熊本では,ほぼ毎日のようにTSMCの工場新設に関するニュースが流れている.1月10日には熊本県知事を筆頭に県内経済団体訪問団がくまモンを連れて台湾を訪問していることを報じていた.目的はTSMC訪問と県産品トップセールスという.
TSMCとは台湾積体電路製造股份有限公司であり,世界初,最大の半導体受託製造企業である.また,世界で最も上場株式時価総額の高い半導体企業の一つとして知られている.設立は1978年(昭和53),新竹市の新竹サイエンスパークに本社を置く台湾最大級の企業である.
1978年といえば,4月に訪米した福田赳夫首相が日本の産業政策を批判され,貿易摩擦に繋がる発端となった年でもある.第一次日米半導体協定期間(1986-1991)の最中,1987年(昭和62)の4月17日,米国レーガン大統領は前年9月に締結された日米半導体協定違反を理由に,日本製のパソコンなど3品目に100%の報復関税を実施した.その後,第二次日米半導体協定(1991-1996)を経て,日本の半導体産業は低落の道を辿り,世界半導体市場で日本企業のシェアは,かつての50%から10%以下まで低下し,現在に至っている.
現岸田政権は,「デジタル田園都市国家」を実現するため,半導体の国内生産基盤強化を目指すという.TSMCとソニーグループなどによる熊本工場(JASM)建設はその一環であり,最大4760億円の補助金を出すことを決めるなど,国内工場への投資の後押しに着手した.
採用予定人数は,当初発表の1,500人から,製造能力の拡充により1,700人に増員された.うち300人を台湾TSMC,200人余りをソニーからの出向で賄い,残りの7割を新卒・中途採用,アウトソーシング等で採用する予定.
採用はJASMが行い,早期に採用された従業員は,工場稼働予定まで台湾のTSMC工場で技術研修が行われるとのこと.
装置搬入が始まる2023年9月頃には1,200人.操業開始予定の2024年末までには1,500人程度の人材が必要になると見られており,人材確保が難しいとの予想から,早めの募集開始とした.
採用計画に合わせた周辺整備が必要であることは言うまでもない.報道で取り上げられている主な問題点を以下に示す.
・人材不足(大学,高専,新課程の整備)
・関連企業工場用地不足(進出検討企業の多くが断念)
・地価高騰(菊陽町,全国一31.6%)
・交通(熊本駅ー大津ー空港,鉄道延伸)
・従業員宿舎
・台湾従業員子弟の教育機関
・地下水(世界的水不足)
技術者不足を補うため,急遽,大学,高専(九州一円),工業高校に半導体技術者の養成講座を開講し,熊大では学部並みの養成課程をつくり募集する.新工場の建設で周辺の地価が高騰,進出を検討している関連企業が近くに土地を確保できない状況である.熊本都市圏の交通渋滞は政令市ワーストと言われていることもあり,JR豊肥線を利用して空港と結ぶアクセスの改善が検討されている.
TSMC工場,空港,JR延伸概念図(熊本県HP掲載図)
新工場で実際に生産される半導体は,パソコンやスマホなどに使用される最先端の集積度を有するものではなく,自動車,家電品に使用される回路幅30ナノメートル(ナノは10億分の1)の半導体という.集積度に関しては台湾,韓国(サムスン)がはるかに先行していて,回路幅3ナノメートルまでの量産技術を持ち,次世代半導体(2ナノメートル)のレベルに近づいているというのに,日本企業の集積度は40ナノメートル程度にとどまり,「10年〜20年遅れている」といわれている.
一方,次世代半導体の国産化に向け,トヨタ自動車など,日本を代表する大手企業8社が新会社ラピダスを設立し,2027年に次世代半導体の生産開始をめざす.政府はこの新会社に700億円の補助金を出すことを決定した.ラピダスは,現時点でまだ量産化されていない2ナノメートル以下の次世代半導体の開発し,一気に巻き返すことを狙うという.
さらに,経産省は,次世代半導体の研究開発組織として「技術研究組合最先端半導体技術センター(LSTC)」を年内に設立し,産業技術総合研究所や東大,理化学研究所などが参画すると発表した.日米政府は,次世代半導体開発で2022年5月に「半導体協力基本原則」に合意しており,その日本側の拠点となるものだという.
次世代の半導体はスーパーコンピューターや,高度なAI(人工頭脳)や量子コンピューター次世代の高速通信6Gなど,大規模な演算能力を必要とする先端機器に不可欠であり,国際的に開発競争が激化しており.経済安全保障の観点でも,重要性が増している.
このように見てくると一見バラ色に見えるが,半導体業界では過去に,経産省主導の「日の丸連合」が失敗に終わった苦い経験がある.1999年に日立製作所とNECの半導体メモリー事業を統合し,その後「エルピーダメモリ」となったが,公的資金をつぎ込んだ末に2012年に経営破綻し,米半導体大手マイクロン・テクノロジーの傘下に入った.現政権のシナリオとして,官民一体で日の丸半導体を目指して失地回復を狙うようであるが,過去の失敗を繰り返さないか危惧している識者も多い.
2021年末における世界のICウェハ生産能力は,トップが韓国の23%.2位が台湾の21%,3位が中国の16%,4位が日本の15%,5位が米国の11%となったという.日米間の貿易摩擦は他国を利する結果をもたらした.当時の為政者は,今日の状況までは予想できなかっただろう.日本では,半導体は「産業の米」に例えられる.常日頃,歴史を学んでいれば,国産ワクチン不足,半導体不足などで苦しむことはなかったはずである.TSMCの工場誘致は,世界的な新型コロナ感染症の拡大,それに伴う産業の停滞によるものであり,降って湧いたような話と言っても過言ではない.新型コロナに背中を叩かれて気付いた結果が「新資本主義」,「田園都市国家構想」とは皮肉なことである.
工場が建設される熊本県としては,その投資効果の魅力に目がくらんで,対応に大わらわの感が強い.ちなみに,熊本県の可処分所得は全国39位であり,TSMCほか大手メーカーの集積により,地場企業の賃金水準が上がることを期待しているという.熊本人としては,貴重な地下水を大量(地下水の1日採取量は約1万2千立方メートル)に提供するわけであり,それなりの利益還元は当然のこと,過度に下手(したて)に出る必要はないと思うのは私一人だけでないはずである.
追記
この記事を書きながら大学在職中に情報処理関連で種々便宜を図ってもらった故雄城雅嘉氏(富士通研究所社長)のことを思い出した.家内の叔父であり,日米半導体騒動の最中に米国富士通に駐在していた.関連情報を提供して頂いたTokyoPeaksの鎌田紳二氏に感謝する.
追記(2023.1.21)
(2023.1.14)