魔法で起こした洪水により、アイアンウルフらを湖の中に流した俺は、上空から湖の様子を眺めていた。
「キャイン! キャイン!」
アイアンウルフは泳げないらしく、バチャバチャと水を掻き分けて必死に浮上しようとしている。さっきまで威勢よく唸っていた姿はどこへやら、子犬のような情けない鳴き声をあげていた。
俺は一瞬可哀想だとほだされそうになる。だが、こいつらは罪なき商人や旅人を殺してきた野蛮な魔物だ、とすぐに思い出す。彼らの無念を思った瞬間、可哀想などという感情は一瞬で消え去る。
すると、俺がやってきた方向から、ガサガサと草をかき分け、ガチャガチャと装備を鳴らす音がした。そして続々とハンターたちが現れ、目の前の光景に目を見開く。
「こ、これは……!」
「な、何が起こったんだ……?」
「まさか、フォルゼリーナ様がやったのですか?」
ここで、俺はハッと気がついて、湖畔に降り立った。
「おぼれている今がチャンスです! 弓を持っている人や、まほうが使える人は、やつらにこうげきしてください!」
俺の言葉に、弓使いや魔法使いがハッとした顔をして頷く。そして、一斉に矢を放ったり、魔法を放ったりする。
「くらえ!」
「『ロックフォール』!」
次々に放たれる攻撃に、溺れているアイアンウルフらにはなす術がない。攻撃をまともに受けてまた一匹、また一匹と力尽きて水の中に沈んでいく。
「『アイスランス』!」
そして、最後まで残っていた一匹が、俺の放った巨大な氷の槍に貫かれて、沈んでいった。
「こ、これで全部だな?」
「やったー!」
「うおおおお! 終わったー!」
「斃したぞー!」
ハンターたちが歓声を上げる。俺はホッと一息ついて、その場にしゃがみ込んだ。
いつの間にか、森を覆っていた霧は晴れていた。
※
その後、アイアンウルフの残党に警戒しながら、俺たちは湖に沈んだアイアンウルフを引き上げると、それらを解体して金になりそうな部分を回収する。そして、元々戦っていた場所へ引き返し、そこでも同様のことをする。
最終的に、俺たちが斃したアイアンウルフの数は二十六体。十数体と聞いていたので、予想の二倍くらいの数だった。
一方、俺たちの被害もゼロではない。
俺が、魔法使いのお姉さんたちのところへ向かうと、その中の一人が俺に駆け寄ってきて、俺の肩を掴んだ。
「フォルゼリーナ様、こちらへは来ていけません」
「どうして?」
「……その、とても見せられない様子の人が運び込まれているので」
彼女の後ろでは、数人のハンターが、大きな布を広げて、何かにかけているのが見える。
俺はなんとなく状況を察して、質問をした。
「何人だったの?」
「……二人です」
予想外の事態に直面したにもかかわらず、これだけで済んだというべきか……。それでも、死者が出てしまったのは、悲しいことだ。
今までは心のどこかで、ハンターは魔物に襲われてもなんだかんだ死なないだろう、と思っていた。しかし、今回のことでそれが打ち砕かれた。
やはり、ルーナの言っていた通りだ。ハンターは危険と隣り合わせの職業だということを改めて直視させられたのだった。
斃したアイアンウルフの解体を終え、怪我人に簡単な治療を済ませた後、俺たちはラドゥルフの街へ戻る。
怪我人もかなりいるし、回収したアイテムもかなり多いので、無傷な人や比較的軽症の人はかなりの荷物を抱えることになった。
俺もその一部を負担し、五匹分のアイアンウルフのアイテムを包んだ荷物を、浮遊魔法で浮かせて運んでいた。
ギルド前の広場に到着したときには、すっかり夕方になっていた。
俺たちは亡くなったハンターたちに祈りを捧げた後、ギルドに戻ってアイアンウルフから得たアイテムを納入し、報酬をもらう。
「では、こちらがフォルゼリーナさんの分です」
「ありがとうございます」
カウンターで俺が受け取ったのは、小金貨一枚と大銀貨五枚、つまり一万五千セルだ。基本給二千セルに、一匹五百セルのアイアンウルフ二十六体分で一万三千セルだ。
日本円にして推定十三万円。かなりの大金だ。
その価値がこんなに小さな硬貨六枚に凝縮されているなんて、とても奇妙に感じるな。俺が前世で、価値の高いお金=紙幣だと刷り込まれているせいだろうか。
ちなみに、この国の通貨には紙幣は存在しない。すべて硬貨だ。
材質は銅、銀、金、白金、大きさは小、大の合わせて八種類が存在する。
具体的には、価値の小さい方から、小銅貨、大銅貨、小銀貨、大銀貨、小金貨、大金貨、小白金貨、大白金貨となっている。小銅貨が一セルで、次に価値の大きい硬貨はその前の硬貨の十倍の額を表している。
つまり、現在俺が保有する財産二千万セルを換金すると、大量の紙幣や硬貨で部屋が埋め尽くされる……なんてことはなく、わずか大白金貨二枚に収まってしまうのだ。
とはいえ、市場に流通しているのはせいぜい小金貨までくらいで、大金貨以上の価値の硬貨は滅多にお目にかかれないらしいけどね。
さて、報酬も受け取れたことだし……もうここには用はないな。
俺はギルドを抜け出すと、真っ直ぐ帰宅……するのではなく、家とは反対方向へ歩き出す。
本当なら銀行でお金を預けて帰るところだが、俺にはその前に一つやらなければいけないことができた。そのために、俺はとある場所へ向かう。
数年前の記憶を頼りに細い路地を歩いていくと、目的の場所が見えた。
休店だったらどうしようか、とちょっと心配していたが、幸いにも入り口には『開店中』の札が掲げてあった。
ドアを開けると、中は数年前に訪れた時とほとんど変わっていなかった。ノスタルジーを感じていると、店の奥からまたもや懐かしい人物がやってきた。
「いらっしゃいあせー!」
