「研究はしてみたいけれど、どんな研究をしたら良いのか良く分からない」と思っている人は、大勢いると思います。また、「その研究って、何が面白いの?」とか、「その研究に意義があるの?」と聞かれて、上手く答えられない人も大勢いると思います。研究と言われると、何かとても難しいことをしないといけないと思っているのが、その原因の1つかもしれません。でも、研究なんて言葉を気にしないでみると、どんな人でも興味や関心を持っていることは何かしらあるはずです。私は、自分がやりたいと思う研究には、自分の興味や関心が大きく関わっているし、そうあった方が良いと思っています。ですから、自分が持っている興味や関心は、とても大切だと考えます。
では、「自分が興味を持ったことには価値や意味が無い」と、何回か心の中でつぶやいてみてください。きっと、「そんなことないよなぁ」と思うと思います。でも、「自分が興味を持ったことには価値や意味が無い。だから何もすることがない」とつぶやいたら、「そうだな」とか「そうかもしれない」と変に納得してしまうのではないでしょうか。「自分が興味を持ったことには価値や意味が無い」だけだと「そうなの?」と感じるのに、そこに「だから何もすることがない」が付いてしまうと、「そうだな」という妙な納得がなぜか起こってしまいます。「自分が興味を持ったことには価値や意味が無い」という思いは、私達の「認識」です。だから、「そうかもしれない」とか「そうじゃないかもしれない」と思えます。しかし、「だから何もすることがない」という否定的な断定が付いてしまうと、自分の認識なんてものを一気に飛び越してしまい、どういうわけか無力感や敗北感が自分の中に現れます。まるで、「あなたは価値や意味がある研究が出来るの?」と強く言われているような気がしてしまいます。そうなると、「出来ません」という思いが現れて、その思いに自分が押さえつけられてしまうのです。
出来ないものは出来ないで仕方ありませんし、無理をする必要はありません。むしろ、急いで何かの問題に立ち向かおうとすると、「ちゃんと解決出来るの?」と言われそうな気がしてきます。それで、「無理だ」とか「だめだ」と思ってしまって諦めてしまいます。でも、そんなふうに急いでやろうとする前に、出来ることがあります。それは、その問題にのんびりと向き合って、「何か変なところはないかな?」とじっくりと考えることです。教科書や試験問題と違って、僕たちが立ち向かうほとんど全ての現実の問題には、「模範解答」なんてものはおそらくありません。さらに言えば、現実にはそもそも「これが問題です」と分かっていない場合もあります。ですから、問題を見つけること自体、大変なことです。問題を見つけ、それに対する解答を出すのは自分だけです。だから僕らに出来ることは、「この問題って、いったいなんなの?」だったり「何が問題なの?」と、まず問題そのものを調べたり考えたりすることです。すぐに何か思いつくかもしれませんし、思いつかないかもしれません。でも、すぐにそれらのことを思いつかなくても構いません。焦らずじっくり気長に考えれば良いのです。あるとき、「何か変だな」とか「ここが、なんだか面白そうだな」と思ったら、それは問題発見や解答につながるヒントです。それは、とても小さなヒントかもしれませんし、うまくいかないかもしれません。しかし、それは何とかなるかもしれないと、自分で気付いた瞬間です。
まずは、研究なんて言葉を気にしないで、無邪気に思わず面白いと感じるものを見つけたり、世間話でもするようなつもりで自分が興味を持っていることを整理したりしてみませんか? ものを考えるというのは、大抵は一人の作業です。しかし、それをずっとしていると、自分の頭の中だけで完結して、何かに乗り上げてしまい身動きが取れないような終わり方をしてしまうことになりかねません。ですから、少し考えがまとまったら、誰かと話をしてみます。話をしてみても、相手に自分の言いたいことが上手く伝わらないこともあります。そしたら、もう一度、自分で整理し直せばいいだけです。そして、自分一人で考えていて行き詰ってしまったときも、誰かと話をしてみます。自分一人ではどうにもならなくても、自分一人でなかったら「どうにかなる」方向へ動き出すかもしれません。そんなふうにして見つけて整理できたことは、「もうそれぐらいで十分だよ」と人に言われるぐらい、その面白さについて話せるようになっていると思います。それが、自分がやりたいと強く感じる研究を見つけるヒントです。