WYSH教育の名誉指導士で、WYSH教育の誕生と普及に大きく貢献された今田雄次先生が、2025年1月21日にお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りしたいと思います。
今田先生との出会いは、2005年の夏に遡ります。ある日、NHKのクローズアップ現代で私を知ったということで、今田先生(当時、A中学校の校長先生)が、突然、京都大学の私の研究室を訪ねて来られたのです。「私の学校に性教育の授業をしに来ていただけませんか?」と・・・・
事情を伺うと、先生の勤務されているA中学校は大変に荒れ、妊娠する生徒がいるなど、性の問題も深刻化し、それが保護者まで巻き込む地域の大問題になっているというのです。突然のことで、見ず知らずの先生からのご依頼でもあり、できるかどうかもまったくわからなかったので、まずは丁重にお断りしました。しかし、今田先生は全くあきらめる気配がありません。私が自室に戻って出てくるとまだいらっしゃいます。4時間以上も、ずっと研究室に居続けて、依頼を繰り返されました。その熱意にさすがに私も根負けし、とうとう、「うまくいくかどうかまったく自信はありませんが、お引き受けしましょう」とお返事をして帰っていただくことにしたのです。
すぐに授業の準備に取り掛かりました。まずは、その中学校の状況を知らなくてはなりません。私は、今田先生のA中学校に行き、生徒たちのフォーカスグループインタビューを行い、その学校の生徒の状況を調べました。そして、それに基づいたWYSH教育を開発することにしました。今田校長先生が繰り返しおっしゃったのは、「問題を起こしている生徒も含め、すべての生徒をどうにかいい方向に変えたい。そのためには、授業実施時間は何時間でも使っていい。生徒全員が笑顔になれる授業にして欲しい」ということでした。そのご要望に応えるために、これまでにない性教育を作ろうと私も一生懸命考えました。私は、それまでにも、他の多くの地域の中学校や高校でWYSH教育を実施していましたが、それは、性感染症や中絶が自分の住んでいる地域でも増えていることについての情報提供(リスクパーソナライゼーション)を中心とする「狭義の性教育」でした。しかし、A中学校の状況は、それだけでは不十分と思われました。生徒の間に、よりよい行動の基礎となる、自尊感が乏しいと感じられたからです。そこで、その中学校で実施した授業では、1コマ目の性感染症や中絶についての授業(狭義の性教育)に加えて、2コマ目では、予防行動の基礎となる自尊感を醸成するために、生徒たちに自分の夢を語ってもらい、その夢を実現するために今どうしたらいいかを考える内容の授業(広義の性教育)を実施し、最後に「世界に1つだけの花」のビデオを流しながら、全員でダンスを踊りました。現在のWYSH教育は、狭義の性教育と広義の性教育の「2階建て」になり、最後に心からのメッセージを送りますが、その最初がこのA学校だったのです。その意味で、この学校が現在のWYSH教育の発祥の地であるということができます。
その後も、今田先生が移動されるたびに、その学校での授業を依頼されましたが、次に依頼された学校は、本当に荒れた中学校で、中学生であれほど荒れた生徒たちを私は初めて見ました。私にはこれまでに1000人を超える生徒たちのインタビュー経験がありますが、会った途端に「まじムカつく」と言われ、インタビューが成立しないという経験をしたのは、その学校が最初で最後でした。その学校では、生徒が黒板に向って板書している先生の背中めがけて、コンパスやナイフを投げたこともあったと言います。「そんな状況の学校ですが、授業をしてもらえますか?」と依頼されたのです。生徒の少年院送りを身体を張って防がれたように、どんなに非行に走った生徒でも見捨てない、すべての子どもを愛情持って受け入れるという今田先生の教師としての徹底した姿勢に敬服していた私は、即座に「それでもやりましょう!」とお返事したら、今田先生が、「それなら、木原先生に危害が及ばないように、僕が楯になって守ります」とおっしゃってくださいました。今田先生と私とで、いわば共に命がけの授業をすることになったのです。前の学校でもそうでしたが、今田先生は、授業のグループテーブルに、自らミシンで縫ったテーブルクロスを敷き、テーブルには、自分の学校に咲いている生の花を飾ってくださいました。授業は、狭義の性教育と広義の性教育の「2階建て」で、予想通り穏やかには行きませんでしたが、一生懸命やりました。うれしかったのは、授業が終わった後、1人の生徒が駆け寄ってきて、「授業よかったです」と言ってくれたことでした。こうして、無我夢中で行った授業でしたが、これらを通して、今のWYSH教育の原型が確立していったのです。
私が授業が行った後は、どの学校でも、今田先生ご自身がWYSH教育の授業を実施されました。その時には、必ず、自分の学校のその学年の生徒用にメッセージビデオを作成されました。こうして経験を積まれた先生は、WYSH教育のいわば「伝道師」となられて、WYSH教育の支部を作って、地域でのWYSH教育の普及に尽力され、2008年から京都で始めた全国研修会では、毎年参加して、先生方に、助言やメッセージビデオの作り方の解説などをしてくださいました。
このように、今田雄次先生は、WYSH教育誕生の触媒的役割を果たされ、その後のWYSH教育の普及にも大きな役割を果たされました。ここに、WYSH教育に携わるすべての人々とともに、その功績を心から称えるとともに、真の教育者としての今田雄次先生に、心からの敬意を表したいと思います。