X線解析の専門家ではない有機化学者が解析できるようになっても, 計算機科学の敷居が高く, 解析を依頼されることが多くあった.
解析に先立って, 話を聞くと解析する必要があるものばかりであり, なるべく引き受けたかったが, 研究室分が多く最少に絞らざるを得なかった.
研究室分と書いたが, それにはそれなりの意味がある. 田口教授の後任として名古屋大学工学部から兼松教授が赴任したが, 解析待ちのサンプルを数多く持ち込んで来た.
サンプルの中には一流国際誌に報告済みのものもあった. 解析してみると, NMRスペクトルによる構造とは異なるものが多く, 解析結果を報告するのに苦労した.
典型的な例は J. Org. Chem. に報告された phencyclone と azepine の反応がある. 熱禁制の6π+2π反応が惹起したと報告されていたが, 実際は phencyclone が2π, azepine が4πで反応したものであった. その後, この反応は phencyclone が4π, azepine が2πで反応した後, Cope転位したものであることを明らかにすることができた. 同類の反応成績体で構造がはっきりしないものとして, diazacyclopentadienone と azepine の付加体があり, 生成経路も前者と同じと結論を出すことができた. 両方の付加体とも淡黄色の結晶であり, enone 構造が示唆されたが, それを無視して結論を出していた.
熊大への異動直前に解析した化合物は, 英国の化学者に構造の誤りを指摘されたものである.合成したグループはすでに他大学へ転出していたため,私のグループが 急遽解析した. 結果的には, これも化合物の色を無視した結果であった. 本化合物は, dialkylthiodiazathiophene を酸化して thiophene dioxide として, fulveneと反応させ, 世界で初めて diazaazulene を合成したとして Chem. Commun. に報告されたものであった. 4π+6π付加の後, 脱SO2反応が起り azulene を生成すると推論していたが, thiophene dioxide は生成しておらず, 当然アズレン骨格ではなかった.
そのほか, 他研究室の化合物をいくつか解析したが, X線解析を行うまでもない化合物が多く, いまだに報告にもなっていないものがある.
構造が間違っていると, 感謝されるどころか, 恨まれるような気分になることがあった.被害妄想だろうか.
[一言] 当時は測定料金, 計算費用とも高額であり. 現在のように気軽に測定できなかっただけに, 構造が違っていると解析結果の報告に気を遣ったものである. 関係者には,暴きに聞こえるかもしれないが,後学のためにご容赦願いたい.