山さんの日記 SINCE 2000


2000年8月から毎週発刊していた「山さんの日記」は、とうとう古いソフトがトラブルで発刊ができなくなりましたので、第1203回より新たに開設したこのソフトで継続することになりました。よろしくお願いします。

また、別の山さんのホームページもご覧ください。

NEW山さんの日記  https://sites.google.com/view/yamasannonikki/

山さんの写真館 https://sites.google.com/view/yamasannoshashinkan/

孫に贈る小さな絵本  https://sites.google.com/view/magoenoehon/

山さんの日記 第124号 (2024年11月30日号)

浄光明寺の紅葉 (撮影: 2024年11月27日)

鎌倉市扇ガ谷の浄光明寺は、鎌倉時代の1250年頃に5代執権・北条時頼が創建した真言宗のお寺で、後に足利尊氏ゆかりのお寺でもあります。鐘楼の横のもみじが真っ赤に紅葉していてきれいでした。

海蔵寺の紅葉 (撮影: 2024年11月27日)

鎌倉市扇ガ谷の海蔵寺も紅葉の名所です。今年は紅葉も遅れ、まだ緑色の葉も多いのですが、日当たりの良い木は紅葉が始まっていました。海蔵寺では、山門下と鐘楼奥のもみじの紅葉がきれいです。12月上旬まで楽しめます。

近所の公園の紅葉 (撮影: 2024年11月29日)

鎌倉市の自宅近くの公園のもみじが真っ赤に紅葉していました。鎌倉市内の紅葉は例年より少し遅れていて12月上旬が見ごろですが、この公園のもみじは見事でした。

山さんの日記 第124号 (2024年11月23日号)

葛原岡神社のツワブキ (撮影: 2024年11月7日)

鎌倉・源氏山公園の一角に葛原岡(くずはらがおか)神社があります。1332年に鎌倉幕府討幕の罪で再度捕らわれた日野俊基はこの地で斬首されました。明治になって日野俊基を尊敬する動きが起こり、1888年(明治21年)に葛原岡神社が創建されました。現在は「縁結び」にご利益がある神社として若者の参拝が増えています。神社の社は小さなものですが、参道には冬の花・ツワブキ(石蕗)の黄色の花が咲いていました。

源氏山公園の紅葉 (撮影: 2024年11月7日)

海抜90m位の源氏山は、平安時代の1080年代の後三年の役で八幡太郎義家が戦勝を祈念して白旗を挙げた場所であり、源氏ゆかりの場所です。1980年に源頼朝の鎌倉入り800年を記念して頼朝の銅像をたてました。この銅像の背後に美しい紅葉が見られます。

円覚寺の竹林と紅葉 (撮影: 2024年11月19日)

鎌倉の円覚寺は、鎌倉五山第2位の禅宗のお寺です。総門前や三門裏のもみじはまだ緑色ですが、妙香池奥の竹林の前に真っ赤なもみじの紅葉がありました。緑の竹と対照的で美しい光景でした。

山さんの日記 第124 (2024年11月16日号)

円覚寺の紅葉 (撮影: 2024年11月9日)

JR横須賀線北鎌倉駅前にある円覚寺では、門前のもみじの紅葉が始まりました。朝日を浴びたもみじは、真っ赤に燃え上がっていました。間もなく鎌倉全域の紅葉も本格的に始まります。

山下公園のバラ2題 (撮影: 2024年11月13日)

横浜港の山下公園のバラ園では、係留されている氷川丸をバックに赤や白などの美しいバラの花が咲いていました。

山さんの日記 第1242号 (2024年11月9日号)

鎌倉宮の柿の木 (撮影: 2024年114日)

鎌倉市二階堂にある鎌倉宮は、1869年(明治2年)に後醍醐天皇の皇子・護良親王を祀るために明治天皇が建てた神社です。護良親王は1333年鎌倉幕府滅亡2年後の1335年に起きた北条時行の乱入(中先代の乱)の際にこの地で殺害されました。正面石段前に柿の木があり沢山の柿がなっていました。典型的な秋の風景です。背後の真っ白な神社の鳥居がまぶしく光っていました。

浄妙寺十月桜 (撮影: 2024年11月4日)

鎌倉市浄明寺にある浄妙寺は鎌倉五山第五位にあたる名刹です。鎌倉時代の1188年に足利義兼が建てた極楽寺がのちに浄妙寺になったとされています。足利家の菩提寺で、足利尊氏の弟・直義の墓があります。墓地の裏手に十月桜が咲いていました。花はわずかですが、可憐な花でした。

新林公園ススキ (撮影: 2024年11月5日)

藤沢市川名の新林公園は裏山を含め広大な公園です。この公園には江戸時代の古民家を移築しており、写真の背後の建物は1841年(天保12年)に建てられた名主・小池家のもので、1983年(昭和58年)にこの地に移築されました。藁ぶき屋根の古民家の前にはススキが秋の季節をあらわしていました。

山さんの日記 第1241号 (2024年11月2日号)

鎌倉 長谷寺のシュウメイギク (撮影: 2024年10月25日)

長谷寺の山門横の入口を入るとすぐ左手にシュウメイギク(秋明菊)の白と紫の花が咲いていました。この時期は花が少ないのですが、「見てよ見てよ」と言っているようでした。

鎌倉 海蔵寺のリンドウ (撮影: 2024年10月19日)

鎌倉市扇ガ谷の海蔵寺の山門奥に地を這うように紫色のリンドウ(竜胆)の花が咲いていました。背後の建物は薬師堂で、薬師如来・日光菩薩・月光菩薩・十二神将像などが祀られています。

藤沢 天嶽院の六地蔵: 2024年10月30日)

藤沢市渡内にある天嶽院の境内には「温顔和楽」と題する六地蔵が座っています。近代的に石仏で、「ほかほか地蔵」「らくらく地蔵」「ふくふく地蔵」「にこにこ地蔵」「すくすく地蔵」「いきいき地蔵」の六体です。皆、大変良いお顔をしていました。

山さんの日記 第1240号 (2024年10月26日号)

北鎌倉 浄智寺の緑の池 (撮影: 2024年10月19日)

北鎌倉の浄智寺は、鎌倉五山・第4位の古刹です。鎌倉時代に執権・北条時頼の三男・宗政が早世し、宗政を弔うために宗政夫人が1281年に建立したのが浄智寺です。山門前には美しい緑色の小さな池があり、その左手には鎌倉十井のひとつ「甘露ノ井」があります。鎌倉時代は甘露と呼ばれるような甘いきれいな水が湧き出していたのではないかと思います。この場所は、映画・テレビのロケ地に使われる所です。

鎌倉 海蔵寺の花々 (撮影: 2024年10月19日)

鎌倉市扇ガ谷の海蔵寺は、一年中花の絶えない「花の寺」として有名です。写真の鐘楼を背景に咲く薄紫の花は「シオン(紫苑)」、その左手のピンクの花は夏の花「フヨウ(芙蓉)」です。

鎌倉 長谷寺のホトトギス (撮影: 2024年10月25日)

長谷寺は観光客の9割を占める外国人客で大混雑でした。山門にかかる大きな赤い提灯の裏手にホトトギスの花が咲き始めていました。花の斑点が鳥のホトトギスの胸の斑点と似ていることから名づけられたようです。あまり知られていない花のため、足を止める観光客もいません。

