常滑は土管の街だった。何も知らないと小さな食器や急須がメインの焼き物の町と誤解されかねないが、常滑はたぶん土管の町だった。土管製造は全国トップクラス。主に常滑より北の方に出荷されたとか。明治の頃から鉄道が各地で敷かれ始めたが、鉄道によって遮断される農地の水路の保全の為に土管が使われたそう。常滑の街を彩る土管の壁や道は全て「ペケ品」つまり不良品を再利用したもの。