脳科学と音楽とか・文学とか・・
田中昌司
上智大学・理工学部・情報理工学科
2023年3月
田中昌司
上智大学・理工学部・情報理工学科
2023年3月
コロナ社
コロナ社
生体の科学
日本演劇学会
海岸線に打ち上げられているごみのことを考えました。半ば目を閉じ、この場所こそ、子供の頃から失いつづけてきたすべてのものの打ち上げられる場所、と想像しました。いま、そこに立っています。待っていると、やがて地平線に小さな人の姿が現れ、徐々に大きくなり、トミーになりました。トミーは手を振り、わたしに呼びかけました……。空想はそれ以上進みませんでした。わたしが進むことを禁じました。顔には涙が流れていましたが、わたしは自制し、泣きじゃくりはしませんでした。
(カズオ・イシグロ:わたしを離さないで)
上の文章を読むとシーンが浮かびます。視覚的なシーンが浮かぶだけではなくて、感情も湧いてきます。「わたし」がどのような気持ちを抱いているのかということも考えるはずです。このような複合的な心のはたらきを可能にしている脳内ネットワークを明らかにしたい、というのが現在でも取り組んでいる在職中最後の研究テーマです。
音楽や、最近は演劇や文学の脳科学も研究していますが、どれも同じ問題に導かれるのです。音楽を聴いている時も小説を読んでいる時もメンタルシーンを描きます。常に視覚的であるとは限らないし、意識的でもなく、またほとんど言語化できないようなものです。演劇は目の前の舞台と役者の演技から観客はメンタルシーンを構築して楽しみますが、必ずしも観ている舞台のシーンと同じではありません(文献1)。日常の会話でもメンタルシーンが介在し、コミュニケーションを助け(または邪魔し)ます。思考のベースとしても働きます。私たちは「脳内劇場」を持っていて、それを使って考え行動し、コミュニケーションしているようです。それが何なのかということにいつも関心が向かうのです。
脳内劇場が脳のどこにあるのかということに関しては、どこかに集約されている「デカルト劇場」のようなものがあるというのではありません(文献2)。脳は分散処理系なので、脳内劇場の事を知るためには脳のネットワーク研究が必要になります。脳のネットワーク研究が進めば、機能やメカニズムも理解できるようになるだろうと考えています。おいおい説明していきますが、先を急がず、もうひとつ体験してみてください。いちばんわかりやすいのは戯曲です。宮沢章夫さんの『月の教室』の「1.開演前」の冒頭部分から引用します(文献3)。簡単なト書きとわずかな台詞だけでメンタルシーンが創られます。
舞台上には椅子が二つ。それからテーブル。
開場前からずっと演劇部員の直美が、椅子のひとつに腰をおろし台本を読んでいる。
まだ客席も明るいというのに、照美が登場して舞台中央に。
照美:こんにちは。あれ、木村先輩ですか?
直美:ちがーう。きょうはわたし。
照美:きょう、幸奈先輩、来ますかね、最近、十二場やってないじゃないですか。
直美:あと一週間だもんね。でもきょう、スリッパないよ。
照美:じゃあ来るんですかね?
直美:来るんじゃない。
もうこれだけで脳内演劇が始まりますよね。究極的には、昨年亡くなった世界的な演出家ピーター・ブルックが述べているように(文献4)、イマジネーションを最大限に活用した演劇の姿があります。心の眼で見るのです。
どこでもいい、なにもない空間――それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる――演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ。
脳科学で観る演劇の「もう一つの舞台」 (田中昌司)演劇学論集 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjstr/74/0/74_21/_article/-char/ja
解明される意識(ダニエル・デネット)青土社
月の教室(宮沢章夫)白水社
何もない空間(ピーター・ブルック)晶文社
脳のネットワーク研究が盛んになったのは21世紀に入ってからです(文献1)。それまでは機能局在論に基づいた活動部位の特定が主流でした。視覚野、聴覚野、運動野、言語野などの名称はそこから来ています。多くの研究が単純なタスクを用いて実験を行っていたため、機能局在論は支持されやすく、長きにわたって脳科学の基本原理のような地位を保ちました。ところが意識の流れなどは、脳の特定の部位との対応がつかめません。複数の部位が活動します。それぞれの活動部位はこれまでに機能局在論で研究されてきた部位であり、高次機能のための部位ではありません。
20世紀の終盤に協同現象論が注目され、私も研究室の学生と一緒に勉強していました(文献2)。脳の高次機能も複数の脳部位の協調によって創られるという考え方は魅力的です。脳のネットワーク研究はこのアイデアを検証する機会を与えてくれます。
半ばセレンディピティのような発見として捉えられていますが、何もしていないように思える時に活動している脳内ネットワークが特定され、デフォルトモード・ネットワーク(default mode network)と名づけられました。2001年の論文です(文献3)。何もしていないというのは、この文章を読むとか、人の話を聞くとか、数学の問題を解くとかしていないということです。その時脳は休んでいるのかというと、そうではありません。散歩している時やお風呂でお湯につかっている時などを考えるとわかるように、半ば無意識的にいろいろ考えたりしています。今世紀に入ってこのネットワークの研究が進むにつれて、そのような脳のはたらきがとても重要なことであることがわかってきました。
「意識の流れ」または「自由連想」という脳のはたらきです。心理学で提唱された概念ですが、ジェイムズ・ジョイスやヴァージニア・ウルフなどの文学作品に使われている手法として知られています。日本では川端文学が有名ですが、実際は多くの作家が使っています。主観の世界です。私は脳科学と芸術の接点という位置づけで、ネットワーク論的な視点で研究してきました。
このネットワークはとても興味深く、講義でも毎年取り上げる重要なトピックスの一つになりました。講義を一生懸命聴いている時はデフォルトモード・ネットワークは活動が抑制されています。デフォルトモード・ネットワークを活性化するのは他のことを考えたりしていて先生の声が聞こえなくなっている時なので、教室で考え事をしている学生のデフォルトモード・ネットワークがむしろ働いていて・・・講義内容を理解しているのかいないのか・・・
ある年の脳科学の期末試験で、学生にデフォルトモード・ネットワークの機能を理解してもらうために、旅に出ることが心にどのような作用があるかを脳科学的に考察せよという問題を出しました。採点していたら、びっしりと短篇小説のように書かれた答案がありました。ほんの一部を改変して紹介しますと・・・
私は中学生の時から付き合っていた彼氏と先週別れました。今は悲しみのどん底にいます。試験勉強している最中でも、彼との思い出がひとつ、またひとつと浮かんできて、とても辛いです。(中略)この試験が終わったら、旅に出ようと思っています。行先はわかりません。旅から戻った時に私の気持ちがどのように変わっているかは、いま想像することはできませんが、デフォルトモード・ネットワークは・・・
脳のネットワーク(オラフ・スポーンズ)みすず書房 (2020/4/3)
協同現象の数理:物理、生物、化学的系における自律形成 (H・ハーケン) 東海大学出版部 (1980/4/1)
Raichle, M. E., MacLeod, A. M., Snyder, A. Z., Powers, W. J., Gusnard, D. A., & Shulman, G. L. (2001). A default mode of brain function. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 98(2), 676–682. https://doi.org/10.1073/pnas.98.2.676
暖色で示した部位から構成されるのがデフォルトモード・ネットワークである。寒色系は中央執行ネットワークである。両者の時間的変化を比較するとデフォルトモード・ネットワークの特徴がわかりやすい。下図に示すように、活動度の平均値を0として、一方が活動度を上げると他方の活動度が下がる。両者が同時に活動度を上げることは通常ない。何かに集中する事とぼーっとする事は両立しないからだ。二つのネットワークを頻繁にスイッチングしていることがわかる。活動時間をトータルすると、それぞれが起きている時間の約半分ずつになっているという調査結果がある。
fMRI 信号はボクセル毎の時系列データである。各ボクセルは(私たちの実験の場合)2 mm 角の立方体なので、一回のスキャンで数十万の時系列データが得られる。これを BOLD 信号という。そのすべてのペアの相関から機能的ネットワークを推定する。デノイジングや時間・空間補正から機能的結合度まですべての計算を終えるのに、今の高性能パソコンで数日かかる。
時間分解能が高い脳波や脳磁図(サンプリング周波数:100 – 1000 Hz)では信号間の位相差も考慮して、周波数領域で計算する複素コヒーレンス等を用いて機能的結合度を推定する。その場合は虚部の値から、信号の流れを推定する際の根拠となる機能的結合の方向性を知ることも可能になる。実部はノイズの影響を受けやすいので、捨てることが多い。
音楽家や音大生と音楽の話をしていると、演奏時に心に描くイメージのことがよく話題になります。どのようなイメージを描くかによって演奏が全然違ってくるそうです。どういうイメージなのか尋ねるのですが言語化が難しいらしく、納得できる答えが返ってきません。音楽なので視覚ベースとは限らず、聴覚イメージが優位かもしれません。論文を検索しても見つかりません。そもそも実演奏時の脳活動データを取ることはとてもハードルが高く、うまい方法が見つかりません。