山さんの日記 第1239号 (2024年10月19日号)

大船フラワーセンターのお化けカボチャ (撮影: 2024年10月11日)

鎌倉市岡本の大船フラワーセンターでは、10月31日のハロウィンを前に沢山のお化けカボチャが芝生広場に並べられ、幼児たちが楽しそうに遊んでいました。

藤沢 二伝寺のヒガンバナ (撮影: 2024年10月11日)

藤沢市渡内にある二伝寺は戦国時代の1505年に近くの玉縄城主・北条氏時により開山されました。本山の光明寺の伝書が紛失したとき、この寺に伝書の写しがあったことから「二伝寺」に寺名変更があったようです。道路に面した垣根に白いヒガンバナ(彼岸花)が美しく咲いていました。

くりはま花の国のコスモス (撮影: 2024年10月2日)

横須賀市久里浜の「くりはま花の国」の広大なお花畑には100万本のコスモスが咲きますが、今年は猛暑のためか花の咲きが少なく寂しい状況でした。はとバス観光の団体も来ていましたが、早々に次の予定地に移動して行きました。

山さんの日記 第123号 (2024年10月12日号)

鎌倉 鶴岡八幡宮側道のヒガンバナ (撮影: 2024年10月4日)

鶴岡八幡宮の東側道路際は土手になっていて例年真っ赤なヒガンバナ(彼岸花)が咲きます。今年は猛暑のため開花が遅れていましたが、やっと見ごろになりました。数年前よりも花の数は減ったように思えますが、それでも美しく咲いていました。

鎌倉 宝戒寺の白いヒガンバナ (撮影: 2024年10月4日)

鶴岡八幡宮から東に5分歩くと宝戒寺があります。1333年新田義貞率いる討幕軍が鎌倉を攻め、ついに稲村ケ崎側から攻め込みました。北条一族郎党870人は、東勝寺で自刃して鎌倉幕府は滅亡しました。後醍醐天皇は北条一族を弔うために足利尊氏に命じて北条家の屋敷跡に1335年に建立したのが宝戒寺です。滅亡の寺を象徴するように、寺の境内には白いヒガンバナと白いハギ(萩)が咲いています。これまで入山料は100円でしたが、境内の手入れをしっかりして300円になっていました。

コスモスに囲まれる弘法大師 (撮影: 2024年10月6日)

鎌倉市手広に鎖大師とも呼ばれる青蓮寺があります。開山は奈良時代で弘法大師が創建したと伝えられています。弘法大師がこの地で修行を達成したとき、池に青色の蓮が咲いたとの故事があります。境内には「旅する弘法大師様」と言われる大師の石像がいくつもあり、今年は猛暑で咲きだしの遅れたたくさんのコスモスに囲まれていました。

山さんの日記 第1237号 (2024年105日号)

鎌倉 海蔵寺のヒガンバナ (撮影: 2024年101日)

鎌倉駅西口から歩20分の鎌倉市扇ガ谷に海蔵寺があります。海蔵寺は古く真言宗のお寺としてあったようですが、鎌倉時代の1253年に七堂伽藍を持つ大きなお寺になりました。しかし、1333年の鎌倉幕府滅亡の際、近くの切通しの戦乱で焼失し、室町時代の1394年に禅宗のお寺として再建されました。近年は花の絶えない「花の寺」として多くの観光客が訪れています。この日は、猛暑で開花の遅れたヒガンバナ(彼岸花)が美しく咲いていました。写真正面は本堂、左手は薬師堂です。

鎌倉 亀ケ谷坂切通しの白萩 (撮影: 2024年10月1日)

扇ガ谷から北鎌倉へ抜ける道が亀ケ谷坂切通しです。三方を山で囲まれた鎌倉は、攻め込む敵を防ぐため七つの切通しという隘路を造りました。亀ケ谷坂切通しも、見上げるほどの高い崖を切り下げた狭い道になっていて、更に乗り越えるためには急な坂を上り下りしないといけません。昔、建長寺の亀がこの坂を上りはじめましたが、余りに急なため途中で引き返したことからこの名前がついたようです。切通しの北鎌倉寄りには長寿寺があり、白と紅の萩が美しく咲いていました。

鎌倉 寿福寺のハギ (撮影: 2024年10月1日)

鎌倉市扇ガ谷の寿福寺は、源実朝と北条政子の墓があり、鎌倉五山第3位の古刹です。花が少ないので山さんの日記では余り登場しませんが、この時期のハギ(萩)は圧巻です。

山さんの日記 第123号 (2024年9月28日号)

藤沢 小出川のヒガンバナ (撮影: 2024年9月24日)

藤沢市遠藤に源を発して、藤沢市・茅ケ崎市・寒川町との境界を流れ、相模川に合流する小出川(こいでがわ)の両岸には赤や白のヒガンバナ(彼岸花)が例年はギッシリ咲くのですが、今年はほとんど咲いていません。わずかに咲いていた花にアゲハチョウが密を吸いに来ていました。

大船フラワーセンターの黄色のコスモス (撮影: 2024年9月21日)

鎌倉市岡本にある大船フラワーセンターの芝生広場には、黄色のコスモス(レモン・ブライト)が美しく咲いていました。この花は早咲きで、黄色が元気をくれました。

鎌倉 大巧寺のコシキブ(撮影: 2024年9月26日)

鎌倉駅東口前の大巧寺の山門奥に紫色の小さな実をつけたコシキブ(小式部)が茂っていました。同類のムラサキシキブ(紫式部)よりは実が小さいのが特徴です。花ことばは、「愛され上手」です。

山さんの日記 第123号 (2024年9月21日号)

ダイヤモンド富士 (撮影: 2024年9月14日)

鎌倉の自宅マンションからは富士山が裾野まできれいに見えます。この日はダイヤモンド富士が見られる日です。朝からもやに包まれて姿の見えなかった富士が日没直前に突然姿を現して、無事ダイヤモンド富士が撮影できました。

中秋の名月 (撮影: 2024年9月17日)

9月17日は旧暦の8月15日です。この日の月は中秋の名月(15夜)と呼ばれます。中秋の名月は必ずしも満月ではなく、今年は中秋の名月が17日、満月が18日と1日ずれています。自宅からも北鎌倉の山の上に上る名月を見ることができました。写真下の横の帯は懸垂型の湘南モノレールのレールで、中央に「湘南町屋駅」があります。

大和 ふれあいの森 ヒガンバナ (撮影: 2024年9月19日)

小田急江ノ島線と相鉄線の大和駅から西に向かうと、相鉄線の地下化に伴っての線路跡が「ひなげしの道」と呼ばれるプロムナードになっています。更に西に進むと広大な「ふれあいの森」が広がっています。引地川源流に沿った斜面にヒガンバナ(彼岸花)が植えられていて、今年は猛暑で咲きだしが遅いのですが、白いヒガンバナが多数咲いていました。

山さんの日記 第123号 (2024年9月14日号)

鎌倉来迎寺のオミナエシ (撮影: 2024年9月7日)

