2000年8月から毎週発刊していた「山さんの日記」は、とうとう古いソフトがトラブルで発刊ができなくなりましたので、第1203回より新たに開設したこのソフトで継続することになりました。よろしくお願いします。
また、別の山さんのホームページもご覧ください。
NEW山さんの日記 https://sites.google.com/view/yamasannonikki/
山さんの写真館 https://sites.google.com/view/yamasannoshashinkan/
山さんの好きな言葉 https://sites.google.com/view/yamasannosukinakotoba/
山さんの日記 第1299号 (2026年2月7日号
鎌倉 鶴岡八幡宮節分祭
2026年2月3日
2月3日は節分で、鎌倉の各所で節分の豆まきが行われました。鶴岡八幡宮では舞殿から年男・年女が豆をまきました。コロナ前はミス鎌倉がいたのですが、コロナ以降コンテストは行われていません。翌日2月4日ぱ「立春」。暦の上では春です。
山さんの日記 第1298号 (2026年1月31日号)
鎌倉 鶴岡八幡宮の白梅
2026年1月28日
鶴岡八幡宮の源氏池北側にある斎館横の白梅が満開になっていました。最近は大寒波が押し寄せ、日本海側は大雪、関東地方も寒い日が続いています。しかし、今年の梅の開花はなぜか例年より早く咲き出しているようで、鎌倉各所からも梅の便りが聞かれています。
鎌倉 来迎寺の水仙
2026年1月28日
鶴岡八幡宮の北東(西御門)に来迎寺があります。鎌倉時代の1293年の鎌倉大地震で亡くなった大勢の人たちを弔うために一向が建てた時宗のお寺です。本堂前には、今、たくさんの水仙(スイセン)が咲いていました。
山さんの日記 第1297号 (2026年1月24日号)
藤沢 片瀬東浜の寒中みこし
2026年1月18日
対岸に江の島を見る藤沢市片瀬東浜で毎年1月の第3日曜日に「寒中みこし錬成大会」が行われます。今年も晴天で藤沢と鎌倉から4基のみこしと大勢の担ぎ手が集まりました。神事の後、今年の新成人を乗せたみこしが片瀬東浜の海に入って行きました。見物人も元気をもらえる行事でした。
山さんの日記 第1296号 (2026年1月17日号)
二宮 吾妻山の菜の花と水仙
2026年1月17日
JR東海道線二宮駅北口から5分歩くと吾妻山入口に着きます。そこから一気に300段の急な石段を上り、更に急な山道を上ると標高136mの吾妻山山頂に到達します。山頂には一面の菜の花が咲き、相模湾の海と丹沢山塊・箱根連山・伊豆半島の山々が望め、遠く冠雪の富士山が見えました。そして登山道の途中には水仙が沢山植えられていて、初春を感じます。
山さんの日記 第1295号 (2026年1月10日号)
藤沢 江の島の冬チューリップ
2026年1月5日
藤沢市にある江の島を訪れました。3が日の混雑もおさまり、ゆっくり島内を歩きました。江の島神社の参道は両側にみやげもの店が並んでいます。一番奥には江の島神社の大きな鳥居があり長い石段になっています(写真上)。江の島神社で参拝の後、「シーキャンドル」と呼ばれる灯台のあるサムエル・コッキング苑に行きました。通常は入園料を払いますが、この日は特別に入場無料でした。苑内は沢山のウインターチューリップが咲いていました。冷凍庫に入れたチューリップの球根を早く出すと、春が来たと勘違いしたチューリップがこの時期に満開になるのです(写真下)。
山さんの日記 第1294号 (2026年1月3日号)
鎌倉 鶴岡八幡宮初詣
2026年1月1日
あけましておめでとうございます。本年も山さんの日記をよろしくあ願いいたします。元日の朝、鶴岡八幡宮に初詣に行きました。境内は大混雑でしたが無事参拝を済ませました。写真下は、本殿階段下からの写真で、規制のロープが上がると待っていた参拝客は石段を上ってゆきますが、ロープはすぐに閉まってしまいます。
藤沢 箱根駅伝往路
2026年1月2日
