2023年11月13日(月)14時より、赤坂プリンスクラシックハウス本館2階・プリンスルームにて、サントリー研究助成2023年度共同研究「「歓待インフラストラクチャー」から読み解く近世ヨーロッパ都市文化=空間構造の比較研究」(研究代表者:坂野正則)のキックオフ・ラウンドテーブル「『歓待』空間と都市文化 〜地中海から日本へ〜」が開催された。
本キックオフ・ラウンドテーブルは、人類が「歓待」を支えるために発展させてきた空間や仕組みに着目した「歓待インフラストラクチャー」 研究の展望について、学術的な議論や実践者の体験からの学びから考察するものである。第一部の鼎談では、「歓待インフラストラクチャー」 という新しい言葉の可能性について、ヨーロッパ史専門の樺山紘一氏、イスラーム史専門の黒木英充氏、日本の都市・建築史専門の伊藤毅氏の3名が学術的な側面から意見を交わした。第二部の交歓会では、外交、芸術、花街など各分野のスペシャリストたちから、「歓待インフラストラクチャー」の実践者としてのご自身の経験やバックグラウンドから話題を提供してもらい、今後の論点を探った。本ブログでは第1部の鼎談の様子を簡単に紹介したい。
第1部の鼎談では3つの話題として①比較史としての可能性、②歓待インフラストラクチャーという言葉について、③本研究の現代における位置付けについて、議論が交わされた。
黒木英充氏 (東京外国語大学教授、中東地域研究・東アラブ近現代史専門)
まず①比較史としての可能性についてコメントが寄せられた。最初の発表者である黒木氏は、イスラーム史の立場から「歓待」について、アラビア語のディヤーファ(ḍiyāfa) 、一般的なアッサラムアライクム 、そしてマルハバーン(こんにちは)、バイティバイカ(私の家はあなたの家です)といった言葉の紹介を起点とし、イスラーム圏におけるインフラストラクチャーのハード面の多くを担うワクフ概念の重要性を再確認した。空間としては、自身の専門であるシリアの古代都市・アレッポを取り上げ、都市内都市のようなスーク(バザー)の市場空間の中で、遊牧民特有のキャラバン・サライの宿泊施設ハーンデア が中庭式構造で発展してゆく過程が示された。
樺山紘一氏 (東京大学名誉教授、西洋中世史・文化史専門)
樺山氏は、上海租界(治外法権を持つ外国人居住地域)に在留していた自身の幼少期の経験を切り口に、コンセッション(concession)概念を提示した。租界はイギリス人・フランス人による一種の譲歩から生じた一方で、イギリス・フランスから輸入された文化が植え付けられた。と同時に、在地の中国人、あるいは虹口租界の日本人といった人たちと混じり合う場所を提供してくれたという。
伊藤毅氏 (東京大学名誉教授、日本建築史・日本都市史専門)
伊藤氏のコメントは、日本史の観点より、中世史における勝俣鎮夫氏や笠松宏至氏の研究を挙げながら、徳政令を提示するとともに、黒木氏・樺山氏による報告を踏まえて、コンセッションは租界、すなわち譲り渡していながらも、また後で戻るかもしれない可能性を孕む一方で、 ワクフは神に捧げたらもう戻ってこない、という差異を指摘するものだった。これを受け、樺山氏は、所有権の問題について、近代的な所有権の観念が確定する19世紀以前まで、所有観念には共有、あるいは一時的所有等の様々な形で広い解釈がありえたのではないかと論じた。
次に、②歓待インフラストラクチャーという言葉については、下部構造としてのインフラの捉え方に対して、より上層とも結びつく傾向のある歓待インフラという概念から見直しが図れるのではないかという考えのもと、伊藤氏により、日本住宅史におけるハレとケ、および公と私の概念の二軸から構成される図式モデルが提示された。A)ハレという開放的な概念と公、すなわち都市のような空間が結びつくものとしては、祝祭、プロセッション、あるいは上演、集会などが挙げられ、それに対応するインフラとして広場、街路、水路、モニュメント、あるいは迎賓施設、宗教施設、劇場などが該当する。B)一方、ハレがプライベートな空間としてのイエにおいては、盆やお正月の年中行事や冠婚葬祭、客人を招いた饗、晩餐会、音楽会等が挙げられるほか、例えば中世の会所における連歌の会やお茶なども含まれる。対応するインフラとしては、住宅内の中庭、庭園、座敷、客室、別荘、ヴィラ、会所、茶室、が挙げられた。C)公におけるケの場としては、日常的な都市活動(政治、経済、生活)の展開が挙げられ、都市の必要な行政機関、広場、水路がインフラとして対応する。D)私におけるケの場としては、日常生活や地域の社会交流が挙げられ、居間、個人の部屋のほか、インフラとして研究が遅れている分野ではあるが、ユーティリティとしての、台所や浴室等にも言及がなされた。以上4つの区分の間には、勿論流動性がある。日常生活から、都市で活動する場合の移動や、あるいは完全に国家や都市とそれから個人の饗関係は、連動するものである。また、樺山氏から、東西南北ユーラシア世界の差異を踏まえること、および個人的な人に関わる狭い歓待ホスピタリティとしてのイエ、そして都市、さらに国という3つのレベルによる腑分けの必要性が提示された。伊藤氏の図式モデルをもとに、樺山氏の人と町と国家の3層構造をかぶせて、従来の下部構造としてのインフラストラクチャー概念の再構築を試みてゆく。
最後に、③本研究の現代における位置付けについて、パンデミックやウクライナ問題が生じている世界情勢において、対立と排除の場面ばかりに直面する我々にとって、どうやって国家と国家を繋いでいくか、ということは喫緊の問題であることが確認されたうえで、そうした中でこそ、歴史学で今まであまり研究されてこなかった信頼学、すなわちコネクティビティ概念の重要性が提示された。
写真:杉山結子(東京大学)