non-MD研究者の精神科留学記
ハーバード大学・UC Davis
東京都立大学 言語科学教室 橋本龍一郎
「精神科」(科学評論社)第39巻第3号(2021年9月発行)に掲載された原稿を一部修正したものです。
精神科医や脳研究者の読者を想定しているので、一般向けの説明のないまま専門的な表現や話題になってしまっている箇所が多いです。
はじめに
近年の精神疾患研究は、学際性を増している。特に精神疾患の生物学的側面の理解において、脳科学(神経科学)に寄せられる期待は高まっている。元来、精神疾患の解明には脳科学の進歩が不可欠のはずだが、現実には精神科の診断や治療といった臨床の実践において、脳科学の知見に直接的な答えやヒントを期待する機会は多くないかもしれない。しかし、最近では遺伝子、分子、脳回路など様々なレベルで脳科学が進歩し、多くの精神科MDが脳科学研究に関心を持つ一方、新たな研究テーマを求めて精神疾患研究を始めるPhDの脳科学者が増えるなど、両者の間がこれまでになく接近しているように思える。
筆者は、ニューロイメージング法、主にfMRIを使った認知脳科学を専門とするnon MDのPhD研究者である。学位を取得するまで、精神科を含む医学や臨床とは全く縁がない教育を受けた。その筆者が精神疾患の研究を始めるきっかけは、学位取得後の米国留学時代の経験による。今から15年以上前のことになるので、「海外留学の現代事情を伝える」という本特集の趣旨に沿うかは定かではないが、筆者の専門である精神疾患のニューロイメージング研究では、認知脳科学や情報工学をバックグランドに持つnon MDの研究者は年々増え、MDとPhDのコラボレーションはひと昔前に比べれば格段に進んだと思う。筆者が米国に留学した時代は、fMRIを使った精神疾患研究の黎明期といえる頃で、その時期にPhD研究者として過ごした精神科留学を語ることで、これから精神疾患を目指すPhD研究者の進路や海外留学の選択に何らかの参考になるかもしれない。また脳科学研究に従事するMD研究者にとっても、周囲のPhD研究者について理解が深まることにつながるのではないか。MDとPhDの協調が重要性を増す昨今、本稿が何らかの現代事情を反映するとしたら、そのような意味合いを汲み取っていただければ幸いである。
Harvard Medical School
筆者は2004年9月から2008年4月まで、故Robert McCarley博士が主宰する米国ボストン市のハーバード大学医学部の研究室に所属した。ここで筆者にとって初めて精神疾患研究に触れる経験をさせていただいたが、ボストンへの異動前は、同じく米国東海岸にあるメリーランド大学でMEGとfMRIを使った言語の研究をしていた。McCarleyグループは、構造MRI、DTI、fMRI、EEGなど、認知脳科学にも馴染みのある計測手法を先駆的に精神科領域に導入し、統合失調症の脳研究を多方面に展開していたグループである。統合失調症の病理と言語の異常には深い関係があること、また当時のMcCarleyグループの注目すべき成果として、外側側頭葉の形態異常を認めた一連の研究が知られているが、これらの異常部位は聴覚言語野と重複している。正直なところ、留学前は統合失調症という病気について真剣に考えたことはなかったが、fMRIと言語という自分の専門が直接生かせる研究テーマに思われたことと、McCarley先生はじめ、ラボが聴覚・言語機能を中心テーマの一つに据え、認知脳科学のアプローチを重視しているように感じられたことが、新しい分野に挑戦する後押しになった。
