熊本地震後初めて水前寺成趣園を訪れてみた.地震後,泉水の水は枯れ,神社の鳥居は倒れ,富士築山は陥没したと聞かされていた.それから三年の日時が経過したこともあり,現状は思っていたより修復が進み,言われなければ気付かない程度に元の姿を取り戻していた.熊本人として,改めて水前寺成趣園を紹介したい.
寛永九年(1632),細川忠利公は加藤家の改易により肥後細川家はじめての熊本藩主になります.小倉からの国替えに際して,熊本城東南の遊水地に豊前(大分県中津市)羅漢寺から熊本に来ていた住職・玄宅のために,一寺を設けて「水前寺」と号します.また,同地に数寄屋風の御茶屋を建て「水前寺御茶屋」と呼ばれるようになります.これが水前寺成趣園の始まりです.
その後,二代熊本藩主光尚公,三代綱吉公の三代にわたり,作庭が行われ1671年に現在とほぼ同じ規模の庭園ができあがり,陶淵明の詩に由来する「成趣園」と名付けられます.阿蘇の伏流水の泉水を中心とする回遊式庭園で,昭和4年(1929)に国の名勝・史跡に指定されています.
入園料を払って公園に入ると右側に夏目漱石の句碑が目に止まります.句碑に使用されている石は熊本地震の際に倒れた出水神社の鳥居とのことである.注)水前寺成趣園の北側に,熊本藩の歴代藩主を祀っ出水神社がある.
夏目漱石は明治29年(1896),旧制第五高等学校(現在の熊本大学)の教壇に立つため熊本に赴任,水前寺成趣園近くには夏目漱石大江旧居(新屋敷1丁目から移設,大江村の第3旧居)がある.なお,漱石は熊本で6回転居している.
熊本地震で陥没した富士築山の修復は今年3月に完了したそうです.
左泉水の南側から古今伝授の間を望む
キロクマのフリー画像
入り口
右手の茅葺の建物が古今伝授の間,そこから対岸を望む
回遊式庭園に見とれていると見逃してしまいそうになる園の片隅に咲く花(撮影6/8)
近くに中村汀女の俳句が刻まれた句碑があります.江津湖湖畔の中村汀女の生家にあったものを移転し,生誕100年を記念して整備したとのことです.
上江津湖公園の紫陽花
上江津湖公園の紫陽花
資料
水前寺成趣園 参道の鳥居 崩壊! | HIRO.GALLERY
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漱石の句碑:建立 地震で倒壊、大鳥居使い 熊本・水前寺成趣園 /熊本 ...
明治の文豪、夏目漱石が熊本市中央区の水前寺成趣園を詠んだ俳句の石碑3基が同園に建立され、9日に除幕式があった。石碑は、昨年4月の熊本地震で倒壊した、園内にある出水神社の参道大鳥居の一部(御影(みかげ)石)を使っている(毎日新聞2017年12月10日 地方版)。
出水神社(熊本市)写真集 - 九州神社紀行(地震前の鳥居)
(2019/6/9)