(こんにちは、ごきげんいかが?)」
「棒読みっすねぇ。駅前留学に通ったほうがよかぁありません?」
「五月蠅せぇ。第一、ピンクの兎の会社は、とうの昔に潰れたよ」
パコッと倉田のヘルメットを叩く伊丹であった。
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こうして森の手前にやって来た第3偵察隊であったが…。彼らの目に入ったのは、天を焦がす黒煙だった。
「燃えてますねぇ」
倉田の言葉に、「はい、盛大に燃えてます」と伊丹は黒煙を見上げた。森から天を焦がす炎がたちあがっていた。
「大自然の脅威っすね」
「と言うより、東映の怪獣映画だろ」
桑原はそう言うと、双眼鏡を伊丹に渡した。そして正面からやや右にむかったところを指さす。
伊丹は桑原の指さした辺りに双眼鏡を向けた。
「あれま!」
ティラノサウルスにコウモリのような羽根をつけたような巨大な生き物が、地面に向かって火炎放射している。
「首一本のキングギドラか?」
桑原のセリフに倉田が「おやっさん、古いなぁ。ありゃ、エンシェントドラゴンっすよ」と突っ込む。だが、桑原はドラゴンと言われるとブルースリーを連想してしまうようで、妙に話が合わない。
前方で停止した73式トラックから、小柄なWACが走り寄ってきた。
この偵察小隊には二人のWAC(婦人自衛官)が配属されている。住民と交流する時、女性がいたほうが良い場面があるかも知れないと言う配慮から配属されていた。例えばイスラムのような戒律のある土地だった場合、女性と交渉するのは女性であったほうがよい。
「伊丹二尉、どうしますか?ここでこのままじっとしてるわけにはいきませんが」
栗林二曹だった。栗林二等陸曹を見ると多くの男性自衛官は、装備が重くないかと彼女に質問すると言う。体が小さすぎて装備を身につけると言うより、装備が彼女を入れて歩いているという印象になってしまうのだ。だが、小柄というだけで侮ると酷い目に会う。これでも格闘記章を有する猛者だ。
「あのドラゴンさぁ、何もないただの森を焼き討ちする習性があると思う?」
意見を求められても栗林にわかるはずがない。だが「わかりません」と素直に答えるようなタマでもない。少しばかり辛辣な態度で、
「ドラゴンの習性にご関心がおありでしたら、何に攻撃をしかけているのか、二尉ご自身が見に行かれてはいかがですか?」
と言ってのけた。
「栗林ちゃん。ボク一人じゃ怖いからさぁ、ついてきてくれる?」
「わたくしは嫌です」
「あっ、そう」
伊丹はバリバリと頭を掻くと告げた。
「適当なところに隠れてさ、様子を見よか。んで、ドラゴンがいなくなったら森の中に入ってみよう。生き残っている人がいたらさ、救助とかしたいし」
森の中に集落があるという情報があった。多分、その集落がドラゴンに襲われているんじゃないかと言うのが伊丹の考えであった。
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結局、伊丹達が森に入ることが出来たのは、翌朝だった。
夜になっても火がなかなか消えず、また黒煙によって見通しが利かなかったからだ。夜半からは雨が降り始めたおかげで森林火災が下火となった。これによって、ようやく森に入ることが出来るようになったのである。
森は、すっかり見通しが良くなっていた。
木の葉はすべて焼けおち、立木は炭となりはてていた。
黒い地面からは、ブスブスと煙が上がっている。
地面にはまだ熱が残っていて、半長靴の中がじんわりとあったかい。
「これで生存者がいたら奇跡っすよ」
倉田の言葉に、伊丹もそうかもなと思いつつ、とにかく集落があると思われるところまでは行ってみようと考えていた。
二時間ほど進む。すると立木のない開豁地へと出た。
この森が焼かれていなければ、ここまで入るのに最低でも半日を要したであろう距離である。
見渡すと、明らかに建物の焼け跡とおぼしきものが見える。よく見れば…よく見なくても、『仏像の炭化したようなもの』が地面に横たわっている。焦げたミイラでもよい。
「二尉、これって」
「倉田、言うなよ…」
「うへっ、吐きそうっすよ」
倉田は、胃のあたりをおさえると周辺を見渡した。
集落跡をゆっくりと見渡していく。無事な建物は一軒たりともない。
石造りの土台の上につくられていた建物は焼けこげて瓦礫の山となっている。そんな建物の間に、黒こげの死体が転がっているという状態なのだ。
