Original Novel『FiX -u and me-』
作:Xiba 校正:FullMoon

Episode.01 "Prologue -to earth-"

  広大無辺な宇宙の辺境に、その星系はあった。

 そこに棲む生命体に、「太陽系」と呼ばれている星系だった。


 その均衡が突如破られた。

 形而上の存在が燐光を纏い、形而下に降りてくる。重力の乱れが生じ、空間が歪む。

「それ」は、宇宙船の形をしていた。

 その外壁を、硬質の鱗のようなものが覆っていることを除けば。


 纏った燐光が収まると、その全貌が顕になった。

 球状の宇宙船それ自体が、ひとつの惑星のような大きさをしていた。そこから生えているようにも思われる白磁の外殻は、観測する者に壮麗な彫刻を思わせた。宇宙船本来の機能を損なっているかのようで、まるで最初からそうデザインされていたかのように宇宙船はそれを纏っていた。好き勝手な方向に延び、まるで一般的な鳥から生える翼を思わせる。その「翼」を中心として、微かな光が往復している。


 そんな、翼に包まれたテニスボールのような宇宙船は、いかなる運命の悪戯なのか、所謂「小惑星帯」と呼ばれる、大小様々な大きさの岩石惑星のなりそこないたちのパーティに闖入してしまっていた。

 突然現れた宇宙船に向かって、重力が歪み、周囲の小惑星たちが吸い寄せられ、外殻へ続々と殺到する。中でも一際大きな小惑星が、「翼」の先に強かに命中した。

 靭性の無い「翼」の先の部分は、まるでダイヤモンドをハンマーで叩いたかのように砕け散り、崩壊した。そしてそんな「翼」の欠片が、勢いよく太陽の方向へ射出されていった。

 その軌道は、奇しくも「地球」と呼ばれる惑星とぶつかる軌道だった。

 絶対等級22.0を下回り、脅威の隕石と見做されなかったその「翼」は、地球からの監視を逃れ、大気圏を通過し、そして――


 日本海近郊に突如として巨大な水柱が噴き上がった。

 しかしてその異変の中心に何があるのか、誰も勘付いていなかったのである。

Episode.02 "u and me"

『――太陽よりはるかに質量の大きな恒星がその命の終わりを迎え、大爆発を巻き起こすことにより、多様な元素が宇宙空間にばらまかれ……いずれそれは新たな星系を生み出すゆりかごとなります。我々人類もこうして創られた、云わば【星の子どもたち】なのです――』


「――嘘くせぇ」


 そう戸山拓紀は独り言ちた。興味のないものや興味を失ったものをすぐ放り捨ててしまう――もちろん布団の上に――のは彼の悪い癖だが、今読んでいるものは図鑑である。ため息をついて表紙を閉じるに留まった。そこに飾られている見事な星雲の写真にも何の感慨も湧いてこないが、先ほどのコラム文を書いた顔も知らぬ人間の無駄な熱は受け取ってしまいそうになり、そんな無用の暑苦しさから逃れるように、ゆっくりと頭を振った。心做しか部屋の中まで眩しくなったかのように錯覚してしまう。

 だいたい地学の授業の課題のために、図書館から図鑑なんて借りてくるのが間違いだったのだ。今の時代、ページ内検索を賢く使えば必要な情報にはさっさとありつけるというのに、図鑑とはなんと前時代的な、と、拓紀は瞼を閉じて瞳だけごろごろ動かしつつ考える。しかし昨今のSNS絡みの炎上事件を目の当たりにするたびに、不正確な情報の脅威を肌身に感じる彼としては、インターネットで妙な情報を掴まされるよりは図鑑を頼る、という気持ちになっていた。さりとて今は、拓紀は森の中で迷子になったかのように、課題に集中できずにいた。

「……」

 ふと枕に顔を押し付けてみるなどしても、状況が変わることはなかった。

 戸山拓紀はそういう男だった。


 どこにでも居るような、風采の上がらない若者だった。頭の出来が悪いというわけではないが、特徴らしい特徴があるかと問われれば、奥歯にものの挟まったような顔を浮かべることしかできない。ただ日々を生きるのにいっぱいいっぱいで、故にこのように夏を持て余している。

「あー……」

 よくわからない感情の吹き溜まりが口から溢れ出した。布団に投げ出された身体を右方向に転がすと、小さな我が家の庭が見える。うだるような暑さが冷房を効かせたこの部屋にも視覚情報としてなだれ込んできて、拓紀は思わずゲッソリする。

