ただの冗談だったのになあ。
現状へのコメントは、その一言に尽きる。
現状、そう、現状だ。100と何年だかを過ごしてきた、馴染んだ身体をうっちゃって、生まれていくらも経たないような子供の姿を取っているこの現状。まあ、子供化してるのは自分でそうしようと決めてそうしていることだからいいんだけど。わりと過ごしやすくて気に入ってるし。いろいろ少なくて済むし。食事の量が少なくて済むだけにとどまらず、布団に占めるスペースだって普段よりは3割カットだ。大人の姿なら成人男性が二人入るなんて考えもできないシングルベッドに、大人と子供ならなんとかぎりぎり詰めて並ぶことができる。だからと言って、男二人が本当に枕を並べて(否、枕はひとつきりだ)寝ることはないのではないか。ない。ないのに、今はこうして右隣に職場の上司(元部下未満の後輩)が寝間着代わりのスエット姿で仰向けに転がっている。なんだこの状況。
何度も言うようだが寝ているのはシングルベッドだ。片一方が子供とはいえ、二人も入ればぎゅうぎゅうで、肩と肩がふれそうだ。手と手はさっきからちらちら触れてる。ていうかぶつかってる。やっぱこれ、ベッドから蹴落として追い出した方がいいんじゃないだろうか。
「追い出すにしてももうちょっと穏当な手段を選んでくださいよ」
「なんだ、心を読んだのか?」
「さっきから口に出してるじゃないですか」
「まじか。どの辺から?」
「手がぶつかってるとかからですね」
「そこからか。ならいいわ」
「もしかしてその前も僕のこと考えてたりしましたか?」
「なんでお前が俺の横で寝てるんだよとは考えてたな」
「本線が誘ったからじゃないですか」
「誘ってはねーよ。できるかもしれないと思ったから言ってみただけだよ」
「実質誘ったじゃないですか」
「やっぱりそうなる?」
「そうなります」
「なるかー」
隣とぶつかっていた腕を引き抜いてぐぐっと伸びをする。大人の姿をしている時ならヘッドボードに肘をぶつけるところだったが、今日は拳が引っかかる程度で済んだ。引っ込めた腕はさっきと同じ場所に仕舞う。やっぱり腕がぶつかる。こちらが譲る気は無いし、あちらが引く気も無いようだ。つまんない意地だと思う。こういう意地が大事だよなと思ったりもする。気分次第だ。
目を閉じて四肢の力を抜く。枕が無いせいか、頭の置き所か上手く見つからない気がして、体ごと右を向いてみる。なんとなく目を開けると、顔をこちらに向けていた上官とぱちりと目が合った。カラコンを外したありのままの黒いひとみが、染めきれない黒いまつげに囲まれてこちらを注視している。
「いやなんでこっち見てるんだよ」
「……なんか話してください」
「なんかってなんだよ。てか寝ろよ」
「寝られないから寝られるような話をしてほしいんです。ほら、子供を寝かしつけるときにはお話をするものらしいじゃないですか。知らないですけど」
「いや話とかなくても寝れるだろお前。子供じゃねーんだから。むしろ子供は俺の方だろ」
「……あなたと比べたら、ぼくはまだまだ子供ですよ」
「いやお前それなりに年取ってるだろ」
「それはまあ!そうですけど!だいぶ昔から存在だけはしてきましたけど!表舞台に経った年数で考えればまだまだ赤子もいいとこでおし!なんならバブバブ言ってもいいぐらいです!」
「バブバブ言い出したら本気で蹴落とすぞ。ていうか話ならさっきもしたし、なんなら昼からお前とばっかり喋ってる気がするのにこれ以上何の話が要るんだよ」
「昼と夜とじゃ話す内容が違ってくるもんじゃないですか。ほら、シチュエーションとか話題選びとか心もちとか」
「シチュエーションってなんだよ」
「枕元で羊がおやすみなんちゃらってやつですね!」
「羊はジンギスカンだろ」
「僕ジンギスカンの話じゃ寝付けませんからね?!」
「お前も好きだろ、ジンギスカン」
「好きですけど寝るときにジンギスカンの話は嫌です」
「そういうもんか」
「そういうもんです」
「っていう今の話で寝ろよ。はいおやすみ」
「雑過ぎません?!」
「えー」