「仁科一曹、勝本、戸津をつれて東側をまわってくれ。倉田、栗林、俺たちは西側を探すぞ」
「探すって、何を?」
栗林の言葉に伊丹は「う~ん、生存者かな?」と肩をすくめた。
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小一時間かけて捜索して、この集落には生存者がいないようだとわかった。
伊丹は、井戸のわきにどっかりと座り込むと、タオルで汗をぬぐう。他の隊員達は、生活のようすがわかるものを探して、集落のあちこちを歩き回っている。
すると、栗林がクリップボードを小脇に抱えてやってきた。
「二尉。この集落には大きな建物が3軒と、中小の建物が29軒ほどありました。確認できただけで27体の遺体がありましたが、少なすぎます。ほとんどは建物が焼け落ちた時に瓦礫の下敷きになったのではないかと考えられます」
「1軒に3人世帯と考えても、30軒なら90人だもんなぁ。大きな家を併せたら最低でも100人くらいの人が生活してたんじゃないかなぁ。それが全滅したのか、それともどこかに隠れているのか…」
「酷いものです」
「ふむ。この世界のドラゴンは集落を襲うこともあると、報告しておかないとな」
「『門の高地』防衛戦では、敵の中にドラゴンに乗っていた者もあったそうです。そのドラゴンは昨日見たものよりはかなり小さかったんですが、そいつの鱗でも7.62㎜弾は貫通しなかったそうですよ。腹部の柔らかい部分ですら12.7㎜の鉄甲弾でようやくということでした」
伊丹は、栗林の蘊蓄を聞くと「へぇ」と目を丸くした。ドラゴンの遺骸を回収して、そのその鱗の強度試験をやったという話は聞いていたが、その結果がどうだったかの情報はまだ伝わってきていないのだ。
「ちょっとした、装甲車だね」
「はい」
伊丹は水筒に口をつけると残りが少ないのを気にして、チャプチャプと振った。周囲を見渡して、自分の後ろにあるのが井戸だと気づくと、その上にある木桶を手にとる。木桶を井戸に放り込んで、縄で吊り上げるタイプのようだ。
「ドラゴンがどのあたりに巣を作っていて、どのあたりに出没するかも調べておかないといけないね」
などと言いながら、井戸に木桶を放り込んだ。
すると、コーーーンと甲高い音が井戸から聞こえた。
「ん?」
水の「ドボン」という音が聞こえると思っていたから、妙に思った伊丹は井戸をのぞき込んだ。栗林も「なんでしょうね」と一緒にのぞき込む。
すると……
井戸の底で、長い金髪の少女が、おでこに大きなコブをつくってプカプカと水に浮かんでいるのが見えたのであった。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 04
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:23
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「テュカ、起きなさい」
少女の優しい夢は、父親の声に破られた。
「お父さん、どうしたの?折角いい気持ちで寝てたのにぃ」
目を擦り擦り、身を起こす。
見渡して見ると居間にはうららかな日射しが差し込んでいる。
午睡から無理矢理目覚めさせられたためか、頭がまだはっきりとしない。ただ、自分を起こした父の表情が異様なまでに険しくなっていることは気づいた。
窓の外からも、雑多な足音や喧噪が聞こえて来る。集落中が騒ぎに包まれていた。そのただならぬ気配に何か重大なことが起こったのだと感じた。
「どうしたの?」
その答えは、テュカ自ら悟った。窓の外、その空に巨大な古代龍の姿が見えたからだ。このあたりには龍は棲まない。だから実際に見るのはこれが初めてである。しかし幼い日々、父親から受けた博物学の講義で知識として知っていた。
「あれは、もしかして炎龍っ?!」
「そうだ」
父が手にしているのは弓だった。これはエルフ一族では一般的な武器だ。さらには、貴重品をしまい込むのに使っているタンスに手をのばし、中からミスリル銀の鏃と鳳の羽根でつくられた矢を取り出そうとしている。
父が、戦おうとしている。
テュカも反射的に、愛用の弓矢に手をのばした。だが、父親の「やめなさいっ」と言う声に止められてしまう。
「どうして?」
「君は、逃げるんだ」
「あたしも戦うわ」
「ダメだ。君に万が一のことがあったら、私はお母さんに叱られてしまうよ」
父が亡くなった母ことを持ち出すのは、娘に是が非でも言うことを聞かせたい時だ。だが、精神的に自立する年齢を迎えていた娘は父に笑顔で逆らった。