「……あ?」

 そのうだるような暑さの中に、奇妙な物体が見えた。ここは一階である。先程から部屋の中が眩しいと感じたのは、錯覚でもなんでもなく、あいつの光の反射らしかった。

 カプセル――のようなもの――が庭に転がっていた。楕円形のフォルムに白磁を思わせる白い塗装が施されているように見える。むしろ塗装されているというわけではなく、最初から方解石を削り出してラグビーボール型にした、というような見た目をしていた。それだけならまだ悪戯の範疇で済んだが、厄介なことにそいつは拓紀の遠目からの信用ならない目測であったとしても、だいたい1メートルを越す高さをしていた。不法投棄である。

 冷房には目もくれず、拓紀は網戸を開いた。間違いなく方解石に似た何かだ。場合によっては地球のものではないと言われても、納得してしまいそうなフォルムをしている。これが宝石ならば大変な事だが、ありがたいことにこれに似た宝石を思い浮かべることはできなかった。精々大きな石と認識されて終わりだろう。拓紀は安堵することにした。

 そいつが次の瞬間、大きく縦にも横にも広がり、拓紀を包み込むように展開するまでは。

「ぎゃ」

 食虫植物。

 そのようなイメージが拓紀の脳を奔る。そして二の句を告げる間も無く、拓紀の身体はその得体の知れない白磁のナニカにすっかり絡め取られてしまった。


 死ぬ?

 あまりにもリアルな感覚。夢かと疑い頬を抓ろうにも、頬に手が届かない――どころか、身体を動かすことすらままならなかった。身体中の穴という穴を全力で塞ごうと試みる。実際に出来るかどうかはさておいて。

 脱出を意図することはあまりにも無意味だった。拓紀を包み込んでいる白磁のナニカは、グネグネと形を変えながら依然として拓紀を取り巻いている。丁度スライムのようだったが、何故そんなことになっているのかを知ることは重要ではなかった。油断している間に一瞬の隙を突かれて口内に、喉奥にまで入り込み始めた。このままでは酸素を循環させられない。もう限界だ、そんな当たり前の結論にすら拓紀がたどり着けなくなりかけた次の瞬間、

「うぎゃ」

 鈍い音が響き、唐突に拓紀は無造作に外気へと放り出された。もう一度生まれたかの如く、荒い呼吸を繰り返す。あと数刻遅ければ、という発想から来る安堵感が全身を満たす。理不尽な疑問を再考するのはその後だった。

「は……!?」

 拓紀の背後で、そいつはグニュグニュと、時にバリバリと音を立て、瞬きする間にその形を変えていく。そうして縦方向に大きく伸び上がった次の瞬間には、

「……」

「……な、」

 戸山拓紀の目の前に、もう一人の戸山拓紀が存在していた。


「……はぁ?」

 戸山拓紀――オリジナルの方である――は、腰を抜かしかけ、次の瞬間には呆れ果てていた。ここまで自分は無感動になっていたのかと一瞬失望したが、よくよく考えてみれば現実世界では世にも珍しい「ツッコミが追いつかない」という結論に無事辿り着くことができたので、オリジナル拓紀はとりあえず安堵及びそれなりに感動することにした。ひとまずまだ、人間を名乗ってもいいようである。なんとめでたい事だろう。

 ……その前に命が危ないことを自覚すると、大急ぎで後ずさった。散らかしていた靴下でついバランスを崩してしまいそうになる。まったくめでたくない。

「……俺を殺すのか」

 体勢を整えての第一声がいきなり物騒だが、これしか思い浮かばなかったのだから仕方がない。警戒したところで何もならないが、刹那的な人生を儚みつつ精一杯威嚇した。ところが相手、つまりニセ拓紀は穏やかに微笑みながら――拓紀の絶対にすすんで作らない表情のひとつである――徐に口を開いた。

「███」

 ……聞き取れなかった。

「██」

「……」

「███████」

「……」

 オリジナル拓紀は幾分か冷静さを取り戻してきた。まじまじとよく相手を見ると、顔の造りが甘い。眼球が動かなさそうだし、鼻腔は塞がっているし、歯だってまともに生えていない。コイツ実はバカなのではないかという品の無い感想まで巻き起こり始めた。しかし、

