ガラスの花園
ヘルシングに持ち込まれた依頼に御真祖様が興味を示し、成り行きで二人で解決する話。2022/05/03 超吸死に一笑2022にて発行された19世紀舞台ヘル真ミステリアンソロジー「彼ハ誰時事件簿」に寄稿させていただいた小説です。主催のシラタキ様、素敵なアンソロを企画していただきありがとうございました。
ヘルシングに持ち込まれた依頼に御真祖様が興味を示し、成り行きで二人で解決する話。2022/05/03 超吸死に一笑2022にて発行された19世紀舞台ヘル真ミステリアンソロジー「彼ハ誰時事件簿」に寄稿させていただいた小説です。主催のシラタキ様、素敵なアンソロを企画していただきありがとうございました。
玄関ドアを開けると同時に、誰もいないはずの台所から、湯が沸き立つ音が聞こえた。
誰もいないはず。そうだ、吸血鬼退治の依頼を受けて出かけていて、帰宅したばかりなのだから。今借りている部屋には私一人で住んでいるのだから、私が外出しているならば誰かがいるわけが無い。
と、言いたいところなのだが、不意打ちで訪れてくる友というのが、できてしまった。困ったことに。
短い廊下を二歩でまたぎこして狭いキッチンを覗き込む。やせぎすの大男が、折り畳むように身をかがめて何か──適切な例えが思いつかないのだが、強いて言うなら貴婦人が使うレースと瀝青で作ったビクトリアサンドイッチのようなもの──をちぎってコポコポと音を立てる鍋に投入したところだった。
身をかがめたまま、大男──竜の一族を束ねる吸血鬼Dが振り向いた。
「おかえり、友よ。ヒマだったから遊びに来た」
「ただいま。……あのなあ。来るのはいい、いいが、先に言えと言ってるだろう。私が家主なのにもてなしもできん」
「気にしない気にしない」
「そういうわけにもいかん。親しき中にも礼儀ありと言うだろう、私はお前に礼を欠いた振る舞いをしたいわけでは……」
「座って座って」
「相変わらず話を聞かんな!?」
ズイズイと背を押されて台所を追い出され、テーブルセットにまで誘導されて仕方なしに椅子に座る。それを見届けたDはひとつ頷いて、テーブルに茶器を並べた。先ほどよくわからないものを投入していた鍋も持って来て、黄色だの水色だのの泡が立ち上っている濃い紫の液体を注ぐ。
「どうぞ」
「……何だこれは」
「疲れが吹き飛ぶやつ」
疲れが吹き飛ぶって、そもそもこれは飲み物なのか。疲れが吹き飛ぶ前に私が吹き飛びそうなのだが。
とはいえ、こいつは私を害するようなものは渡して来たためしはない。覚悟を決めて一息で飲み干す。途端ラッパを突っ込んで最大音量で吹き鳴らされたような衝撃が脳天へと突き抜けていった。その衝撃と共に体の疲れも吹っ飛んだ。
「相変わらず凄まじいものを作るな……」
「そう?」
「まあ、疲れは取れたぞ。助かった」
「イェー」
尖った爪が並ぶ指がピンと伸びてピースサインを作る。相変わらず長い指をしているなこいつは。呆れたような感心したような気持ちが入り混じる中で、ふと鞄の中身を思い出した。貰っておいてどうしようと思った物だが、こいつなら私よりうまく使うんじゃないだろうか。
「なあ、これ、お前ならうまく使えるんじゃないか」
鞄を引っ掻き回して布袋をつかみ出し、突きつける。Dは細長い指でつまむように布袋を受け取ると、早速袋の口を開いて中身を手のひらにざらりと開けた。しわくちゃに乾いた黒い実が全て骨張った手のひらに収まり、こんもりと小山を作った。
Dはかがむようにして手のひらに鼻を近づける。そのまま、筋高い鼻がかすかに上下した。
「これは?」
「お前ならわかるかと思ったんだが……まあいい。ローズヒップだよ」
「ふうん」
Dはまだローズヒップの匂いを嗅いでいる。それだけではなく、明かりにかざしたり四方八方から眺め回し、しまいには一粒つまんで口に入れさえした。そこまで珍しいローズヒップなのだろうか。
「依頼人からもらったんだ。私はこういうものの扱いは不得手だが、お前なら上手く使うだろう?」
「任せて」
