今日は黒子の誕生日である。
創立2年目、1年生と2年生しかいない仲良し誠凛バスケ部では、部員の誕生日の誕生日にはハッピーバースデーを大合唱するのが短いながらも根付いた習慣で、本日黒子もハッピーバースデーの集中砲火をくらった。
合わせて、黒子についてはバニラシェイク好き知れ渡っているため、バニラシェイクそのものからバニラフレーバーのクッキーやらキャンディやらが(黒子一人の腹には収まらないほど)大量に集まった。いつも以上に膨れ上がったバッグがその証だ。
今黒子は、マフラーに顔をうずめるようにして、少しうつむきがちに歩いている。基本的に姿勢がいい黒子にしては珍しい様子のわけを、隣を歩く火神は耳の赤さからなんとなく察している。察しているのに言わないのは、先ほど口にしかけてイグナイトをくらいそうになったからだ。
は、と息をこぼす。やわらかに膨らむ白い呼気を街灯が照らし出す。
「……デー、」
黒子が何かつぶやいた。が、声が小さ過ぎて聞き取れなかった。火神が振り向くと、黒子はぱちりとまばたきをして言い直した。
「ハッピーバースデー、あまり歌わないんですか?」
「なんだそれ」
「慣れていないように見えたので」
黒子は、君の誕生日の時もそうでしたしほかの皆さんの時もそうでした、と付け加えた。人間観察が趣味という黒子は、祝われている時も周囲の観察を続けていたらしい。
言われてみれば、火神には心当たりがある。というか、さっき黒子にハッピーバースデーを歌った時もちらりと頭を掠めたことだった。
「そーだな。あっちじゃあんまり歌わなかったな」
「ケーキを囲んでハッピーバースデーの歌を歌う、という習慣はアメリカから来たものだと思うんですが」
小首を傾げる黒子にちらりと目を向けてから、火神は夜空を見上げる。視線の先には青く輝く一等星。シリウスっていうんだぞ。そう教えてくれた師匠は、火神と氷室の誕生日が来るたびに、ハッピーバースデイではない祝いの歌を歌ってくれた。なんでハッピーバースデーじゃないの?尋ねたは確か氷室で、その時返ってきた答えはこうだった。
「なんかハッピーバースデー歌うと金かかんだと。他にも曲あったしな」
「どんな曲なんですか」
「どんなって、知らねえの? For he's a jolly good fellow……っつう曲」
最初のワンフレーズを口にすると、アメリカで過ごした誕生日が頭をよぎった。真っ青だったり真っ黄色だったりするケーキはいただけなかったが、ハグやキスと共に送られるこの歌は恥ずかしくも嬉しかった。ある意味、ハッピーバースデーより直接的に好意を表す歌なのだ。最初に聞かされたときのくすぐったさがよみがえり、火神はつい先ほどまでの黒子と同じようにマフラーに顔をうずめる。
それを見た黒子は、おもむろに火神のコートの袖を引っ張った。
「なんだよ」
「その歌、全部聞きたいです」
「全部?」
つい、オウムのように繰り返す。黒子はまたもやくいっと袖を引いてうなずいた。そんな仕草をすると、元々の童顔と相まって高校生男子には見えない。年下に見られるのを嫌がるなら、時々するこうした子どもっぽい振る舞いを止めればいいのにと思う。思うけど言わないのは、どこかで火神がもったいないと感じているせいだ。なんとなく。
「どんな曲なのか知りたいです。火神くん、歌ってくれませんか?」
何でも無いことのように黒子が言う。のだが、あれを改めて黒子に歌うというのは、結構気恥ずかしい。適当にごまかそうと、火神はわざと目を逸らして肩をすくめた。
「家で探せばいいだろ」
「今知りたいんです」
突き放すような言葉を聞いても黒子は諦めなかった。一度言ったら後には退かない性格が無駄に発揮されている。時と場合によっては非常に頼もしいのだが、今は正直引っ込めてほしい。とは言いつつも、この頑固な相棒の性格をインスタントにどうする方法など火神は知らないので、無言を貫く。