そこで考え出したのが「イメージ演奏」課題です。活躍中の音楽家や高いレベルで演奏できる音大生の方々に、MRI 装置の中でイメージで演奏していただくという課題です。1セッションの時間は6分40秒(フィリップス製 3T MRI で設定した値。ジーメンス製 MRI は同じ 3T でもスキャンの仕方が工夫されていて5分に短縮できるが、私はシンプルなフィリップス製の方に愛着がある・・・どうでもいい話か)。騒音の中、閉眼で不動を保っていただき、頭の中ではリアルなコンサートでの演奏をしていただきました。楽譜なしで演奏していただくために、自分の得意なレパートリーの中から曲目を選んでいただきました。音楽実験には適さない不自然な状態での実験ですが、イメージ演奏自体は普段からよくされているため、実際の演奏時の時と類似の脳内情報処理が行われたと考えています。感想を訊くと、イメージだから実際よりうまく演奏できたという人もいたほどでした。
このような実験は世界的にもほとんど行われていないので、新しい発見がいくつもありました。近著にわかりやすくまとめましたので、興味がある人はぜひご覧ください。またこれらの出版を機に、コロナ社で脳科学関連書籍特集が組まれました。そちらも併せてどうぞ。
音楽する脳と身体(田中・伊藤)コロナ社 https://www.coronasha.co.jp/np/isbn/9784339078268/
音大生・音楽家のための脳科学入門講義(田中)コロナ社 https://www.coronasha.co.jp/np/isbn/9784339078251/
脳科学関連書籍特集(コロナ社)https://www.coronasha.co.jp/np/article/31/
イメージ演奏時の脳内ネットワーク
音大生や音楽家の人たちに MRI の中で不動の状態でイメージ演奏をしていただいた。
捕捉運動野(SMA)の機能的ネットワークを視覚化したもの。捕捉運動野は運動プランニングを司る部位であることが知られている。この場合は演奏プランニングである。可視化されたネットワークは、演奏の脳内シミュレーションのネットワークと考えてよい。
閉眼で実験を行っているにもかかわらず、多くの視覚関連野(図の右の方にある多数の丸)と捕捉運動野が情報のやり取りを盛んに行っていることを示していて、この結果は大変興味深い。
声楽家の歌う声に魅了されていた私は、音楽家の脳を研究するなら声楽家をと思ったのですが、いくつかの理由から器楽奏者から始めていたので、声楽家の研究にたどり着いたときは、それはもう感動的でした。
ハイライトはオペラを使った実験です。声楽家の方たちにレパートリーの中からアリアを選んでいただいて行いました。それぞれ選ぶものが違うので、この実験をしていた時期は、私はたくさんのオペラの対訳本を読み、それぞれの楽譜に目を通し、YouTube で聴き比べをすることに忙しかったです。この高揚感が伝わりますでしょうか?
研究室で脳波計をつけて実際に歌っていただく実験では、通常の(本番のような)歌い方以外にも、あえて感情を込めないで歌っていただいたり、過度に込めて歌っていただいたりと、複数の条件で行いました。間近で声楽家の歌を聴いて声のパワーに圧倒されながら脳波データを取りました。ひとつのアリアの中で感情が高ぶるところは脳波パワーも増加します。楽譜と照合して印をつけていきます。詳細な分析のために作曲家の方に楽曲分析をしていただいたこともあります。「第四人称的視点」を持つことの必要性も感じました。
余談ですが、過度に感情をこめて歌うセッションでは、感極まって泣いてしまい、歌えなくなってしまったことがありました。こちらの要望に応えようと一生懸命歌ってくださっている姿に胸が熱くなったものです。
感動的な実験の後、冷静なデータ解析と結果の分析を経て、論文としても他に例のない最新の実験結果を報告することができました(文献1,2,3)。実験の目的は、声楽家がオペラでアリアを歌う時に、どのようなメンタルシーンを創るかということを知ることでした。メンタルシーンはアリアの内容に即したものだと思います。それが、単なるシーンではなくて、言語、ミラーニューロン、社会的認知、感情、報酬など多様な情報をリンクして統合したものであることを私たちの解析結果は示しました。その中で一番強かったのは報酬系でした。MRI 装置の中でも歌っていた時に喜びを感じていたということは、被験者である声楽家の方が言ってました。またミラーニューロンに関しては、メンタルシーンが身体性を帯びていることを示唆していて、脳科学的にも興味深いです。次に説明します。
田中昌司、伊藤康宏:音楽する脳と身体. コロナ社 2022 https://www.coronasha.co.jp/np/isbn/9784339078268/
Tanaka, S., & Kirino, E. (2021). The Precuneus Contributes to Embodied Scene Construction for Singing in an Opera. Frontiers in Human Neuroscience, 15, 602. https://doi.org/10.3389/fnhum.2021.737742
藤田彩歌, 田中昌司 (2019) アリア歌唱中の脳波―感情表現との関連および歌唱指導への応用可能性. 上野学園教育研究紀要, 3, 4–13. https://www.uenogakuen.ac.jp/junior_college/news/2019/3_6.html
Dynamic reconfiguration といって、一般に脳の機能的ネットワークは情報処理の内容によってダイナミックに変化する。この場合も同様である。左図はメンタルイメージの処理に関わる楔前部との機能的結合強度がイメージ演奏時に有意に変化する部位を示している。
イメージ演奏は高いレベルの集中度が要求されるタスクのため、この解析で浮かび上がる機能的ネットワークは実際の演奏時のものに近いと考えられる。違うとすれば、運動出力の有無。
田中研究室で行った声楽家の演奏時脳波計測実験と順天堂大学で行った fMRI 実験の様子
脳波計は32電極ワイヤレス(オーストリア製)
左の写真は東京藝大大学院の声楽専攻生(当時)
それ以外は桐朋学園大学大学院の声楽専攻生(当時)。彼女が大好きなオペラ『椿姫』の鑑賞時の脳波を計測しているところ。
右下は順天堂大学病院での被験者の脳画像との2ショット写真。この例でも分かるように、声楽家は脳が左右対称で整っていて、とても美しい形態の人が多い。
ミラーニューロンの発見は20世紀の終わり頃に起きた、まさにセレンディピティです(文献1)。神経科学の世界では20世紀最大の発見だと言われています。下図にエッセンスを説明しました。実験休憩中の猿の脳で偶然発見されたものですが(実験者が机上の食べ物に手を伸ばした時に、それを見ていた猿の運動前野ニューロンが盛んにパルスを出していた)、同様のシステムは人間にもあることが確かめられています。そりゃあるでしょう。
人間のミラーニューロン・システムは本当におもしろくて、いくらでも話ができます。学生にもわかりやすいらしく、研究室でも修論や卒論でよく取り上げています。非言語であることや、共感にもつながる神経メカニズムとして、芸術の分野でも知られています。
私はミラーニューロン活動を脳波で検出しました(文献2)。オペラの舞台経験がある声楽家の方たちに研究室に来ていただいて、アリアを歌っていただいたり、他の歌手の方が歌っている同じシーンのビデオを観ていただいたりした時の脳波を解析したものです。前頭・頭頂の中心近くの電極のアルファ波が減衰することがミラーニューロン活動の指標です(3つ下の図)。
ところでミラーニューロンの発見はイタリアのパルマ大学(1502年創立) で、ジャコモ・リゾラッティを中心とする神経生理学者のチームによってなされました。パルマは近くにヴェルディ生誕の地があり、ヴェルディの生誕月にあたる10月には『ヴェルディ・フェスティバル』が開催されるという、オペラが盛んな街です。ここで発見されたことが偶然とは思えないような、オペラファンにとってはうれしいエピソードです。
ミラーニューロンの発見(マルコ・イアコボーニ)ハヤカワ・ノンフィクション文庫 2011
Tanaka S. (2021). Mirror Neuron Activity During Audiovisual Appreciation of Opera Performance. Frontiers in psychology, 11, 563031. https://doi.org/10.3389/fpsyg.2020.563031
ミラーニューロン・システム
言語を介さなくても、身体表現によって伝わるものがある。他者のアクションを見ると、そのアクションを駆動する自分の脳部位またはネットワークが活性化されるため、直接感じることができる。言語より速く、ダイレクトに伝わる。これによって、他者のアクションの意図がわかる。
私たちの日常のコミュニケーションに欠かせない脳機能である。オンライン会議や、対面でもマスクをしていると伝わりにくいなど、コロナ禍で多くの人がその重要性を認識したことだろう。
脳波計測によるミラーニューロン活動の検出
B図:ミラーニューロン活動はオペラ歌手が演技し歌う姿を見た時のみに起きることを示している。
視聴覚鑑賞時のみアルファ周波数帯のパワーが減少している(ミラーニューロン活動の指標)。聴覚鑑賞時(リスニング)では減少しない。安静時には逆に増加する(リラックスしている)。
椿姫(ヴェルディ)第一幕・第五景
パーティーが終わって一人になったヴィオレッタは、アルフレードの誠意のこもった愛の言葉を思い出し、真実の愛に目覚めた自分を見出します。出だしは
E strano! ... e strano! ... in core
Scolpiti ho quegli accenti!