鶴岡八幡宮の東方、鎌倉市西御門に来迎寺があります。鎌倉時代の1293年に大地震で亡くなった人々を弔うため一向が時宗のお寺として建立したと伝えられています。入口に立つと大きなサルスベリの木があり、その奥にまるでお城のような石垣の上にお寺があります。庫裏の前には、秋の花・黄色のオミナエシが咲いていました。

鎌倉・本覚寺のサルスベリ (撮影: 2024年9月7日)

鎌倉駅東口近くに本覚寺があります。境内には多くのサルスベリ(百日紅)の木がありますが、例年は8月に紅色で包まれる木が、今年は猛暑のためほとんど咲いていませんでした。しかし、9月に入って訪れると、やっと多くの花をつけていました。写真上は本堂、写真下は山門です。

山さんの日記 第123号 (2024年97日号)

今年の8月は不要不急の外出自粛の注意が出される猛暑日が続き、更に迷走台風10号が大雨を降らせる異常な月となりました。買い物などの外出はありましたが、カメラ散歩を自粛したため今週は過去の思い出の写真にいたしました。

箱根・仙石原のコスモス (撮影: 201299日)

箱根の仙石原は東京や横浜より秋の訪れが早いようです。道路脇にピンクのコスモスがきれいでした。

東京浜離宮のキバナコスモス (撮影: 2011年9月15日)

浜離宮のお花畑にはキバナコスモスが咲き、背後には汐留の高層ビル群が林立する秋の景色です。キバナコスモスはコスモスの名がついていますが、コスモスとは別の種類です。

埼玉巾着田の曼殊沙華 (撮影: 2009年9月21日)

埼玉県日高市の巾着田は、日高川が蛇行して「ひ」の字に似た巾着の形をしているためその名がついたようです。ここは見渡す限りの曼殊沙華の真っ赤な花で埋め尽くされます。曼殊沙華は、ヒガンバナ(彼岸花)と呼ばれますが、ここでは山口百恵の歌にあるように曼殊沙華と呼んでいます。

山さんの日記 第123号 (2024年8月31日号)

鎌倉 本寺のサルスベリ (撮影: 2024年8月17日)

鎌倉市大町の横須賀線踏切横に本興寺があります。鎌倉幕府滅亡(1333年)の3年後(1336年)に足利家の一族・石堂義房が創建したお寺です。江戸時代初期に徳川幕府の命により一時廃寺となりましたがその後再興されました。本堂前には大きなサルスベリの木があり、この時期は木全体が紅色に包まれますが、今年は花はわずかです。掃除をしていたご住職に伺うと、長い猛暑と少雨のためと言っていました。

鎌倉 辻の薬師堂 (撮影: 2024年8月17日)

本興寺の前に「辻の薬師堂」があります。ここには奈良時代の720年代に創建された医王山長善寺というお寺がありました。「由比の長者」と呼ばれた染屋太郎時忠が赤子を鷲にさらわれ、血や骨のあったこの地に寺を創建したとの伝説がありますが定かではありません。寺は幕末に焼失しましたが、薬師堂は残りました。薬師堂には、両脇に日光・月光菩薩を従えた薬師如来があり、十二神将像もありました。病気を治す薬師如来は多くの人の知るところとなり、江戸時代には遠く江戸からも大勢の参詣客がありました。1674年には水戸光圀も訪れ「鎌倉日記」に記しています。奈良時代の仏像は損傷も激しく、長く修復作業が続けられた後、鶴岡八幡宮境内の鎌倉国宝館に納められ、薬師堂には複製品が飾られています。以前は100円を入れると扉が少し開いて写真を撮ることができましたが、現在はそれはできません。堂内の写真は、11年前の2013年8月17日に撮影したものです。

山さんの日記 第123号 (2024年8月24日号)

鎌倉 本覚寺のサルスベリ (撮影: 2024年8月17日)

鎌倉駅東口から歩3分の本覚寺の境内にはサルスベリ (百日紅)の花が咲いています。今年は猛暑が続き雨が少なかったためか例年よりも花の数が少ないのが目立ちます。写真背景は本堂で、参拝のときに大きなドラを鳴らすと周囲に響き渡ります。

鎌倉 妙隆寺のフヨウ (撮影: 2024年8月17日)

鎌倉・鶴岡八幡宮の参道「若宮大路」の東側に平行に走る「小町大路」があります。信号がなくすいているため、鎌倉の抜け道として知られています。この小町大路に妙隆寺があります。創建は室町時代の1385年で日蓮宗のお寺です。僧・日親が6代将軍・足利義教に「立正治国論」という意見書を出したため、幕府より焼けた鍋を頭にかぶせられたそうです。現在は本堂前に朝咲くときは白で夕しぼむときは赤く変わる酔芙蓉(すいふよう)の花やサルスベリの花が咲いています。

鎌倉 来迎寺のサルスベリ (撮影: 2024年8月17日)

鎌倉市材木座に時宗のお寺来迎寺があります。源頼朝が伊豆で兵を挙げ、石橋山の戦いで敗れて房総に逃げる途中、三浦大介義明は平家一門から頼朝を守るために三浦半島の衣笠城で壮絶な戦死をしました。義明は89歳の老齢で多くの家臣を頼朝に付き添わせて房総に送り、残る家臣とともに勝ちのない城にこもって討ち死にをしたのです義明を弔うために頼朝は能蔵寺(真言宗)を建て終生義明の恩を忘れなかったと言われます。能蔵寺はその後、来迎寺に変わりました。境内奥には、三浦義明と家臣を弔う小さな五輪塔が並び、サルスベリの花が横で咲いていました。

山さんの日記 第1230号 (2024年8月17日号)

横浜みなとみらい 帆船日本丸 (撮影: 2024年8月14日)

横浜・桜木町駅前のみなとみらい21(MM21)地区に帆船・日本丸が係留されています。日本丸は1930年に浦賀で建造された木造船で、船員教育の練習船として1984年までの54年間世界の海で活躍しました。引退後は1985年からMM21で一般公開されています。日本丸は、総トン数2,278t、全長97m、全幅13m、定員138人です。私は、月2日、船内の真鍮部分みがきのボランティアをやっていて、猛暑が続きますが頑張っています。写真背後の建物は、左がランドマークタワー、右がクイーンズスクエア横浜です。

大船フラワーセンターのオミナエシ (撮影: 2024年8月7日)

鎌倉市岡本にある県立大船フラワーセンターでは秋の七草の一つ「オミナエシ(女郎花)」の黄色い花が咲いていました。オミナエシは、黄色い粟粒のような花を飯に見立てた女飯(オミナメシ)から転化したといわれています。花言葉は「美人」です。

鎌倉・長谷寺 サルスベリ (撮影: 2024年8月5日)

長谷寺の慈照院裏手にサルスベリ(百日紅)の花が建物を覆うように咲いていました。花言葉は「饒舌」「あなたを信じる」です。

山さんの日記 第122号 (2024年8月10日号)

鶴岡八幡宮 ぼんぼり祭 (撮影: 2024年86日)

鎌倉・鶴岡八幡宮では、毎年8/6~8/9の4日間ぼんぼり祭が行われます。この間、立秋の前日に当たる8/6には「夏越祭」が行われます。夕方、400点のぼんぼりのローソクに灯がともると神主が境内中央に作られた「茅の輪」をくぐり、夏の邪気を払います。8/7には、「立秋祭」が行われ、実りの秋の訪れが奉告されます。そして3代将軍・源実朝の誕生日を祝う「実朝祭」が8/9に行われぼんぼり祭は終了します。この日は初日の昼間訪れましたが、夜はぼんぼりの薄明りで幻想的な雰囲気になります。写真右のぼんぼりは、漫画家わたせせいぞう氏のものです。