Dは茶器を手にいそいそと台所へ向かう。別に今すぐ使えと言いたいわけではなかったんだが……。まあ、渡したものなのだから好きにすればいいか。
少しして、台所から戻ってきたDは濃い水色の液体を満たした茶器を手にしていた。ローズヒップティーだよ、と手渡された茶器を受け取り礼を言う。軽く吹いてさまし、ゆっくりと口に含むと。うん、まともな味がする。さっきの謎の飲み物で吹き飛ばし損ねた気疲れが消えていくようだった。
「美味いな」
「このローズヒップ、自家製?」
「らしいぞ。今日の依頼人が薔薇好きでな、こんなものまで手ずから作っているらしい。まったく、モグラみたいに何匹も下等吸血鬼が湧いて出て厄介と言ったら無かった。できうる限りのことはしてきたが、根絶できたかわからん。念のため一ヶ月後に再訪するよ」
Dはかがめていた身をさらに乗り出した。
「どんなとこだった?」
「そう言えば説明がまだだったな。そもそも、今回は庭に下等吸血鬼が出るから退治してくれという依頼だったんだ。さっき言った通り主人が薔薇好きでな、庭には野薔薇やら麝香薔薇が咲いていたし、わざわざガラス張りの温室を建ててまで何とかいう名前の珍しい薔薇を植えていた。そういえば、庭には下等吸血鬼がいたが、温室の方にはいなかったな……」
「ガラス張りの温室?」
Dの髭がざわりと動いた。ちょっと嫌な予感がした。こういう時こいつが言い出しそうなことに心当たりが無くもない。そう、こいつなら……
「面白そう」
こんちくしょうめ、大当たりだ。
「いや待て待て、お前なら水晶宮を見たことがあるだろう、ガラス張りならあっちの方が段違いに凄いぞ」
「行こう、今から」
「今から!?」
「そう。今から、すぐ」
「いやお前が行きたいのはわかった、何とかしよう。だが今すぐは無理だ。次連れて行ってやるからそれで我慢しろ。第一今からじゃ汽車も馬車も無──」
「私が運ぶから大丈夫」
「は?」
Dがすっと腕を差し伸べると、コウモリのような翼が生えて窓から差し込む月光を遮った。
「アイキャンフライ」
「待ッちょッ鞄ぐらい持たせてってウワアアアアア!!!」
何も大丈夫では無かった。
運ぶという言い回しから薄々想像はついた通り、Dは私を担いで夜空へと飛び立った。馬車よりよほど早かったのは認めよう。しかし、しかしだ。身一つで馬車より早いスピードで移動するもんじゃない。風が強すぎて頬が取れるかと思ったぞ。地面に降りてもまだ足の感覚がおかしいんだが……。
「大丈夫?」
「ちょっと待ってくれ……」
何度も深呼吸する。早咲きの野薔薇の甘い香りが胸いっぱいに広がるにつれて、ようやく地を踏み締める感覚が戻ってきた。
私たちは鉄のアーチも野薔薇が茂る生垣もすっ飛ばして屋敷の横手の庭に降り立っていた。完全に無断侵入だなこれは。とはいえ、屋敷はしんと静まりかえっている。この様子では使用人たちも床についていることだろう。わざわざ起こすのも申し訳ない。
「もうここまで来たらこっそりお邪魔してこっそり帰ろう。温室は屋敷の東側だから、このまま回り込むぞ」
「OK」
気付かれはしないだろうが、それでもできるだけ物音を立てないよう進む。丁寧に芝生の手入れがされていて、足音がほぼ立たないのがありがたかった。
庭を抜けると、お目当ての温室が見えてきた。等間隔に並んだ白柱の間に透明なガラスが整然と嵌め込まれている、コテージほどの大きさの温室だ。水晶宮には見劣りすると言いはしたが、これほど多くの板ガラスなど余程の金持ちでないと買えやしない。温室を建てるならなおさら金がいる。この依頼人は報酬の支払いも気前が良かったから、よほど金が余っているのだろう。
「そら、ガラス張りの温室だぞ。お前ならここからでも中が見えるだろう?」
Dはじっと温室を見つめている。自分から行きたいと言い出した割に、月光を鈍く反射するガラスを目前にして、Dはただ立ち尽くしているだけのように見えた。……いや、違う。瞳が僅かに動いてる。何か動く物を注視するように。薔薇しか植えられていないはずの温室の中に、何かいる。下等吸血鬼が蔓延っていた庭の温室で動く何か。夜動くもの(ナイトウォーカー)?
