国際教養科誕生

エピソード

国際教養科設立の経緯とその後


高校に新学科が開設されるためには相当の労力を要します。当時の先生方がどのような思いで国際教養科を立ち上げ、その後国際教養科がどのようにスタートしていったのかについて、生の声を聴いて記録をまとめたいと考えました。2021年8月9日に、設立や教育に携わってこられた先生方をお招きして座談会を開き、当時のお話を伺いました。


<参加者>

小山 文夫 先生  第2期生担任

森 大和 先生   平成11年度、12年度 校長

Chelsey Beal先生 本校ALT 平成27年度赴任

中澤 理絵 先生  第3期卒業生 第14期生担任

竹内 光礼 先生  第1期、第4期、第8期生担任

矢澤 德夫 先生  第7期、第12期生担任

(司会 村山 美耶子  記録 中澤 俊樹、清水 美保)

<座談会>


21年前(2000年)に新学科を設立する背景にはどのようなことがあったのでしょうか。


(敬称略)

森   実は新設の4年前に当時の小野校長から新学科の提案がありました。新学科は自然発生的にできる方が充実した教育内容になるのですが、この件に関しては県の方で国際的な学校を東信に置きたいという構想があったのです。外からこういうものを作りなさい、ということになると、当時は染谷も十分活躍していたので、このままでもいいんじゃないか。」という意見が職員の中で多く、なかなか受け入れられませんでした。当時教務主任であった臼井先生、英語科の先生方、あり方委員会の協議は大変だったと聞いております。検討委員会から提案する予定だったが、あまりにもうまくいかなくて、職員会で出す予定だった資料を一旦引き戻しことを覚えています。「校長はやる気があるのか。」という空気もありました。県に報告する最終的な結論を一週間延ばして議論を重ねました。その中で、少しずつ協力してくれる先生も増えていきました。新学科設置に向けて、染谷は先生方が議論をしっかりやっていたという印象があります。最終的には先生方自身で決めたといってよいでしょう。このことが、次の発展につながったといえます。


小山  森先生が書かれた文章の中にあったのですが、信州大学の發地教授の言葉が紹介されていて、「改革は大学にとって生き残り策である。少子化、経済破綻、学生の精神構造を考えれば、改革は当然必要なことであり、自分たちが相当に傷ついても成し遂げなければならないものだ。身を切るような改革をして初めて学生を集められる。」それは高校も同じでした。平成7年~9年の頃、染谷の学生の質が落ちて危機的な状況にあったのです。


竹内  新設の裏側には、染谷を活性化させるというもう一つの狙いもありました。自分が赴任した当時は染谷パラダイスと呼ばれていました。その背景もあって、新学科をどうするかという議論につながりました。同窓会からも、普通科を昔の染谷にしてほしいという要望がありました。「新学科を設立して10年経ってからもう一度話し合いましょう。10年の間に普通科を活性化させましょう。」というビジョンをもって、英語科教員だけでなく理科の教員もデータを示すなどして、教科の枠を越えて教員同士知恵を出し合って新学科新設に向けて取り組んでいきました。


小山  平成10年と11年の2年間は、あり方委員会で他県の高校に視察に行くなどして、新学科の構想を深めていった期間でした。新学科の教育課程、国際教養科の概念図を練り、あり方委員会の資料を作りました。反対する先生方の論理に対抗できるだけの論理を準備していくよう必死に取り組みました。


竹内  国際教養科の概念図を「自己実現の木」(図1参照)として表したのですが、それにはものすごく時間をかけましたね。毎週土曜日に臼井先生の自宅に集まって会議をしていたことを思い出します。


小山  今日、臼井先生が欠席しておられますが、先生には是非出席して頂きたかった。というのは、染谷の国際教養科の立ち上げの段階で、臼井先生が中心になり、先生なしに染谷の国際教養科設立はありえなかったとの思いが強くあるからです。設立に関わった先生方は異口同音にその思いを持っておられるのではないかと思います。

