決戦から十年後、公安委員長ホークスが荼毘を利用してヒーローが暇な社会を実現しようとする話です。続きます。
連合時代とその後を捏造しました。荼ホの世界線なので、死刑囚の荼が公安に協力します。
(上)3の注意:ホー荼毘ともとれる描写/荼⇒ホ
3
気ッ色悪ゥ……アイツ何?
波止場に置き去りにされた後、俺はしばらく放心状態で黒い海を見つめていた。翼を傷つけられたり羽根をちぎられたり、そんなの公安のヒーローとしては日常茶飯事だ。でも、アレはないだろ、アレは。
という感想を除けば、初対面の感触は悪くなかったのが唯一の救いかもしれない。
あのオール・フォー・ワンがバックについてるもんだから、連合レンゴウって威張っちゃいるけど、所詮ヴィランの寄せ集めだ。特に荼毘は目立った前科も特にない。絶対に経験値の差を見せつけてやる。俺は無理やり抜かれてひりひりと痛む翼を広げ、夜空をかっ飛ばして福岡へ帰った。
ちなみに飲み込まれた剛翼は、数時間してからえずく音ともに吐き出された。公安内部でさえ数人しか知らないが、遠距離だって俺の剛翼はつながる。神経を研ぎ澄ませていれば、荼毘はその羽根を流水で洗い、丁寧にドライヤーか自らの蒼炎で乾かしていた。その後くすくすと笑う低音が響いて、
「俺が気になンのか?」
冷や汗が流れた。盗聴しているのがバレたのか――いや、そんなハズない。考えているうちに俺の羽根は熱にのまれ、あまりの高温に感覚ごと遮断するしかなかった。数十秒後、再接続を試みた時にはもう感覚が途切れていた。
公安にすべて報告すれば、むしろ荼毘は俺を気に入った、と結論付けられた。よくやった、と肩を叩かれ、へらへら笑いながら「まあ、気を緩めずやりますよ」なんて答えたものだった。
ところが、それからは困難の連続だった。かぐや姫のごとく無理難題を突きつけてくる男相手に、俺は必死になって贈り物をした。器量よし気立てよしのお姫様なら銀の実をつける金の枝や海底に棲まう竜のもつ宝石なんて手に入るはずのない美しい品々を欲しがるけれど、ホラー映画に出てきそうな全身ツギハギだらけのヴィランは、麻酔薬、ガソリン、身寄りのない犯罪者の戸籍――ギリギリ手に入れられるクソみたいな物品を所望する。極めつけはベストジーニストさんの死体だ。公安が仮死状態にする薬を開発していなかったら、あれはきっとうまくいかなかった。
今回のプロジェクトだって、初めの感触がいいからと油断していると足元をすくわれる。荼毘に探りを入れた翌日から、俺は入念に準備を始めた。案外思慮深い荼毘には考える暇を与えない。プロジェクトの具体的な説明をするのは、荼毘が被検体になった後だ。
「ごめん、連絡遅れて」
そんなこんなで二週間経った。セントラルの部屋に駆けこめば、二週間前より医療器具が増えていた。これは焦らしすぎたきらいがある。慎重に行かないとヤバいな。
『これはこれは委員長サマ。まだご存命だったようで』
荼毘は硝子の眼球をぐるりと動かして言った。あのひどい呼吸音もなく、今日は静かだ。
マズい。コイツは多少呼吸音がひどい方がおとなしく、比較的俺の話を聞いてくれる傾向にある。腐ってもヴィランだ、元気であればあるほど悪事を働く。俺はとりあえず笑顔を作って様子を探ることにした。
「今日は体調よさそうだね。何かしてたの?」
『なぁんにも。あんな話を持ちかけておいて、急に来なくなったんだ。てっきりお前が死んだと思ってたからなァ、一日中壁を見ながら墓には何を供えてやろうか考えてたんだ』
ヤバいヤバい。アラームが鳴れば医師たちがすっ飛んできて話ができなくなる。 俺はモニターの数値がどんどん上昇していくのを横目で確認し、慌てて「ごめん」と話を遮った。