私も温室に向き直る。目を凝らすと、ガラスのさらに奥……薔薇の茂みの向こうに、人影が見えた。
「おい」
「いる」
頷きあい、私たちは扉に駆け寄った。案の定鍵は空いていた。温室に飛び込むと十字路で区分けされた左奥の植えこみに向かってかがみ込む人影がいた。目測距離十二ヤード、ギリギリ即応できる間合いだ。どのみちこの距離なら気付かれている可能性の方が高い。私は大きく息を吸い込んだ。
「貴様、何奴!」
人影──中肉中背の男がこちらを振り向き、ゆっくりと身を起こした。前掛けを付けて大きな鋏を手にした姿は一見庭師のように見えるが、にやりと捲れた唇からは鋭い牙が覗いている。吸血鬼だ。当たってほしくない予感が当たってしまった。私は鞄に手をかける。充分な準備をしてきたとは言いがたいが、吸血鬼退治人の誇りにかけてここで退くわけには行かない。
私の動きなど歯牙にも掛けず、吸血鬼は堂々と胸を張った。
「我が名はバララバー!薔薇をこよなく愛する高等吸血鬼だ!」
「薔薇をこよなく愛する高等吸血鬼!?」
「そうだ!我こそは薔薇を愛し薔薇に愛されるヴァンパイア・オブ・グリーンサム!この温室で我が目に叶う薔薇を見つけたから愛でてやっていたのだ!ラ・レーヌもメアリー・ローズもジェネラル・ジャックミノも我が手ずから世話をしてやる!我が手により花開いた薔薇たちの美しさに溺れるが良いーッ!!!」
言ってることはほぼほぼクソ薔薇オタクのたわごとだが、私の勘が告げている。こいつは間違いなく高等吸血鬼だ。横目でDを伺うと、Dも私に視線を合わせて僅かに頷いた。本物だ。油断しては命に関わる。私はゆっくりと息を吸い、バララバーを睨みつけた。
「……下等吸血鬼を呼んだのも貴様の仕業か」
バララバーは大袈裟に肩をすくめてみせた。
「なんと愚かな。下等吸血鬼などわざわざ呼びはせん。我に惹かれて勝手に集まってきただけだろう」
「きっかけは貴様だろうが!大体薔薇を愛でたいだけならわざわざヒトんちに来る必要はないだろう!自分ちでやれ!」
「うちには温室を建てる余裕など無い!こんな金のかかるものホイホイ建てていられるか!」
「建てろ!薔薇を愛しているんだろう!愛に見合うだけの金を稼げ!」
「ねえ」
肩をつつかれた。今取り込み中なんだが!と、振り向きざまに突っ込もうとして、私は言葉を飲み込んだ。Dが伸ばした人差し指の先に、ガウン姿の見覚えのある人物がただずんでいたからだ。なんで見覚えがあるかというと、そりゃあもう、今日日が沈む前に顔を合わせた依頼人、この家の主であるからであってだな。つまり不法侵入がばれてしまったというわけで、何とか誤魔化さねばならんということだ。頑張れヘルシング、お前ならなんとかなる!