「いやすまないね、『最適化』に手間取っちゃって」

「うお!」

 自分とほぼ同じ、しかも流暢な声を聞き、拓紀は今度こそ腰を抜かした。


「その、しばらく私を家に置いてもらえないだろうか?」

 ニセ拓紀がそう告げるのを聞いたのは、それから数時間が経ったあとのことである。どうもオリジナル拓紀は一瞬気絶していたらしく、そこから呼吸と意識を整えるのを待った後に、おずおずとニセ拓紀の方からその言葉を切り出してきた。謎の生物――と呼べるかすら怪しい――のくせに気を遣われて、なけなしのプライドにヒビが入る音を確かにオリジナル拓紀は聞いた気がする。

「……えらく従順じゃないの」

「『郷に入っては郷に従え』という諺もあるからね」

 謎の生物――と呼べるかすら怪しい――のくせに諺まで美しく使いこなされ、オリジナル拓紀のプライドはズタズタになろうとしていた。

「察しているかもしれないが、私は君の星の用語で言うところの『宇宙人』なんだ。私の存在がバレるのは君にとっても良くないことだろう?」

「それはそうだけど……」

 目の前には厳然たる事実としてニセ拓紀がいる。最終的にオリジナル拓紀はその要求を飲んだ。ニセ拓紀がなぜそんなことを慮れるのか、そのことには純粋に興味があった。


「それと……」

 ニセ拓紀が喋りだす。

「私に名前を付けてくれませんか?」

「……」

 オリジナル拓紀にはそういうセンスがまるでなかった。しかし習慣的に手にしたスマートフォンで1d50のダイスを二度振ると、「40」と「1」が出た。そしてそれらを五十音表に当て嵌めてみる。

「……じゃあ『ヨア』で」

「ありがとうございます!」

 そう答えるまで、ニセ拓紀、もといヨアは身じろぎひとつしなかった。

 気を遣われているのか、舐められているのか。

Episode.03 "Mirroring"

「おっす拓紀氏~元気しとん?いやちょっと聞いておくれよ、このなんとか解説動画?ってやつ?よくテンポが工夫されててさ、面白いよね、というかアレだね、この世には私の知らないものってたくさんあるよね、全部見ようと思ったらどれぐらい掛かっちゃうんだろうな」

「……全部見る気か?」


 戸山拓紀は部屋の真ん中に立ち尽くしていた。

 昨日飛来してきた宇宙からの珍客は、凄まじい速度で日本の文化に適合しつつあった。否、適合しすぎていた。

「……誰のせいでこうなったんだっけか」

 拓紀がボソッと呟く。

 ニセ拓紀、もといヨアは、東西南北どこからどう見ても、一介のオタクと化していた。


 時間は昼下がり。コンビニから返ってきた拓紀は、自分の部屋に備え付けていたパソコンをヨアに勝手に使われていた。当然それだけなら激昂は必至だったが、ヨア自身はインターネットから手に入る日本語をベースとした膨大な情報を注ぎ込まれ、すっかり骨抜きになっていた。

 それもこれも、遡ること前日の深夜である。


「……どうして俺に化けたんだ?」

「『サンプル』が無かったんだよ」

 事も無げに、その日からニセ拓紀の姿をとっていたヨアは答える。

「私が初めて地球に降り立った時、初めて目にして初めてサンプルとして利用させてもらったのも君だからだよ」

「状況次第ではそれ以外の人間の姿にも化けられるってこと、なのか」

「まぁ簡単に言うとそうだね」

「じゃあ最初に変身した不格好な俺の姿は」

「アレは……君の記憶から構成させてもらったから、どうしても粗ができちゃう」

 思わず拓紀は前のめりになった。

「それはどういうことだよ」

「君たち人間が何かものを考えるときは、いつも脳で考えるだろう?」

「……それは常識だが」

「そういう風に構成される電気信号を私らは増幅して読みとることができるんだよ」

「!」

「あ、もちろん脳にほど近い頭の部分を触らないといけないわけだけどね……だからファーストコンタクトがあんな感じになっちゃったのは許してほしいんだ」

「……」

 なるほど合点がいく。パニック状態の思考を読んだところで、ろくに正確なコピーはできないだろう。と、ここまで考えた拓紀の脳内に、たちまちひとつの思想が膨れ上がってきた。