McCarleyグループには多くの日本人MD研究者が留学されており、有名なグループなので筆者が詳しく説明する必要はないかもしれない。筆者が在籍した頃は、Principal Investigator (PI)だけでも5-6名を束ねる大所帯のグループだった。non MDのPIも多くおり、各々がポスドクやResearch Assistant (RA)を雇用し、研究を半ば独立して推進する一方、大きなグラントの申請には協力し、研究参加者のプールを共有するなど、MDとPhDが協調して研究を進める様子に感銘を受けた。ただし連帯は強いとはいえ、実際にどのPIの下で研究するかによって、同じグループでも留学経験は多少異なる。構造MRI、DTI、EEGの研究はMcCarleyグループでは主力的な部門で、留学中に大きな成果を挙げられた日本人MDの先生は多い。これらの主力部門の様子については、留学体験記を残された先生も多いので、参照していただきたい。筆者は、Cynthia Wible博士がディレクターを務めるfMRI部門に所属した。
McCarleyグループのfMRI部門は、専属メンバーがPIのWible博士とポスドクの筆者、1−2名のRAだけで、あとは他のプロジェクトとエフォート率を分割して参加していた留学生のポスドクを加えた、こぢんまりとしたチームだった。小チームにはメリット・デミリットがあると思うが、前者でいえば、メンバーの関係が密になることである。日本からの留学となると、言葉や文化の違いもあり、特に大きなラボでは、ともすればコミュニケーション不足で孤立する事態に陥る心配もあるかもしれないが、Wible博士のチームではその心配はなく、全員がコアメンバーであり、一人でも欠けるとたちまちチームが機能不全になる瀬戸際感を経験できた。fMRIの撮像は、筆者とRAと留学生で撮像チームを構成し、筆者がMRIのオペレート、実験課題の説明や実験中の声かけはRAといった形で役割分担をしていた。米国の研究施設であればどこもそうだと思うが、MRIの使用時間枠を確保する競争は熾烈である。どうしても次の日までにテストスキャンをしなくてはいけない時などは、時間枠と時間枠の間に空くかもしれない20分程の隙間時間を狙ってRAと一緒に長時間MRI施設に張り込んだりもした。論文の成果と直接は関係ないが、米国でこのような現場のサイエンス以外の苦労を経験できたのは、今となっては貴重な財産と思っている。
筆者が従事した主なプロジェクトは、統合失調症の聴覚言語処理のfMRI研究と、同じく統合失調症のMRI多施設共同研究である。前者は、言語活動時の側頭葉の活動と精神病症状を調べた研究で、Wible博士が獲得した研究グラントで実施したグループ内部の研究である。一方、後者は、全米8施設から構成されるFBIRN(Function Bioimaging Research Network)とよばれるコンソーシアムで、共通の撮像プロトコル、fMRI用の心理課題を策定し、統合失調症の大規模MRIデータベースを構築するプロジェクトである。現在日本でも、国際脳プロジェクト等でMRIのマルチセンター研究が進行中であり、単一の研究施設のキャパシティを超えた大規模研究は、精神疾患のMRI分野でも世界的な流れの一つになりつつあるが、FBIRNはその先駆け的な試みであった。とはいえ、当時の筆者はその意義を十分理解していたとはいえず、筆者の上司も、FBIRNのようなコンソーシアム研究は、競争の厳しいハーバードで生き残るためにかかる重い税金のように考えていたようだった。実際、FBIRNが参画機関に要求する作業は、我々の小さなチームの遂行能力を超えていたこともあった。
マルチセンターMRI研究の難しさは、施設ごとに特徴が異なるMRIデータをどのように統合するかである。同一の対象物を、同一の撮像プロトコル、パラメータを使用して撮像しても、例えばSimens社とGE社製のスキャナーでは得られる画像が異なる。施設ごとのデータのバイアスを定量的に補正することをdata harmonizationと呼ぶが、MRIの多施設研究が進む現在では重要な研究テーマである。近年ではComBat法などの統計モデルが考案されているが、FBIRNでは、MRI物理の専門家がcalibrationチームを構成して、この問題に対応していた。一つの方策として、各施設で同一の撮像条件で同一の被験者のデータを取得し、施設ごとのバイアスを評価するアプローチがある。