第31回
判例の解釈は認識を超える実践である
小川亮

第31回 一橋大学哲学・社会思想セミナー

日時 2023年7月14日(金) 15時15分開始・18時ごろ終了(予定)
場所 Zoomによる開催 参加希望者は担当者(m.igashira[at]r.hit-u.ac.jp)までご連絡ください
講演者 小川亮(憲法学/東京都立大)https://researchmap.jp/ryo_o
タイトル 判例の解釈は認識を超える実践である


要旨:

井頭昌彦編『質的研究アプローチの再検討』(勁草書房、2023)では、さまざまな分野の方法論が扱われているが、法学はその一つに含まれていない。その大きな理由は、同書の対象となる質的研究は、データによって観察されていない事実や因果関係を推論する作業だとされているのに対して、法学は、事実ではなく規範を、帰納的にではなく演繹的に扱う学問だと想定されているからだろう。

しかしながら、実際に本書を読むと、質的研究と呼ばれる方法論と法学が行なっている法や判例の解釈がかなり類似していることに気づく。そして、それはおそらく偶然ではない。なぜなら、多くの法学者は、法解釈や判例解釈を行うときに、自身が支持している規範に基づいて法や判例の意味内容を演繹的に決定しようとしているのではないように思われるからである。むしろ、少なくとも主観的には、法や判例のテクストその他の解釈のための資源を用いて、法や判例に客観的に内在している規範を発見しようとしていることが多いのではないか。

他方で、法学者がこのような態度を堅固に維持しているかといえばおそらくそうではない。法解釈や判例解釈は、個別法の目的や判例を教導するという実践的な目的にも資するような内容を同定することが期待されている。そのような解釈が、実在する真理の発見というよりも、むしろ目的からして正当な読解を創造するという性格を有することは否定できないだろう。すなわち、法学者は、法・判例解釈は発見でありかつ創造であると考えていることになる。これは如何にして可能なのだろうか。

本報告では、この問題をそれとして取り扱うというよりも、むしろ具体例から議論を始めたい。題材となるのは、法学者の仕事の中でもとりわけ専門性が高いといえる判例評釈という営為と、そこで対立する二つの解釈方法論である。すなわち、判例が明言していない点について、一方には、判例がどのような立場を採用しているかわからないと指摘するに留める方法論があり、他方には、憲法上の原理や他の最高裁判例との整合性の観点から、判例の立場を確定しようとする方法論がある。このうち前者の立場は、判例の意味内容をあくまで事実として発見する(「ある法」の発見)ことを試みるもの、言い換えれば、判例解釈において認識的規範を重視する方法論としてひとまず理解できる。これに対して、後者の立場は、事実としての意味の発見を超えて、判例のあるべき理解(「あるべき法」)を探究する立場、つまり、判例解釈において認識的規範だけでなく実践的規範をも重視して判例の意味内容を創造する方法論として、さしあたり理解できる。

この両者はそれぞれ可能なのだろうか。可能だとすれば、どちらが方法論としてより優れているかをどのように判断するべきなのだろうか。この問題に対する回答として、法学者の直観に適合的な説明以上のものを与えるために、本報告では、認識論における認識的規範と実践的規範の関係に関する議論を参照する。より具体的には、第一に、我々の認識は認識的規範のみに支配されているわけではないことを、実践的侵食(pragmatic encroachment)に関する議論を参照することで簡単に示す。その上で、認識的規範と実践的規範の関係性について、認識的規範を何らかの目的を達成するための手段として見る立場(認識的道具主義)に関する議論を検討することで、認識的規範は我々の実践的目的の手段として位置付けられることを示す。

これらの検討から導かれるのは、一般に、認識的規範は実践的目的をよりよく達成するためのヒューリスティックであり、したがって、判例評釈における認識的規範もまた、判例評釈の実践的目的のためのヒューリスティックであるという構造である。この構造からすれば、判例評釈においては、まずは認識的規範に基づいて解釈を行うべきである一方で、その認識的規範の内実は、判例評釈の実践的目的によって同定及び正当化されるべきである。逆に言えば、判例評釈の方法論としての認識的規範は、それが判例の意味内容という客観的事実をより良く発見するという理由によっては正当化できない。それはあくまで、実践的目的のためのヒューリスティックなのである。


参考文献:


備考:

今回は小川亮先生から、法学分野の研究方法論について、 『質的研究アプローチの再検討』(勁草書房、2023)を踏まえた上でのご講演をお願いできることになりました。当日は、人文学・社会科学の中でも特異な地位を占める法学(の一部)がどのような方法のもとで研究されているのか、その是非はどのような仕方で評価されうるのか、他の人文学・社会科学との類似性と差異はどのように理解されうるのか、といった興味深い論点に繋がる議論をしていただける予定です。本講演は、法学と、社会科学方法論や哲学(認識論・科学哲学)といった隣接諸分野との接点を考える上でも得難い機会になると思われます。奮ってご参加ください。