「炎龍が相手じゃどこに逃げても一緒よ。それに、手勢は一人でも多い方が良いでしょ」
肉食の炎龍が好物とするのはエルフや人間の肉だと言う。ここで炎龍を倒さない限り、どこへ逃げようとも匂いを嗅ぎつけてやって来るに違いない。大地をはいずり回るエルフや人がどれだけ逃げようとも、古代龍にとっては一っ飛びの距離でしかないのだ。
窓の外では、戦士達の矢が空に向けて放たれた。風や水の精霊が召還され、炎龍への攻撃が始まっている。だが、その効果は薄い。
逆に炎龍から放たれた炎が、誰かの悲鳴と共に家を焼く。避難しようとしていた女子供がこれに巻き込まれた。
「とにかく、ここにいては危ない。外へ出よう」
父は、娘の手を引いた。娘はしっかりと弓矢を握っていた。
絹裂く悲鳴が響く。
戸口から出たテュカが眼にしたのは、幼なじみの少女が炎龍の牙にかけられる瞬間だった。
「ユノっ!!!」
愛する親友が食べられてしまう。とっさの判断でテュカは素早くを弓矢を番えた。若いとは言え、弓を手に産まれてくると言われるエルフである。腕前は確かだった。
渾身の力を引き絞り狙い定めて矢を放つ。だがテュカの矢は、はじかれてしまった。
テュカの矢ばかりではない。エルフの戦士達が無数の矢を龍に浴びせかけていた。だが、そのどれもが分厚い鱗に阻まれて傷一つ負わすことが出来ないでいる。
バリバリとエルフの少女をかみ砕き飲み込んだ炎龍は、縦長の瞳を巡らせると次なる獲物としてテュカを選んだ。
「ユ、ユノが。ユノが…」
炎龍に見据えられた瞬間、テュカの全身は恐怖にすくんだ。
逃げようにも足は動かず、叫ぼうにも声すら出ない。龍と視線をあわせてしまうと魂が砕かれると言う。この時のテュカは、まさに魂を奪われたかのように動けなく、いや逃げようとすることすら意識に登らなくなっていた。
「ダメだ、テュカ!」
父が矢を番えつつ、精霊に呼びかける。
「Acute-hno unjhy Oslash-dfi jopo-auml yuml-uya whqolgn !」
風の精霊の助力を得た閃光のような矢が、炎龍の眼に突き刺さる。
その瞬間、炎龍の叫びが大気を振るわせた。その振動は周囲に居合わせた生きる物全てを引き裂いてしまうのではないかと思わせるほど。
炎龍はのたうち回るようにして、空へと浮かぶ。
「眼だ、眼を狙え!!」
戦士達の矢が炎龍の頭部に狙いを集めた。だが大地に降りているならともかく上空に舞い上がった龍の眼を狙うのは、いかに弓兵のエルフと言えども難しい。
炎龍は、自らを傷つけたエルフを選び出し狙いと定めた。
集落を巨大な炎の柱で焼き払うと、炎龍はその鋭い爪と牙とでエルフの戦士達を蹴散らす。払いのける。踏みつぶす。その牙で食いちぎる。
「テュカ、逃げなさい!!」
父親は娘を叱咤した。しかし、娘は呆然と立ちすくんだままだった。
彼は娘に手を挙げるかどころか、声を荒げたことすらない優しい父親である。それは日々の暮らしの中では柔和なだけの『甘い』父親として見える。しかし、彼はこのような危急の時…則ち勇猛さと暴力的な粗暴さをむき出しにしなければならない時、これを発露できる厳しさも兼ね備えていた。
父は、娘に龍の上顎と下顎の隙間に捕らえられる寸前、自らの身体をもって娘をはじき飛ばした。そして、炎龍の顎にレイピアのひと突きを喰らわせる。
そのまま娘の身体を抱え上げると同時に走りだす。
「来たぞっ!!」
戦士達の精霊への呼びかけが、あたかも合唱のようであった。
矢が斉射され、その内の数本が炎龍の鱗の隙間へと突き刺さる。口腔に突き刺さる。爪の付け根へと突き刺さる。
だが、龍はひるむことなく迫ってきた。
父は、娘に語り聞かせた。
「君はここに隠れているんだ。いいねっ!!」
そして、娘は井戸の中へと投げ込まれる。
投げ込まれる最後の一瞬、彼女が見たものは父の背後に広げられた炎龍の巨大な顎。そして鋭い牙だった。
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どれほどの時間を井戸の底で過ごしただろうか。
集落や森が焼き払われる炎の音。
井戸の中にまで降り注ぐ火の粉。
戦士達の怒号。そして悲鳴。
腰までつかる水の冷たさに震える。ただただ怖くて、恐ろしくて、そして不安とで、涙を止めることも出来ない。
気がつくと、耳に入る音がなくなっていた。
聞こえるのは自分の呼吸音。心拍の音。あるいは、ささやかに聞こえる水の音。