「羽の準備に時間がかかったんだ。お前も飛べるようになってほしかったからさ」
『……へえ』
荼毘は俺をじっと見つめ、機械の力を借りてゆっくりと下へ降りてきた。視線が合い、それから下へズレていく。荼毘は俺の口元を見ているようだった。よかった、とりあえずプロジェクトに興味はあるらしい。
「この間説明したとおり、実験モニター中は自由に外出ができます。もちろんずっと俺が一緒だからお前の自発的な行動は制限されるし、主に公安の仕事に付き添うことになる」
『犯罪者にバラしていいのか?』
「トップシークレットの場所は五感を遮断します。お前はここに強制送還されるわけ」
『黒霧のワープみてえな個性で、ってか?』
「ちょっと違うかな。ま、百聞は一見に如かずだよ」
俺はポケットの中にある小型装置を取り出してスイッチを押した。ヴンと鈍い音が骨を伝って響いてくる。目の前が一瞬白く光って眉をひそめる。発目博士が言うには、「接続」さえすれば馴染んでくるらしいけど、まだ相手がいないせいかうまく作動していない。
これのために極秘で外科手術を受けて一週間入院してリハビリを行いました、なんてバカ真面目に申告する気はないけど、俺にだってそれなりの覚悟がある。
『サポートアイテムか』
「そうです。目と口は貸してあげる。あとは手、左か右、選んで」
『ハ?』
「どっちか決めて。あと五秒、四、三……」
『ひだり』
荼毘はゆっくりと言った。蒼い硝子の眼は蛍光灯を反射してきらきらと無機質な輝きを返してくる。
『とうとう俺もハイエンドの仲間入りか? ホークス……」
その瞬間だった。荼毘の眼が見開かれたまま氷漬けになったように停止する。その光景を最後に、俺の視界は真っ黒に塗りつぶされた。
「どうした、ホークス?」
俺の名前を「俺の声」が言った。妙な感覚だった。俺の喉を使って誰かが話している。
「……なんだこれ。どうなってる。説明しろ」
「俺の声」が吐き捨てた。身体のところどころに麻酔がかけられたような感じがする。手品で助手の身体が箱に入れられてばらばらになっていく、あれを地でいくようだった。
「あ。あーあー」
声を出してみれば、意外とすんなり通る。俺の左手が何かを構えるような体勢をとった。おそらく蒼炎を放出しようとする際の動きだろう。咳ばらいをすれば、その手がこわばるのが分かった。どうも俺の全身のすべての権利を荼毘に渡すわけではないらしい。
「俺の身体を貸しました。具体的には俺の目と口と左手。俺は今何にも見えてない状態なんで、むやみに左手を動かさないようにね。居心地はどう?」
「気持ち悪ィ……。これも夢の平和な社会のためとやらの一環か? よくやるな」
「何とでも言って。今は無理だけど、そのうちお前専用の義体を作ってもらうつもりだから」
「不可能なんじゃなかったか?」
「この実験が成功すれば、不可能は可能に一歩近づく。お前の神経と人形をつなげる実験も成功するかもしれない。そうすれば自由に動けるようになる」
「自由に……」
荼毘の声に珍しく喜びの色がのった。
世間は大量殺人犯の治療を続けるエンデヴァーさんを親バカ、荼毘は甘えた息子だなんて言い放題だが、実際に治療を受けている荼毘を見れば見る目が変わるかもしれない。医師から説明を受けた限りでは、このポッド内であっても焼死する一歩手前の激痛が死ぬまで続く。きっと荼毘にとって、この病室はタルタロスにも匹敵する。特にここ数年は。
「お前と……歩けるのか?」
前半は聞き取れそうもない小さな声だった。俺はあえて聞こえないふりをして、優しく頷いてやる。
「歩けるよ。荼毘はどこ歩きたい?」
「ハ」