「おい」

「ん、どうしたんだい」

 あくまで飄々とした態度をヨアは崩さない。そんなヨアを拓紀は睨みつける。口をゆっくりと開いて――


「……このリュックとかさ、そのパソコンとかをコピーできないか!?」

「えっ」

 ……自身の身体を弄ばれた怒りや、思考を覗き見される不信感よりも先に、自分の気になったことをつい優先してしまう。

 戸山拓紀はそういう男だった。


「ふぅん、これパソコンっていうのか……どんなもんなんだろう……」

 ヨアが擬態するニセ拓紀の腕が急にほどけたように見えた。実際本当にほどけており、パソコンの端末ではなく、本体の方に触れる――

「――!!……」

 端末が受信するデータが、ヨアの思考に影響を及ぼす……


 そして、現在に至る。


「つまりヒロキのせいってわけだよ」

「返す言葉もない……」

 宇宙人から正論を頂戴し、拓紀はシンプルに肩を落とした。

 当たり前である。電気信号をキャッチして、その上デコードまでできる宇宙人にパソコンを与えたら、インターネットの海を自在に泳ぎ回ることは容易いと想像すべきだった。今はこのような状態になっているからまだ良いが、知らないうちに国家機密を暴露していたらと思うと肝が冷える反面、このネットリテラシーの高さを様々な人間に見習ってもらいたいものだと切に感じるのだった。

 拓紀はコンビニで買ってきたシュークリームを頬張った。ヨアはネットサーフィンに興じており、こちらには見向きもしない。

「……食べないのか」

「いらないかな」

 そういうものなのだろうか、とふと疑問に思う。その時だった。

「拓紀ー?」

「!」

 拓紀は急に弾かれたように立ち上がる。

「どうしたんだいヒロキ」

「母さんが来る……」

「カーサン?……ってあの?」

 拓紀の母の部屋は二階にあり、階段をゆっくり下りる音がこちらにも聞こえてくる。拓紀がついひそひそとした声になりながらヨアに話しかけると、ヨアも意図を汲んだのか声量を落とした。

「あんまり理解してなくてもいいけど、つまり見つかるとまずい」

「なるほど……じゃあアレいっとく?」

「アレって!?」

「なぁに私に任せておくれよ……」

 不穏なことを言っている間にも、足音はどんどん近づいてくる。扉をノックする音が聞こえてくるが、その間にも視界の隅で何かが蠢いているのが見える。

「入るよー?」

 と言うが早いか、拓紀の母、戸山安希は拓紀の部屋に入ってきた。眼鏡の奥の双眸が細くなる。

「あら、拓紀……何そのリュック」

「リュックぅ?」

 訝しげな声を出しながら振り返ると、キーボードの上に見慣れないリュックサックが鎮座していた。無機的なフォルムが、無駄のない機能性を感じさせる。

「これは……」

「これは何?」今度は安希が訝る。

「新しく買ったんだよ、今まで使ってたやつも別に壊れてはいないけど……間違えて買ってきちゃってさ!」

 懸命に出まかせを思いつく。

「あぁそう?まぁ別に拓紀のお小遣いの範囲なら何買ってもいいけど」

 安希は道理が通っていれば詮索はしない性格だった。しゃがんで手に持っていた荷物を下ろす。

「じゃあ洗濯物畳み終わったから、ちゃんとタンスの中に入れておいてね」

 そう言うと、追及もそこそこに安希は拓紀の部屋を出ていった。

 一秒。

 二秒。


 三秒経ち、そっと拓紀は胸を撫でおろした。

「はー……」

 鎮座していたリュックサックはヨアが化けたものだった。ぬるぬるとシルエットが変化し、テーブルの下へ降りてくると、拓紀のすぐ目の前にニセ拓紀、もといヨアのいたずらっぽい顔がずい、と即座に出てきた。ニタニタ笑った顔は純粋に見ていて面白いものではなかった。

「よかったね」

「よくは、ないかな……」

 するとヨアは口の前に人差し指を持ってくる。お静かに、のポーズ。

「秘密の共有――」

 勿体ぶってヨアは言う。

「ちょっとドキドキしたよね、ワクワクしたよね?私たち良い感じの友達になったんじゃない?」

「必要ないタイプの心臓の動悸だからな?」


 小声でヨアを𠮟りつける拓紀の胸の奥に、彼ですら気づかないほどの小さな明かりが灯った。

 それは、今まで彼が避け続けていたタイプの、そして彼すら今まで知らなかった感情の昂ぶりだった。

Episode.04 "I see"