この方法は、被験者のグループが順番に各施設を撮像のために訪問していくため、Traveling Phantomと呼ばれる。現在の日本の国際脳でも同様の手法が使われているが、FBIRNではすでにこの手法が採用され、15-20名ほどの被験者が全米の施設をTraveling Phantomとして巡回していた。またFBIRNでは、参画する施設のデータのQuality Control (QC)は極めて厳格だった。週に1度は所定の方法で撮像をおこない、様々なQC指標をチェックすることが求められた。あいにく筆者らの施設のスキャナーは、当時動作が不安定だったのか、このQCにひっかかりまくり、結果をアップロードすると、30分も経たないうちに全米に散らばる常時オンラインのcalibrationチームから「異常なので原因を調べるために明日中にこの撮像条件で結果をアップロードすべし」や「早くメンテナンスのサービスを呼ぶべし」など矢継ぎ早にメールの集中砲火を受け、メールボックスを開けるのが恐怖だった時期もあった。FBIRNは大きなコンソーシアム研究であり、筆者はその末端の仕事をしたにすぎないが、最近重要性を増している多施設研究の現場での苦労を早くに経験できた価値は大きかったと思う。
UC Davis Center for Mind and Brain
ボストンには3年半余り在籍したが、自分のfMRI研究のデータを取得した時点で、次の就職先を探し始めた。上司のグラントも継続しており、ボストンの街や職場の環境にもすっかり慣れて生活の居心地は良かったが、自分の研究のために必要な実験協力者とMRIマシンタイムの確保には相当苦労した。自分が去った後の小さなfMRIチームはどうなるだろうとの若干の後ろめたさを感じつつも、研究者として論文を出していくには環境を変えなくてはならないと決意した。ポスドクの公募情報をみて5~6機関に申請しただろうか。何のツテもアテもない申請だったので、多くは書類審査で落ちたが、カナダの研究所とUC DavisのCenter for Mind and Brain (CMB)からは受け入れの返事をもらった。後者を選んだ理由は、後述するように科学的なモチベーションもあったが、しばらく北米東海岸の日照時間が短い冬の厳しさに耐えていた筆者にとって、カリフォルニアの太陽が実際以上に眩しく見えたことも理由の一つだったように思う。
UC Davisには2008年5月に異動し、帰国する2009年12月までの1年半余り、Susan Rivera博士が主宰するNeurocognitive Development Labに所属した。ここでは、脆弱X症候群とその関連疾患群のイメージング研究に従事することになった。脆弱X症候群という遺伝性の精神発達障害について、筆者は全く予備知識がなかったが、当時の精神疾患のイメージング分野では、セロトニントランスポーター遺伝子の多型と扁桃体の活動の関係が報告されるなど、遺伝子と脳画像を組み合わせたImaging Geneticsが注目を集めており、統合失調症はじめ精神疾患と遺伝子について耳学問する機会があった筆者にとっては、非常に魅力あるテーマに思えた。
Davis市はカリフォルニア州の州都サクラメント市から高速道路を使って30分ほどの小さな町で、住民の多くはUC Davisの関係者である。町は非常に整備され、治安も良好、快適に研究に打ち込める典型的な大学都市である。UC Davisの脳科学研究は、筆者が所属したCMBに加えて、いくつかの研究センターがあり、特にこの分野の研究に力を入れているようだった。CMBは、注意の研究で有名なRon Mangun博士がディレクターを務め、その下に20ほど研究室がある。UC Davisの他の脳科学関係の研究所と比べて、認知脳科学と児童発達心理学の研究室が多いのが特徴である。CMBと、神経生物学のカラーの強いCenter for Neuroscience、さらに医学・臨床研究を専門とするMIND研究所の3つのセンターが連携して、発達障害の脳科学研究を牽引していた。
