「ああ、そういえば」

棚の書類を整理しつつ、囗が思い出したかのように口を開く。


「今日、田中様が海外出張から帰ってくる、とおっしゃっていた気がします」


「え!じゃあ出迎える準備しないといけないじゃんね?」


自分のデスクに座りちまちまと報告書を作成していた風嵐はガタッと立ち上がる。


______田中は晦冥に出資している、雇い主のような、謎の人物である。


風嵐はそんな田中のことを、隙がなくて話し辛い存在だと感じている。


しかし、そんな相手であっても海外に居たのであれば日本の雰囲気や、正月が恋しいはずだ。


しかも、晦冥本部は正月というのに殺風景すぎる。


要するに、晦冥を飾り付けたいというのが風嵐の本心であった。

……少し、休憩したいという気持ちもなくはないが。


しかし、そんな内心を知らない颰は、「絶対報告書作業が飽きたからだろ……」と半ば呆れた様子で風嵐を見た。


「違うじゃんね!今丁度終わったところなんじゃんね!」

風嵐は先ほどまでやってた書類を皆に見えるようにぐるりと突き出し、「田中さん、海外行ってたじゃんね?ということは日本が恋しいはずじゃんね」と話す。


そして、書類を机に置いて話を続ける。


「今は正月だし、いつもの殺風景な部屋よりも、少しは正月らしさを出した方がこう……『あ〜日本に帰ってきた〜』みたいになるはずじゃんね」


その演説に納得してしまった颰は、「なるほどな〜」と呟く。


「……確かに!一理あるかもしれないな。田中さんにはいつもお世話になってるし、たまにはそういうおもてなしをしてもいいかもな」


その様子を片耳で聞いていたエレフェスは、何やら面白そうだと感じ、この流れに乗るべく口を開いた。


「何?面白そうな話してんじゃん♪私も混ぜてよ」


ニコニコしながら先ほどまで手入れしていた針をケースに収納する。「で、何すればいいの?」


「とりあえず、去年田中さんの関連企業の手伝いで使った正月飾りの残りがあるはずじゃんね……?それを探すじゃんね」


風嵐は辺りをぐるりを見渡し、そういえば夙川が年末の大掃除にそういった飾り物を整理していたことを思い出した。


「兵馬はどこにあるかしってるじゃんね?大掃除の時そういう雑多担当だったじゃんね」


突然話しかけられた夙川は、

「え、別にやるとは言うてへんけど……まあええか、愉快やし……」と言って、キャスター付きの椅子に座ったままガラガラーッと書類棚まで移動し、棚の下をガサガサと漁った。


