天白区の南に広がる相生山緑地は、防空緑地(空襲の際の避難場所や延焼を防ぐための緑地)として都市計画決定された過去がある。昭和15年、名古屋では防空法の施行に伴い、防空や市民の保健休養を目的として「緑地」が都市計画に追加され、市域の外周部に環状的に 5 つの緑地が配置される事となった。それが庄内緑地 、小幡緑地、牧野ヶ池緑地、相生山緑地、大高緑地だった。戦後防空法は廃止されたが、無秩序な市街地化を防止し自然環境や景観を保存するという思想は現在まで継承されている。当緑地の歴史や植生は相生山緑地オアシスの森くらぶ発行の『オアシスの森ガイドブック』、名古屋市発行の『相生山緑地ビジョン』に詳しい。
当緑地は標高10~60mの3つの台地と2つの谷筋から成り立っており、6か所の入口がある。この日は管理室で地図をもらう事ができた。2025年5月5日撮影。
道は明瞭だが緑地内は分岐が多く、同じような景色が続く。面積も広いため、事前の下調べと地図の携帯をお勧めする。この日は史蹟を多く見逃してしまった。2025年5月5日撮影。
梅林の小径。2025年5月5日撮影。
2025年5月5日撮影。
「爆弾穴」への標識。爆弾穴は第二次世界大戦時の戦争遺跡で、焼夷弾着弾の跡。当緑地に計11か所存在する。昭和19年12月13日、三菱重工業名古屋発動機製作所大幸工場(現在のバンテリンドーム)への空襲で、名古屋市では300人以上が死亡した。この際天白区大字野並境根や、戸笠池、緑区鳴海町の地内にも多くの焼夷弾が落下した。また、5月17日には名古屋市南部に来襲したB-29爆撃機 457機により焼夷弾3,609tが投下され、天白町大字島田字菅田(現在の天白区菅田かと思われる。当緑地北部)では民家数軒の全焼などの被害が記録されている。2025年5月5日撮影。
爆弾穴の一つ。写真ではわかりづらいが大きな凹地となっている。2025年5月5日撮影。
見晴らしの丘。標高46.9mで、オアシスの森の尾根筋の最高地点。蜂の羽音に怯えながら通過する。2025年5月5日撮影。
ズミの花。見晴らしの丘は日当たりが良く、季節によって様々な花や実に彩られる。2025年5月5日撮影。
雑木林の向こうに竹林が見える。オアシスの森では雑木林の荒廃を防ぐため、竹林の手入れを定期的に行っている。2025年5月5日撮影。
木の枝が並べられており道標かと思ったが、下りきった先は行き止まりになっていた。急勾配を登り返す。2025年5月5日撮影。
トンボ池は名古屋市が穴を掘り、相生山オアシスの森くらぶによって作られたトンボと野鳥のための池。水源は雨水のため、水枯れの心配があるという。2025年5月5日撮影。
トンボ池の近くにある古い筒状のもの。井戸のように見えるが、トンボ池の水枯れについて現地看板に「井戸を掘るなど対策をしなければ」という旨の記載があるので、井戸ではないかもしれない。2025年5月5日撮影。
一際大きな樹とベンチ。2025年5月5日撮影
炭焼き小屋。相生山では除伐した竹を使って炭を作っている
。2025年5月5日撮影。
2025年5月5日撮影。
2025年5月5日撮影。
2025年5月5日撮影。
参考文献
公益財団法人なごやまちづくり公社『名古屋都市計画公園緑地等の歴史(戦後~昭和 44 年)』2025年7月20日閲覧
名古屋市ホームページ『相生山緑地 オアシスの森ご案内』2025年7月20日閲覧
相生山緑地オアシスの森くらぶ『オアシスの森ガイドブック』2025年7月20日閲覧
相生山緑地オアシスの森くらぶ・天白土木事務所 現地看板
名古屋市『相生山緑地ビジョン』2025年7月20日閲覧
総務省『名古屋市における戦災の状況』2025年7月20日閲覧