ピッ、とモニターの数値が上がる音がした。これ以上は話させない方がいい。
「どこでもいいよ。また教えて」
その言葉で、俺の意思とは関係なく目頭が熱くなるのを感じた。荼毘の感情に反応したのだろう。すぐに熱いものが頬を伝っていくのが分かった。
かわいそうなヤツだと思う。俺と違って運がなかった。たったそれだけで、こんなに身体をボロボロにして死刑囚になってしまった。
「お前の行きたいところに連れてってあげる。今度こそ本当だ」
「俺」が何度も瞬きをする。ポッド内の荼毘の心拍数が上昇する機械音がした。
「このまま、ちょっと外に出ない?」
できるだけ優しく、少し懇願するような声を意識する。俺は知っている。この男は今でも俺が好きなんだってことを。
「いいぜ、ホークス」
穏やかな声だった。群訝山荘で二人きりになった夜に聞いた声と同じ言い方だった。
スパイだからと嘘ばかりついているわけじゃない。俺の言葉はほとんどが建前で、ときどき本音だ。ただ、その合間にほんの少しだけ嘘を紛れ込ませているだけ。
「懐かしいね、こういうの」
「そりゃお前だけだな。俺ァ群訝山荘のこと許しちゃいねえよ、ヒーロー」
「ハイハイ、俺が悪かったね」
俺は本心から肩をすくめた。見られると喜ぶクセに、あんまり寄り添いすぎると不信感を抱かれる。荼毘は慣れていても扱いが難しい。
「お前の顔でお前の声か。第三者から見たらトゥワイスみてえなんだろうな」
「……ごめん、そういうこと言うなよ」
傷ついた声を出し、意図的に荼毘との接続を切れば、また体の内側から鈍い音がして、体の自由が戻った。
荼毘はガラスの内側に戻っていた。これまで何年もそうだったように様々なパイプにつながれたまま、俺に抗議の声も上げず瞬きもせずにただじっと見てくる。付き合いの長くなった今でも、この目は苦手だった。まぶたがなく瞳孔が開き気味で吊り上がった目は、蛇を連想させる。まもなく荼毘の視線が追っているのは俺の手で、無意識に頬の傷跡をなぞっていることに気づいた。
「……あれは俺が悪かったんだ」
『へえ? ヒーロー様にも自覚があるんだな』
「だから中から変えたいんだ。公安が表に出て堂々と誰かを救えるようにしたい」
『ふぅん』
蒼い硝子の目はじっと俺を眺め、その背後にある大きな窓にかかったカーテンの隙間を見ている。誰かを祝福するような晴れ空が広がっていた。
『ホークス、もう一度やってみせろ』
「それ何? 命令?」
『いいや? “お願い”』
俺は大げさに肩をすくめてからもう一度スイッチを押した。今度は口と五感を少しだけ。鈍い音とともに、男の意識が入ってくるのを感じる。
「……熱い」
俺の声が言った。一瞬視界がぼやけるが、やっぱり体の主導権は俺にあるらしく、目に力を入れれば視力が戻ってきた。ただし、いつもよりはぼんやりとしている。
「ホークス、外に出たい」
どうせ死刑になる男なんだ。それまでは目いっぱい甘やかしてやるし、荼毘が喜ぶようなこともしてやる。それで、ちょっと進んで俺の言うことを聞いてくれれば万事上手くいく。
「いいよ」
俺はできるだけ優しい声で答えた。
今度は上手くやる。前回と同じ轍は踏まない。トゥワイス――分倍河原は説得に失敗した。ヴィランになる前に手を差し伸べない限り、俺の手をとるなんて土台無理な話だった。でも、誰からも見放されたこの可哀想な男なら、こんな汚れた俺でも救ってあげられるかもしれない。死ぬ間際までずっと夢を見せてやる。
俺は部屋の入口まで歩いて行って、ドアのノブに手をかけた。俺が――いや、荼毘が小さく息を飲む。 ゆっくりと扉を開く。
最期まで気づかせない。もう一度俺に裏切られたなんて。