「あ、あった。これやないですか?」そう言いながら夙川は何かを手に取る。


「残ってたのかよ、捨てたと思ってたんだけどな……って」


颰は夙川の手に取られた赤と白の物体を眺める。

そして困惑と呆れが合わさった顔で彼の顔を見た。


夙川はなんです?と言いながら相変わらず読めない表情を浮かべている。


颰は自分の見間違いかもしれないと感じ、再度彼の手に握られている赤と白の物体を見つめ直した。

彼の手に握られていたのは、正月に使うようなものではなく、クリスマスに使う、サンタの帽子であった。


「全然違うじゃねーか!サンタさんの帽子だろそれ……」

「紅白で縁起がええんちゃいますか、知らんけど」

悪びれなく話す彼の様子に拳を握りしめ震える。こいつ、また適当なこと言いやがって……


「まるで見つけました!かのように取り出したじゃねーか……」

「季節ものを見つけただけでも一歩前進だと思いますけど」

そう言って、棚から段ボールを何個か取り出す。


それらの中には、正月、と油性ペンで大きく書かれたものもあった。


「ああ、やっぱあったんだ!じゃあこれで晦冥を一気に正月にするじゃんね!」

風嵐が後ろから何個か、正月の飾り付け道具をひょいと取り出し、エレベーターの方へと向かって行った。


「そういやナマハゲないの?正月といえばナマハゲでしょ♪」

颰が関係のないクリスマスだの、ハロウィンだのの段ボールを片付けていると、エレフェスがニコニコと話しかけてきた。


そんなエレフェスの様子に、海外の血が入っている彼女はもしかしたら日本の文化を知らないのかもと感じ、親切心で颰は訂正を入れた。


「エル、ナマハゲは秋田だけだよ」

もちろん、エレフェスはナマハゲが全国の正月の定番でないことを知っている。

彼女は今もなお、「え!?そうなのか!」などと大袈裟な態度をとっているが、演技である。


それに気づいた夙川は、颰に対して真実を教えようと口を開いた。


「颰さん、エレフェスさんが日本何年目やと思ぉてますん?それくらい知っとるやろ」

「え、俺揶揄われたってこと!?ショック……」

どさくさに紛れて出てしまったハロウィン衣装を畳みながら、悲しみの表情を浮かべる。


正月道具に紛れ込んでいたクリスマスの飾りを整理していた風嵐は、飾りを片付けるついでに颰を励ました。


「獅冬……おつかれじゃんね」


労いの言葉であるのに、その気持ちは届くことはなく、颰は視線をさらに下に向けて、作業の手を止めた。


「茅夏に慰められてしまった……」

「ちょっとそれどういう意味じゃんね!?」


そんな、日常会話をしている間も、囗は淡々と正月の飾り付けをしていた。


「あ、ひとやさん!これも見つけたけど使えそう?」


淡々と作業をする囗に気づいたエレフェスは、飾り付けを手伝おうと様々なものを持ってくる。


しかし、内容物は正月と言うにはおどろおどろしいものばかりである。

その様子を見て、囗は言葉を詰まらせた。

善意であることがわかってるが故に、断り辛いのである。


なるべく彼女を傷つけないような言葉を探し、穏やかな声色で自分の意思を伝えた。


「それはちょっと色が合いませんね……」


それから10分ほど立った現在、遠くからポーン、とエレベーターが到着する音がした。

しばらくして、事務所の扉が開く。


あれだけ騒がしかったのにも関わらず、今までぐっすりと眠っていた阿千輪は、すっと目を覚ました。

「あ……田中おじさま……」


その頭領の声で、晦冥幹部全員が、田中にやってきたことに気がついた。


囗は、目をスッと閉じた。

まだ部屋のあちこちが未完成の状態である。


飾り付けをしているうちに、妙に凝り始めてしまい、収拾がつかなくなってしまっているこの部屋は

______辛うじて正月っぽく、何をしようとしていたかはわかるような……そんな部屋であった。


幹部の様子もおかしい、なぜかクリスマスの帽子を被っている者、ハロウィンに使うような角のカチューシャをつけている者……


極一部ではあるが、正月の準備をしていたはずなのに、ものの数分でどうしてこうなってしまったのだろうか。


田中はゆっくりと帽子を脱いで、周囲を見渡し、ぽつりと呟いた。


「……何をしているんだ君たちは」

ある程度部屋の整理が終わったところで、泥水のようなコーヒーを飲んでいた田中は一息つき、カバンからあるものを取り出した。


「すまないが、ここに集まってくれないか、渡したいものがある」


即座に全員が集合し、話を聞く姿勢に入る。


幹部全員が集合したことを確認すると、田中は手に持っていた……ぽち袋を皆に配って回った。


ぽち袋には『賄賂』と書いてある。

「あの……田中おじさま、これは……」

阿千輪がぽそ、と尋ねた。


それに追随するように、夙川が「まさかお年玉とかや、ないやんなぁ……」とひとりごちる。


しかし、予想に反して田中はこくりと頷いた。


「そのようなものだ。各自好きなように使ってもらって構わない」


「え!?晦冥ってボーナスとか出るんだ?」

封筒と田中と視線を交互に移動させる。


「たまに田中さんの子会社の手伝いの対価としてバイト代みたいなのは出てたけど……」


颰の勘のようなものはどうやら当たっていたらしく、また田中は頷いた。


「当然、ただで渡すというわけではない。我が社は君たちの先代に恩があるので資金援助をしているが、偶にはこちらの手伝いをしてもらおうと思ってな。まあ、いつもと同じようなものだ」