おかしいわ! おかしいわ! 心の中に
刻み込まれている、あの方の言葉が!
15世紀の絵画にミラーニューロン・システムのはたらきが描かれていた!
【問題】どこにどのように描かれているかわかりますか?
演劇の人たちもミラーニューロンのはたらきについては経験的によく知っていた。ミラーニューロンの発見者は「なんだ今頃気がついたのか」と言われたそうである。
デフォルトモード・ネットワークは時間・空間を自由に移動できるのみならず、自己と他者の間の視点移動もできます。脳の活動部位もそれに応じて移動します。自己と他者は脳の内側面に表現されますが、自己は内側前頭前野が活動するのに対して、他者は内側面の後部にある楔前部(けつぜんぶ、precuneus)が活動します。演劇やドラマなどでは俳優は通常他者を演じるので、内側面後部をよく使うはずです(図1)。このことは最近研究室で行った脳波計測実験で確認できました(図2)。俳優の方に来ていただいて、『ロミオとジュリエット』のバルコニーのシーンの台詞を演じながら言っていただいた時の脳波を解析したものです。
自己と他者の脳活動の違いを fMRI で捉えた研究もあります(図3)。ただし、こちらは演劇ではなくて、たとえばジュリエットになって質問に答えるという課題を使っています(文献1)。それに対して私の研究室の脳波計測実験は実際に演じていただいた時のものです。上智大生にも同じ課題をしてもらい脳波を計測しましたが、活動部位は一人ひとり違っていて、後部内側面の人はいませんでした。各個人の脳の使い方がそのまま表れた感じです。それに対して、俳優の活動パターン(後部内側面の脳波パワーの増加)は、台詞を暗記して感情をこめて言う時に見られるものです。その出現は演劇トレーニングの有無によって異なります。昨年度の日本演劇学会で発表しました。
演劇に関しては私には特別な思いがあります。戯曲を読むのが好きで、シェイクスピアは全集を読みました。作品は私の授業でもたびたび登場しています。私の人生初の劇作・演出が小六の時だったので(クラスメートの作文が得意な女の子に手伝ってもらって書き上げたのですが)、演劇を観たり戯曲を読んだりすると身体がとろけそうになります。子供の頃の夢が蘇るというのは本当ですね・・・おや、学生が手を挙げています。はい、どうぞ。
先生、私も好きな小説を読んでいる時に似たような感覚を味わうことがあります。
ありますよね。そういえば、最近読んだ島口大樹さんの小説『遠い指先が触れて』(群像2022年6月号)に、自己と他者の境が溶けてなくなる感覚が文学的に表現されていて驚きました。
私も読みました。一人称で書かれているのですが、途中で彼と私であるのが、僕はとか僕らは彼女のとか、目まぐるしく視点が変わるところがあって、しびれました。島口さんはちょうど一年前の群像にも作品を発表されていて、『鳥がぼくらは祈り、』ですが、もうタイトルから素晴らしいです。
島口さんはセンスが良いですね。『遠い指先が触れて』の最初の方の、「忘れていた出来事が、意識が認知できる域に滲んできて、更にこちらに手繰り寄せようとするけれど、それは恣意的にどうこうできるものではなく、僕が経験しているはずの記憶は僕とは違う原理で、原理すらなく、脳内を世界を漂い、そしてふと僕を掠める」など秀逸な表現が何か所にも見られます。
記憶の特徴をよく捉えていますよね。むしろ脳科学の論文では書けない表現ではないですか。
そうですね。他にもミラーニューロン活動のことを示すような文学表現があって興味深いです。
島口さんは国立大の経営学部の卒業なので、脳科学を知っているというより、彼自身の感受性なんだと思います。
大江健三郎さんやカズオ・イシグロさんの小説を読んでいても、本当に脳科学的だなと思います。同じところに向かっているような気がします。そう認識するようになったら、以前は退屈だと思っていた作品が俄然おもしろくなり理解できるようになりました。村上春樹さんのもそうです。ノスタルジックで、とてもわかりやすい、エピソード記憶です。
あの、小説が脳科学的である必要性はあるのですか?