「海に行きたい!」

「……はぁ」


 戸山拓紀は首を傾げていた。

 後から考えると対応がしょっぱすぎるが、そう思ったのだから仕方がない。

「……行きたくないんだけど」

「なんで」

「面倒だから……」

「じゃあ我慢して!若者は青春してこそ!じゃないの!?」

「コイツ……」


 拓紀がヨアと遭遇してから三日目。相変わらずヨアは拓紀の姿で拓紀に話しかけてくる。異常な状態だが、流石に三日も経つと慣れたものである。しかし基本的にヨアはポジティブな態度を崩さないので、相対的にこっちが根暗に思えてしまうことには困っていた。

「いわゆる『エモい』ってやつをさ、私も体験してみたいんだけど」

「動機はそれでいいのかよ……」

 思わず頭を抱えてしまう。とはいえ実際に体験を挟むと挟まないとでは、情報の奥行には雲泥の差が出るだろうことを、拓紀はこの三日でよく理解していた。

「でもお前は大気圏の下に落ちてきた後は、海から流れついてここに来たんだろ?」

「遠くで見るのと近くで見るのとではだいぶ違うよ?」

「……」

 拓紀は言い返せない。

「……それと、俺と同じ姿で外には出歩けないだろ」

「心配には及ばない」

「は?」

 拓紀が見ている目の前で、燐光を煌めかせ、鈍い音を立てながら、ヨアのシルエットが変わっていく。初めて会った時より、その速度は心做しか落ちているように感じた。それでも変わっていったシルエットが、網膜に焼き付いて像を結ぶと――


「……どう!?」

 野暮ったい黒髪ロングヘアー。

 スタイルの良い四肢。

 地味めだが整った顔立ち。

 微かに見覚えのある、確かに夏用の制服とわかる衣装。


 ヨアが完全に、人間の思春期の女性に擬態しているのを拓紀は目にした。

 ……が、その擬態は何かおかしかった。拓紀の反応がそれを如実に表しているのだと、ヨアにはすぐにわかった。

「何か変なところあるか?」

 少し低めの、主張しない感じの、女の子の声。

「な、無い、が……」

 内心ドギマギを隠せないまま拓紀は返事をした。頭の先が焦がされる感覚がする。のれんのような黒髪も、身体の特徴も、目を逸らそうとしてできなかった。精巧に作られた紛い物であると理性は理解していても、人間の脳がこれほど騙されやすいことを呪ったことはない、というほど頭を抱えていた。そして、ヨアの化けた女子の頭のてっぺんに、きらりとヘアピンが光るのを見て、ついに疑惑は確信に変わった。

 ぼそぼそと押し出すように言葉が拓紀の口から漏れる。

「……『FLAWLESS GIRLS』の『岸七瀬』じゃん……」

「えっ何?全然聞こえなかった」


「早い話が、ヒロキの『推しキャラ』?だったんだ」

「……」

「そういうアイドル、ソシャゲ?が、あるの?」

「……せめて喋り方は変えないか?違和感がすごいんだが」

「このままがいい」

「あっそ……」

「……」

「髪型は変えないのか?」

「ポニーテール?ってやつ、やってみたい」

「好きにすりゃいいじゃんさ……」


「ひろーい!」

 特大の衝撃を受けたからか、次の瞬間にはもう拓紀は浜辺にいるように思えた。拓紀の家から一駅ほど電車に揺られた先には大学があり、そこの学生が集まる海水浴場が地元でもそれなりに有名である。しかし、普段は人気のないこの浜辺にも、そこから足を延ばした観光客がちらほらと田舎の風情とやらを嗅ぎ回りにやってくる。所謂穴場というやつで、家から近くすぐたどり着くこの浜辺を、割と拓紀は気に入っていた。空には気ままそうな積雲がまばらに浮いている。

 岸七瀬、もといヨアには、陰のある女学生を演じてもらうことにした。出会って三日でそこまでやれるのかはいささか不安視されるところだったが、水中で絞ったスポンジ並みの知識の吸収力を誇るヨアにとっては造作もないことだろう、と拓紀はヨアを高く買っていた。裏を返せば舐めていたのである。

「はやくいこ!はやくいこ!」

「うぜ……」

 好奇心の強さを隠そうともしないヨアが、先に走っては拓紀を急かす。結果として今のヨアは客観的に見れば高校デビューに失敗した不遜なワガママ女だった。当然、文学少女の特徴を前面に押し出した存在である、岸七瀬とのキャラクターとも乖離しっぱなしである。

