新海池の歴史は古く、1634年(寛永11年)に溜池として造られたもの。翌年には鴻ノ巣の琵琶ヶ池ができた。池の名前は鳴海村の簓摺、「新海五平治」の名に因む。2025年1月18日撮影。
新海池は鳴海村の水利として重要な地位を占めた。旧名は真池。2025年1月18日撮影。
2025年1月18日撮影。
現在新海池には多くの野鳥がいる。写真はオオバン。2025年1月18日撮影。
現地には野鳥のガイドがある。ちなみにカワセミは時々扇川でも見られる。2025年1月18日撮影。
水鳥のつがい達。2025年1月18日撮影。
2025年1月18日撮影。
新海池公園は丘陵地の地形が残されているのも特徴。小高い丘の上から池を見降ろすことができる。2025年1月18日撮影。
2025年1月18日撮影。
公園の一部は雑木林になっている。ちなみに写真左側は散策可能なエリア。
2025年1月18日撮影。
↑の写真の左側の雑木林。2025年1月18日撮影。
←の画像の奥の、大きな根を持つ木。画像ではわかりにくいが……。2025年1月18日撮影。
長根台消防団の火の見櫓は昭和29年に建てられたもの。新海池の東北に位置する。緑区に現存する火の見櫓2基の内の1基。2025年1月18日撮影。
傳治山秋葉講。熱田の円通寺から勧請した伝治山地区の秋葉社。平成2年に新海池の東北に移された。2025年1月18日撮影。
公園内から見た秋葉講と火の見櫓の位置関係。2025年1月18日撮影。
傳治山秋葉講に「力石(ちからいし)」というものが置かれている。力石とは力比べや力試しに使われた石で、かつては村ごとに大小様々な力石が置かれいた。江戸時代~昭和初期頃まで日本各地で力石を用いた競技が行われていたが、次第に人々から忘れられていき、今やその殆どが行方不明になってしまった。市町村によっては有形文化財に指定されている歴史的価値のあるもの。この秋葉講の力石も特に案内も無くぽつんと置かれているので(最初に訪れた際は気が付かなかった)、多くの力石と同じくどこかへ行ってしまわないか心配だ。重さは80kgあるそう。2025年1月25日撮影。
大塚古墳への細い道。一度通り過ぎてしまった。2025年1月18日撮影。
道は大塚古墳のみに続いている。2025年1月18日撮影。
大塚古墳。被葬者は伝わっていないが、鳴海の統治者であった伊福部氏を葬ったものという説がある。赤塚と共に7世紀頃造られたものであると推測されている。2025年1月18日撮影。
赤塚古墳。新海池は古代の鳴海の中心的な集落であったと考えられる。
2025年1月18日撮影。