サン方辺峰キャンプ場(旧 サン石水渓キャンプ場)利用規則
~自然保護のために設立されたキャンプ場~
サン方辺峰キャンプ場(旧 サン石水渓キャンプ場)は、三重県亀山市安坂山町、石水渓渓谷の上流にあります。不法投棄の防止や、自然保護等を目的として設立されています。
山を1つごと、両わきを流れる渓流もふくめて、 プライベートに、独占的にご利用になることができます。設立目的には「入山制限」ということも含まれています。あまりにもひどく山が荒らされていたことがその理由です。
キャンプ場の設立につきましては、山の住民である猪・鹿・猿・タヌキ・野うさぎ達などからは、おおむね、ご好評を頂いております。
(自分が最初に来たときは、ごみ処理場のようなゴミの山、毎年、車が一台、渓流に放り込まれて捨てられる、というようなありさまでした。現在は亀山市役所により、不法投棄物はほぼ回収されています。)
利用料(オープン記念特別価格)
100万円(1泊あたり、車両一台)
日帰りの場合・・・50万円(車両一台)
(利用料には、自然保護活動への寄付金が含まれています。)
※電気・水道・ガス・トイレなど、一切ございません。駐車スペースと、テントを張ったり、野外活動が行えるスペースが、林の中に開かれています。
車両は数台駐車可能です。 車中泊が手軽であると思いますが、テントを持ち込んで頂いてもかまいません。
ごみ、汚物などは、全てお持ち帰りをお願いいたします。
違法駐車、不法侵入には車一台につき10万円、一人あたり10万円の罰金をそれぞれお支払いいただきます。
お問い合わせの方法
現在、ご利用の受付を停止しております。
<当キャンプ場は、自然保護等を目的として設立されています。ここは国定公園内、特別保護地域ですので、 書類による県の許可をとっていただかない限りは、 植物を採取したり、木を切ったりすることもできません。>
(有)太陽の村
〈追記〉
リンク: 「野登山(鶏足山)の鉱業権設定への反対運動の経過 」http://shimin-kyodo.sakura.ne.jp/kirakame21/keisoku/index.html
こんなことがあったようです。自分が山の管理に直接、関わるようになる少し前のことになります。
「山の木がなくなると、下流で洪水になる。」
著名な方や、識者の方々が、何人も、これについて著書で指摘しておられます。
参考文献の引用だけしておきます。
〈参考・引用文献〉
引用文献①「川を歩いて、森へ」 天野礼子 中央公論新社 2017年 p.94
「それらの”洪水”が”水害”になった理由は、本当は、戦火を浴びた都市の復興のために何百年と切らなかった広葉樹の水源林に手をつけたこと、戦後の復興は石油が登場するまでは焚炭が中心になったため、そのせいでも広葉樹林が急ピッチで伐られていたこと、その後のスギ・ヒノキなどの大造林で山がさらに丸はだかになったことなどでした」
引用文献②「環境を知るとはどういうことか 流域思考のすすめ」養老孟司 岸由二 PHP研究所 2009年 p.140
「戦後、洪水の出水量が少なくなった理由
養老 僕の子供の頃の記憶を辿ると、しょっちゅう川が氾濫したように思います。非常によく水が出た。戦前はどうしてあんなに水が出たのでしょうか。現在ではあんなに水量が増えることはそうないと思うんだ。昔はよく橋が流れましたね。戦後はあまり起きていないような気がするけれど。
岸 戦前は今より木が小さかった。細い木しかありませんでしたね。
養老 それだ。それはありそうですね。
岸 森林の保水のシステムはかなり複雑ですが、渇水のときに雨が来ても、しっかりした森があると吸い込んでくれます。長雨のあとの豪雨の場合は、保水力が飽和してしまう可能性があるから、同様に期待することはもちろん難しいと思いますが。
養老 確かにそうだ。昔はこんなに木が生えてなかったでしょう。チョロチョロした松くらいしかありませんでした。国がいかに植林事業に尽力してくれたかということについては、『本質を見抜く力ーー環境・食料・エネルギー』に掲載された地図を見れば一目瞭然です(同書三三~三六頁参照)。」
引用文献③「水害は人災だ―森は死んでいる」小倉 康彦(元林野庁計画課国有林班長、三重県津市出身、三重大学農学部出身) 清文社 2006年
洪水は勿論、雨台風という天災ですが、水害は人災なのです。
「森の力」が十分に発揮されておれば水害は起きないのです。
「森の力」が十分に発揮されていないから水害が起こるのです。(p.34)
(中略)
林地に陽光が届けば自然現象として下草が生えます。下草という防護服を着た森は「水を貯える」という「森の力」で森林内に降った雨はユックリ時間をかけて川に流すという林地が有する自然特色がありますから水害が起きないというメカニズムになります。
水害の発生の源は川の源の山です。(p.65)
洪水は天災、水害は人災ということは学者次元の話でなく、私のような単なる林業人を代表しての発言であることにご注目ください。
本書の緊急提言は林業人の全員が知っていることで、学術的なことでもないことが国民の命を奪っているのです。(p.132)
引用文献④「山を忘れた日本人 山からはじまる文化の衰退」石川達也 彩流社 2011年 p.210~211
「鉱山や森林開発は、山の環境を大きく改変することでその森林生態系を根本的に破壊してしまう。そうした生態系の破壊は、その土壌を裸地化し、洪水を誘発してきた。鉄砲水に代表される土石流は、そうした開発が誘発した面も強い。
(中略)
開発による生態系の破壊と、それに伴う自然災害の誘発――。その関連性について、大村は「開発による自然からの逆襲が、災害という形でしっぺ返しされてきた。(中略)」としている[大村 一九九六 二四九]」
引用文献⑤「アファンの森の物語」C・W・ニコル アートデイズ 2013年 p.36
私は一九六七年から二年間、エチオピアのハイレ・セラシエ皇帝に雇われて、エチオピア北部にあるシミエン山脈に国立公園を作る仕事をしていた。そこでは、地元の州知事の指導のもと、農民たちが急な斜面にある原生林を伐採していた。
農民たちは木を切り倒すと、その場で焼いた。そして養分たっぷりの表面の土を守る努力をせずに、急な斜面にクワを入れて、畑にしようとした。作物が収穫できたのは、最初の二年だけだった。雨季に雨で土が流されてしまったからだ。猛烈な勢いで土地の浸食が進んだ。
森が消えると、水も消えた。春になると大地は干上がり、川は玉石が散らばる乾いた川床になった。水不足で、牛などの家畜も野生動物も死んだ。女性と子どもたちは水をくむために、何時間も歩かなければならなかった。一部の人々は、もっと緑が多い土地へ引っ越そうとした。けれども、当然のことながら、そういう土地はすでにだれかのものになっていた。
(中略)
私と勇敢で忠実な部下であるエチオピアのレンジャーたちは、国立公園の境界内で木を切った人を数十人逮捕した。だが国立公園の外にある森を守るために手を出すことはできなかった。
(中略)
エチオピア人は自分の土地を砂漠に変えていた。その結果として水や土、家畜、農地が失われ、必然的に争いと飢餓が発生する。
(中略)
日本でも、同じように古い森を破壊すれば、野生の生き物はいなくなり、肥えた土は流れ出し、地すべりによるひどい災害が発生する危険がある。