設立後の国際教養科についてお話しいただけますか。


竹内  第1期生のプライドがあり、自分たちのやってきたことが今後引き継がれるということを意識していました。入学して間もない頃、エッセイコンテストを行いました。生徒からは、英語が好きという溢れんばかりのエネルギーを感じ取ることができましたね。その後コンテストは本校だけではなく外部の評価が得られるように他校から審査員を呼びました。エッセイを仕上げるために夜遅くまでCALL室に残り、親からクレームがあったことも。生徒たちは、大学のような雰囲気を感じ取っているようでした。3年になって進路を考えるときに、推薦入試も視野に入れました。3年間これだけのことをやってきたという自負があったからです。面接でしっかり話せる、アピールできるものはいっぱいありました。


小山  第2期生の担任として、竹内先生のやってきたことをじっと見てきました。全員で英語の俳句コンテストに応募し、作品をまとめて冊子を作りました。「自分たちのクラスが国教であることが嬉しい。英語が好きな生徒が大勢同じクラスにいる。先生、こんなにハッピーでいいんでしょうか。」と言う生徒もいました。いかにして彼らに動機づけするか、というところでは苦労しました。異文化理解、比較文化、外国事情の科目は、いずれも教科書がない。異文化理解では当時の長嶋先生がディベートを取り入れたり、恩師の先生を招いて講演会をしたりしていました。比較文化という授業では、「日本を作った120人」という堺屋太一さんのbilingualの本をテキストにして具体的な人物を研究させて発表させたりしました。社会科の授業ではなく、英語の授業としてどう成り立たせていくか、日本という国をどう理解していったらいいかなど、授業のあり方については非常に苦労しました。


矢澤  染谷の国際教養科の授業を見て、テーマを持った授業をしていることに衝撃を受けました。それが国教の特色でしょうね。中心的なテーマを掘り下げて、発表やコミュニケーション活動をする。自由な雰囲気がありました。獨協大学レシテーションコンテストに応募し、CALL室で録音する際にはノーミスでやるように指導しました。スピーチ、ディベート、プレゼンなどは自分としてもやりたい分野でした。ディベートは高文連で小山先生と立ち上げるときに、私は「できるはずがない。」と反対したんです。ディベートは特殊な人しかできないから無理ではないかと。しかし実際のところ高文連はぐんぐん成長していって、全国大会、世界大会にもつながりました。赴任した時にも染谷生は全国大会でも優秀な成績を収めていました。核になるようなテーマをみんなで広げていって、各授業の中で実践していきました。今思えば、4技能ということが、割と理想的な形でできていたのではと思います。卒業論文集は発表会をコンペとしてやる、というのは僕のときからです。卒業論文+プレゼン大会、という仕組みを立ち上げました。3月のところで、プレゼン、コンペのような形で始めました。生徒はお互いインスパイアされていました。成し遂げた後は生徒とみんなでパーティーをしましたね。そういう空間は二度となくて、本当にいい場所を与えていただいて、感謝しかないです。十分な準備をされて立ち上げられたということが、このように国際教養科が長く続いている秘訣ではないでしょうか。


中澤  私は第3期生だったので、初めて3学年がそろった年でした。授業は担当の先生が英語でべらべらっとしゃべって、全然分からなくて衝撃を受けました。「英語の授業は全部英語なんだ。これはしっかり勉強しなければいけない。」という気持ちになりました。クラスは40人いて、外国のバックグラウンドがある生徒は5人くらいでしたが、自分が担任をした2014年のときには14人くらいいました。異文化理解の授業がすごく楽しくて心に残っています。青年海外協力隊の方を呼んで話を聴いたり、今思えば恵まれていたんだと感じます。


今後の国際教養科に期待することをお一人ずつお願いします。


小山  他県の学校を視察した時、対応してくださる先生の意欲が瞬時に伝わってきました。学校を維持し、発展させるのは根本的にはその学校の先生の意欲にかかっています。国際教養科の先生方の熱意がとても大きいと感じています。国際教養科のパンフレットの裏面に載せたWilliam Blake の詩は、我々の当時の思いを託したものでありました。

一行目 To see a world in a grain of sand, 抽象や観念ではない具体的なa grain of sand に world を見る。我々の思想やイデオロギーを越えた素直な「個」の自覚を読み取れます。

二行目 And a heaven in a wild flower,具体的な a wild flower 洗練された花、花壇で手入れされた花ではない「野生の花」に「染谷生」の特色を見、

三行目 Hold infinity in the palm of your hand, ここも具体的な the palm of your hand に「無限という染谷生の可能性」を期待し、

