ここではNo.72・795・796遺跡から出土した縄文時代中期~後期初頭の土器を紹介する。
参考: 小林達雄(編) 2008『総覧縄文土器』の各項(塚本師也「阿玉台式土器」、今福利恵「勝坂式土器」、細田勝「加曽利E式土器」、櫛原功一「曽利式土器」、中島庄一「称名寺式土器」)勝坂式土器は、縄文時代中期前半に、主に中部地方から関東地方西部に分布する。
勝坂式土器の分布
19号住居跡出土
19号住居跡出土
勝坂式の中でも古い段階の土器。
口縁部には重三角区画文をもつものが多く、波の頂部には後の段階で大形化する眼鏡状突起がつく。
ペン先状工具の連続刺突による三角押文が特徴。
56号住居跡出土
隆線の上に綾杉状や連続爪形文の刻みをつける。
半裁竹管を用いて平行な線をひく。
隆帯による区画内を幾何学的な模様で埋め尽くす「パネル文」と呼ばれる模様をもつ土器が盛行する。
323号住居跡出土
勝坂式の後半ごろには、突起や把手が大きくなり、底の形が屈折するものが一般的になる。
隆帯の上には新しく交互刺突が施されるものもある。
阿玉台式土器は、勝坂式と並行して、主に関東地方東部に分布する。
阿玉台式土器の分布
この時期には山形把手が主体となり、把手の頂部から垂れる隆線で三角区画文をつくる。
模様は隆帯と角押文などからなり、勝坂式に比べ簡素な印象。