ないでしょうね。たとえば昨年の小説現代に掲載された凪良ゆうさんの『汝、星のごとく』を読んで感動しました。凪良さんの作品はどれも別の次元の魅力があります。どの小説も、戯曲も、深層では脳科学的真実を探求しているはずですが、作家によって志向性や表現の仕方が違うので、表面上違ってみえるだけかもしれません。
新しい小説が本当にたくさん書かれていますね。今は小説の世界が活気があると作家の中村文則さんもおっしゃってました(「人生に、文学を」オープン講座 in 上智大学)。
確かに現代作家の人たちの作品はテーマも表現も多様性を増していて、おもしろいものが多いです。時代的な要因も大きいと思います。今はまだ脳科学の方が文学からたくさんの刺激を受けることの方が多いですが、文学の方も脳科学の進歩に伴ってさらに変化していくのでしょう 。
英国在住の作家のブレイディみかこさんが2020年の「文學界」にエッセイを連載されていて、ミラーニューロンの解説をされていたので、文学や芸術の世界にも徐々に浸透しつつある気がします。
おもしろいことになってきましたね。
前頭極はオーケストラの指揮者のような働きをする。正中線を黄色で示した。図の左下にある脳の赤色を付けた部位が内側面後部の楔前部である。
三つの条件で台詞を読んでもらった。演劇のように台詞を言う時に内側面(正中線)後部のパワーが高くなる。
ロミオかジュリエットになりきって質問に答える課題をしている時の fMRI による活動部位の特定。他者になっているときは疑似一人称である。
心の痛みと身体の痛みは脳内では区別がありません。心や身体が痛む時に活性化する脳部位もわかってきました。痛みは辛いですが、痛みを全く感じなかったら生きていくことはできません。私の講義でも重要なトピックスのひとつでした。近著(音楽する脳と身体)にも分かりやすい解説を書いていますが、私の好きな箇所なので紹介します。森絵都さんの短編小説『太陽』(小説トリッパー 2020年夏季号)のストーリーが面白いです。主人公は奥歯が痛みだして歯科医に診てもらいましたが、奥歯にはなんの問題も見つかりませんでした・・・
「でも痛いんです」
「わかります。理由がないと言われても,痛いものは痛い。その痛みに嘘はないでしょう。ご本人にとっては耐えがたい実体を伴った痛みであるはずです。私はそれを,代替ペイン,と呼んでいます。(中略)つまり,こういうことです。加原さんの中で実際に痛んでいるのは,歯ではなくて別の部分です。歯はその身代わりとして痛みを引き受けているのです」
「別の部分?」
「端的に申し上げれば,心です」
(中略)
頭の整理がつかないまま,私は力なく診察室を後にし,受付で会計を済ませた。
「お好きなときに服用してください」
薬は効かないはずなのに,受付嬢はなぜだか内服薬の袋を差し出した。
「好きなときに?」
「ほんの気持ちです,風間先生からの」
悪戯っぽい笑みの意味を知ったのは,表へ出てからだ。内服薬の袋をのぞくと,そこには,小さくて茶色くて四角い影が三つ。キャラメルだ。
痛み(pain)を感じているときに活性化する脳内ネットワークがあります。セイリエンス・ネットワーク(salience network)といいます。この小説の話を裏づけるように,このネットワークは体の痛みにも心の痛みにも反応します。セイリエンス・ネットワークは大脳の島(とう)皮質(insular cortex)と内側面の前部帯状回(anterior cingulate gyrus)からなります(下図)。慢性的な痛みを抱えている患者の脳を調べた研究でも,このネットワークの過度な活性化が認められています。
例えば他者がナイフで手を切りそうになるビデオを見ると,見ている人の脳のセイリエンス・ネットワークが活性化します。まただれかが無視される,あるいは不当な扱いを受けるところなどを見る場合にも心が痛みますが,そのとき同様の活性化が起きています(文献1)。活性化の度合いはその人との人間関係にも依存します。もちろん自分自身のことでも起きます。
先ほどの『太陽』の話では,特別に大切にしていた黄色い豆皿を割ってしまって,ショックで捨てられなくて,流しに置いたままになっていました。心の痛みの原因を探るための診察(心の探検)を重ねて,2 人はついに真犯人を突きとめました。
「でも……でも所詮,豆皿は豆皿ですよ。しつこいようですけど,世界は今ひどい状況で,前代未聞の危機に瀕していて……。(中略)こんなときに,豆皿一枚で,私は……」
「こんなときだからこそじゃないですか。(中略)こんなときだからこそ,あなたはいつも以上にその豆皿を必要としていたはずです。そんな折に太陽を失った。その打撃は計りしれません。それだけあなたがそのお皿を大切にしていたってことです。僕は素敵だと思います。素敵な犯人です」
素敵な犯人。すべてを肯定してくれるその一語に,肩からふっと力が抜けた。私を縛っていた何かがほつれる。滞っていた感情が流れ出す。
「風間先生。私,豆皿のことで悲しんでもいいんですか」
「もちろんです。悲しんでください。思う存分,どっぷりと。その代替ペインが消えるまで,心の痛みをつくしてください」
「十分に悲しめば,痛みは消えますか」
「消えます。もうすでに消え始めているはずです」
「あ……」
Rotge, J. Y., Lemogne, C., Hinfray, S., Huguet, P., Grynszpan, O., Tartour, E., George, N., & Fossati, P. (2015). A meta-analysis of the anterior cingulate contribution to social pain. Social Cognitive and Affective Neuroscience, 10(1), 19–27. https://doi.org/10.1093/scan/nsu110
セイリエンス・ネットワークとデフォルトモード・ネットワークと中央執行ネットワーク
図はそれぞれのネットワークのノードを示している。ノードがつながったものがネットワークである。少しわかりにくいが、セイリエンス・ネットワークは内側面の前部帯状回(anterior cingulate gyrus)と左右の島皮質(insular cortex)の前部(AINS)がコアである。
音楽は痛みを和らげる効果があることはだれもが経験的に知っています。痛みを感じているときはセイリエンス・ネットワークが活性化しますが、このネットワークはデフォルトモード・ネットワークに抑制をかけてしまうのです。私たちは音楽にはデフォルトモード・ネットワークの抑制を開放する(あるいは弱める)効果があるのではないかと考えました。
この仮説の検証を目的とした実験を順天堂大学との共同研究で行いました(文献1)。線維筋痛症の患者21 名にモーツァルトの『ヴァイオリンとヴィオラの為の二重奏曲 ト長調 K.423』(1783 年)の全楽章を聴いてもらいます(静かな部屋で,あらかじめ購入した音源と高品質ヘッドホンを用いました)。その前後に痛みの計測データとfMRI データを取り,機能的結合解析を行いました。結果はセイリエンス・ネットワークとデフォルトモード・ネットワークの間の抑制性の機能的結合が弱くなっていたことを示していました。音楽を聴くことで二つのネットワーク間の機能的結合が弱くなれば,デフォルトモード・ネットワークが抑制から解放されやすくなります。この曲を聴く前後の痛みの緩和と機能的結合の変化はいずれも統計学的有意差がありました。この研究によって,音楽によって痛みが和らぐメカニズムにはデフォルトモード・ネットワークが関わっていることがわかりました。
>先生、先ほど聞いた、失恋したときに旅に出るという話を思い出しました。心の痛みにも効くんですね。目から鱗が落ちて、すっきりした感じがします。
痛みは危険を回避して生命を守るための重要な働きをしています。体にも心にも痛みはないほうがよいと思うかもしれませんが,痛みを感じることができないと私たちは生きていくことができません。体の痛みだけではありません。心の痛みも同様です。もし心の痛みをまったく感じない(感じられない)人がいたとしたら,日々の生活のなかでどのようなことが起きるでしょうか。殺伐とした光景を見ることになるかもしれませんね。他者の心の痛みを理解できることは大切です。それと同じくらい,自分の心の痛みに気づくことも重要です。
興味深い論文があります(文献2)。スイスの研究グループの論文ですが,39 人の未熟児をランダムに二つのグループに分けて,20 人に音楽を聴かせました。起きているときに8 分間の音楽を週に5 日のペースで聴かせて,後の19 人には環境音を聞かせました。最後にfMRI 撮像を行い両グループの脳内ネットワークの比較をしたものです。解析の結果,環境音を聞かせたグループと比べて, 音楽を聴かせたグループのセイリエンス・ネットワークと聴覚野,感覚運動野,上前頭回との機能的結合が統計学的有意差をもって強くなっていたことを見出しました。実験終了時には満期出産の新生児のレベルに近づいていたとのことです。脳が未熟なこの段階においても,適切な感覚刺激によって脳の発達が促されることを示した貴重な研究論文です。
もしセイリエンス・ネットワークがうまく働かないと,それが音楽無感症(musical anhedonia)の原因になり得ることが研究で示唆されています。音楽無感症とは,音楽を聴いても審美的楽しみや感情を感じないことが特徴の症状です。セイリエンス・ネットワークの主要ノードである島皮質は多重感覚の統合部位として,外部からの感覚情報と身体内部の情報の統合を行っています。音楽無感症の人の脳は聴覚野からの情報が島皮質に届きにくくなり,身体内部の情報との統合ができなくなる結果,音楽に感動しないと考えられています。ということは,音楽の審美性に敏感な音楽家は,喜びとともに心の痛みも人一倍感じながら生きていく運命にあるということでしょうか・・・
Usui C, Kirino E, Tanaka S, Inami R, Nishioka K, Hatta K, Nakajima T, Nishioka K, Inoue R. Music Intervention Reduces Persistent Fibromyalgia Pain and Alters Functional Connectivity Between the Insula and Default Mode Network. Pain Med. 2020 Aug 1;21(8):1546-1552. https://doi.org/10.1093/pm/pnaa071
Lordier, L., Meskaldji, D.-E., Grouiller, F., Pittet, M. P., Vollenweider, A., Vasung, L., Borradori-Tolsa, C., Lazeyras, F., Grandjean, D., van de Ville, D., & Hüppi, P. S. (2019). Music in premature infants enhances high-level cognitive brain networks. Proceedings of the National Academy of Sciences, 116(24), 201817536. https://doi.org/10.1073/pnas.1817536116
W. A. Mozart Duo KV 423
