〜輿地全圖GPS〜 明治十年(1877年)の日本地図
よちず(輿地図)は、日本の古地図に現在地を表示するアプリです。
明治十年。
日本は富国強兵と近代化に邁進していた。
欧米諸国に追いつくため、
多くの分野で外国から技術者を招き、
最先端の制度や技術が導入された。
人々の暮らしにおいても、
近代化で豊かになったとはいえ
江戸時代と変わらない風景も多々
残されており
廃藩置県が終わったにもかかわらず、
まだ旧藩の頃の地名が
人々の生活で使われていた。
そんな中、この
「大日本輿地全圖」は発売されました。
当時の特徴が多く記載された地図です。
一)地名は令制国、藩で記載。
二)旧藩と府県名の対応表が記載。
三)北海道がほぼ逆さま。
四)沖縄県がまだない。
五)朝鮮半島が記載。
六)千島列島が記載。
七)経度は東京を0度で記載。
八)各主要都市の詳細を記載。
江戸時代の街道案内のような絵図でありながら
伊能図の緻密さと、欧米の航海技術を取り入れた
極めて正確で完成度の高い日本地図と言えます。
さらに本アプリではGPSを使い
地図上に現在地を出す機能を搭載しました。
歴史の旅のお供にぜひお使いください。
この地図では五畿七道で色分けされています。
測量技術の未発達な時代は、エリアではなく
ストリートで地域を分ける考え方が主流です。
御所のある”機”を中心に”道”で日本列島を
つないで、七道に分ける考え方が
当時の利便性上、最善の答えになります。
すると近江国と陸奥国が東山道で同じ。
海で隔てられても海道でつながる
紀伊国と阿波国が南海道で同じ。
という理屈も合います。
江戸時代の体制を幕藩体制と言います。
各藩に藩主がいて平安時代から続く令制国の
地名で日本人は生活し経済活動をしていました。
しかし明治維新が起こり、
日本の体制が大きく変わりました。
1867年(慶応3年)大政奉還
1869年(明治2年)版籍奉還
1871年(明治4年)廃藩置県
1877年(明治十年)大日本輿地全図発売
明治十年は西南戦争が起きた年で
江戸時代を生きた人々がまだ大半です。
対応表を作り、府県の名を広めようとするも、
なかなか広まらない実情が見れます。
この地図の最大の特徴です。
他にもこの時代の日本地図は北海道が
色々な角度で記載されており、
90度横になってる地図もあります。
琉球藩は明治になって出来た藩で、
明治政府は琉球藩に清国への朝貢を
やめるよう折衝中でした。
この2年後、いわゆる琉球処分が
命じられ、沖縄県ができました。
意外と知られていないですが
日本の鎖国を解いて開国したのは
徳川幕府です。
開国後の日本に一番近い国は
ロシア。続いて朝鮮国です。
朝鮮国は日本と同じ漢字文化圏
なので盛んに交流が行われました。
朝鮮半島の近代化のため
日本に学びに来る朝鮮人も大勢
いました。今以上に朝鮮半島と
日本のつながりは庶民レベルでも
密接だったことがうかがえます。
ロシアではクリル諸島。
1875年(明治8年)樺太・千島交換条約
樺太をロシア領と認める替わりに
カムチェッカ半島より南の島が
大日本帝国の領有となりました。
この地図は、その2年後の
地図となります。
この時代は地球規模での測量技術がないため
その国の主要なシンボル的場所を起点にし
東西の経度を測量するのが主流でした。
1874年(明治7年)に
金星の太陽面通過という天体ショーがあり
良好な観測地域として日本が選ばれ
多くの天文学者が来日しています。
そのとき協力した多くの日本人が
最新の天文学に触れることができ、
日本最初の経度原点が東京にできました。
この地図はその3年後の地図となります。
東京、横浜、大阪、京都、神戸、
新潟、函館、長崎といった
多数の都市の略図を記載しています。
実用性がはたしてあるのかどうかは
今ではもうわからないですが、
よく見ると当時敷設された鉄道が
もうのっています。
1872年(明治5年)新橋ー横浜
1874年(明治7年)大阪ー神戸
1876年(明治9年)京都ー大阪
総じてこの大日本輿地全圖は、
令制国の記載をベースとした古地図
で有りながら当時の最先端の技術を凝縮した
地図だと言えます。
世界へ向けて邁進しようとする新生日本の
力強さを感じることのできる極めて
史料価値の高い地図ではないでしょうか。