脆弱X症候群とその関連疾患について、少し説明したい。脆弱X症候群は、FMR1遺伝子の5’プロモーター領域にある3塩基CGGの繰り返し配列が200以上に伸長し、FMR1がエンコードするFMRPと呼ばれる蛋白質が欠乏することによって生じる精神遅滞症である。ただし、FMR1に関わる疾患は脆弱X症候群だけではない。前述の繰り返し配列が200以上の伸長を完全変異と呼ぶが、55から200までの範囲は前変異と呼ばれる。前変異キャリアの中枢神経系に関する表現型は長らく不明だったが、中年期以降の男性の前変異キャリアにおいて、運動失調・振戦といった運動障害や認知障害などを特徴とする脆弱X随伴振戦・失調症候群(FXTAS: fragile X-related tremor and ataxia syndrome)と呼ばれる神経変性疾患を好発することが明らかになった。つまり、FMR1に関連して、神経発達障害と中年期以降の神経変性疾患という全く異なる臨床表現型が現れることになる。UC Davisは、脆弱X症候群含め、前変異を含むFMR1遺伝子に関連した疾患の世界的な研究センターであり、特に前変異、FXTASの研究では、ほとんど UC Davisの独断場だった。FXTASを初めて報告したHagerman博士夫妻が脆弱X症候群と関連疾患群の大型研究グラントを獲得し、筆者はそのMRI研究の推進要員として雇用されることになった。
Davisでの筆者の主な業務は、脆弱X症候群と前変異キャリアの新規fMRI研究を始動させること、他はグラントを獲得する前にRivera研究室で撮りためて長らく塩漬けにされていたFXTAS患者と前変異キャリアのfMRIやDTIデータを解析することだった。これらのデータは、1.5テスラのMRI装置で取得された古いデータだったが、ボストンでデータ取得に苦労した筆者にとって、既存のデータを使って論文が書けるとは、大変ありがたい話だった。とはいうものの、やはり事は簡単には運ばない。例えば、DTI研究は、当時まだFXTAS患者と前変異キャリアの論文は報告されておらず、世界初の研究になるのではと、喜んでデータを見たところ、脳の画像が頭の下半分しかない。最初は何かの間違いかと思ったが、どのデータを見てもそうである。事情を聞くと、昔のDavisのMRIスキャナーでは、撮像枚数に制約があり、小脳を含めた頭の下半分しか撮像しなかったそうだ。これまで誰も手をつけなかったデータには、それなりの理由があるのである。とはいえ、頭の下半分のデータでも、仕上げれば世界初のFXTASのDTI研究という価値はあるだろう。当時の筆者にDTIデータの解析経験はなかったが、いきなりやや変則的なデータの処理に取り組むことになった。
UC Davisでポスドク研究員として働くなかで、一つ印象に残った経験を紹介したい。筆者が雇用されたグラントは、研究だけでなく、ミッションの一つに「ポスドク研究員の教育」を掲げていた。毎週金曜日の午前中だったと思うが、グラントで雇用された15人程のポスドクを相手に、研究センターの著名な神経科学者や発達障害の臨床家が講義をしてくれる。アメリカでは人にお金をかけると聞いてはいたが、ポスドクとして給料をもらいながら講義を受けられるとは、日本の大学院で授業料を払いながら「授業よりも作業優先」と教えられ、単位はほとんど集中講義で卒業した筆者にはまるで別世界の経験だった。講義の中には、ADOSと呼ばれる自閉症研究では有名な行動観察評価法に関する講義もあった。著者は帰国後、昭和大学で自閉症のMRI研究を始めるのだが、当時は自分の将来の進路を知る由もなく、ほとんど聞き流してしまったことを今では後悔している。神経生物学の講義は特に面白く、MIND研究所の自閉症研究で有名なDavid Amaral博士も、毎回ポスドクに混じってこの授業に参加していた。彼のような高い地位にある研究者でも、毎週3時間ほども講義の聴講に時間を充てるゆとりがあることが、米国の脳科学研究が活力を保っている理由なのだろうか。
