国産OSである

トロン計画は健在

17年前の平成15年正月,研究室ホームページに以下の意見を掲載した.トロンコンピュータが薬剤師の仕事まで変えてしまう可能性があるという内容である.

トロンコンピュータと薬剤師 H15.1

新春のNHK番組(2003/1/6)で東大の坂村 建教授が,トロンコンピュータがさらに進化したユビキタスコンピュータの話をしていた.

トロン計画とは

18年前(当時から遡って,1985年頃)、産学の研究チームが組織され、コンピューターの国産基本ソフト(OS)づくりが始まった.メーカーによって異なる機能や操作法を、標準仕様にして,だれもがなじめるようにして,電脳社会の土台を築く日本発の総合戦略だった。しかし,1989年、トロン(The Real-time Operating system Nucleus)は米通商代表部によって貿易障壁リストに名指しされた.「トロンの教育用パソコンを小中学校に配布するのは政府の市場介入」という米国の圧力で、日本政府は方針を変え、トロン計画は失速してしまった(朝日新聞).ところが,パソコンと違い,TRON仕様の著作権無料開放,すぐ起動できるなどのメリットが評価されて,家電品や携帯電話などに利用されるようになり,世界中にひろまった(パソコンの世界年間出荷数は1億5000万台.携帯は4億台、組み込みコンピューターは50億個と報道されている).

ユビキタスコンピュータはトロンを更に進めたものであり,数ミリ角のマイクロチップをいろいろなモノに組み込んで人間社会を便利にしようという話である.MPU(マイクロプロセッサー)と不揮発性メモリーとセキュリティー用暗号回路が入っており,電源はない.エネルギーは外部から電波で送り込む.読み取り装置は携帯電話で可能.「これがホクロくらいの大きさになり、一個100円ほどで作れるようになれば、いろいろ面白いことが出来る」と坂村教授は言っている .

その程度の話なら,いい話ではないかと言うことで終わるのであるが,これが薬剤師の仕事を奪うかもしれないということになるとただ事ではすまされないはずである.以前,ICカードが電子健康保険証に替わるかもしれない,それが実現すれば薬歴管理は必要なくなると紹介したことがあるが,ユビキタスコンピュータはそれどころではない.

実験例

○錠剤を余分に飲もうとすると警告する薬ビンのふた.

○処方どおりに飲まないと警告する薬袋.

○「二種類の薬の瓶を開けると、ふたにつけたコンピューターが作動。ネットに接続して飲み合わせが危険か調べて知らせる.

○薬瓶に組み込めば、同時に飲んではいけない瓶を近づけると自分の携帯に警告の電話が入る.

○生鮮食品につければ、いつだれが製造・加工したのか、賞味期限はいつか、ということもすぐにわかる。精肉に埋め込めば、途中で偽装工作もできない.

電子工学専攻の研究者が「薬の管理」に注目しているのは象徴的なことである.医療現場における投薬ミス,点滴ミス,有効期限切れ薬の投薬,患者取り違えなど例を挙げればきりがない.社会問題は応用研究のテーマになる上に,素人を納得させることができる.本来なら薬学人が発想すべきことである.

医薬品の管理や情報提供を職能の一つにしている薬剤師は,情報の収集にコンピュータを利用している.あふれる情報の取捨選択は薬剤師がやるべき仕事であるが,複雑でなければ,その意志決定過程をコンピュータにやらせることは可能である.医薬品情報の提供が義務化された際,市販のソフトを使ってコンピュータの出力結果をただ手渡すところも多いようである.コンピュータでは出来ない人間的な服薬指導が残された仕事のようであるが,時代の変化に即応した新しい職能開拓も必要ではないだろうか.

ーここまではH15に書いたブログー

幸い”というと当時のトロン開発関係者に叱られるが,世界最先端の電能社会構築計画が頓挫したため,医療のオンライン化をはじめとして薬剤師の仕事が劇的に変化することなく現在に至っている.言い換えると,現在門前薬局において患者が経験している形式的薬歴管理や服薬指導(お薬手帳と説明書)がずっと続いているということである.このような状況は,マイナンバーの普及が進み個人の医療情報が医療システム全体で共有することが可能になれば改善できるはずである.コロナ禍の中,待合室が狭くソーシャルディスタンスを確保できない門前薬局では対面による服薬指導どころではない.早急なIT化(ビデオ通話等を考慮した)が望まれる(私見).

このように言うと,トロンは消滅したような印象を与えるが,そうではない.

トロンはパソコン市場では市場参入はできなかったが,あらゆる家電製品自動車携帯電話(スマホではない)などに組み込まれたOSとして,着々と市場占有率を高めて世界標準になり,トロンなしでは車も家電も動かない社会になってしまっ.詳細は参考資料(TRON関連製品 - TRON PROJECT 30th Anniversary等)を見てほしい.

1980年代は「どこでもコンピューター」と呼ばれていたその基本となるアイデアを提唱した坂村健(東洋大学情報連携学部長)は,2017年3月に東京大学教授としての最終講義で「私が30年以上研究開発してきたIoTがようやくビジネスになる時代が来た私は時代を先取りしすぎていた」としみじみ述懐されたとのことである(読売新聞).

トロン計画が,佐藤栄作内閣の「国民総背番号制」,森喜朗内閣の「e-Japan戦略」等の政策提言と時代的に重なるのは偶然ではない.当時の為政者はトロンでいけると思ってトロンを教育用パソコンに採用しようとした.それが裏目に出て,政府は米国の圧力に屈し,PCの国産OS化は実現しなかった.その後,爆発的に普及したスマホのOS (Android, iOS) もすべて米国製のOSである.トロンはIoT分野で生き残るしかないのだろうか.少々悲観的になりながらよく調べてみると,パソコン本体は米国製OSで動いていても,外付けハードディスク,プリンタ.スキャナー等の周辺装置はトロンOSで動いているとのことである.

👉 2001年1月に当時の森喜朗内閣は「我が国が5年以内に世界最先端のIT国家となることを目指す」と「e-Japan戦略」を打ち揚げたものの,頓挫した経緯がある.さらに遡る半世紀前の1970年(昭和45年)第3次佐藤栄作内閣が「各省庁統一コード連絡研究連絡会議」を設置して省庁統一個人コードの研究を行い1975年(昭和50年)に「国民総背番号制」の導入を目指したが実現しなかった.👈 ブロブで紹介済

注)IoTは,「Internet of Things」の略で「モノのインターネット」と訳されている.身の回りのあらゆるモノに小さなコンピューターやセンサーを組み込みネットワークにつないで通信,制御することにより生活や仕事をより便利で豊かにする技術.「ユビキタス・コンピューティング(ラテン語であまねく存在するという意味)」と言っていた技術と同じ.

(2021.3.22)