「これって青春じゃない!?カメラ持ってけばよかった!」

「そういうのって自分から言うもんじゃないだろうが……!」

 やや面倒くさい主張を拓紀は喚いていた。案外観光客はこういうやりとりは聞いていないものであるが、拓紀の内心はずっと風前の灯火だった。

 誰かにヨアが人間ではないとバレたら。

 そういう懸念が頭の中を埋め尽くしたころ、冷や水が拓紀の頬を襲った。

「!」

 その原因はもちろんヨアである。その手の構えからして、ヨアが拓紀に海水をかけたことは明白だった。

「なーんか、元気なさげ?だったから」

 岸七瀬はそんなことしない。それより何より。

「うおっぷ!」

 拓紀は水面を大きく蹴り上げた。水飛沫が燦燦と照り返る。そんな見ようによっては美しい情景にも目もくれず、

「このやろ、このやろこのやろ」

「や、やめろー」

 大げさに波間をザブつかせながら、拓紀がヨアを追いかける。ヨアの作られた脚はさほど力には優れないようで、運動不足の拓紀とどっこいどっこいぐらいだった。傍目からは二人の学生の逢瀬に見えてもおかしくないが、少なくともそこに爽やかさは存在しなかった。

「濡れたらどうすんだよー」

「俺は濡れてもいいのかよ!」

 そんな追いかけっこが五分ほど続いた。

 売られた喧嘩はそこそこに買う。

 戸山拓紀はそういう男だった。


「お前……やるな……」

「ひ、ヒロキこそ……」

 互いに疲労して、砂浜の端っこに腰を下ろしている。ヨアは疲労しているのか定かではなかったが、もしや疲労しているフリをしているのだろうか。そういう感想すら抱けないぐらい、拓紀は疲弊していた。その内、ヨアとは反対側にへたり込んでしまう。

 泳ぐつもりもなければ、着替えも用意してない。なのに砂粒が唇の横にまとわりつき、じゃりじゃりと不快な感覚を喚起させてくる。水筒すら持っていないせいで、喉の渇きが癒えない。

 そのうち水面を見て、あの海水が飲めやしないかというありもしない希望にすら縋ってしまいそうになる。普通に考えればわかり切ったことだというのに、拓紀の口の中には唾が湧いてきていた。寄せては返す波が、砂の色を透かして見せている。

「よくよく考えれば」拓紀が口を出す。「水って近くで見ると透明なのに、海みたいにでっかい領域だとどうして青色になるんだろうな……」

「いい質問だねぇ」ヨアが答える。「まぁ私にもよく分からないんだけどね」

「……」

 いくら豊富な情報を知っているとはいえ、ヨアができることはインターネットを覗き見することである。カバーできていない領域の知識もあるのだろう。それこそインターネットで調べれば、すぐに出てきそうな内容を口に出すべきではなかったのではないか、と拓紀は人知れず己を責めた。

 ふと横を見ると、岸七瀬の皮を被ったヨアが、姿勢の悪い体育座りで水平線の向こうを見つめていた。その眼差しがいつになく真剣で遠くを見ているように思えて、拓紀はつい押し黙るのだった。

 呼吸を整え終わった拓紀は仰向けになり、ありえないほど高い青空を、その向こうにあるであろう宇宙を、しばらく視界に留めることにした。



「――『ブラボー』、こちら『アルファ』。どうぞ」

「こちら『ブラボー』、どうぞ」

「『ブラボー』、『監視対象』の特定に成功。『計画』の第二段階への移行を進言します。どうぞ」

「こちら『ブラボー』、了解。デブリーフィングの後、第二段階への移行を検討します」

「こちら『アルファ』、了解。通信を終了します」

to be continued -

Original Novel『FiX -u and me-』

作:Xiba
校正:FullMoon
表紙:慣坂

A6判・72P

CD「FiX -u and me-」付録

【冊子収録内容】
・Episode.01 "Prologue -to earth-"
・Episode.02 "u and me"
・Episode.03 "Mirroring"
・Episode.04 "I see"
・Episode.05 "Paper crane"
・Episode.06 "Arsonist"
・Episode.07 "SHOOT DOWN THAT STAR"
・Episode.08 "me and YOU"
・Episode.09 "Epilogue -from earth-"
・制作後記

【ダウンロードコンテンツ収録内容】
・ボーナストラック
・ライナーノーツ『FiX -u and me-』
・作画資料など