「なんや、上手い話には罠があるってことか……で、何です?その手伝いってのは、またいつものやつですか?」


怠そうに尋ねる夙川に対して、至極冷静な対応で田中はまた答える。


「そうだ。君たちには今から、神社の前でティッシュ配りをしてもらう」


「……ティッシュ配りじゃんね……?」

風嵐が神妙な顔で呟いた。


「そうだ、ティッシュ配りだ。我が社の子会社がインフラストラクチャー系の企業……まあ、わかりやすくいえば電力会社でな。最近は、発電力が不足しているが故に……今冬は節電をしないと停電を起こしてしまう恐れがあるのは、報道などで知ってるとは思うが……」


「で、それがティッシュ配りにどう繋がるのかな?一のおにーさん」

エレフェスが肩をすくめながら田中の方を向くと、「そう結論を急ぐな」と制し、話を続けた。


「それで……節電を呼びかけようとのことで、電気の使用料を控えめにしたり、神通力でエネルギーを支えて節電をすることでポイントを貰え、今月の電気使用料が節電した分安くなるようなキャンペーンを行っていてな。君たちには神社の前で、その広告が入ったティッシュを配って欲しい、という話だ」


そこまで話し終えると、田中はティッシュを机の上に置き、話は終わったと言わんばかりに優雅に冷めた泥水コーヒーを飲み干した。


そして、スタスタと自身の書斎へと帰って行った。


風嵐は暫く戸惑っていたが、とりあえず思考を停止させ、皆に確認を取る。

「……と、とりあえず、ティッシュ配りに行くじゃんね……御照神宮、じゃんね?この感じ……晦冥があそこで平和な活動してるのなんかおかしいけど」


あまり好きではない場所に行くのは気乗りがしないが、仕方がない。

そう思いながら着替えに行こうと扉の方を向くと、目の前にエレフェスがやってきた。


「まぁ、そういうこともあるよ♪いっぱいお年玉もらったし、ちゃんと労働しないとな〜。これでなんか美味しいものでも食べちゃおうよ」


「……そうじゃんね!ありがとうじゃんね。ティッシュ配りでこれだけもらえるっていいことじゃんね!」


一方、颰は先ほどから感じている違和感の先……夙川の方向を向いた。


彼は先ほどから封筒の中身をじっと眺めている。なにか、お金以外が入っていたのだろうか。


微動だにしない彼の様子を伺おうと、颰は口を開いた。

「おい、大丈夫かよ……何か変なものでも入っていたか?」


颰の問いかけに対して、夙川は丁寧に封筒をしまい、そして、笑顔で返した。


「ああ、大丈夫です。ご心配をおかけいたしました。行きましょう皆さん。労働は素晴らしいことですよね」


いつもと違う夙川の様子に、一同ギョッとする。特に風嵐は毛を逆立てて、冷や汗をかきながら怯えた顔をする。

「ど、どうしたじゃんね……?命でも狙われてるじゃんね?」


そんな風嵐の様子を気にしない様子でニコリと爽やかな笑顔を向けた。


「いや、ティッシュ配りをするだけでこれだけの金額を手にすることができるなんて、こんなにいい日はないですよ。労働の対価はお金……資本主義万歳ってこういうことを指すんですね」