蒼かった空が、いつの間にか黒くなっていた。だが、不思議と井戸の周りは明るい。集落を焼く炎、その光が井戸の底まで届いていた。
気がつくと、雨が降り始めていた。
全身が雨に濡れる。顔が濡れる。眼に水が入る。
だが、どうしても空から目を離すことが出来なかった。
「やぁ、テュカ。無事だったかい?」
そう言って父が、ひょっこりと顔を出す。そんな光景を何度思い浮かべたことか。
でも、いくら待ち続けても誰の声もしなかった。
みんな死んでしまったのではないかという思いが浮かび上がって、胸が引き裂かれそうになる。
「お父さん……………助けて」
やがて、空が明るくなった。夜の黒い空から、昼間の青い空へと移り変わった。
井戸水は冷たい。寒さと疲れ、そして空腹とでテュカは立っていることも出来なくなっていた。絶望と悲しみとで、あらゆる種類の気力が失われていた。
「このまま、死んじゃうのかな」
そんな風に思う。だが不思議と怖くなかった。というより、このまま死んでしまうことは、何か良いアイデアにも思えた。死んでしまえば、畏れや不安から解き放たれる。孤独の悲しみも、切なさからも逃れられる。あらゆる苦しみからの唯一の救いが死、そんな風に感じられるのだ。
ふと、井戸の上から何か人の声が聞こえたような気がした。
朦朧とした意識で、天を見上げてみる。すると、視界全体に水汲み用の桶のような物が広がっていた。
こ~んと言う甲高い音。鼻の奥に香辛料を吸い込んだようなツーンとした激痛。視界一杯に広がる火花。
「はへぇ…」
スウと、彼女の意識が遠のいていった。
「Daijyubuka! Okiro! Meoakero!」
ぺちぺちと頬を叩かれる感触、そしてかけられる声。
霞のかかる視界の向こうで自分をのぞき込む誰かの顔は、どこか彼女の父に似ていた。
「お父……さ…ん」
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「エルフっすよ、二尉」
倉田三等陸曹の言葉に、伊丹は「エルフですねぇ」と応じた。
「しかも、金髪のエルフっすよ。くぅ~~希望が出てきたなぁ!」
「お前、エルフ萌えか?」
「ちがいやす。俺はどっちかっていうと、艶気たっぷりのほうが好みでして。でも、エルフがいたんですから、妖艶な魔女とか、貞淑な淫魔(女)とか、熱いハートのドラキュリーナとか、清楚な獣娘と出会う可能性アリでしょ?洒脱な会話の楽しい狼娘も可です」
伊丹は、18禁同人誌などに描かれる彼女たちの姿を思い浮かべつつも…こんなのが現実にいたらどうなるんだろうというある種の恐怖感に苛まれた。
獣娘については、劇団四○の某手塚漫画の名作のパクリ演劇…に出演メークをした女優さんがよい例になるかもしれないと思ったりする。だが、妖艶な魔女とかドラキュリーナとかも、萌えるかもしれない。
「そりぁ、まぁ、あり得るんだろうけどさ…」
「いや、絶対にいます!!」
握り拳で何やら力説し、萌え…この場合は『燃え』ている倉田に退きながら、伊丹は「まぁ、がんばれよぉ」と遠くで応援することにした。
栗林ともう一人のWAC(婦人自衛官)黒川二曹が、井戸から引き上げた見た目で16歳前後の少女の濡れた衣服を脱がせたり、ブランケットシートでくるんだりしたりと手当している。
その光景を見物しようとすると、栗林二曹の鉄拳制裁で確実に排除されるために男連中は近付くことも出来ないでいた。
伊丹も、遠巻きに見ているしかない。仕方なく井戸に降りるのに使ったロープとかを片づける。井戸の底に降りた時、水に濡れた服が冷たい。さらには半長靴の中には水が少しばかり入り込んで歩くたびにギュボ、ギュボ言う。
他の隊員達は携帯円匙で簡単な埋葬用の穴を掘ったり、集落の状況を記録におさめるために、瓦礫の山を掘り返していたりする。人々の生活に使われていた家具什器、あるいは弓矢などの武器を集めて、ビデオや写真を撮るのも大切な仕事だ。あるいは資料として持ち帰るためのサンプルを選ぶ必要もある。
伊丹は、腰を下ろすと半長靴を脱いで逆さにした。するとドドっと水がこぼれ落ちた。このまま履くのは抵抗があるが、裸足で居るわけにもいかないので、背嚢から取り出した毎日新聞を靴の中につっこんで水を吸えるだけ吸わせる。靴下はよく絞ってから履き直す。
黒川二等陸曹(看護師資格有り)がやってきた。
一応、敬礼してくれるので伊丹も答礼するのだが、身長が170になるかならないかの伊丹は黒川二曹を見上げる姿勢になる。黒川は、身長が190㎝もあるのだ。
