お顔の話
メイクがすごく下手
自分の顔の分析がいまだに出来ていない
メイクさんが作ってくれる自分の顔を自分でなぞっている
なので基本、メイク用品はメイクさんと同じものを使っている。
作詞家として活動するようになったきっかけ
17歳の時に、「Way to Love」という楽曲で何気なく作詞してみたのがきっかけだと思う。
唐沢美帆自身からの発信だったと思う。
何気なく書いたラブソングが、誰かの人生に寄り添ったり、誰かの人生を変えてしまうような影響を与えられると知ってから、言葉を綴ったり書くという世界にのめりこんだため。
最初に作詞提供をしたのが、菅原紗由理さんの「サヨナラまた...。」だと思う。
たまたまプロデューサーが同じだった。
気負うことなく、ノビノビと書いたと思う。
他のアーティストさんに作詞を提供し始めたことで、魂を込めて書いた言葉に、もっともっと奥行きをくれる存在として他のアーティストさんを意識するようになった。
影響を受けた作詞家や歌手は?
この人、という人はもしかしたらいないのかもしれない。
アニソンへのアプローチとしては、ランティスの先輩方の作品は影響を受けていると思う。
ランティスのアーティストさんはこれまでのアニソンの歴史を築いて来た人が沢山いる。
身近な所で茅原実里さん。
憧れイコール影響を受けたと思う。
インプット作業
作詞家にとってかなり大切だと思う。
インプット作業として行っていること。
色々な本を読む。
色々な映画を観る。
人と話す。
自分が疑問に思ったことや、自分が感じたこと、良いこと悪いことを誰かに話すようにしている。
誰かと話すことで言葉は、自分自身が思っていた以上の広がりをみせる。
人を媒介にして、すごく色々なインスピレーションを受けたり、インプットする時間を設けるようにしている。
作詞家になりたてのころの葛藤
音楽の世界で生きていくという予感のようなものはずっとあった。
音楽に携わっていく中で自分に出来ることは何か?
どうしてもアニメの仕事がしたかった。
アニメの仕事に携わるのに一番の近道は何かと考えた結果、アニソンの歌詞を書くことだと思った。
そこから作詞家事務所をいくつかあたり、一番私がやりたい仕事が実現できるのではないかと思った今のスコップ・ミュージックに所属することを選んだ。
何かを始める時は、本当に怖いし葛藤もあるが、そこで背中を押してくれるのは人との出会いだと思う。
人と触れ合うことで感じる直感を信じて決めていくしかないと思う。
特に作詞家は正解がない仕事なので、自分自身を自分で信じてあげるしかない。
自分で何かの決断を下すときに、助けてくれる、背中を押してくれる環境を見つけるのが一番大切だと思う。
自分を信じるのは難しい。
自分のことを一番知っているので、自分を一番疑うのが自分だったりする。
実はすごく自信がなく、すごく慎重で臆病である。
私の音楽を聴いていると「凄く自信たっぷりな人なのではないか」と皆さん思うのではないか。
自分が今、身を置いている環境に本当に逐一助けられているので、すごく感謝している。
新たな一歩を踏み出すあなたにメッセージ
自分自身をもっとノビノビ表現できる場に、自分の実力を発揮できる場にたどり着くとよい