由理柵・駅家研究会

由理柵と由理駅:「由理柵は、賊の要害にあって、秋田の道を承ける(由理柵は蝦夷の要害の地にあって、秋田への道が通っている)」これは平安初期に編さんされた正史『続日本紀』の780年8月23日条に記された文章の一部です。由理柵は、奈良時代(710~794年)、中央政府が北方支配拡大や蝦夷の叛乱に対処する目的で設置した日本海側拠点の一つで、文章の内容から由利本荘市域に存在したと考えられています。また、927年編さんの法令集『延喜式」』には「由理駅」の記載があります。駅(うまや)は、官道を往来する役人・兵士のために乗り継ぎ用の馬や宿泊機能も兼ね備えた政府が設置した古代の施設です。おそらく、由理柵とそう遠くない地域に造られたと考えられます。

由理柵・駅家研究会:「由理柵・駅家(うまや)研究会」は、両遺跡の探索を目的に、市民有志が2010年に結成しました。勉強会や研究会、発掘調査などの活動を会員のボランティアで行っています。最初の2年間は、古代城柵の文献史料や過去の発掘成果の勉強会、市内遺跡踏査など、隔月で例会を開催し基礎知識の習得を積み重ねてきました。3年目からは、例会の成果を実践したいという会員の自然発生的な気運を機に発掘調査にも着手しています。城柵遺跡は、今に残る地名が発見の糸口となることもあります。しかし、当時の住居や建物、柵木、土塁、築地塀(ついじべい)など、城柵の基本的な構成要素は腐食したり土中に埋没しており、地名や踏査などで発見されることはごくまれです。

現時点で由理柵や由理駅と考えられる遺跡は発見されていませんが、研究会の発掘調査活動は、単に未知の城柵を探し出すというロマン達成だけにとどまらず、未発見の古代城柵が多い日本海側の古代史研究上大きな意義があるものと考えています。

これまでの発掘調査成果

これまでの発掘調査成果

旧本荘地域や西目地域の発掘調査を実施しましたが、由理柵や由理駅と考えられる遺跡には当たっていません。

客殿森遺跡:最初に発掘調査を行った遺跡です。後述する井岡遺跡と連続する小面積の低丘陵地です。古くから「客殿森」と呼称され、中世に由利十二頭の仁賀保氏と矢島氏の評定が行われた場所として伝承されています。また、直ぐ北側の水田からはかつて「酒所(部カ)」銘の墨書土器が採集されており、期待されましたが発掘調査の結果、小規模な掘立柱建物跡1棟と土師器が数点出土したに留まりました。(報告書第1集)

井岡遺跡:周辺から、過去に70点を超える墨書土器が採集されており、最も官衙関連遺跡の呼び声が高かった遺跡です。しかも、遺跡は西になだらかに傾斜する地形で、掘立柱建物跡や竪穴住居跡等の建物造営に適した地形環境にあります。しかし、丘陵部の西端・東端・北端そして中央部等の発掘調査の結果、9世紀前半~後半の小規模掘立柱建物跡1棟、竪穴住居跡2軒、土壙墓と墨書土器1点が発見されたに過ぎません。ただ、第4次調査の竪穴住居跡から出土した「人」銘墨書土器は、前述の採集墨書土器70点の中にも認められるもので、関連性は大いに考えられます。これまで発見されている多くの墨書土器は丘陵下の水田面で採集されたものであり現時点での調査は不可能ですが、遺跡の中心部は沖積地の可能性も考えられます。(報告書第2集~6集)

土谷白山遺跡:白山神社境内地です。かつて由利本荘市が行った発掘調査で縄文時代の遺跡であることが判っています。同時に土師器・須恵器が数点出土しており、平安時代の遺跡でもあります。社殿の周囲は緩やかな斜面も含めれば政庁域の確保も可能な面積を有してます。しかし、境内地上部の未調査地を発掘調査した結果、古代の遺構・遺物はまったく検出されませんでした。(報告書第7集)

横山遺跡:周囲に水田が広がる低丘陵地です。丘陵南端からは鳥海山が真正面に見えます。丘陵南側の水田では、秋田県埋蔵文化財センターの発掘調査で十和田a火山灰に覆われた平安時代の水田跡が発見されています。また由利本荘市が行った丘陵上丘陵上の発掘調査では、縄文時代の竪穴住居跡と縄文土器、石器等、それに数点の土師器と須恵器、中世陶器等が出土しています。未調査地を発掘調査した結果、丘陵縁辺を巡る中~近世の溝跡が発見されましたが、古代と考えられる遺構は発見されませんでした。(報告書第8集)

新谷地西遺跡:由利本荘市が発掘調査して土師器・須恵器と共に斎串等の祭祀遺物が出土した上谷地(小深田地区等)・新谷地遺跡の西隣接地に当たります。また、地元新聞『本荘時報』の昭和6年6月13日発行の記事に大正11年頃の耕地整理で「南内越谷地田圃に無数の角材埋没由理柵の跡かとの説、発掘鑑定の声起こる」また「角材が沢山出てじゃまなのでそのまま埋めた」とあり、近年最も有望視されている地域です。しかし、角材が埋められた場所は地元にはまったく伝承されておらず、特定できていません。そこで、角材の行方を捜し出すためこれまで第1次~第4 次まで重機によるトレンチ調査を実施しましたが、角材列等の発見はできませんでした。ただ、十和田a火山灰層を挟んで須恵器、土師器、曲物等が出土しており、可能性は秘めています。(報告書第10(現在作成中)集)

なお、新谷地西地区については、令和3年度以降も継続するか検討中です。

発掘調査のアラカルト


新谷地西遺跡発掘調査第4次

令和2年10月

水田部のとトレンチ調査(上は秋田県立大学本荘キャンパス)         

山間部の下久保地区の調査

新谷地西遺跡発掘調査第3次

令和元年5月

調査終了後の記念写真
ニコニコマークのある木製品

新谷地西遺跡(仮称)発掘調査 第1次 2次

平成30年5月、10月

第1次調査地(ドローンによる空撮)
第2次調査地(ドローンによる空撮)

山下太郎地域文化奨励賞の授賞式

平成29年6月 授与式に小松代表出席・謝辞を述べる。

横山遺跡発掘調査

平成28年


左側の丘陵が横山遺跡

井岡遺跡発掘調査 第1次~第5次

平成25年~27年

井岡遺跡第1次発掘調査 平成25年