長谷寺 サルスベリ (撮影: 2024年8月5日)

鎌倉市長谷の長谷寺の境内では、各所にサルスベリ(百日紅)の花が咲いています。写真は、山門右手にある「内仏殿」庭園のサルスベリです。連日の猛暑の強い太陽の光を浴びてたくましく咲き続けていました。

大船フラワーセンターのヒマワリ (撮影: 2024年8月7日)

鎌倉市岡本にある県立大船フラワーセンターには夏の花が沢山咲いていました。入口の管理棟の前の池の横には背の高いヒマワリの花が青空の下で咲いていました。ヒマワリ(向日葵)は北アメリカが原産のキク科植物で、日本には江戸時代初期にヨーロッパ→中国を経て入ってきたようです。花言葉は、「あなただけを見つめる」「憧れ」です。

山さんの日記 第122号 (2024年83日号)

藤沢 道路両側のサルスベリ (撮影: 2024年7月31日)

鎌倉市に近い藤沢市村岡東の道路の両側600m以上に渡って植えられた、ピンクや白のサルスベリの花がきれいに咲いています。サルスベリは「百日紅」と書く字の通り夏から秋にかけて長い期間に咲き続ける花です。この近くには、薬品研究所では日本一といわれる武田薬品中央研究所(現:i  Park湘南)があります。また、この道路を冬期に鎌倉市側から藤沢市側に走ると、道路の正面に真っ白な雪を冠った富士山が美しく見える場所です。2032年頃には、東海道線大船駅と藤沢駅の中間のこの地に新駅(仮称:村岡新駅)が開業して駅前道路になる場所です。

藤沢 青葉の古寺「天嶽院」 (撮影: 2024年7月31日)

藤沢市渡内に曹洞宗(禅宗)のお寺で「天嶽院」があります。1495年に北条早雲が創建したお寺です。境内に入ると両側に緑のもみじの木が並び、猛暑の中で涼しさと静寂さが味わえます。もみじの参道のお寺は鎌倉にはなく、京都のお寺を連想させます。振り返った中央の茅葺の山門は水戸光圀公が建立したものです。観光客は誰もいません。

73日ぶりの富士山 (撮影: 2024年7月30日)

鎌倉の自宅からは70㎞離れた富士山が裾野まで美しく見えます。しかし、春から夏にかけてはかすんでいてなかなか姿を見せません。毎日、富士山を見ますが、今年は5月18日からずっと見えずにいました。しかし、7月30日のこの日は、うっすらと雪のない富士山の姿を73日ぶりに見ることができました。霞がかかっていて山肌は細かく見えませんが、堂々たる雄姿を見せてくれました。

山さんの日記 第122号 (2024年7月27日号)

鎌倉 大巧寺のカノコユリ (撮影: 2024年7月18日)

鎌倉駅東口の前にある大巧寺は小さいお寺ながら1年中花の多いお寺です。現在は境内にカノコユリ(鹿の子百合)が咲いています。元々日本の花ですが、九州・四国の暖地に咲く花でした。しかし、温暖化のせいか現在は、鎌倉市内を歩いてもいたるところに咲いています。オレンジ色で少しそりがあり、下向きに咲きます。写真下の背景にあるのが、大巧寺の本堂です。安産祈願でも有名です。

鎌倉 本覚寺のハス (撮影: 2024年7月18日)

大巧寺の近くに本覚寺があります。ここにはハス(蓮)の花がまだ咲いていました。背景の建物は、鎌倉七福神の一つ「夷(えびす)神」を祀った夷堂です。ここは鎌倉幕府の裏鬼門に当たり、源頼朝が夷神を祀ったとされています。

鎌倉 八幡宮近くのカノコユリ (撮影: 2024年7月18日)

鶴岡八幡宮近くの鎌倉市小町を歩くと、道端にカノコユリが咲いていました。江戸時代にシーボルトがカノコユリの球根をヨーロッパに持ち帰り広めたともいわれています。カノコユリの花言葉は、「荘厳」「慈悲深い」です。

山さんの日記 第1226号 (2024年7月20日号)

江の島 天王祭 (撮影: 2024年714日)

江の島の八坂神社のみこしが山を下って弁天橋横の海に入る天王祭「みこし海上渡御」が行われました。例年は首までの深さの海水まで入るのですが、海が荒れていたためか、この日は海に下りる板張りの坂を下りた腰までの深さの場所でのみこし担ぎでした。それでも熱気あふれる光景でした(写真上)。海から上がったみこしは、弁天橋を渡って龍口寺まで進み、そこで鎌倉・腰越神社から来たみこしと合流しました。そして2基のみこしは、そろって腰越神社に進みました。通る道路は江ノ電が路面を走るところで、みこし関係者・見物人などの群衆の中を、2基のみこしと江ノ電がすれ違う様子は壮観でした(写真下の左のみこしが江の島の八坂神社のみこし、右のみこしが腰越神社のみこしです)。

鎌倉  海蔵寺の白いキキョウ (撮影: 2024年7月18日)

鎌倉市扇ガ谷の海蔵寺は、まだアジサイが生き生きと咲いており、庫裏の前には白いキキョウ(桔梗)の花が連日の猛暑にも負けずに咲いていました。キキョウは紫色が多いのですが、ここでは、紫色と白のキキョウが競って咲いていました。

山さんの日記 第122号 (2024年7月13日号)

鎌倉幕府跡に咲くアジサイ (撮影: 2024年617日)

鎌倉はアジサイも終わり、次のサルスベリまで花が少ない時期です。今週は、未公開のアジサイの花をお届けします。源頼朝は1180年に鎌倉に入り、寝殿造りの屋敷を造った後、侍所・公文所・問注所などの役所をつくって鎌倉幕府としました。この場所が「大倉(大蔵)」と呼ばれる鶴岡八幡宮の東側の場所です。「大蔵幕府旧蹟」の石碑の近くに美しいアジサイが咲いていました。幕府の跡地は現在、住宅や学校になっています。写真左手の石畳の道を行くと、法華堂跡や源頼朝の墓があります。

鎌倉 妙本寺のアジサイ (撮影: 2024年6月26日)

鎌倉で遅くまでアジサイが咲いているのは、瑞泉寺と妙本寺です。鎌倉市大町にある妙本寺は、鎌倉時代には頼朝の家臣・比企能員(ひきよしかず)の屋敷でした。能員は娘を2代将軍・源頼家に嫁がせ、一族の隆盛を計りましたが1203年に北条氏によって一族は滅亡しました。その後、比企家の屋敷跡に比企一族の菩提を弔うために創建されたのが妙本寺です。苔むした比企一族の墓石の隣に、アジサイが咲いていました。

藤沢 古民家とアジサイ (撮影: 2024年7月2日)

藤沢市川名の新林公園には、江戸時代後期の柄沢村名主・小池家の古民家を移築したものがあります。建築は1851年で、1983年にこの地に移築されました。茅葺の大きな家で、土間・囲炉裏・和室があります。この古民家の入口前にアジサイが咲いていました。