Laura Marzadori violino e Simonide Braconi viola
痛みの軽減にもデフォルトモード・ネットワークが関与することを見出した実験に用いた楽曲です。ほとんどの人が聴いて心地良く感じる曲だろうと考えて選びました。いかがですか? もしあなたが今痛みを感じているとしたら(心の痛みでも身体の痛みでも)、和らぐかどうか試すチャンスです。
音楽家や音大生の方たちと話していると、たしかにセイリエンス・ネットワークが活性化しやすそうな脳だと感じることがあります。しかし音楽家の脳の特徴はそれだけではありません。ピアノを3歳頃から習い始めて音大生になってプロのピアニストを目指しているような人は、脳の成長期にずっとピアノの練習を行って大人になっているので、脳が適応的に変化しています。音大生と一般大生(上智大生)の脳を比較する実験を始めたころは半信半疑でしたが、思った以上に多くの違いが認められ、むしろ驚いています(文献1)。
最初に調べたのは脳の局所体積です。脳全体の大きさは音大生と上智大生で有意差がありませんが、局所的に大きくなっているところが多数認められました(図1)。上智大生にも音楽サークルに属するなどして音楽活動をしている学生もかなりいます。そこで学校の授業以外にほとんど音楽活動をしていないグループと分けて、二つのグループと音大生の計3グループで局所体積を比較したのが図2です。音楽活動をしている上智大生のグループはいつも中間の値になっていました(図2)。
大脳皮質のこれらの領野はすべて音大生の方が大きかったのですが、大脳基底核の線条体など音大生の方が有意に小さくなっている部位が見つかりました。おやっと思う結果ですが、実はスイスの研究グループによる2010年の論文で、バレエダンサーのこの部位がそうでない人と比べて小さいという研究結果が報告されていました(文献1)。そしてこの結果に興味を抱いたアメリカの研究者がピアニストの脳を調べて、やはり同じ結果を得たことを2014年の論文で報告しています(文献2)。私たちの結果は3報目になります(文献3)。音大生というのは桐朋学園大学音楽学部の学生達で、専攻はピアノ、ヴァイオリン、管楽器、声楽の順に多くてまちまちでした。独立に行った研究3件が同じ結果を出したことになります。種別に関わらず、長期トレーニングによって小さくなる部位があるという結論が導かれます。実はこの部位は「手続き記憶」が蓄えられる部位です。この後に説明します。
次にデフォルトモード・ネットワークのところで説明した手法を用いて、機能的ネットワークに違いがあるかどうかを調べました。何もしていない時(安静時)でも音大生と一般大生の機能的ネットワークには違いがあります。たとえばセイリエンス・ネットワークにも関係するのですが、「メンタルイメージを演奏に反映させるパス」が音大生は有意に強化されています(図3)(文献4)。日頃のトレーニングの結果だと考えられます。その他にもたくさんわかってきましたが、長くなるので割愛します。興味がある方は日本語で書いた解説論文をご覧ください(文献5)。
演奏時の機能的ネットワークに違いがあるかどうかも調べました。これはすでに説明しています(イメージ演奏)。
音大生の方が小さくなっている部位があるのは驚きですね。では逆に大脳皮質ではあちこちで大きくなっていたのはなぜなのですか?
音楽トレーニングは脳のアソシエーション(連想)機能を高めるからだと考えられます。音大生や音楽家の脳は皮質領野のネットワークが強くなっています。ある程度独立に情報処理を行っている領野間がつながっていることも確認しています。共感覚の持ち主が音楽家に多いのもそのためだと思います。
なるほど。それと視覚芸術ではどうなのかということも気になりますが、調べられていますか?
はい。デフォルトモード・ネットワークに違いが見られるという論文が出ています(文献7)。他にも多数ありますが、パーキンソン病患者に絵画を見せるアートセラピーが行われていることに注目しています(文献8)。今順天堂で先ほど話した音楽を聞かせて痛みを和らげる実験の第二弾をパーキンソン病患者に対して行っているところだからです。機能的ネットワークに興味深い変化が出ています。
音大生・音楽家のための脳科学入門講(田中)コロナ社 https://www.coronasha.co.jp/np/isbn/9784339078251/
Hänggi, J., Koeneke, S., Bezzola, L., & Jäncke, L. (2010). Structural neuroplasticity in the sensorimotor network of professional female ballet dancers. Human Brain Mapping, 31(8), 1196–1206. https://doi.org/10.1002/hbm.20928
James, C. E., Oechslin, M. S., van de Ville, D., Hauert, C. A., Descloux, C., & Lazeyras, F. (2014). Musical training intensity yields opposite effects on grey matter density in cognitive versus sensorimotor networks. Brain Structure and Function, 219(1), 353–366. https://doi.org/10.1007/s00429-013-0504-z
Sato, K., Kirino, E., & Tanaka, S. (2015). A Voxel-Based Morphometry Study of the Brain of University Students Majoring in Music and Nonmusic Disciplines. Behavioural Neurology, 2015, 274919 (9p). https://doi.org/10.1155/2015/274919
Tanaka, S., & Kirino, E. (2016). Functional Connectivity of the Precuneus in Female University Students with Long-Term Musical Training. Frontiers in Human Neuroscience, 10, 328 (7p). https://doi.org/10.3389/fnhum.2016.00328
田中昌司. (2019). 音楽家の脳を視る(特集 科学と芸術の接点). 生体の科学 70巻6号 (2019年12月), 70(6), 495–499. https://www.researchgate.net/publication/342302926_yinlejianonaowoshiruteji_kexuetoyunshunojiedian
Bolwerk, A., Mack-Andrick, J., Lang, F. R., Dörfler, A., & Maihöfner, C. (2014). How art changes your brain: Differential effects of visual art production and cognitive art evaluation on functional brain connectivity. PLoS ONE, 9(7), e101035. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0101035
Cucca, A., di Rocco, A., Acosta, I., Beheshti, M., Berberian, M., Bertisch, H. C., Droby, A., Ettinger, T., Hudson, T. E., Inglese, M., Jung, Y. J., Mania, D. F., Quartarone, A., Rizzo, J. R., Sharma, K., Feigin, A., Biagioni, M. C., & Ghilardi, M. F. (2021). Art therapy for Parkinson’s disease. Parkinsonism and Related Disorders, 84. https://doi.org/10.1016/j.parkreldis.2021.01.013
図1.脳の局所体積:音大生が一般大生より優位に大きかった部位
後頭葉の高次視覚野がいくつも検出された。音楽のトレーニングで視覚が発達するのだろう。右半球の下前頭回も違いが顕著だ。左半球であればブローカ野とよばれる発話に関する言語野だが、音楽は右半球を使っていることがわかる。
図2.音楽活動をしていない一般大生、音楽活動をしている一般大生、音大生の脳の局所体積の比較
三つのグループのそれぞれの平均値は、どこも同じ順で変化している。音大生の平均値が一番高いが、唯一の例外がある(左下の尾状核)
図3.音大生の機能的ネットワークの特徴の一つ
イメージを創る部位の機能的ネットワークを一般大生のものと比較したら、図の黄色の部位の結合が音大生の方が有意に強かった。
この部位はメンタルイメージと運動制御のインターフェイスになっているようだ。
音楽家の脳で重要な意味を持つものとして手続き記憶系に特徴があることがわかりました。手続き記憶は、自転車の乗り方や楽器の演奏のように、身体で覚える記憶です。脳の手続き記憶系は、大脳皮質ー>大脳基底核ー>視床ー>大脳皮質というループ回路を形成しています。手続き学習をしている時は、この回路を流れる信号の微調整をしていきます。
先ほど、このループ回路の重要なノードである大脳基底核の線条体の局所体積が、一般大生と比べて音大生の方が有意に小さくなっていることを述べました。長期のトレーニングによって演奏スキルが獲得された結果だと考えられます。スキルの獲得によって小さくなった理由として「無駄な神経結合が省かれたからだ」という仮説を立てました。この仮説を検証するためには、機能的ネットワークを調べる必要があります。上述の局所体積は MRI データを解析して得られるのですが、私たちのチームは fMRI データも同時に取っていたので、線条体の機能的ネットワークを解析したところ、予想通り桐朋生のネットワークは上智大生と比べてシュリンクしていました(図3)。
大脳皮質のネットワークとはまるで違うんですね。
そうですね。何度もコンサートに通って桐朋生の演奏を聴いて来ましたが、本当に素晴らしい演奏をします。小さいときからずっと厳しいレッスンに耐えてきた人たちの演奏を聴きながら、いつか知りたいと思っていた高い演奏スキルの謎がひとつ解けた、と言うのは過言ですね。私はこの結果を見たときに、盆栽が浮かびました(笑)
図1.手続き学習はとにかく時間がかかるので根気が必要だが、見についた手続き記憶は忘れにくい。
図2.大脳皮質ー>大脳基底核ー>視床ー>大脳皮質ループ回路
図3.線条体の被殻(ひかく)の機能的ネットワークの広がり具合は音大生(左)の方が一般大生(右)より小さい(文献5)
Tchaikovsky : Violin Concerto in D major, Op.35
【問題】聴いている私たちが(も)爽快感を味わうことができるのはなぜでしょうか?