「あー、ご主人。こんなところで会うとは奇遇ですな」
「ええ。まさか真夜中に怒鳴り声で起こされて、様子を見にきた先であなたに会うだなんて思ってもいませんでした」
「それは……騒ぎ立ててしまって申し訳ない……」
「あとで慰謝料請求しますね」
「マジかよオイ」
「そんなことより」
そんなことじゃないんだが。我が家の家計に関わってくるんだが。
「そこの方、バララバー殿ですか?うちの薔薇を見たいなら別にいいですよ」
「何言ってんだ!!相手は吸血鬼だぞ!?」
「吸血鬼でも夜に通いの庭師が来るようなものだと思えばまあいいかなーなんて」
「認識が雑では!?」
「今までも肥料を足したり……」
「えっ無視ですか」
「……雑草を抜いたりしてましたよね。私の手が届かないところを手入れしている誰かがいるのは気づいていました。それがあなたなら申し分ない腕と知識の持ち主ですし、それに、」
主人は抑えきれないかのように笑みをこぼした。
「ラ・レーヌを知っている方に会ったのは、初めてです」
主人の声音に怯えは無かった。むしろ、同じ趣味を持つ友を見つけた喜びが、声からもゆるく上がった口元からもこぼれんばかりだった。ああ、わかるとも。友を見出す喜びに勝るものはない。
それでも私は。吸血鬼退治人のアルミニウス・ヴァン・ヘルシングには言わねばならないことがあった。
「そいつは、吸血鬼なんだぞ」
「わかっていますよ。それでもバララバー殿が薔薇に詳しく、なかなかお目が高いのは間違いない」
「人間にしてはわかっているじゃないか!そうとも、私は薔薇を愛している。今まで生まれてきた薔薇もこれから生まれる薔薇も全て、全て愛している!!」
「ならば私の薔薇を任せるのもやぶさかではありません」
「ハ!契約成立だ、私の薔薇愛を恐れるがよい!」
主人は吸血鬼と目を合わせて笑う。吸血鬼は牙を向いて笑い返す。
吸血鬼退治の道具が入った鞄に手を掛けたままの私は、Dの隣で二人の姿を見つめていた。
泊まっていってもよいという主人の申し出を断り、私とDは帰途に着いた。部屋に着いて、今度こそが私が茶を入れてDへと差し出す。Dは軽く眉を跳ね上げてカップを受け取った。自分用にも入れた茶に口をつける。ほっと一息つくと同時に、ぽつりと言葉が漏れた。
「これにて一件落着、でいいのか」
優雅にカップを傾けていたDが応えた。
「友人ができてよかった」
「……そうだな、友人だな」
「ハッピーエンド」
「そうだな。……なあお前、この薔薇の苗、もらってくれないか」
私は鞄から薔薇の苗を取り出した。屋敷を立ち去るときに主人から礼だと渡されたものだ。差し出した苗を見つめ、Dはことりと首を傾げた。
「それは君の」
「わかっているが、私に薔薇の世話はできん。お前はなんだかんだ面倒見がいいだろう。私の代わりに育ててくれないか」
「ふうん」
Dは薔薇の苗をしげしげと見つめていたが、やがて頷いた。
「いいよ。でも、咲いたら見に来て」
「わかった」
間髪いれずに私は頷いた。あの温室のように美しく咲くのだろうか。Dのことだから、もしかしたら薔薇からかけ離れたとんでもない花を咲かせるのかもしれない。それでも、その光景は間違いなく愉快だろうから。
「楽しみにしている」
それを聞いて、Dは僅かに目を細めた。それが友の笑顔なのだと、私は既に知っている。