山さんの日記 第122号 (2024年76日号)

湘南ひらつか七夕まつり 2024 (撮影: 2024年75日)

第72回湘南ひらつか七夕まつりが7/5(金)~7/7(日)まで開催されています。JR東海道線平塚駅北口前の国道1号線を歩行者専用にして大型クレーン車や太く長い竹の先に大きな七夕飾りを下げます。仙台の七夕(8月)と並ぶ日本有数の七夕まつりになります。7/5の10:30から3名のひらつか織り姫を先頭にパレードがありました。今年の飾りには、NHK大河ドラマの紫式部や、新紙幣の渋沢栄一などもありました。

鎌倉 瑞泉寺参道のアジサイ (撮影: 2024年6月17

鶴岡八幡宮の東、鎌倉市二階堂に瑞泉寺があります。その参道に当たる道玄橋から300mの道路と土手上に沢山のアジサイが植えられ、新しい「アジサイの名所」になっています。人力車もお客を乗せ、坂道をやってきます。鎌倉のアジサイも終わりに近づいていますが、瑞泉寺や妙本寺は遅くまでアジサイが咲いています。

大船フラワーセンターの蓮 (撮影: 2024年7月3日)

鎌倉市岡本に神奈川県立の大船フラワーセンターがあります。ここでは今、大きな鉢に入れた白や紅色のハス(蓮)が沢山咲いています。ハスは咲き始めから3日が命で4日目には散ってしまう短命な花ですが、その美しさは格別です。

山さんの日記 第122号 (2024年6月29日号)

鎌倉 海蔵寺のアジサイ (撮影: 2024年6月20日)

鎌倉市扇ガ谷の海蔵寺にも美しいアジサイが咲いていました。海蔵寺はもとは真言宗のお寺でした。鎌倉時代の1253年に七堂伽藍の大きなお寺となりましたが、1333年鎌倉幕府滅亡の際、近くの仮粧坂の戦乱で寺院はすべて焼失し、室町時代の1394年に禅宗(臨済宗)のお寺として再建されました。現在は、一年中花の絶えない「花の寺」となっています。

鎌倉 英勝寺のアガパンサス (撮影: 2024年6月20日)

海蔵寺の近くに英勝寺(浄土宗)があります。昔このあたりは江戸城を造った太田道灌の所有地で、道灌の4代あとの娘・お梶の方は徳川家康の側室となり1600年の関ヶ原の戦いに供をして勝利したため、その後は「お勝の方」と呼ばれました。家康亡きあと出家して英勝院を名乗りこの地に英勝寺を建立しました。今、総門前に薄紫色のアガパンサスの花が咲いていました。アガパンサスは南アフリカが原産地で、花言葉は「恋の訪れ」「恋の便り」です。

藤沢・鵠沼 第1はす池のハス「舞妃蓮」 (撮影: 2024年6月24日)

藤沢市を流れる境川は、昔、蛇行を繰り返して多くの池や沼を造りました。冬には鵠(くげ=白鳥)が飛来したため、この地は「鵠沼」と名付けられました。その後、7つあった池は、周辺開発により「第1はす池」と「第2はす池」の2つになりました。沼は外来植物により在来植物は全滅しました。これを見かねた地元ボランティアが池を清掃して第1はす池には「舞妃蓮(まいひれん)」という蓮を植え、失敗を重ねた後、見事、ピンクの花を咲かせました。現在は、池全体を蓮が占めています。

山さんの日記 第122号 (2024年6月22日号)

鎌倉 白山神社のアジサイ (撮影: 2024年6月10日)

JR大船駅から鎌倉湖畔循環のバスに15分乗り「白山神社」で下車するとアジサイの名所・白山神社に着きます。鎌倉時代の1191年に源頼朝が上洛の折、別当寺を建立して毘沙門堂を作り平安時代作の毘沙門天像を祀りましたが、明治維新の神仏分離令により白山神社に変わり、寺は今泉寺となって神社本殿横にあります。観光客も全くいない穴場ですが、30mほどの参道両脇にはアジサイが美しく咲いていました。

横浜 超高層ビル46階無料展望回廊 (撮影: 2024年6月19日)

横浜MM21にあるランドマークタワー69階の展望フロアは入場料1,000円が必要ですが、近くにある2020年完成の59階建のマンションビル「ザ・タワー横浜北仲」の46階展望回廊は、眺めも素晴らしく無料です。場所は、みなとみらい線馬車道駅前です。そして部屋は億ションを含めて1174戸です。46階はカフェ、レストランが入り、周囲を展望できる回廊があります。下の写真は大さん橋、山下公園側を見たところで、氷川丸、ベイブリッジ、大さん橋、神奈川県警本部、APAホテルなどが眼下に見えます。料金は無料ですが、飲食・10名以上の団体・カメラの三脚使用・2時間以上の滞在・ペット持ち込み・大声などの迷惑行為などは禁止になっています。詳しくは、下のURLをご覧ください。

https://hamakore.yokohama/the-tower-yokohama-kitanaka-report/

横浜 滝ノ川あじさいロード (撮影: 2024年6月19日)

横浜TVKテレビで「アジサイの名所紹介」があり、行ってみました。横浜市営地下鉄・三ッ沢上駅で下車して西に5分歩き、大きな歩道橋を対角線に渡ると、そこに「滝ノ川あじさいロード」の看板がありました。滝ノ川という小さな川を暗渠にして上を歩道にしてボランティアがアジサイを10年前から植えているものです。長さ700mですが、きれいなアジサイを見ることができました。現地は、国道1号線、13号線、横浜新道、首都高速三ッ沢線、第3京浜(が集まる要の場所です。アジサイはやや盛りを過ぎていましたので、来年はもう少し早めに行きたいと思っています。

山さんの日記 第1221号 (2024年6月15日号)

二宮 せせらぎ公園のアジサイとハナショウブ (撮影: 2024年6月11日)

JR東海道線二宮駅からバスで「団地中央」まで乗り、10分歩くと「せせらぎ公園」に着きます。裏山から湧き出たせせらぎでハナショウブとアジサイが美しく咲いていました。木製の遊歩道が作られ、花を真上から眺めることができます。やや交通が不便なため見物客も少なく、のんびり時間を過ごすことができました。

小田原城のアジサイ (撮影: 2024年6月11日)

二宮駅から東海道線で小田原駅まで乗り、小田原城を訪ねました。天守閣の見える場所からアジサイも一緒に見ることができます。また、ショウブ畑にはハナショウブとアジサイの競演が見事でした。

山さんの日記 第1220号 (2024年6月8日号)

円覚寺のアジサイ (撮影: 2024年61日)

5月20日から頑固な風邪を引いて、カメラ散歩も大幅に制限され、病院にゆきましたが熱はないのに「発熱性感染症」として受診をことわられました。「風邪を引いたので病院に行く」が当たり前と思っていましたが、現在は「風邪引きはは病院に来るな」です。念のため自宅でコロナの検査をしましたが「陰性」でした。市販薬を飲んで少し良くなっては悪化を繰り返し、今だに本調子ではありません。少し回復した日に自宅から歩いて北鎌倉駅前の円覚寺を訪れました。境内各所には色鮮やかなアジサイが咲いていました。写真背後の建物は仏殿です。

