このたび高輪北町親和会の会長に選任されました。
もともとは江戸時代から東海道に沿って発展してきた地区ですが、高輪ゲートウェイ駅が開業し、 高輪ゲートウェイシティも開業して新しい時代を迎えようとしています。
皆様の生活環境や交通の利便性も大きく変化していくこととなるでしょう。
私としても皆様方のご協力を得て皆様方に喜ばれる町会となるよう職責を全うしたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
令和七年五月
藤原 達夫
<~江戸時代>
高輪というのは、かなり古い地名であるが、始めは高縄と書いたという説が有力です。今の第一京浜国道が低湿の土地であった頃、西の台地には道路が通じていてそれを高縄手道と呼んでいたそうです。
「小田原記」によれば永録年中(1558年~1570年)武田信玄が小田原を攻めた時に江戸城を攻めるようにみせて品川の縄島の民家を焼いたと記されておりいわゆる高縄ヶ原の合戦ということも記録されています。現在の高輪の文字が使われるようになったのは江戸時代になってからのようです。
高輪北町の町域は、江戸時代には東海道(現在の国道15号線)沿いに町家、稲荷社(現在の高輪神社)、常光寺(現在のシティハイツ桂坂)が並び、稲荷社の南側には山手に通じる道があり、その左右に武家屋敷や寺社地がありました。
高輪北町の町域は、江戸時代には東海道(現在の国道15号線)沿いに町家、稲荷社(現在の高輪神社)、常光寺(現在のシティハイツ桂坂)が並び、稲荷社の南側には山手に通じる道があり、その左右に武家屋敷や寺社地がありました。
<明治~大正時代>
※上記地図の海上を通る鉄道が、高輪ゲートウェイ駅・ゲートシティ開発に伴い、最近発掘され大きな話題になった「高輪築堤」です。
<昭和時代>
しかし、昭和42年7月1日に住居表示制度が実施され、江戸時代からなじみの「北町」という町名はなくなり高輪2丁目に統一され、わずかに町会名とバス停留所にその名を留めています。
都営バス 「高輪北町」 停留所
又、自動車の通行量もしだいに増え、交通行政の変遷に伴い路面電車(都電)も昭和42年12月には廃止となり、かわって都営地下鉄が昭和43年6月に開通しました。
タイトル:第一京浜国道高輪3丁目付近 撮影年月日:昭和42年頃 撮影場所:第一京浜国道高輪歩道橋(高輪3-22⇔高輪2-1)
画像クリック⇒港区オープンデータカタログサイト
<現在~>
泉岳寺駅が新設され京浜急行とつながり羽田空港へのアクセスが良くなりました。土地の高度利用が進む中、町並も大きな推移がみられお庭付きの邸宅が次々とマンション建設に走り始め新たな姿に変わり往時をしのぶ面影が消えていきました。平成時代になり国道沿いの町家も少なくなり高層マンション、業務ビルが建設されオフィス化が進んでいます。
令和2年3月にJR新駅(高輪ゲートウェイ)の設置やリニア新幹線の開業に伴う品川駅周辺の開発、都市計画道路環状4号線の整備、泉岳寺駅改良計画等大規模なまちづくりが活発になっております。このように高輪北町の沿革は時代により目まぐるしく環境が変化していますが本親和会では今は歴史的な町名「町」を受け継ぎ、高輪北町親和会の名で残しています。
工事中の高輪ゲートシティ
参加者数 250人
全景
子供餅つき体験
あんこ、きなこ、のり、の三種から二種選択
防災マップ等配布
町会バス旅行(5月11日 日曜日) 富津海岸 潮干狩り・ドイツ村 BBQ
参加者数 大人33人・小人8人
※バス旅行は2年に1度の行事です。次回は2027年(予定)
町会防災訓練 2024.11.9
起震車による地震体験(震度7まで)
消火器による初期消火
もちつき大会 2024.11.9
会場全景
小さい子もおもちつき
こどもコーナー
宝釣り・綿菓子
淹れ立てコーヒーと
搗き立ておもち
港区総合防災訓練 2024.11.10
高松中生徒会コーナー
AED心肺蘇生実技
うんこ先生の災害トイレ学講義
夏祭り 2025.9.6~7
ヨーヨー釣り
自分で作る綿あめ
自分で作るかき氷
射的
焼きそば
和太鼓演奏
こども神輿
山車
早起きラジオ体操
2025.7.21~31
高輪公園観桜会
2023.4.8
バスハイク 2023.5.13
国会議事堂見学
大相撲千秋楽観戦
JR高輪地区まつり
2023.10.29
歳末警戒 2023.12.28~29
東京消防庁<安全・安心情報><地震から命を守る「7つの問いかけ」> (tokyo.lg.jp) (東京消防庁へリンク)
町会防災訓練
テント設営
放水開始!
町会保有防災備蓄品·用具一式