第35回
AIは達成するか、その達成に価値はあるか
石田柊・長門裕介
第35回 一橋大学哲学・社会思想セミナー
日時
2024年4月26日(金)15時15分開始~18時ごろ終了予定*
* 終了後、30分程度打ち合わせを予定
場所
一橋大学国立キャンパス 第3研究館 3F研究会議室
企画
濵本鴻志(一橋大学大学院社会学研究科 総合社会科学専攻 博士課程)
講師
問い合わせ先
ko.hmmt[at]gmail.com ([at]を@に変える)
開催要旨
次のようなエピソードを考えてみたい。
俵万智の『サラダ記念日』を読んで、短歌の世界に魅了され、自分でも短歌を始めたいと思う。そうは決めたものの、いざどうしようか、なにか具体的な目標が必要だろうか。やはり俵万智の真似をして、毎年50首を宿題と定めることにする。不格好でもなんとか続けて、歌が貯まったら短歌賞にも一応、応募してみる。そんなこんなで、はや10年。せこせこと500余首を積み上げ、自分なりに納得のいく賞ももらうことができた――。
ところが、この500首余りの作品はすべて、ChatGPTが出力した作品だったとしよう。この歌人は、31音の音の配列や、そこに含まれる言葉の意味と響きに自らの頭を悩ませることはない。この歌人が向き合うのは、ChatGPTに入力するテキストプロンプトである。「角川短歌賞に応募する短歌を10首作ってください。短歌は、若い女性の恋愛や恋人との時間の一瞬を切り取った内容で、SNS・ストロングゼロ・将来への不安など20代女性のトレンドトピックに具体的に言及してください。さらに、俵万智の『サラダ記念日』からの本歌取りを最低3首含めてください。」等々。
この独特な作詩をする歌人は、俵万智には及ばずも、10年ものあいだ短歌を作り続け、短歌賞の受賞歴を持つにまで至った。通常であれば「達成」と言いたくなるこれらの成果は、果たしてこの奇妙な歌人の「達成」と言えるだろうか。この歌人は自身で歌を詠んでいない。詠んだ(出力した)のはChatGPTである。この「達成」は、この歌人ではなく、ChatGPTが成し遂げたことなのだろうか。いやそもそも、ChatGPTのようなAIが何かを達成しうるのだろうか。関連する疑問は他にもある。もしこの歌人が、ChatGPTではなく自身で額に汗をして歌と向き合い、毎年50首、延べ500余首を詠み、結果、何の賞も得られなかったとしよう。この平凡な歌人の10年は、ChatGPTを使った場合の10年と比較して、(少なくとも歌人としては)何も成し遂げなかった10年だっただろうか。もし仮に、自ら脳みそをフル回転させて詠んだ短歌で賞を勝ち得たならば、AIが出力した短歌で取る賞よりも価値があるのだろうか。逆に、AIを使った達成は、そうでない「素」の達成と比べて、目減りした価値しか持たないのだろうか。
自律・エンハンスメント・達成と価値の関係に関する疑問は、とりわけ創作に関わる人々の間でSNSを中心に多くの意見を集めるなど、徐々に身近な問題となりつつあるように思われる。こうした疑問に関連する最近の研究として、AIの達成(の価値)について論じるKieval (2024) “Artificial Achievements” がある。講演者の石田柊・長門裕介両氏には、同論文をもとに達成の価値についてそれぞれの視点から論じていただく。両氏の議論を通じて、昨今広く関心を集めているELSIや応用倫理学といった先端かつ応用的な分野において、価値論の観点からの議論がどのような意義を持つのか、確認できるだろう。本セミナーのねらいは、AIと達成の問題を通じて、広く倫理学に関わる応用分野における価値論の意義を知るきっかけとすることである。
なお。Kieval氏の論文は以下のリンクからオープンアクセスで読むことができる。(セミナー参加にあたって事前の通読は必須ではないが、事前に読んでくることを推奨する。)
Phillip Hintikka Kieval, Artificial achievements, Analysis, Volume 84, Issue 1, January 2024, Pages 32-41. https://doi.org/10.1093/analys/anad052
講演者からの一言
(石田)「過程と結果のどちらが大切か」というのは、子どもから大人まで多くの人が考えたことがある問いでしょう。最近では、科学技術の恩恵を用いて物事を「コスパよく」達成することの是非がしばしば論争の種となります。近年、このような「達成の価値」をめぐる古くて新しい問題に対して、主に英語圏の倫理学者のあいだで、価値論(Value Theory)や規範倫理学(Normative Ethics)の視点とツールを用いて取り組む動きが本格化しつつあります。今回のセミナーでは、その議論動向をひもときつつ、我々の側から「達成の価値」研究にどんな貢献ができるかを、みなさまと一緒に考えていければと思います。
(長門)Kievalの論文は価値論の(しかも比較的テクニカルな)議論を応用倫理上の問題に適用した好例だと私は思っています。AI倫理の文脈では「人間中心」という言葉が決まり文句として登場しますが、こうした観点から見てみることもできるのではないでしょうか。また、SNSを中心として(プロ・アマ問わず)イラストにかかわる人たちの間では生成AIの使用の是非について議論が交わされています。私の見るところ、議論のいくつかは著作権などより手前、つまり「達成の価値」といったことが焦点になっているように思われます。こうした現実の問題を巻き込みつつ、まだ日本の文献での紹介の少ない達成の価値について石田さん並びに参加者の皆様とお話しできることを楽しみにしています。