東慶寺のアジサイ (撮影: 2021年6月3日)

円覚寺から近くの駆け込み寺「東慶寺」に寄りました。以前は頻繁に訪れていましたが、最近は「境内写真撮影禁止」のため、ほとんど素通りでした。久しぶりに寄ると、下の3年前の写真のようにアジサイがきれいに咲いていました。しかし、以前に比べ境内の手入れが行き届かず、しょうぶ畑は草ボウボウでした。原因は、ご住職が写真撮影者を締め出し、参拝者のみ従来の入山料200円を無料にしたため、費用的に境内の手入れが行き届かないのではないかと考えています。3年前は1眼レフカメラの使用のみ禁止でしたが、その後、写真撮影が全面禁止となりました。3年前にはご住職と話をして入山料を取って手入れをした方が良いと申し上げたのですが、頑としてご住職は聞きませんでした。

新宿公園のアジサイ (撮影: 2024年6月7日)

風邪の状態はまだ良くありませんが、すでに予約して変更がむずかしいため西新宿の大学病院・眼科に通院しました。診察を終えて目薬の処方箋を薬局に提出すると、「今混雑していて30分以上かかります」との話で、近くの新宿公園を久しぶりに散策しました。アジサイがきれいに咲いていました。背後には東京都庁の第1庁舎が写っています。

山さんの日記 第121号 (2024年61日号)

長谷寺のアジサイ (撮影: 2024年5月29日)

鎌倉でも待望のアジサイが咲きだしました。長谷寺の「海の見えるアジサイ散策路」ではチラホラとアジサイが咲きだし、観光客でにぎわいはじめています。混雑時には2時間待ちの行列ができますが、現在のところは入場規制なしでアジサイが見られます。

光則寺のアジサイ (撮影: 2024年5月29日)

長谷寺の隣にある光則寺は日蓮宗のお寺です。鎌倉時代の1271年、日蓮の龍の口の法難で日蓮の弟子・日朗らも捕らえられ北条時頼の近臣・宿谷光則の屋敷裏山の土牢に幽閉されました。光則は日朗らを厚遇し、のちに日蓮宗に帰依して屋敷を光則寺に変えました。現在は、近隣の花好きの方がアジサイの鉢を沢山持ち寄り、花の寺になっています。写真下は、本堂裏の白いアジサイで鉢植えのものではなく、昔からあるものですが、美しい花を咲かせています。

県道藤沢鎌倉線脇に咲くアジサイ (撮影: 2024年5月30日)

県道32号線は藤沢と鎌倉を結び、途中鎌倉大仏などの名所も通る幹線道路です。この道路の鎌倉市手広・東レ入口付近に早咲きのアジサイがあります。鎌倉のアジサイが咲く前に、このアジサイが咲きだします。日当たりが良いのでしょうか。今日も早々にきれいな花を咲かせていました。

山さんの日記 第121号 (2024年5月25日号)

くりはま花の国のポピー (撮影: 2024年5月11日)

JR横須賀線の終点「久里浜駅」から歩20分のところに「くりはま花の国」があります。元米軍の倉庫跡を広大な公園に改修したもので、春はポピー、秋はコスモスがそれぞれ100万本の花を咲かせます。今は鯉のぼりを背景にポピーが風に揺れていました。

横須賀 ヴェルニー公園のバラ (撮影: 2024年5月11日)

久里浜から京浜急行電車に乗って汐入駅まで行きました。そこは米軍と自衛隊の海軍基地があり、横須賀港に面した「ヴェルニー公園」があります。ヴェルニーはフランス人の技師で、横須賀製鉄所の造営に尽力した方です。遠くに米軍の艦船を見る場所にバラ園があり、美しいバラが咲いていました。

大船フラワーセンターのボタン (撮影: 2024年5月12日)

鎌倉市岡本の大船フラワーセンターボタン(牡丹)がきれいに咲いていました。シャクヤクと似た花ですが、シャクヤクは草、ボタンは木です。

山さんの日記 第121号 (2024年5月18日号)

平塚 グランド ビクトリア湘南のバラ (撮影: 2024年5月10日)

平塚市榎木町の相模川河口にあるホテル サンライフ ガーデンの「グランド ビクトリア湘南」は130年の歴史を持つ教会です。結婚式・披露宴ができる豪華な施設で、庭や垣根には美しいバラの花が春と秋に咲きます。教会の塔をバックにしたバラの花は華麗です。

平塚 馬入お花畑のポピー (撮影: 2024年5月10日)

相模川河口は昔から馬入川と呼ばれていました。江戸時代、防御のために徳川幕府は大きな川に橋をかけませんでした。大井川は「こし」で渡しましたが馬入川は深いため渡し船を使いました。ここには広大な河川敷があり、サッカーJ1ベルマーレ湘南の練習場とお花畑があります。3万㎡のお花畑には、春はポピー、秋はコスモスが咲きますが、今はポピーが見ごろになっています。見渡す限り色とりどりのポピーが風で揺れていました。

大船フラワーセンターのシャクヤク (撮影: 2024年5月12日)

鎌倉市岡本の大船フラワーセンターには、バラ、ボタン、シャクヤクなどの花が咲きとてもきれいです。中でもシャクヤク(芍薬)園は日本でも有数の規模を持つものです。その美しさには暫し見とれます。

山さんの日記 第121号 (2024年511日号)

ザよこはまパレード (撮影: 2024年53日)

横浜・山下公園から伊勢佐木町まで行進する「ザよこはまパレード」が行われました。キッズは途中の赤レンガ倉庫まで、それ以外は伊勢佐木町までパレードしました。吹奏バンドや火消しトビ組合、国際衣装の団体などが参加しました。下の写真は、THE   YOKOHAMA   SCOUTSという団体です。今年で第72回を迎える歴史ある行事です。

藤沢 白旗神社「牛若まつり」 (撮影: 2024年5月5日)

藤沢市藤沢に「白旗神社」があります。創建年代は不明ですが、おそらく平安時代頃に寒川神社を分社して寒川神社としてこの地に建てられました。その後鎌倉時代に、奥州で源義経一行が殺害されその首が鎌倉に運ばれ首実検の後、この神社に祀られたとの伝説があります。源頼朝が神社名を「白旗神社」と改めさせたとのことです。この神社で第17回の「牛若まつり」が5月5日のこどもの日に行われました。約100匹の鯉のぼりが掲揚され、子供たちにたこ焼きや竹とんぼなどが配られました。大勢の人たちが訪れ、賑わいました。

横浜 山下公園のパラ (撮影: 2024年56日)

横浜港を訪れました。大さん橋横に巨大なビルが出来ていて驚きましたが、良く見ると豪華客船ダイヤモンドプリンセス号でした。Webで調べると、この日6:30清水港から入港し16:00鹿児島港に向けて出港予定となっていました。大さん橋から山下公園に行くと、そこは連休最終日で混雑していました。バラ園の春バラは丁度見ごろで、花の数は例年以上に多く、見ごたえがありました。

山さんの日記 第121号 (2024年54日号)

横須賀しょうぶ園のフジ (撮影: 2024年4月25日)