学生にとっては、音楽が脳にどのような作用を及ぼすかを学ぶには生の演奏を聴くことが第一と考えて、私の脳科学の講義では、桐朋学園大学と東京藝大から弦楽四重奏団や声楽ユニット等に来ていただいてミニコンサートを毎年何回も開催していました。かなりの回数になります。それぞれ工夫されていて、学生に話しかけてくださるし、ピアノ伴奏でオペラの一幕を演奏してくれたグループもいました。ちょうど情報理工学科が市谷キャンパスに一時移転していた頃のことです。市谷キャンパスでは、本館1階に講義室があって、私の研究室は3階の同じ位置にありました。エレベーターで垂直移動できるため、研究室を楽屋代わりに使用できて便利でした。演奏者たちは早めに来て演奏ドレスに着替え、直前まで音出しをして調整します。開始5分前になると声をかけて、一緒に1階に降りて行きます。講義室は後ろから入り、教壇に向かいます。いつもと違う雰囲気に、学生たちの背筋が伸びるのがわかります。演奏者たちは慣れていて、自己紹介や曲の紹介をしながらスムーズにコンサートは進行して行きます。美しい調べにうっとりする時間がしばらく続きます・・・
夢だったかと思うことがあります。こじんまりしていて静かな市谷キャンパスのあの環境でこそできたことでした。一時移転を終えて四谷に戻って来たとき、同じことを続けるのは難しいと感じました。市谷キャンパスでの約5年間が、音楽と融合した脳科学を学生と一緒に楽しんだ時期でした。当時のことを思い出すと、美しい音楽とともにたくさんの笑顔が浮かびます。よくしゃべり、よく笑いました。
いま彼はベッドに横たわり、最初に彼女に会ったあの十月の午後の詳細をすべて、はじめから終わりまで、何度も何度も思い返す。それが楽しいからというだけでなく、彼女の姿を心に灼きつけ、将来色褪せていかないように心に刻みつけておこうと思うからだ。彼女自身も、彼女にたいする生きた愛のいずれも、ヴァイオレットの場合のように色褪せ、剥がれ落ちていかないように。(中略)もちろん、日付や、出来事や、買い物や、行動や、情景さえ思い出すことはできる。しかし、それがどんな感じだったかを思い出そうとすると、なかなかうまくいかないのだ。(文献1)
この一節からもわかるように、エピソード記憶は身体感覚や感情などとリンクします。ただ、そのリンクは確個としたものとは程遠いので、確かめようと感度も想い返すということを誰もがします。リンクは簡単に切れるし、その時はなかったはずのものがある時リンクされてしまうと、それ以降は区別がつかなくなります。文学では、マルセル・プルーストのマドレーヌのエピソード(文献2)は有名ですね。プルースト効果という言葉も生まれました。二十世紀フランス文学の最高傑作と言われています。最近は美しかったり頼りなかったりする切ないエピソード記憶の姿がよりリアルに描かれるようになっています。
エピソード記憶は意味記憶とともに宣言的長期記憶ですよね?
はい。長期記憶の中で美化されるのはエピソード記憶だけです。イマジネーションの要素がかなり含まれていて、主観的で不確かさで、それ故にファンタジーの要素も備えています。想起するたびに簡単に上書きされます。文学や演劇はもちろん、音楽や他の芸術もそのような特性を活用しています。創造性の泉と言ってもよいかもしれません。
なるほど。
男の子は誰でも子供の時に空を飛んでいたという話は来たことがありますか? 私はその時の感覚もまだ覚えています。何かの本にも同じことが書かれていたので、間違いありません。ところが大人になるとき、ほとんどの人がその記憶を消してしまうのです。「常識」と矛盾することがあると、そちらを否定してしまうんですね。私は少し常識が足りなかったことが幸いして、それを消すことはありませんでした。授業で学生に訊いていたことが一時期あって、クラスの中に数名は覚えている学生が毎年いました。いなかった年はありませんでした。学外で講演したときにも同じことを訊いたところ、中年の女性の方が手を上げて、私も子供の頃に空を飛んでましたと言ってました。とてもおてんばな娘だったそうです。
おもしろいですね!
