鳴海駅の北側。まだわずかに瓦礫が残っている。2022年10月20日撮影。
2022年10月20日撮影。
瓦礫が撤去され、砂利が敷かれた。時々この場所に屋台が出ている。みどり市民病院の移転計画を進めており、2030年に完成する予定。2025年1月3日撮影。
鳴海駅の北側にある看板。2025年1月3日撮影。
鳴海駅のバスターミナルにある史跡散策の看板。ここでは鳴海駅周辺を紹介。2025年1月3日撮影。
浅間橋から西の風景。2025年1月3日撮影。
浅間橋から東の風景。2025年1月3日撮影。
相生橋。橋を渡ったところに移転した本川浅間社がある。2025年1月3日撮影。
本川浅間社。2025年1月3日撮影。
高札場跡。復元高札場は写真奥、三菱UFJ銀行鳴海支店の前。高札は民衆に周知する目的があるため、人の多い場所に掲げられる。昔は高札場のある辻を「札の辻」と呼んだ。「辻」とは十字路や往来の多い道を意味する。この高札場跡は十字路にある。2025年1月3日撮影。
復元高札場。2025年1月3日撮影。
天神社のあたりから鳴海駅の方を見下ろす。2025年1月3日撮影。
天神社は鳴海城の跡だが、成海神社の跡でもある。鳴海城を築く際、成海神社は乙子山に移された。2025年1月3日撮影。
天神社②。2025年1月3日撮影。
天神社③。2025年1月3日撮影。
天神社④。2025年1月3日撮影。
この道がクランク状に曲がっている場所を曲尺之手(かねのて)といい、道を曲げる事で敵が攻めにくいよう工事をしたもの。
写真の「菊屋茂富」は安政4年から続く和菓子屋。相原町28。2025年1月3日撮影。
曲尺之手(かねのて)②。2025年1月3日撮影。
鳴海城跡公園。名称からわかる通り、天神社とともに鳴海城の史跡。富士型の遊具がある。2025年1月3日撮影。
雷社。天神社前の坂を上ったところにある。稲妻の語源にあるように、昔は雷が多いと豊作となるため雷の落ちた場所に雷神を祀る事があった。周囲より標高の高い場所にあるので雷もよく落ちたのだろうと思われる。2025年1月3日撮影。
写真中央にある小高い場所が矢切の丘。雷貝塚の跡として鳴海小学校の敷地内に保存されている。雷貝塚は諸輪名古屋線を超えてカトリック鳴海教会のあたりにまで広がっており、当時はその主要部分が字雷にあったため、雷貝塚と命名された。字雷の字地も現在より広かった。雷貝塚は鳴海の原始を知る上で重要な役割を果たした。2025年1月3日撮影。