結局、UC Davisには1年8ヶ月しか在籍しなかったが、FMR1前変異・FXTASに関する研究では、初の報告になるfMRI、DTI、VBMの論文を仕上げることができた。筆者はMRI関係の作業に関わっただけであるが、患者ごとにCGGの繰り返し数やFMRPなど、遺伝子・分子情報が整理されており、論文化の作業は非常に効率的に進んだ。短期しか滞在しないポスドク研究員に貴重なデータを扱う機会を与えてくれたことに感謝したい。
精神科留学を経験して思うこと
本稿に含めなかったもう1つの留学先(米国メリーランド大学)を含め、純粋にPhDのグループと、MDが主宰するグループ(ハーバード大)、PhDがMDと共同して臨床研究を行うグループ(UC Davis)と、それぞれ性格が違うラボに所属し、国内では得難い貴重な経験をさせていただいた。日本国内のラボがそうであるように、米国のラボも特徴やスタイルが様々であるのは言うまでもない。しかし、米国に留学するにあたって、気に留めるべき共通点もあるように思える。この点について、最後に少し考えてみたい。
まず、1つは留学目的とラボのマッチングである。留学目的は人によって様々と思うが、論文の成果を全く期待しない人は少ないだろう。この点、留学の期間が問題になる。研究員としての留学期間は、筆者の周囲をみるかぎり、2年前後のケースが多いと思われる。精神疾患のニューロイメージング研究の場合、渡米してから研究計画、実験準備、データ収集と解析といった全ての作業を留学中に終えるのは、本人の能力と努力以外にも多くの要因に恵まれる必要があるだろう。もちろん、論文の成果にならなくても、留学先で新しい技術の習得やデータ収集を含め現場で地道な作業に時間と労力を使うことは、筆者自身も経験したし、内容によっては論文以上の意義がある。限られた留学期間では、自分なりの目標を定め、バランスと優先順位をよく考える必要があるように思う。論文業績が最優先なら、ラボにすでにデータがあり、留学生にも使用させてくれる環境が一番である。現在では、Open resourceのMRIデータは増えているので、ひと昔前よりも留学先の選択肢は多いのではないだろうか。
もう1点は、日本とは大きく異なるシステムとして、RA(リサーチアシスタント)の制度がある。米国の学生は医学部や大学院に進学する際、学部卒業後そのまま進学するのではなく、研究経験を積むためにフルタイムのRAとして1−2年間研究室に雇用されることが多い。彼らは、PI、ポスドク、大学院生などラボの構成員のなかでも、最も年少であるが、ラボの研究の質と量を左右する重要な戦力である。留学生の研究員も、彼らと良好な関係を築くことは非常に重要である。筆者の経験では、ラボによって規模は違うが、5-10名のRAが勤務していた。なかには、非常に才能豊かな人材に出会うこともある。筆者は、RAの巡り合わせに恵まれ、特に渡米して間もない頃は、本当によくRAに助けられた。能力だけでなく、人格的にも優れた人もいて、彼らと一緒に仕事をしていると、一体どちらが年長者だろうかと恥ずかしくなることも多々あった。RAとして出会った人で、当時の筆者には信じられないほど優秀にみえ、実際に後に大きな業績を挙げ、今では世界的にも有名なPIになっている人も何人かいる。そうした研究者の駆け出しの時代に出会えたことも、筆者にとっては留学時代の収穫である。
以上、筆者の留学経験について、研究面を中心に述べさせていただいたが、留学先の選択には、生活の安全性や娯楽など、研究以外の要因も総合的に考える必要があるだろう。筆者が滞在したBostonやDavisは、その点についても申し分のない環境である。こうした生活環境について、本稿では詳しく述べる余裕はなかったが、著者よりも魅力的に紹介している留学記は他にも多いと思う。最後に、今後、MD、non MDを含む多くの研究者が海外で研究経験を積み、多様な視点と経験から、精神科研究が進展することを願いたい。