身長をいろいろと誤魔化してどうにか採用基準ギリギリの栗林と二人ならべて第三偵察隊の凸凹WACと呼ばれていたりする。
「とりあえず体温が回復して参りましたわ。漫画的にできたおでこのコブもお約束に従って消えてしまいました。もう大丈夫だとは思いますが…これから、どういたしましょう?私たちは、いつまでもここに居るわけにも参りませんし、でも女の子をここに一人だけ残していくのも何やら不人情な気もいたします」
と、ゆったりとしたお淑やか口調で黒川は語る。小柄な栗林が気が短くて勇猛果敢なのに対して、大柄な黒川がのんびり屋のお淑やかという性格の対比が妙である。
「見たところココの集落は全滅してるし、助け出したものを放り出していくわけにもいかないでしょ。わかりました、保護ということにして彼女をお持ち帰りしましょ」
黒川はニッコリと笑った。この女の側にいると時間がゆっくりと流れているような気がしてくるから不思議だ。
「二尉ならばそうおっしゃって下さると思っていましたわ」
「それって、僕が人道的だからでしょ?」
「さぁ?どうでしょうか。二尉が、特殊な趣味をお持ちだからとか、あの娘がエルフだからとか、色々と理由を申し上げては失礼になるかと存じます」
伊丹は、大きな汗の粒が額から頬をつたって喉を経て、服の下へと落ちていくのを感じた。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 05
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:24
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本来の予定で有れば、あと2~3カ所の集落巡りをする予定となっている。だが、保護したエルフの娘を連れ回すわけにもいかない。そのために伊丹は、来た道をたどってアルヌスへと帰還することにした。
アンテナ立てて本部にお伺いを立てたところ、「ま、いいでしょ。いいよ、早く帰ってこいや」という感じで返事が来た。
「桑原曹長…そんなことで宜しくお願いします。まずはコダ村に戻りましょう」
伊丹はそう言うと、さっさと高機動車の助手席に乗り込んでしまう。
運転は倉田、後ろで桑原が全体の指揮をする。また保護したエルフと、その看護のために黒川が乗り込んでいる。
第三偵察隊は、再び走り出した。
復路も、往路と同じような平和な光景が広がっていた。つい今朝方まで、ドラゴンが空を覆い、集落の1つを全滅させたなど思えないほどである。
空は青く、大地は広がっていた。
半日近い行程を、砂煙を巻き上げながらただひたすら走り抜ける。来る時と違ってスピードが出ているせいか、偵察隊にはなんとなく逃げるような気分が満ちていた。
「ドラゴンが来たら嫌だなぁ」
「言うなって。ホントになったらどうするんよ」
運転席のつぶやきにおもわずつっこむ伊丹。
舗装などされていない道だ。車は上下に揺れた。
衛生担当の黒川がエルフの少女の血圧や脈を測って、首を傾げながら呟いた。
「エルフの標準血圧ってどのくらいでしょう?脈拍は?」などと尋ねてきて伊丹を閉口させながらも、バイタルの数値は安定している。人間の基準ならば低いけれどと報告してきた。
「大丈夫かな?」
「呼吸は落ち着いてますし、血圧も脈拍、体温も安定。不自然に汗をかくということもないですし…人間ならば、大丈夫と申し上げるところなのですが」
エルフの生理学など知らない黒川としてはそう答えるしかない。伊丹は、はやいところ現地人に接触して、エルフ娘の扱いについて相談するのが一番かと考えていた。
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コダ村の人々は、「何だお前ら、また来たのか」という感じで伊丹達を歓迎するでなく、といって嫌悪するわけでもなく、なんとなく迎えた。
伊丹は、村長に話しかけ、教えて貰ったとおり森の中に集落があったが、そこはすでにドラゴンに襲われて焼き払われていた。というようなことを、辞書を見ながらたどたどしく説明した。
「なんとっ、全滅してしまったのか?痛ましいことじゃ」
伊丹は、小さな辞書をめくりながら単語を選び出す。
「あ~~と。私たち、森に行く。大きな鳥、いた。森焼けた。村焼けた」
伊丹は適切な単語がないので『鳥』と言いながらもメモ帳にドラゴンの絵を描いてみせる。こういうイラストは伊丹は得意だったりする。
長老は、そのイラストを見て血相を変えた。
