Fünf Tänze
Fünf Tänze
ベラスケスの絵画《聖トマス》から私が受けた印象は、「葛藤」という言葉に集約される。キリスト教の大きな物語の中で、彼は奇跡を前にしてなお確証を求めた人物として知られている。信仰の核心に触れながらも、そこにただ身を委ねるのではなく、疑いと確認のあいだに身を置いた存在であった。
その聖トマスの姿は、今を生きる私にとっても強く響くものだった。というのも、現代の社会が宗教や信仰といったものに対して十分に批判的であるとは私には思えないからである。現在、世界各地では原理的な信仰や理念が引き金となり、差別や暴力が引き起こされている。わかりやすい救済や大義を前にしたときであっても、そこに疑いの眼差しを保ち続ける態度が人類には必要なのではないか――そのようなことを考えさせられる鑑賞体験だった。
しかし、このような思考が念頭にあったにもかかわらず、ピアノという楽器を前にして私が着想したのは、むしろ科学や批判性とは対極に位置づけられる存在として語られる、ある種の舞踊であった。
本作では、身体性への要求を極度に高めることによって、作曲家である私自身にとっても完全には解決しきれないと思われるほどの超絶技巧を演奏家に課している。本作の課題は、演奏家のきわめて理性的な読み込みによって達成されるのかもしれないし、あるいは多くの舞踊がそうであるように、作品と同化するほどの陶酔によってその核心を捉えることができるのかもしれない。
理性と陶酔。そのあいだの葛藤の淵に演奏家を立たせること――それこそが、本作の存在理由であると私は考えている。