唇をひん曲げて主張する上官さまの表情は、先程おっしゃった通り子供じみている。とうに成長しきった大人の、でかい図体で寝ぐずっている子供。子どもの寝かしつけねえ。ガキのお守りなんてまともにしたことないぞ、とうんざりしたところで、生まれてまもない路線の面倒を見ることになった同期二人の顔が頭をよぎった。そうだ、自分はやってなくても、古馴染みはそういう役目を押し付けられていた。日鉄のちびだったり中山道のちびだったりを預けられたいたころの二人は、顔を合わせるたび何やかやと育児情報を交換していた。その中には子供の寝かしつけの話もあったような気がする。東海道と敦賀は、こういうときはどうしてやるって言ってたんだっけ。あの時は関係ないから聞き流してたんだよなあ。もうちょっとちゃんと聞いておきゃよかったかな。あいつらが話してた話の中にあった、えーと、確か。
「思いつきました?」
「話のネタはないな」
「無いんですか。そうですかーやっぱり無いかーダメかー」
「代わりに子守歌歌ってやる」
「………………こもりうた?」
「なんだよ。不満か?」
「いえ滅相もありません、滅茶苦茶ありがたいです、大歓迎です!です!けど!子守唄って話すよりもハードル高くありません!?」
「うるさい。そういう気分になったんだよ」
「……録音してもいいです?機材用意しますんで」
「駄目だ。聞いて寝ろ。すぐに寝ろ」
「はい……ううぅ頑張れ僕の脳……いつでも再生できるよう厳重に焼き付けろ……」
ブツブツ呟く上官への返事はしない。代わりに手を伸ばして目を覆ってやる。さて、子守歌とは言ったが何を歌ってやればいいものか。しばらく頭の中をひっかきまわして出てきた歌は、なんと異国のうただった。まあなんとってほどでもないか。ありふれた、誰でも聞いたことのある、星のうただから。
「Twinkle Twinkle little star, How I wonder what you are」
きらきら輝いてるのは誰かって?
「Up, above the world so high, Like a diamond in the sky」
全然ダイヤモンドには及ばないけど。借金まみれの真っ赤な星だけど。
「Twinkle Twinkle little star, How I wonder what you are」
お前なんだよ、北海道新幹線。
1分にも満たない、短い歌を歌い終える。隣からはどんな音も聞こえてこない。布団の下でしゃちほこばって、どんな音も聞き漏らすまいと耳をすませる様子が思い浮かんで笑ってしまった。
「ほんせん、」
「なんだよ。ちゃんと歌ってやったんだからもう寝ろよ」
「はい、ありがとうございます。でもひとつだけ言っておきたくて」
「ん?」
「俺の星は貴方です。皆の先頭で、きらきら光ってて、憧れで、一番上で輝いているひとでした。色々ありますけど、俺、ちゃんとあなたの次の星として、頑張りますから」
「おー、気張れよ上官」
「いやちょっと反応が軽すぎません?」
「別にいいだろ。心はこもってるぞ」
「心がこもっているって感じられる言い方をしてくださいよ…… もっと誠意がほしい…」
「わがまま言うんじゃねえ。ほら、いい加減本気で寝ろ。明日も仕事だぞ?」
「うぅ…… おやすみなさい、函館本線」
「ああ、おやすみ、北海道新幹線」
横を向いていた体勢からごろりと仰向けに戻る。いくつも数えないうちに聞こえてくるのは気の抜けた寝息。どこでも寝られないとやっていけない仕事だから、寝付きは相当いいはず。それが「なにか話してくれないと寝られない」だなんて、笑わせる。こいつの押しが強いのもいいところだ。子供だから一緒に寝られるかもしれない、なんて冗談を真に受けて本当に押しかけてくるし。まさか実践されるとは思わなかった。
……まあ、そのくらい我を通すほうやつがいいのか。北の星として一番上に立つのだから、胸を張ってもらわないと、ここにありと輝いてもらわないと困る。そして俺は、こいつがみんなの視線を奪ってやまないに輝きを放つまでは、まだまだ次の朝日を拝まねばならない身の上だ。
明日を思って目を閉じる。眼裏に瞬く星を追う間に、静かな眠りが訪れる。