「こ、これは『ドラゴン』じゃ。しかも古代龍じゃよ」
伊丹の辞書に単語が増える。ドラゴンという単語が付け加えられ、現地でなんと発音するのかが、ローマ字で表記される。
「ドラゴン、火、だす。人、たくさん、焼けた」
「人ではなく、エルフであろう。あそこに住んでいたのはエルフじゃよ」
村長はこの世界の言葉で『re-namu』と何度か繰り返した。伊丹は、辞書の『え』の覧にに『エルフ/re-namu』と書き込む。
「そうです。そのエルフ、たくさん死んでいた」
「わかった、よく教えてくれた。すぐにでも近隣の村にもに知らせねばならぬ。エルフや人の味を覚えたドラゴンは、腹を空かしたらまた村や町を襲ってくるのじゃよ」
村長にお礼かたがた手を握られた。いまならまだ家財をまとめて逃げ出す時間があると、村長は人を呼ぶよう家族や周囲に声をかける。
ドラゴンがエルフの集落を襲ったという知らせに、村人達は血相を変えて走り出した。
「一人、女の子を助けた」
伊丹の言葉に、村長は「ほぅ」顔を上げた。村長を高機動車の荷台へつれていくと少女を見せる。
「痛ましい事じゃ。この子一人を残して全滅してしまったのじゃな」
村長は、まだ意識の回復しない少女の金髪頭をひと撫でした。種族こそ違え、このコダ村とエルフの集落とはそれなりの交流があったのだ。
エルフは森の樹を守り、狩猟で入り込む猟師が森の深部に入りこまないようにと牽制しながらも、負傷したり困窮していれば助け、時には保護して送り返してくれる。
互いに干渉しない、距離を置いた尊敬関係とでも言うべきか。そんな関係が両者の間にはあったのだ。
「あ~と…この子、村で保護…」
伊丹の言うことは理解できる。だが、村長は首を振った。
「種族が違うので習慣が異なる。エルフはエルフの集落で保護を求めるのがよい。それに、われらはこの村から逃げ出さねばならぬ」
「村、捨てる?」
「ドラゴンが来る前に逃げなければならぬのじゃよ。知らせて貰えねば、逃げる暇もなく我らは全滅してしまったろうに。ホントに感謝するぞ」
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コダ村から少し離れた森に小さな小さな家が、一件建っている。
サイズとしては、6畳間ふたつの2DK程度。平屋で、小さな窓が二つ。窓ガラスというものが存在しないこの地では、採光と通風が目的の窓も総じて小さめにつくられる。
煉瓦造りの壁には蔦が這っている。天を覆う樹冠からの木漏れ日に、周囲は柔らかめに明るいため、建物からは瀟洒な感じがして、なかなかに素敵な雰囲気だ。
その家の前に馬車が止められ、荷台には木箱やら、袋やら、紐で結わえられた本だとかが山積みに積み上げられていた。
傍らで草を喰んでいる驢馬がその荷馬車を引くとするなら、ちょっと多すぎるんじゃないか?と尋ねたくなるような、それほどまでに多量の荷物だった。
その山となった荷物を前に、さらに本の束をどうやって載せようかと苦心惨憺している者がいた。
年の頃14~5といった感じで貫頭衣をまとったプラチナブロンドの少女だった。
「お師匠。これ以上積み込むのは無理がある」
最早どこをどう工夫しようと、手にした荷物は載りそうもない。少女は、その事実を屋内へと冷静な口調で伝えた。
「レレイ!!どうにもならんか?」
窓から顔を出した白いひげに白い髪の老人が、「まいったのう」と眉を寄せる。
「コアムの実と、ロクデ梨の種は置いていくのが合理的」
レレイと呼ばれた少女は、腐る物ではないのだから…と、荷馬車から袋を一つ二つ降ろす。そして、空いたスペースに本の束を載せた。
コアムの実もロクデ梨の種も、ある種の高熱疾患に効能のある貴重な薬だ。だが、その高熱疾患自体、あまり見られるものではないので、今日明日要りようになるということもない。また稀少とは言っても手に入らないものではないので、失ったら取り返しのつかなくなる貴重な書物に比べ重要性は格段に劣る。
白髪の老人は袋を受け取ると、肩を落とした。
「だいたい炎龍の活動期は50年は先だったはずじゃ。それがなんで今更…」
エルフの村が炎龍に襲われてて壊滅したという知らせは瞬く間に村中に走った。
常のことならば着の身着のままで逃げ出さなければならないはずである。だが、今回は龍出現の知らせが速かっため、荷物をまとめるだけの時間はある。その為に村全体が、逃げ出す支度でひっくり返ったような騒ぎになっているはずだった。
老人はぶつくさ言いながら、レレイのおろした袋を小屋へと戻す。