ところが、昨年東京藝大で脳科学の講義をしていた時に、やはり同じ質問をしたのですが、誰もいなかったのです。これには大変驚きました。がっかりもしました。藝大生だったらもっといてもいいはずだと思ってましたから。美術学部と音楽学部の両学部の学生が出席していたので、その中には今でも飛んでいる人がいるのではないかとさえ思ってましたからね。
そうなんですね!(笑)
異論もあるかと思いますが、それはまた何かの機会に。
文献1)ジャズ(ト二・モリソン)早川書房
文献2)失われた時を求めて(プルースト)岩波文庫(全14巻)
The Way We Were (1973) の主題歌の歌詞は、エピソード記憶の特徴をよく表しています。
記憶のカテゴリーの中で、美化されるのはエピソード記憶だけです。この映画のように、痛みを伴って思い出されるものもあります。人生の一回性ということが切なさを感じさせます。昔この映画を観て感動した人も、今観るとまた違って見えるかもしれませんね。
教員採用面接
初めて上智大学のキャンパスを訪れた日のことはおぼろげながら覚えているが、何月何日の何曜日だったかとか、どんな天気で気温はどうだったかまでは覚えていない。蝉はまだ鳴いていなかった気がする。何しろ38年前の1985年のことである。私は27歳。理工学部電気電子工学科の教員採用面接の日だった。学科長はロバート・ディーターズ先生。電力工学の三山先生の退職に伴って後任教員を公募していた。私は当時日本原子力研究所の特別研究生(ポスドク)として、東海村で核融合研究プロジェクトに参加していた。「地上に太陽を」という壮大な国家プロジェクトを内側から見る機会を得て、私の中で科学技術研究の概念が大きく変わったのを覚えている。千億円規模の予算で、数百人の研究者や技術者が一つの目標に向かって昼夜働いていた。
上智大学
上智大学の採用面接に合格して翌年4月にスタートした研究室は、百万円単位の予算で、私と卒研生2名の体制。とりあえず必要なパソコンと図書を買ったら予算は尽きた。とにかくこの研究室でできる研究を探して、これから毎年学生を卒業させなければならない。持続性があって学生が興味を持つテーマの模索が始まった。これまで核融合プラズマの研究をしていて、宇宙プラズマにも興味があった。フリーマン・ダイソン博士の『宇宙をかき乱すべきか』を読んで、宇宙に思いをはせた。プラズマ生命体。カオスや自己組織化。タオ自然学。ニューサイエンス・ブームに沸いていた時代だった。
脳の研究室
夏休みに学生と一緒に生物物理夏の学校に参加した。脳がおもしろい。脳の研究室を作ろうと思った。最初に取り組んだのは運動制御の神経メカニズムであった。脳内で運動プログラムがつくられるプロセスに興味を持った。前頭前野から運動前野そして一次運動野への流れで、抽象的なアクションが座標変換を伴ってより具体的な手足や体の動きがコードされていく。ポピュレーション・コーディングといって、多数のニューロンが集団で情報をコーディングするという仮説が検証されていった。脳がこの原理を採用しているメリットは、数は多いが信頼性が低い(突然死することも多い)ニューロン素子を集めて高精度のコーディングを可能にできる点である。例えば三次元空間のある方向をコーディングする際は、少しずつ方向特性が異なるニューロンが重みをもって発火(活動電位を発生する)することで、ポピュレーション・ベクトルを構成する。後にこのポピュレーション・ベクトルは意識的に回転させることができることも発見された。実際にメンタル・ローテーションなどで回転を意識することができる。おもしろいことに、どの人も高速回転はできず、だいたい毎秒1ラジアン程度の比較的ゆっくりした回転しかできない。猿はもっと速い。
ワーキングメモリー
アクション・プランを脳内に持っていてもすぐには実行しないことも多い。この時それを脳内に一時的に蓄えるのがワーキングメモリーである。「今日大学であの人に会ったら、あのことを訊いてみよう」というようなもので、日常でいつも、しかも複数蓄えている。経験的にわかるように、忘れやすい。ワーキングメモリーの特徴は、脆弱性と容量の小ささである。容量が大きくて長い間憶えている長期記憶とは本質的に異なる。長期記憶が脳の回路に書き込むのに対して、ワーキングメモリーは神経回路のダイナミクスを用いているからである。私が若かった頃、年配の先生が事務室に来られて、「あれ、何しに来たんだっけ?」とおっしゃっているのを見て笑っていたことを思い出す。
イェール大学
心理学の仮説であったワーキングメモリーを実際の神経活動として捉えた画期的な研究が、コネチカット州にあるイェール大学の研究室で行われた。実験を担当していたのは当時京都大学から派遣されていた船橋新太郎博士である。サルの脳の前頭前野に電極を刺入してワーキングメモリー課題遂行中の神経活動(活動電位とよばれる電気パルス列)を記録した見事な実験だが、成功するまでに大変な苦労をされたとか。イェール大学医学部のゴールドマン・ラキーチ研究室で起きたドラマである。その後脳・神経科学の世界はワーキングメモリー・ブームを迎えた。
シミュレーション世界初
ワーキングメモリーが神経回路ダイナミクスを用いているのであれば、そのダイナミクスをコンピューター・シミュレーションで再現できるのではないかと私は思い、研究室の学生たちと共にこの新しい研究を始めた。まだ論文も全く出ていなかったが、大学院時代にコンピューター・シミュレーションをやっていたので、できるはずだという感覚はあった。しかし初めて見ると思ったより難しい。数学モデルは独自に開発した。できることは全てやっていたので、あとはワーキングメモリーの実験をしているイェール大学のゴールドマン・ラキーチ研究室の空気を吸うことが必要だと考えて、1年間のサバティカルを取ってイェール大学に行き、実験風景を見ながら毎日シミュレーションを繰り返した。半年くらい過ぎたころに勘がつかめるようになってうまく行った。上智大学に残していた院生にメールしたら、一週間後に彼も成功した。不思議なものだ。空気を吸ったことが何を変えたのか。これまた不思議で、しかしよくあることだが、交流のなかったアメリカの他の研究室でもほぼ同時に成功したのである。サンディエゴの研究室と、マサチューセッツ州にあるブランダイス大学の研究室だ。
コロンビア大学
私にはもうひとつやりたいことがあった。前頭前野は思考の中枢と考えられているが、思考障害を伴う統合失調症などの精神疾患を、前頭前野の神経回路とそのダイナミクス(の異常)から説明できないかというアイデアを、コンピューター・シミュレーションで示したかった。これも前例のない研究テーマだったが、成功の秘訣は知っていた。当時統合失調症のドーパミン仮説を PET で検証する研究で世界の最先端を走っていたコロンビア大学医学部の客員教授になって、その実験を行っている研究室に身を置いて、またその空気を吸った。何年か前にイェール大学から移籍してきた Annisa Abi-Dargham と Marc Laruelle の研究室である。マンハッタンのアッパーウェストサイドにある(メトロポリタンオペラの西隣のブロックにある)アパートに住んで、ブロードウェイの下を走る地下鉄で大学に通った。PET データをコンピューター・シミュレーションに乗せるために、レセプター占有率を組み込んだ神経回路モデルが必要だったので、独自に構築した。これによって実験データと回路ダイナミクスの論理的ギャップを埋めることに成功した。その頃上智大学で担当していた制御工学理論と自然に頭の中で融合して、回路の不安定性と統合失調症を結びつける理論的な研究が実った。日本語での解説論文も書いている(文献4,5)。
精神医学
レセプター占有率を神経回路モデルに組み込みたかった理由は、当時精神医学会や精神薬理学会などで抗精神病薬の効果をレセプター占有率を基に論じられていたという背景があったからである。定量的な考察ができることのメリットと、回路ダイナミクスと連立させて数値解を得ることができる点で新規性があった。学会でもユニークだったが、大塚製薬が関心を持ってくれたこともうれしかった。当時、大塚製薬は抗精神病薬の新薬(エビリファイ)の開発に成功して、世界的な注目を集める中で、理論的な説明を求めていた。上記のコロンビア大学の Abi-Dargham 博士が招かれて開催された大塚製薬のシンポジウムに私も招かれて講演を行い、実験と理論の両サイドから議論を重ねた。この薬の特徴はドーパミン・レセプターの占有率を中間の値に保つことで副作用を最小化して安定的な薬理効果を持続できる点にある、というのが医学・薬理学関係者の説明だが、短絡的である。そこに精神疾患で不安定化している神経回路の安定性の議論が必要だったのである(文献5)。
慶応大学