そうして、比較的軽い足取りで準備をしようと部屋に戻って行った夙川の様子に、颰は驚きながらぽつりと呟いた。


「お金で人が狂ってしまった……」

「やっぱ人が多いじゃんね〜!まだ午前中しか労働してないのに疲れたじゃんね」


風嵐が差し入れの飲み物を飲みながら椅子になだれかかる。


ティッシュ配りがひと段落つき、晦冥は田中の子会社が用意した控室で昼休憩をとっていた。


「てか凪川……どこにいったんだよ」

手を付けられていない差し入れを見ながら、颰が呟いた。


その飲み物のボトルには「夙川」と、漢字で印刷されたラベルテープが貼られている。


「ああ、ひょーまくんなら、30分前にトイレだって言って出てったよ」

ルンルンと残りのティッシュの数を数えるエレフェス。

その横に座っていた風嵐はげんなりと頭を抱えた。


「それって、サボりじゃんね?」


そんな二人のことをおやおや……と、父のような眼差しで見守る口は、ふと聞きなれた足音に細めていた目をぱちぱちと瞬いた。


「戻ってきたようですね」


囗がそう言うと、簡易的に建てられた休憩室のドアがガチャと開く。


「あ、サボり魔ノッポ後輩」


颰がそう揶揄うと、”サボり魔ノッポ後輩”は、ええ?と眉間に皺を寄せて、道端に落ちたガムを見かけた時のような、そんな目で颰を見た。


「いや、トイレですし……というかあだ名にセンスが感じられませんわ。関西人は笑いに厳しいんで……」

実際、一旦休憩をしていたことは間違いない。言葉が足りないだけで、嘘は言っていないのだ……まぁ休憩を挟んだりもしたが。


そんな夙川の事情を知らない颰は、ちょっと面白いと思っていたあだ名を面白くないと言われて若干ではあるが傷つき、その感情を隠すかのように腕を組んだ。

「はー?なんだよ、かわいくねー奴!」


「30分も何するじゃんね……」


この間、颰を引いたた眼差しで見ていた夙川であったが、風嵐の言葉を聞いてどこか満足したらしく「まあ、ええですけど」と呟いていつもの調子に戻った。


……あくまでそれは、夙川がその状況を楽しむために演じた分かりやすいウソである。


しかし、騙されやすい颰は基本、そのことに気付けない。一旦形勢を立て直そうと仕事をしなきゃな、などと独り言を言いながら追加のティッシュをカゴに詰め込んだ。

「くそーッ……まあでも、結構ティッシュの減りも早いな。望月効果すっご……この調子だとすぐに終わりそうだな……」


単純作業をしながら、ふと前に抱いていた疑問を夙川に投げかけた。

「そういえば、夙川の様子おかしかったけど、今は落ち着いたか?」


「常に金が足りない苦学生としては、臨時収入は本当にありがたい話なんです。しかもあんな金額……ティッシュ配りにしては多いんですわ……」

そして、スマホで何か調べたかと思うとある画面を颰に見せる。


「大体こういうティッシュ配りは日給なことも多いんやけど、それでも相場はこれやで。このうち数万円はお年玉なんやないんですかね」


「確かに……田中さん、何考えてるかわかんないけど、もしかしたらお年玉だったのかもな……ありがて〜、大切に、自分のために、使わせていただきます」


いやでもまあ、これだけあったら皆にケーキとか買えるか?と呟きつつ、手を合わせて感謝をする颰の様子を見て、エレフェスがポツリと呟く。


「でもあの人、意外と雑なところあるから……もしかしたら気にせず入れたという説もあるよね♪」

「そんなことあるじゃんね……?」

純粋な疑問を抱き、エレフェスの方を向く風嵐に、待ってましたと言わんばかりにエレフェスが答える。


「前にもさ……」


そう、エレフェスが口を開いた途端、遠くから人の歓声のようなものが聞こえてきた。

どうやらショーがもうすぐ終わるようだ。


「望月は華やかなショー、片や俺らはティッシュ配りかぁ……」


その歓声を聞くや、颰は遠くを見つめ、そして、気持ちを切り替えるかのように晦冥の方を向き、分かりやすく肩を落とした。


変な動きをするなと感じながらも、臨時収入であるお年玉に気分が良い夙川は、

「ボーナスも出たことですし……夜は寿司でも食って帰ります?まあ、先輩らの奢りですけど」とにこやかに話す。

「だってよ、先輩方♪」面白そうの味方であるエレフェスは夙川側についた。


「エル!?そっちの味方につくのかよっ!」

この組織の中ではそこそこ長い勤務歴を誇るエレフェスであるが、その性質は気まぐれそのものである。


自分の立場も気にせず夙川と肩を組んだエレフェスに獅冬が力強くツッコミを入れると、「ええツッコミ入れますやん」と、夙川が少々的外れな言葉を漏らした。


そんな彼らの様子をニコニコと見守っていた囗が、何か思いついたように片手を軽く挙げる。


「おや、であれば私が手ずから、料理を振る舞いましょうか?」

「え!?囗さんの手料理!?絶対おいしい……やったじゃんね!」


その囗の言葉に、一同は爛々と目を輝かせた。


「え、俄然楽しみだ!このティッシュ配りにも精が出るな!」

「まあ……まだ三箱ありますけど」


颰がガッツポーズを作るが、そのすぐ横に大きな箱を三つ置いて見せる。


ひねくれた後輩の態度にまた肩を落としながら「それを言うなよ……」と呟き、めそめそと差し入れのペットボトルを手に取るのであった。