その間にレレイは驢馬を引いてきて荷馬車とつないだ。
「師匠も早く乗って欲しい」
「あ?儂はおまえなんぞに乗っかるような少女趣味でないわいっ!どうせ乗るならおまえの姉のようなボン、キュ、ボーンの…」
「………………」
レレイは冷たい視線を老人にむけたまま、おもむろに空気を固めると投げつけた。空気の固まりとは言っても、ゴムまりみたいなものだが、次々とぶつけられるとそれなりに痛い。
「これっ!止めんかっ!魔法とは神聖なものじゃ。乱用する物ではないのじゃぞ!私利私欲や、己が楽をするために使って良いものではないのじゃって…やめんか!!」
……………おほん。
「余裕があると言っても、いつまでのゆっくりしていられるわけではない。早く出発した方がいい」
「わかった、わかった。そう急かすな…ホントに冗談の通じない娘じゃのう」
老人は杖を片手に、レレイの隣によっこらせと乗り込む。レレイは冷たい視線を老人に向けたまま語った。
「冗談は、友人、親子、恋人などの親密な関係においてレクレーションとして役に立つ。だけど、内容が性的なものの場合、受け容れる側に余裕が必要。一般的に、十代前半思春期の女性は性的な冗談を笑ってかわせるほどの余裕はない場合が多い。この場合、互いの人間関係を致命的なまでに破壊する恐れもある。これは大人であれば当然わきまえているべきこととされている」
老人は弟子の言葉に大きなため息をひとつついた。
「ふぅ~疲れた。年はとりたくないのぅ」
「客観的事実に反している。師匠はゴキブリよりしぶとい」
「無礼なことを言う弟子じゃのう」
「これは、幼年期からうけた教育の成果」
身も蓋もないことをレレイは告げる。そして驢馬に鞭をひと当てした。
驢馬はそれに従って前に進もうとしたが、荷台のあまりの重さから馬車はビクリとも動かなかった。
「………………」
「………………オホン。どうやら荷物が多すぎたようじゃのう」
「この事態は予想されていた。かまわないから荷物を積めと言ったのはお師匠」
「………………」
レレイは黙ったまま、馬車からピョンと飛び降りた。動かない馬車にいつまでも乗っているくらいなら歩いた方がマシだと判断したのだろう。
「おお!レレイは、気の効くよい娘じゃのう。いつもこんな調子ならば、嫁のもらい手は引く手あまたじゃろうにのぅ…惜しい事じゃ。ホントに惜しい事じゃ」
老人はそう言うと、レレイから手綱を受け取る。そして、驢馬に鞭をひと当て。だが、やはり荷馬車はピクリとも動かなかった。
レレイはちらりと車輪に目をやった。車輪は地面に1/3程めり込んでいる。このままでは動くことはないだろう。
「お師匠。馬車から降りるのに手が必要なら言って欲しい」
「し、心配するでない。儂らにはこれが有るではないか?」
老人は杖を掲げる。するとレレイは老人の口調を真似た。
「魔法とは神聖なものじや。乱用する物ではないのじやぞ。私利私欲や、己が楽をするために使って良いものではないのじや…」
老人は、額に漫画的な汗を垂らしながら言い訳する。
「儂らは魔導師じゃ。『ただ人』のごとく歩く必要はないのじゃよ」
しかし、レレイの温度を全く感じさせない視線は和らぐことはなかった。
老人の口は「あー」の形状で固まったまま呪文がなかなか出てこない。
「………………」
教育者としての矜持とか、いろいろなものがその胸中で葛藤しているのだろう。老人が次の動きを見せるまでしばしの時間が必要だった。だが、やがて老人は情けなさそうな表情をはりついた顔をレレイに向ける。
「す、すまんかった」
「いい。師匠がそう言う人だと知っている」
レレイとは、そういうことを口にする身も蓋もない娘であった。
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魔法を使うことで重量が軽くなれば、荷物山盛りの馬車も驢馬の力でも容易に引くことが出来る。
レレイと師匠の乗った馬車は、長年住み慣れた家を後にした。
村の中心部に向かう中。あちこちの家でレレイ達同様、馬車に荷物を積み込む者の姿が多く見られた。農作業用の荷馬車や荷車、あるいは直接馬の背中に荷物をくくりつけている者もいる。
レレイは、あわてふためいて逃げ出す支度をする村人達の姿を、じっと観察してた。
そんなレレイに、師匠は言う。
「賢い娘よ。誰も彼もが、お前の目には愚かに見えることじゃろうなぁ」