めげない黒子は更に言葉を重ねてきた。
「ぼく今日誕生日なんです」
「知ってるっつの」
「誕生日なのでお祝いして欲しいです」
「さっき皆でやっただろ」
「火神くん」
名前を呼ばれ、反射的に振り返る。空色の瞳がじっと火神を見つめている。表情筋に反映されないぶん、雄弁に意思を伝えてくる黒子の瞳に火神は弱かった。特にこんなふうに、視線が吸い寄せられるような透明感がにじみ出てきているときには。
「きみに、お祝いして欲しいんです」
止めとばかりに黒子が告げた。イグナイトパスも真っ青になるほどストレートかつ力技な言い方だった。頬に血が上るのが手に取るようにわかって、火神は盛大に舌打ちした。本当に、なんでこう、こいつは。黒子は。
「あーもうわかったよ!ほんっと恥ずかしいよなお前!」
「わかってくれればいいんです。あと別に恥ずかしいことは言ってません」
「めちゃくちゃ恥ずかしいわ!」
ごくごく普通の顔を、つまりは無表情を保っている黒子がどうにもむかついて仕方が無く、火神はわしわしと黒子の髪をかき混ぜる。上から頭を触られるのを好まない黒子なのに、なぜか今は文句も言わずおとなしく火神の手を受け入れている。それがまたぶんぶんと心臓を振り回してくるようで、火神はもう一度舌打ちした。
さっさと終わらせてしまえばこの気分ともおさらばできるだろう。ハッピーバースデーの歌より少し長いくらいの歌なのだ。必要以上に大きく息を吸い、火神は思い切って歌い出した。
「For he's a jolly good fellow, for he's a jolly good fellow, for he's a jolly good fellow, which nobodys can deny」
『あいつはすっごく面白いやつだ、愉快で愉快でたまらない、本当に楽しいやつだから、誰も否定できやしないんだ』
なんども繰り返すフレーズはそういうことを歌っている。幸せな誕生日を祈るのではなく、共に過ごす日々が楽しくてたまらないのだと伝える歌。相手を祝うというよりは、認める歌。
口ずさみながら、火神は『he』について――黒子について考える。
出会った時は、得体の知れないやつ、だった。
一緒に過ごす時間の中で、淡白に見えて熱いやつ、意外と喧嘩っ早いやつ、とことんしぶといやつ、にくるくると姿を変えた。そして何よりバスケが好きでたまらないやつだと知った。黒子とするバスケは面白いし、楽しい。元々好きだったバスケが更に好きになって、更に楽しくなったのは、まちがいなく黒子のおかげだろう。
good fellow ―― 良き仲間。良き相棒。誰も否定できない。
火神にとって黒子は、まさしくそういう『影』だ。
「…… for he's a jolly good fellow, which nobody can deny.」
なんとか歌い終え、火神はほっと一息ついた。ついでに隣を見やると、黒子は火神を見つめたまま、何故か眉を寄せていた。不機嫌なときの癖だ。さすがに火神はむっとした。ひじで軽く黒子をこづいてやる。
「何怒ってんだよ。ちゃんと歌ってやっただろーが」
「歌詞がさっぱりわかりませんでした」
火神くんに歌ってもらったのに勿体無いです。むう、と考え込む黒子に火神はなんとも言えない気持ちになった。あの歌詞が伝わっていないというのはありがたいことだ。ありがたい、の、だが、全然理解されないというのも何だか悔しい。恥ずかしく思った自分がバカみたいじゃないか。
相反する気持ちの揺らぎに負けるように、黒子の肩を抱き寄せる。突然の接触にびくりと跳ねる体を押さえつけ、耳元に口を寄せる。
「わかるまで歌ってやるから、ちゃんと聞けよ?」