四行目 And eternity in an hour. ここも具体的な「ひとときにどこまでも永遠性をもった染谷の国際教養科」の発展を期待していました。

竹内  生徒たちは、上田染谷丘高校の国際教養科という名前に惹かれ、夢を持って入学してきます。 夢を叶えてあげられるような教育の場にするという強い思いを持っていただきたいです。


森   昔から染谷の生徒は面白いところがあり、感性が豊かです。そのような雰囲気によって国際教養科は育てられていきます。染谷の生徒たちにはできる限り達成感をいっぱい持って卒業してほしいですね。20年経つとかなりしっかりした木になりますが、どんな花を咲かせるか、実をつけるかは決まっていません。ぜひどんな花、実になるかをしっかり考えていってほしいですね。


矢澤  英語を学ぶ魅力は、英語だから、片言だから真剣になり、伝わらないから一生懸命考えるというところにあると思います。卒業生の中には翻訳の仕事をしたり、海外で働く者もいますが、国際的に活躍するといったことが一切無かったとしても英語は学ぶ価値があります。先生方がとても熱心で、「こういう授業をしてみたいんだ。」という話で盛り上がれますし、「長いスパンでこういう生徒を育てよう。」ということができやすいカリキュラムになっています。そして生徒もみんなそれに応えようとしてくれます。プレゼンは原稿を棒読みしたら意味がないということを伝えるとそれに応えるようにね。生徒との想いのキャッチボールが楽しく、一緒に成長してきたという感じがあります。「このことについて話したい。」という思いがあって、それを伝えようとする人を育ててほしいです。器用な人ではなくてもいい。国際教養科の担任として働けた日々に感謝しかないです。



<参考資料①>

新学科設置の必要性について、当時の校長であった森大和先生は以下のように記しています。

本校は、100周年を迎える伝統校です。旧制の女子校として、「名門」の自負もあります。しかし、伝統はあくまでも伝統であって、本校の将来を保証するものではありません。また、生徒をトータルとして見れば、明朗で素直、基礎学力もそれなりにもっています。鍛えれば何とかなるという可能性もあって、指導しやすい学校といえるかもしれません。

 しかし、現状に付加価値を加えないまま推移した場合、競合する高校も現実にありますので、生徒数の急減に耐え得るかどうか、その将来が危ぶまれます。

 したがって、中学生(親・学校)や地域社会に「見えやすい学校」「目的意識の得やすい学校」として、本校の特色を打ち出すことが急務ではないか、と考えます。

(新学科設置についての考え方 一部抜粋)

<参考資料②>

以下は、当時の英語科職員がまとめた「新学科構想に関する英語科の基本理念」です。(一部抜粋)

設置が望まれる背景


(1)社会の急激な国際化

 これまでの日本は地理的歴史的条件などにより、受信型の社会であった。しかし、近年のメディア(インターネットなど)の飛躍的な発展により、世界のボーダレス化と国際化が急速に進む状況下にあって、日本も世界に向けて的確かつ大量の情報を発信することが求められている。

 長野県においても、今後更に国際化の波が急速に押し寄せることが予想される。県下の小中学校ではすでに国際交流教育が盛んになってきているが、高校においても、一般的な国際理解教育の必要性はもちろんのこと、条件の整う領域では、一歩進んだ発信型の交流を志向していくことが必要と思われる。


(2)家庭や生徒の意識の変化

 地球規模での国際化への急速な変化の中で、日本人の海外経験も飛躍的に増加し、日本的集団思考から欧米の個人主義的な考え方も広がりつつある。

 このような状況下で、従来型の普通科教育の中では自己実現のための努力が十分に報われ難い生徒も様々な分野で出てきている。外国語の能力や国際的な事項への関心を持つ生徒の自己実現の道筋を用意することはその一つである。


(3)染谷生の資質

本校生の大部分は、地域的な要因もあり純朴な努力型の生徒であり、外界に飛翔する志向は少ないかに見える。しかしながら、相当数の生徒には、国際的な場面でも、また地域社会の中で有用な貢献をなし得る資質が窺われる。このような生徒集団の潜在的能力を引き出し、将来国際的環境の中で、あるいは地域社会の中で貢献できる人材を育成することは、十分に現実性のある課題であると思われる。