「炎龍出現の急報に、これまでの生活をうち捨てて逃げ出さなくてはならなくなった。だけど、避難先での生活を考えれば、持てる限りのものを持っていきたいと考えるのは、人として当然のことと言える」
「人として当然とは、結局の所『愚しい』ということであろ?」
「…………」
レレイは、師匠の言葉を否定しなかった。
本当に命を大切に思うので有れば、与えられた時間を使って、より遠くへ逃げるべきではないだろうかと考えるのだ。
なまじ余裕が有るばっかりに、荷物をまとめるのに時間を費やしてしまっている。これによって結局は出発時間が遅れる。さらに重い荷物は移動速度を低下させる。炎龍に追いつかれてから、荷物を捨ててももう遅いのだ。
そもそも、人は何故生き続けたいなどと考えるのか。
人はいずれ死ぬ。結局は遅いか早いかでしかない。
ならば、わずかばかりの生を引き延ばす行為にどんな意味があるというのか。
レレイはそんな考え方すらしてしまうこともあった。
村の中心部にさしかかると、道は馬車の列で渋滞が出来ていた。
「この先は、いったいどうしたのかね?」
いつまでの動かない馬車の列に苛立ってか、師匠は進行方向から来た村人に声をかけた。
「これは、カトー先生。レレイも、今回は大変なことになったね。…実は、荷物の積み過ぎで、車軸がへし折れた馬車が道を塞いでいるんです。みんなで、片づけてますが、しばらく時間がかかりますよ」
引き返して別の道を選ぼうにも、すでに後ろにも馬車が塞いでいて行くも戻るも出来なくなっていた。
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レレイは、後方から見慣れない姿の男達が、これまで聞いたこともない言葉で騒ぎながらやって来ることに興味を引かれた。
「避難の支援も仕事の内だろ。とにかく事故を起こした荷車をどけよう!伊丹隊長は村長から出動の要請を引き出してください。戸津は、後続にこの先の渋滞を知らせて、他の道を行くように説明しろ!!言葉?身振り手振りでなんとかしろ!!黒川は事故現場で怪我人がいないかを確認してくれ」
見ると、緑色…緑や濃い緑、そして茶色のまざった斑模様の服装をした男達だった。いや、女性らしき姿もある。兜らしいものを被っているところをみると、どこかの兵士だろうか?だが、それにしては鎧をまとっていない。レレイの知識にない集団のようだ。
何を言っているのかよくわからないが、初老の男に指示された男女が凄い速度で走っていく。
その様子を見ると、はっきりとした指揮系統らしきものがあるようだった。
レレイは師匠に「様子を見てくる」と告げると、馬車を降りた。
馬車15台程先に、事故を起こした馬車があった。
車軸が折れて馬車が横転している。その時に驚いた馬が走り回って暴れたらしい、巻き散られた荷物と、倒れている男性や母子の姿があった。
馬も倒れて泡を吹いているが、まだ起きあがっては暴れようとしている。そのために、村人達は近づこうにも近づけないのだ。
「君。危ないから下がっていて」
緑色の人達。
何を言われているのかよくわからないが、手振りからしてレレイに下がっているように言っているのだろう。
だがレレイは倒れている母子がどうやら怪我をしているらしいことに気付くと、制止を振り切って、駆け寄った。傍らで馬が暴れているが気にしない。
「まだ生きている」
レレイよりちょっと下。10歳ぐらいの子供を診ると、頭を打ったようで血の気がない。母親は、気を失っているようだがたいしたことはないようだ。子供が一番危険な状態だった。
「レレイ!!何をしている?何があった?」
呼ぶ声に振り返ると村長だった。やはり緑の服の人と一緒だ。事故の知らせに今来たのだろう。
「村長。事故。多分荷物の積み過ぎと荷馬車の老朽化。子供が危険、母親と父親は大丈夫そう。馬はもう助からない」
「カトー先生は、近くにいるのかね?」
「後ろの馬車で焦れてる。あたしは様子を見に来た」
ふと見ると、緑の服の女性が、レレイと同じように子供の様子を、誰かに伝えている。
村長のとなりにいる30代くらいの男が指示を出しているようだった。
突然、悲鳴が上がる。「危ない!!」
バンバンバン!!
突然の炸裂音にびっくりして振り返ると目に入ったのは、暴れていた馬が、レレイに覆い被さるようにドウッと倒れるところだった。紙一重のところで巻き込まれずに済んだが、ホンの少しずれていたらレレイの10人分はある馬体に、彼女は押しつぶされていた。
レレイに判ったのは、どうやら緑の服の人たちが、暴れる馬から自分を守るために何かしたということだけだった。