ワーキングメモリーが神経回路ダイナミクスを用いていることを示した神経回路モデルは、上記のような発展を遂げて、精神医学の問題に理論的(計算論的)にアプローチする道を開いた。その新規性と重要性をいちばん理解してくれたのは、慶応大学医学部精神・神経科学科の研究グループだった。セミナーに呼んでくれたり、共同研究も行った。慶応の博士課程の院生を私が指導して、日本の精神医学で初めての計算論的神経科学の博士論文が誕生した。その流れは後に慶応大学医学部精神・神経科学科内に日本初の計算論的精神医学研究室の創設に結び付いた。
http://psy.keiomed.jp/computation.html
拡散 MRI 画像解析
この技術は素晴らしい。脳の中の神経線維の形状やつながり方が手に取るように鮮明に可視化できる。さっそく解析手法を習得して、研究室の学生にも伝授した。これをメインに行っていた時期は、春に学生が研究室に配属されたら、まず順天堂大学に行って自分のデータを撮ってきて、自分で解析するようにしていた。結果が出始めると、学生は互いに見せ合って、自分や仲間の脳の特徴(構造的ネットワーク)を理解する。一人ひとり個性が違うように、構造的ネットワークも異なる。ある年、ある女子学生が自分の小脳のネットワークが他の誰よりも発達していることに気がつき、それをテーマにして卒論を書いた。小脳は運動・姿勢制御などに重要な脳である。彼女が航空会社の客室乗務員として就職したのは正しい選択だっただろう。少々傾いた機内でも支障なく機内を移動できているに違いない。
順天堂大学
その後も順天堂大学との共同研究は続き、精神・神経疾患患者の脳の研究が進んだ。MRI/fMRI データを取るために統合失調症、自閉症やパーキンソン病などの患者が次々やってきた。何年も続くプロジェクトなので、その数は相当数になっている。私は上智大学と順天堂大学の両方の倫理委員会から実験許可を得ている。それにしても精神科でも神経内科でも脳の病気の症状の多様性にはいつも驚かされる(文献1)。患者だけではない。健常者であってもデータ解析から見えてくる個人の脳は、一人ひとり異なるものだ。サンプルサイズを大きくして統計的検定をかけるという伝統的な手法だけでは見えないものがある。今は平均値もさることながら、個人の脳の特徴により興味がある。そこにかけがえのない人生を刻んでいるからだ。また、モーツァルトの楽曲を使った痛み緩和の実験が成功したのを機に、パーキンソン病患者などに対象を広げた実験を継続している。
音楽脳研究
音楽脳(音楽家の脳や演奏時の脳活動)に関する研究は世界的に見ても少ない。しかし音楽家でなくても、学生でも誰でも、知りたいと思っている人は多い。そのせいか、研究を始めたらすぐに日本神経科学学会が記者会見をさせてくれた。その後論文が出るにつれて、東大医学部での講演、日本声楽発声学会特別講演、日本音楽表現学会での対談、日本演劇学会誌への特別寄稿論文、複数の医学雑誌特集号への解説論文の依頼などが続いた。音楽関係や演劇学会などでは毎回講演の後に質問の人たちの長蛇の列ができる。世界的なヴァイオリニストであり当時東京藝大の学長をされていた澤和樹先生とも知り合い、何度も講演を聴きに来てくださった。脳科学の学会の外の人たちの関心の高さに驚き、同時にこれまで気がつかずに期待に応えてこなかったことを認識させられた。逆に言えば、大学・学会以外の人々に知っていただくチャンスでもあった。実験に参加してくれた音大生や音楽家の人たちからはたくさんの質問を受けた。もっと知りたいという要望に対して、はじめは既刊の専門書・入門書を紹介していたが、読みやすくないだろうと感じていた。そこで多くの質問に答えるために、さらに学びたい人の好奇心を満たすために、彼ら・彼女らに読みやすい本を書くことを目的として上梓したのが、すでに紹介した2冊である(文献2,3)。
東京藝大
昨年、研究成果を東京藝大の学生たちに講義をする機会が与えられた。初回から質問する手が多数上がり、時間内に収まらない。この講義は音楽学部と美術学部の両方の学生が履修していたので、いろいろな角度から質問が来た。大学の計らいで、最終回の後に蔵のような特別室で希望する学生と懇談する機会も設けていただき、十分に話をすることができた。講義に使った教室は音楽学部の大教室だが、この大教室は毎年日本声楽発声学会の年会に使っていてなじみがある。脳科学の最新研究の成果を音楽家や芸術系の人たちと共有する機会が多く与えられたことにも感謝している。
文献1)妻を帽子と間違えた男(オリバー・サックス)早川書房
文献2)音楽する脳と身体(田中・伊藤)コロナ社 https://www.coronasha.co.jp/np/isbn/9784339078268/
文献3)音大生・音楽家のための脳科学入門講義(田中)コロナ社 https://www.coronasha.co.jp/np/isbn/9784339078251/
文献4)ニューロコンピューティングからみた前頭前野神経回路の不安定性と統合失調症(田中昌司)分子精神医学(特集 前頭葉と精神機能)8(2) 102-108 2008年4月 先端医学社 https://researchmap.jp/shoji.tanaka/published_papers/15723927
文献5)ダイナミカル・システムとしての脳(田中昌司)神経研究の進歩 71巻7号(増大特集 人工知能と神経科学)2019年 医学書院 https://researchmap.jp/shoji.tanaka/published_papers/15723899
2021年度の院生(後列)と卒研生(前列)。この中の卒研生の一人はミュージカル出演と卒論の両方をやり遂げた。舞台本番が12月というまさに卒研の追い込み期に、自分たち上智大生と俳優の人たちの脳波(ロミオとジュリエットのバルコニーのシーン)を解析して、とても興味深い結果を出した。ミュージカル体験が研究にも活きたのだろう。
また院生の中にはクラリネット奏者である人も含まれている。自分の演奏時脳波を自分で解析して修士論文を書いた。この「一人称研究」とよばれる研究スタイルは条件を満たす人が少ないため、研究例は限られていて価値がある。彼女自身も貴重な経験(学び)をしたことと思う。演奏指導に役立ててください。
一二四番地の裏手の流れのほとりで、彼女の足跡が往ったり来たり、往ったり来たり。誰もがその足跡をよく見なれている。誰か、子供か、それとも大人が、自分の足を合わせてみると、足と足跡はぴたりと合う。足をのけると足跡もまた消えて、誰もそこを歩かなかったかのようだ。(文献1)
在職中は大変お世話になりました。皆様に助けられて務めを果たし、退職の日を迎えることができました。ありがとうございます。この日が近づくとやたらと昔のことが蘇るものです。力不足でご迷惑をおかけしたことをたくさん思い出しますが、どうかお赦しください。皆様のご健康と上智大学の発展を心よりお祈りしています。
私は在職中にカトリック調布教会でコンプリ神父様から洗礼を授かりました。御言葉を心に留めて(文献2)、生活の中で実践できるように努めて参ります+
立ちなさい。さあ、ここから行くのです。(文献3)
ビラブド(トニ・モリスン)早川書房
限りなき主の栄光を求めて(オズワルド・チェンバーズ)いのちのことば社
ヨハネの福音書14章31節(新改訳 2017)いのちのことば社
講義を終えて講義室を出たところで学生から声をかけられた・・・
4月から先生は何をなさるんですか?
主夫になりますよ(笑)。すでに買い物や簡単な料理・洗濯など、できることから始めています。家事手伝いですね。ちょっとあこがれてました(笑)。それと趣味で入会した日本音楽表現学会と日本声楽発声学会の役員任期がまだ少し残っているため、任期を終えるまではお勤めします。また最近は日本演劇学会でも研究発表していて、演劇関係の知り合いもでき始めているので、しばらくはそこにいたいなと思っています。順天堂大学の共同研究の輪が自然に拡大していて、参加される精神科や神経内科の先生方が増えてきて、最近は音楽療法士の方も参加されています。同じ日に音楽家と患者さんのデータを(間違えないように注意して)取ったりもしてきました。いろいろなテーマを扱っていて面白いですが、これからどこに向かって行くのか誰にも分かりません(笑)。それぞれが違うキーテーマを持って集まっています。この不思議な集団とはこれからも一緒にミステリー小説のような世界を楽しめたらと思っています。私のキーテーマは「脳科学と音楽とか・文学とか・・」
お忙しそうですね。お体に気を付けてお過ごしください。
ありがとう。あなたも。
研究室のミーティング最終回が終わった時に学生がくれた寄せ書き
年間を通して、笑顔だけで育てた学生たちです。
ありがとう。みんな元気で!
履歴書
名古屋大学工学部、工学研究科(博士前期後期課程)、工学博士
上智大学・理工学部・電気電子工学科 講師、助教授、教授
上智大学・理工学部・情報理工学科 教授
イェール大学客員研究員、コロンビア大学客員教授
日本声楽発声学会理事、日本音楽表現学会編集委員、日本演劇学会会員、日本神経科学学会会員、北米神経科学学会会員、他
黄昏てく・・街よ 悔いはないか
いつの日かもういちど逢おう
夢を見ていたこの場所で