JR横須賀線衣笠駅からバス10分または歩30分で横須賀しょうぶ園に着きます。6月には園内のしょうぶ畑に色とりどりのハナショウブが咲きますが、現在は、紫と白のフジ(藤)の花が斜面にギッシリと美しく咲いています。紫色の長い房を伸ばしたフジの花はとても優雅です。

鎌倉 仏行寺のツツジ (撮影: 2024年4月26日)

鎌倉の市街地から3km西の鎌倉市笛田に仏行寺があります。ここはツツジの名所で、本堂裏の池のある庭園の奥は断崖になっていて、その崖には色とりどりのツツジが咲きます。写真左手の石段を上って行くと、ツツジの庭を見下ろせます。満開時は崖全体がツツジに包まれますが、訪問した時は崖の上部のみ開花していました。そして頂上には、駿河で戦死した鎌倉時代の武将・梶原景時の息子・梶原源太景季の片腕を妻・しのぶが埋めた直径5mの円墳「源太塚」があります。

鎌倉 安養院のツツジ (撮影: 2024年4月29日)

鎌倉市大町にある安養院は、北条政子が夫・源頼朝の冥福を祈願して(現在の鎌倉文学館近くに)長楽寺を建てましたが、その後焼失したため鎌倉時代末期に現在の地に安養院として移したものです。門前や境内には赤紫色のツツジが咲きます。本堂横のツツジが本堂の硝子戸に映り美しい光景が見られました。

山さんの日記 第121号 (2024年4月27日号)

鎌倉 段葛のツツジ (撮影: 2024年4月20日)

鶴岡八幡宮の参道である若宮大路の中央を通る段葛は、源頼朝が妻・政子の安産を祈念して石を積み、一段高くした長さ500mの参道です。両側には先週までトンネル状になった桜が咲いていましたが、今は桜も散って緑の若葉が茂っています。そして桜に代わって色とりどりのツツジが、きれいに咲いていました。

鎌倉 海蔵寺のツツジ (撮影: 2024年4月20日)

鎌倉駅西口から20分ほど歩くと扇ガ谷に海蔵寺があります。1年中花の絶えない「花の寺」で、現在は多くのツツジがきれいです。写真のツツジの奥に見えるのは山門です。鎌倉時代は七堂伽藍を持つ大きなお寺でしたが、1333年鎌倉幕府滅亡の際、近くの化粧坂切通しの戦いで焼失し、室町時代に小さな規模で再建されました。

大船フラワーセンターのフジ (撮影: 2024年4月23日)

鎌倉市岡本にある大船フラワーセンターに紫色のフジや白フジが咲きだしました。春と夏を分ける花ともいわれるフジですが、たわんだ房を近くで見るととてもきれいです。園内には、ボタンやシャクヤクの花も咲きだしました。

山さんの日記 第121号 (2024年4月20日号)

昭和記念公園 桜とチューリップ (撮影: 2024年4月13日)

JR青梅線西立川駅前にある昭和記念公園は旧立川基地の1/2を整備したもので、広さは日比谷公園の11倍もある広大な公園です。「みんなの原っぱ」と呼ばれる広い芝生広場の隅には満開の桜(ソメイヨシノ)が多数あり、桜の下にシートを広げてお花見ができました。また、「渓流広場」には、これも見ごろの色とりどりのチューリップが咲き、桜との素晴らしい競演になっていました。今年は、桜の開花が遅れたために実現した贅沢な場所でした。

山さんの日記 第121号 (2024年4月13日号)

横浜・大岡川の桜 (撮影: 2024年4月6日)

横浜市磯子区氷取沢町に源を発した笹下川は、横浜市港南区上大岡で日野川と合して「大岡川」となり、京浜急行線に沿ってMM21(みなとみらい)のある横浜港に注ぎます。途中3.5㎞のプロムナードには桜並木が続き、神奈川県第2位の桜の名所にふさわしい素晴らしい眺めが楽しめました。

鎌倉・段葛の桜 (撮影: 2024年4月7日)

鶴岡八幡宮への参道である若宮大路の中央に「段葛(だんかずら)」と呼ばれる盛り土の500mの参道があります。1182年に源頼朝が妻・政子の安産を願って造られたものです。2014年~2016年のリニューアル工事により、両側の桜も若木に植え替えられました。8年を経過した今年は、両側の満開の桜がトンネル状になり、素晴らしい桜並木になりました。

横浜公園のチューリップ (撮影: 2024年4月10日)

プロ野球DeNAベイスターズの本拠地・横浜スタジアムがある横浜公園に、チューリップの花が満開でした。色別に植えられたところは、まるで大きな波が押し寄せるようで素晴らしい眺めでした。

山さんの日記 第1211号 (2024年46日号)

千鳥ヶ淵の桜 (撮影: 2024年44日)

東京の桜が満開になったと聞き、名所を訪れました。まず訪れたのは、皇居・千鳥ヶ淵です。地下鉄東西線「九段下駅」から牛ケ淵、日本武道館のある田安門前を通り、千鳥ヶ淵に出ました。多くの外国人観光客でにぎわっていました。桜は満開で素晴らしいものでした。その後、戦没者墓苑に行く千鳥ヶ淵緑道を歩きました。驚いたことに、直径30㎝以上もある桜の巨木の多くが、高さ4mくらいのところでバッサリ切られていました。このため、桜の咲き方も例年に比べると少し少な目であるように感じました。それでも遠くから眺める真っ白な風景には感動しました。

小石川後楽園の桜 (撮影: 2024年4月4日)

千鳥ヶ淵の次に、東西線で飯田橋駅まで乗り、小石川後楽園を訪ねました。江戸時代に水戸徳川家の江戸上屋敷内に造られた築山泉水回遊式日本庭園(大名庭園)です。ここには大きなしだれ桜がありますが、この時は満開を過ぎて一部葉桜になっていました。しかし、ソメイヨシノは満開で、素晴らしい眺めでした。

神田上水の桜 (撮影: 2024年4月4日)

JR飯田橋駅から中央緩線(黄色の各駅停車)に乗って「東中野駅」で下車し、神田上水(神田川)の両岸に咲く桜を楽しみました。神田上水は、玉川上水と並ぶ江戸時代の上水です。井の頭の池を水源として三鷹・中野・早稲田を流れ御茶ノ水につながります。その両岸にはギッシリとソメイヨシノの桜が植えられ、側道も整備されています。途中の橋の上から眺めると、視野いっぱいに桜がひろがる絶景がありました。

山さんの日記 第1210号 (2024年3月30日号)

鎌倉・本覚寺のしだれ桜 (撮影: 2024年3月30日)

寒の戻りでソメイヨシノの開花が遅れましたが、しだれ桜は少し早咲きで見ごろになっています。鎌倉駅東口近くの本覚寺はしだれ桜が咲いていました。本覚寺は、身延山から日蓮の骨を分骨したため「東身延」と呼ばれています。その日蓮の骨を納めた「日蓮上人分骨堂」の前にしだれ桜は美しく咲いています。

大船フラワーセンターのハルメキ (撮影: 2024年3月27日)

鎌倉市岡本にある大船フラワーセンターでは、早咲きの「玉縄桜」が咲き終わり、現在は「ハルメキ」という早咲き桜が咲いています。ソメイヨシノの開花が遅れる中、園内で真っ白な目立つ存在です。ハルメキは、淡紫桃色の一重の花で、咲き進むにつれて色が淡くなります。

