善照寺砦(現在は善照寺砦公園となっている)は永禄2年に鳴海城を包囲するために信長が築いた砦。この地にあった善照寺は桶狭間合戦で焼失したと言われており、寺院の跡に砦が築かれたという説があるが、榊原邦彦氏は著書『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』にてこれを否定している。
同書で根拠として挙げられているのは下記の5点。
⑴「圓龍寺の由来」に「永禄三年桶狭間合戦にて惜しくも焼失」とある。※善照寺は移転後円隆寺(圓龍寺)と名称を改めている。
⑵旧字に「善照寺後取り手」があり、寺と砦は別地。
⑶字砦の西端に墓場と寺があって、砦があったのは字砦の東端である。
⑷鳴海村の村絵図には西方に「善照寺」、東方に「取手」と記されており、別の字名。
⑸『尾張旧廻記』に「砦跡より西の方に善照寺と云字アリ」と記されている。
①の善照寺の焼失時期については『日本歴史地名大系』によると、1558年~1570年の永禄年中とされており、現在でも詳しい時期はわかっていない。一方、砦については永禄2年に築かれたと名古屋市のホームページに明記されている。