ドスドスと重そうな音を立てて現れたのは、ひげもじゃの背の低いおっさん。頭にはバンダナを巻いていて、ギョロッとした目をこちらへ向けている。手には槌を持っていて、今まさに作業を中断してこちらへ来たかのような格好だった。
記憶の中のそれと全く同じ姿であることに安心していると、彼──ドワーフのダインさんはびっくりしたような声を上げる。
「おおー! フォルゼリーナ様ではありませんか、お久しぶりで! 大きくなられましたなぁ〜」
「お久しぶりです、ダインさん」
すでに俺の身長はダインさんを抜かしている。それだけの年月が、前回尋ねた時から経過していたのだった。
「シャルゼリーナ様はお元気で?」
「うん、今はテクラスでくらしてて、二才の子どもがいます」
「ほー! 立派なお母さんになったんですなあ。ところで、今日はどのようなご用で?」
「さっき、アイアンウルフのとうばつクエストをやってきたんですけど……」
「それはそれは!」
俺は刀を抜くと、ダインさんに見せる。
「こんなかんじに、はがボロボロになっちゃって……」
「ふむ……確かに荒れていますな」
この刀は、熱で一刀両断するタイプなので、発熱が足りない状態で硬いものを斬りつけなければ刃こぼれをすることは基本的にない。しかし一方で、斬った時に刃に触れて融けたものが、刃の先にこびりついてしまう、という欠点があった。
それを削ぎ落とすために、刀自身には『ウィンド』の魔法陣もついているのだが、不純物を全てを除去できるわけではない。
そのため、今回の報酬を使って手入れしてもらおう、と俺は考えたのだ。
実際、この刀を受け取った時にも、『定期的に手入れをしに来てほしい』と言われたしね。
「というわけで、手入れをおねがいします」
「かしこまりました! ところで、フォルゼリーナ様、これは提案なんですが」
「なに?」
「刀、大きくしませんか?」
「大きく?」
「ほら、フォルゼリーナ様、立派にご成長なさったでしょう? このまま使っていくのであれば、今のままでは短いと思うので」
「なるほど……」
確かに、この刀は当時四歳の俺の体に合わせて作ってもらったものなので、脇差程度のサイズしかない。これからも使用していくのであれば、まだまだ体は大きくなるだろうし、それを見据えて刀も大きくするのは合理的だ。
「じゃあ、おねがいします」
「かしこまりました!」
それから、俺はダインさんと話し合って、刀の詳細な寸法をその場で決めていく。
結局、材料や魔法陣などのオプションはそのまま、長さを今のおよそ二倍にすることになった。脇差から打刀へランクアップだ。
「ではお会計ですが……締めて七万セルいただきます」
「七……」
足りないじゃん! 一万五千セル程度で足りると思っていたのに……。
そういえば、この刀を作ってもらったとき、シャルも『こんなにするとは思わなかった』って言ってたな……。やはり貴重なヒヒイロカネを使うからだろうか。
「ちょ、ちょっとぎんこうから下ろしてくるから、まっててもらってもいいですか?」
「ええ、もちろんで」
俺はダッシュで銀行まで行くと、急いで足りない分を下ろして戻った。
「おまたせしました」
「はい、ちょうど! では、刀をお預かりします!」
俺はダインさんにお金を代金を払い、刀を渡した。
「完成したらお手紙を送りますぞ」
「わかりました。どのくらいかかる見こみですか?」
「そうですなぁ……。今、王都の方で流行り病が起きていますでしょう? そのせいで材料が手に入りにくくなっているので……最悪二、三月かかるかもしれません。申し訳ないです」
「いえいえ。……じゃあその分、いいものをおねがいします」
「もちろんで! このダイン、腕によりをかけて作りますぞ!」
刀が生まれ変わるのを楽しみに、俺はダインさんの店を後にして、今度こそ家路についたのだった。
※
「ただいま〜」
「フォル!」
家の玄関のドアを開けて中に入るなり、俺の名前を呼ぶ声と共に、早足でこちらに向かってくる足音。
そして、廊下の向こうから姿を現したルーナは、ほっとしたような、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「よかった……! 無事でいてくれて……!」
「……ママ?」
ルーナは俺をギュッとハグしてくる。その普通ではない様子に、俺は驚いてしばし動けなかった。
「帰りが遅かったけど、どこに行っていたの?」
「刀をしゅうりに出しにいっていたんだ」
「そうだったのね……今回のクエストで、たくさん怪我人が出て、死んじゃった人もいて、その中にフォルがいたらどうしようって……」
「…………」
「でも、無事で本当によかったわ」
「……ママは、わたしがクエストにさんかするのは、やっぱりいやなの?」
「……本当は、ハンターなんてやってほしくないわ。これ以上、大事な人を失ってしまうのには耐えられないから……」
だけどね、とルーナは続ける。
「フォルがクエストで必要とされるのも、わかってはいるのよ。フォルは、とても強い力を持っているから、それを皆のためにふるってほしい、と周りから要請されることを……」
『能力を持ったものは、それを正しく行使する責務がある』という言葉が頭の中に浮かんだ。
ルーナは公人として、そのことを痛いほどよく理解しているはずだ。だからこそ、個人的な感情の間で葛藤が起こっているのだろう。
「だからこそ、クエストに参加するときは、まず自分を大切にしてほしい。決して無理はしないでほしいの。フォルがいなくなったら悲しむ人が、少なくともここにいることは覚えてほしいわ」
「……うん」
「……さぁ、ご飯にしましょう。ジュリーちゃんも待っているから」