(4)国際理解教育の中での言語教育に求められているもの

 本来言語は文字と音声が中核となっているが、急激な変貌を遂げ続ける現代社会の要求に、国際理解の分野で応えるためには、これまでの外国語教育理論と実践活動では十分とは言えない。生徒の多様化に対応するためには、具体的な場面での言語使用体験を増やすことが求められている。この課題を受け止めている中学、高校の教室では、異文化理解教育理論に基づく研究・実践が進められている。しかしながら、普通科授業の中での実践には、科目や単位数、生徒集団、スタッフなどの要因による制約があり、激しい国際化に対応して、国内外でコーディネーターとして社会に貢献する人材を育成するためには十分かつ適切な環境とは言えない。

 インターネットなどの多様なメディアを利用した教育、座学のみではなくフィールドワークを取り入れた学習、教室内でも発表活動を重視したダイナミックな学習形態などが考えられる。このような活動を通して国内外に自らの考えを発信し、また異文化間の仲立ちができる人材の育成が必要である。

国際系学科の基本構想


(1)伝統校の歴史を基盤にした国際系学科を目指す。

 単に欧米の文化を研究するだけではなく、本校の長い歴史、諸先輩の生き方を学ぶ活動を系統だった長期的なテーマとする。それらの活動を通して自己を再発見し、広い視野に立ってコミュニケーションを図ることのできる人材を育成したい。

①国際交流の充実   ・ホームステイ  ・姉妹校提携  ・留学、海外語学研修

②英語の重要性を認めながら、英語圏以外の国(特にアジア)との積極的な交流をはかる。

・第2外国語の充実  ・アジア諸国への海外修学旅行の実施  ・地域文化の再発見とその発信

③メディア教育の充実 ・インターネット  ・e-mailの活用(英語表現)


(2)国際系学科のメリットを普通科に還元する。

①国際系学科の授業のノウハウ ・英語で行う授業など

②専門科目の共修 ・英語理解 ・異文化理解 ・第2外国語

③国際交流の普通科への拡大 ・海外との交流は普通科も含めて行う ・ホームステイ ・留学

図1

※国際教養科の概念図は、新設時のパンフレットの中で「染谷の樹(自己実現の木)」として掲載されています。

※第二外国語は当初スペイン語、フランス語、中国語でしたが、2005年からは韓国語も含め4言語が学ばれています。

※2005年から2007年にかけての三年間、文部科学省によりSELHi(Super English Language High School)に指定され、英語教育の研究開発がなされました。



<参考資料③>

過去20年間の主な進路実績(国際教養科)


【国公立大学】

国際教養大学(国際教養)、北海道教育大学、東京外国語大学(国際社会)、横浜市立大学(国際教養、国際総合科学)、千葉大学(法経)、埼玉大学(教養)、筑波大学(社会国際)、茨城大学(人文社会科学)、信州大学(教育、経済、人文)、長野県看護大学(看護)、長野県立大学(グローバルマネジメント)、静岡県立大学(国際関係)、群馬大学(社会情報)、群馬県立女子大学(国際コミュニケーション、文)、高崎経済大学、都留文科大学(文)、新潟大学(医-保健看護)、新潟県立大学(国際地域)、上越教育大学、富山大学(医-看護、経済、芸術文化)、神戸市外語大学、長崎大学(多文化社会) 他


【私立大学】

慶応義塾大学(法)、早稲田大学(国際教養、法)、上智大学(外国語、国際教養、法)、国際基督教大学(教養)、明治大学(経営、国際日本、法)、青山学院大学(経済、文)、立教大学(異文化コミュニケーション、経営、法)、中央大学(文、経済)、法政大学(グローバル教養、国際文化、経営、法)、学習院大学(文、国際社会)、津田塾大学(学芸)、東京女子大学(現代教養)、成蹊大学(文)、國學院大學(文)、明治学院大学(国際、文、グローバル法)、日本大学(生物資源科学)、神田外語大学(GLA、外国語)、獨協大学(外国語、経済、法)、専修大学(商、文、法)、東洋大学(国際、国際観光、文)、東京農業大学(国際食料)、文教大学(国際)、大東文化大学(外国語)、名古屋外国語大学、南山大学(人文)、京都産業大学(外国語)、同志社大学(政策)、関西外国語大学(国際言語)、立命館大学(国際関係)立命館アジア太平洋大学(国際経営)、長野保健医療大学(保健科学部