山さんの日記 第120号 (2024年3月23日号)

常泉寺のミツマタ (撮影: 2024年3月19日)

神奈川県大和市福田にある常泉寺は、ミツマタの花が沢山咲くお寺として有名です。小田急江ノ島線「高座渋谷駅」から歩7分のところにあります。常泉寺は、戦国時代の1588年に創建された水にゆかりのあるお寺です。境内の各所に河童(かっぱ)の石像が飾られ、2022年からは石彫家・倉田辰彦氏が34年の年月をかけて彫った五百羅漢像も飾られて、にぎやかです。ミツマタは、紙幣や和紙の原料になる植物で、鎌倉のお寺では直径1㎝くらいの小さな花が多いのですが、この寺のミツマタの花は直径3~5㎝の黄色の大きな花です。枝が3つに分かれているのが特徴です。

鶴岡八幡宮・旗上弁財天の早咲き桜 (撮影: 2024年3月15日)

鎌倉・鶴岡八幡宮の源氏池の一つに旗上弁財天があります。源頼朝が源氏再興を掲げた際、弁財天の霊験があったことから源氏池の島に政子の安産を願って祀られたものです。ここに真っ白な早咲きの桜が咲いていました。ソメイヨシノの桜の開花はまだですが、この桜は鶴岡八幡宮の中でひときわ目立っていました。

皇居お堀端のつくしの子 (撮影: 2024年3月14日)

つくしの子は、スギナという植物の子供です。「つくしんぼ」とも呼ばれ、早春に生えることから春の歌にも歌われています。皇居のお堀端を歩いていると、沢山のつくしの子が顔を出していました。

山さんの日記 第1208号 (2024年3月16日号)

大船フラワーセンターの玉縄 (撮影: 2024年3月9日)

鎌倉市岡本の県立大船フラワーセンターの園内には、各所で地元「玉縄(たまなわ)」の名前のついた「玉縄桜」が満開です。玉縄桜は、ここフラワーセンターでソメイヨシノの桜を早咲きに品種改良した桜で、写真上はその原木です。台風などによる強風被害に何度もあいながら見事に咲き続けています。写真下は、園入口にある玉縄桜で、下を黄色の菜の花が飾っています。

大船・谷戸池の玉縄 (撮影: 2024年3月9日)

JR大船駅西口から歩10分のところに「谷戸池(やどいけ)」があります。灌漑用の小さな人造池ですが、池の周りを満開の玉縄桜が飾っています。昔は近所の子供たちが、ザリガニ取りで遊んだところです。

山さんの日記 第120号 (2024年3月9日号)

茅ケ崎・小出川の河津桜 (撮影: 2024年3月2日)

小出川は、藤沢市北部を源流として茅ケ崎市と寒川町の境界を流れ、相模川に河口で合流して相模湾に注ぐ1級河川です。下流の茅ケ崎市では早咲きの河津桜70本が川岸に植えられ、下を黄色の菜の花が飾っています。上流のヒガンバナの名所では川幅はわずか5m足らずですが、ここでは50mをはるかに超えています。交通が不便なことから、見物客も少なく、静かなお花見ができました。

鎌倉・長谷寺の寒緋桜 (撮影: 2024年33日)

鎌倉の長谷寺では、上境内の鐘楼前に早咲きの寒緋桜が咲きだしました。濃いピンク色で下向きに咲くのが特徴です。今でも大勢の観光客が訪れる鎌倉ですが、これから各種桜の咲く時期を迎え、ますます混雑するのでしょうか。

山さんの日記 第120号 (2024年3月2日号)

鎌倉・若宮大路の桜 (撮影: 2024年2月28日)

鎌倉駅東口から出た若宮大路に早咲きの桜が咲いていました。色は白く、ピンクの河津桜ではありません。交通量の多い通りが明るくなっていました。若宮大路は、由比ガ浜から鶴岡八幡宮に続く参道で、源頼朝がつくりました。

鶴岡八幡宮のミモザ (撮影: 2024年2月28日)

鶴岡八幡宮の入口にある三の鳥居の左側茶店の横に美しい黄色のミモザが咲いていました。ミモザは、(銀葉)アカシアとも呼ばれています。花言葉は、「優雅」「友情」「秘密の恋」です。

マンション前の河津桜 (撮影: 2024年2月24日)

藤沢市民会館前にある高層マンション前の公園に鮮やかなピンクの河津桜が咲いていました。ひと際目立つ存在で、遠くからもそれとわかるものです。マンション居住者に春の到来を教えているようでした。

山さんの日記 第120号 (2024年2月24日号)

三浦海岸の河津桜 (撮影: 2024年2月20日)

京浜急行線三浦海岸駅前から小松ヶ池公園まで続く河津桜の1000本の並木は、今が最後の見ごろです。2月5日~3月3日まで桜まつりが行われています。今年は暖冬の影響で開花も例年より早く、満開を過ぎたところです。上に濃いピンクの河津桜、下に黄色の菜の花が咲き、素晴らしい眺めでした。

山さんの日記 第120号 (2024年2月17日号)

松田の河津桜 (撮影: 2024年2月16日)

早咲きの河津桜を見に松田に行きました。小田急小田原線新松田駅で下車して、桜のピンク色で染まる松田山に向かって上って行きます。途中、上にピンクの河津桜、下に黄色の菜の花が咲くのを眺めながら階段を上って行くと、頂上からは真っ白な雪をかぶった富士山が美しく見えました。大勢の観光客で混みあっていましたが、素晴らしい眺めを堪能しました。もう少し楽しめそうです。

小田原城の河津桜 (撮影: 2024年2月16日)

新松田駅から小田急線で小田原駅まで乗り、小田原城に寄りました。白梅も美しく咲いていましたが、天守閣の見える広場には、満開の河津桜があり、天守閣とのコラボが楽しめました。

山さんの日記 第1203号 (2024年2月10日号)

新林公園の紅梅・白梅 (撮影: 2024年2月3日)

藤沢市川名にある新林(しんばやし)公園は、周囲の山を取り込んだ大きな公園で、裏山をめぐる散策コースもあります。江戸時代の古民家を移築して、幼稚園や小学校の遠足場所にもなっています。古民家前の白梅と紅梅は早くも見ごろを迎えていました。今年は暖冬のせいで、梅の開花も早いようです。

常立寺の白梅・紅梅 (撮影: 2024年2月3日)

藤沢市片瀬の常立寺(じょうりゅうじ)は、鎌倉時代の1275年に執権・北条時宗により処刑された元の使者・杜世忠らを弔う塚が境内にあります。境内には、しだれの白梅・紅梅が咲き、花見客も訪れていました。

龍口寺の白梅 (撮影: 2024年2月3日)

常立寺近くに日蓮法難の地に建てられた龍口寺(りゅうこうじ)があります。1260年に日蓮は「立正安国論」を書き、時の執権・北条時頼に建白しました。日蓮はその後迫害を受け、1271年にこの地で斬首されそうになりますが、江の島から雷光が飛来し危うく難をのがれました。その龍口寺の本堂横の日蓮像の隣に白梅が美しく咲いていました。