新春恒例の箱根駅伝往路が行われました。例年通り第3区の藤沢橋近くの沿道で見ました。今年は見物人の場所とりが早く40分前に着いたのですが、沿道はギッシリでした。何とか場所を確保して一眼レフカメラの速写モードで260枚を激写しました。写真下は、2位で通過した中央大学3年本間颯選手で、3区が終わる平塚中継点までに1位の選手を抜いて首位となりました。往路は、箱根山登りで大記録を作った青山学院大学が優勝しました。
山さんの日記 第1293号 (2025年12月27日号)
歳末の鎌倉 (撮影: 2025年12月26日)
山さんの日記も2025年最後の日記となりました。歳末の鎌倉を歩いてみました。
写真上は、テレビでお馴染みの「小町通り」です。年末は外国人観光客も少し減って混雑もあまりありません。
写真中は、鎌倉駅東口近くの「本覚寺」で、境内にある夷(えびす)堂にある「夷様」の初夷が新年から開かれるため、いつもない提灯が沢山飾られ、新年を迎える準備が整っていました。
写真下は、本覚寺近くの大巧寺(だいぎょうじ)です。入口には門松が飾られお正月の準備ができていました。
また来年も山さんの日記をご覧ください。どうぞ良いお年をお迎えください。
山さんの日記 第1292号 (2025年12月20日号)
鎌倉 大仏の黄葉 (撮影: 2025年12月4日)
鎌倉市長谷の大仏に行きました。大仏の裏側や左手には真っ赤なもみじがありましたが、ここは大仏を入れての写真が撮れない場所です。大仏の左横から撮影すると、右前にある大イチョウの黄葉が入りました。イチョウはかなり落葉がすすみ、木の下には美しいイチョウのジュウタンがありました。
鎌倉 長谷寺の紅葉 (撮影: 2025年12月4日)
鎌倉大仏から歩いて近くの長谷寺に行きました。ここは境内各所に燃えるようなもみじの紅葉がありました。写真上は総門奥の紅葉、写真下は観音堂横の紅葉です。
山さんの日記 第1291号 (2025年12月13日号)
鎌倉 円覚寺の紅葉 (撮影: 2025年12月1日)
JR横須賀線北鎌倉駅前にある円覚寺は「鎌倉五山」第2位の名刹です。円覚寺は入口の総門前石段両側の紅葉もきれいですが、境内に入り「山門(三門)」奥のもみじの紅葉もきれいです。真っ赤なもみじは大きな山門に良く似合います。
鎌倉 建長寺の紅葉 (撮影: 2025年12月1日)
円覚寺から鎌倉街道を鶴岡八幡宮方面に歩いてゆくと、「鎌倉五山」第1位の建長寺に着きます。建長寺仏殿は現在改修工事中で、足場がかけられシートで覆われています。その横には真っ赤に紅葉したもみじがありました。
鎌倉 建長寺半僧坊の黄葉 (撮影: 2025年12月1日)
建長寺の境内を奥に進むと、一番奥に「半僧坊(はんそうぼう)」と呼ばれる場所があります。1890年(明治23年)に静岡の方広寺から半僧坊大権現を建長寺の守護神として移し祀ったものです。1868年(明治元年)に神仏分離令が出されて神社とお寺が分離されましたが、ここは現在もお寺と神社が一緒になっているようです。入口からいくつかの大きな鳥居をくぐり、240段くらいの長い石段を上がると参拝する建物と見晴台に着き、眼下に建長寺、遠くには相模湾の海が太陽に輝いています。見晴台のすぐ下は崖になっていて大きな烏(カラス)天狗の銅像が沢山並び、更に上に行く道は「鎌倉アルプス」のハイキングコースになっています。半僧坊の入口にはイチョウの大木があり、黄色の葉は半分散り、半分が枝に残って一面黄色の世界を作っていました。
山さんの日記 第1290号 (2025年12月6日号)
逗子 まんだら堂跡のやぐら群 (撮影: 2025年11月29日)
鎌倉市に隣接する逗子市の名越切通し近くに「まんだら堂跡やぐら群」があります。鎌倉駅東口から緑が丘行きの京急バスで終点まで乗り、10分ほど山道を歩くと着きます。長い間荒廃していた場所を整備して、やっと時期限定で公開している歴史的史跡です。鎌倉石の大きな山を垂直に削り崖の途中に2000~3000の「やぐら」と呼ばれる穴が掘られ、墓や修行に使われていたようです。 造られた時代は、鎌倉時代から室町時代にかけてですが、その規模の大きさには驚きます。その昔は「まんだら堂」と呼ばれる曼荼羅を置いたお堂があったらしいのですが、記録は残っていません。大勢の観光客であふれる市内からわずか25分で全くの別世界に着きます。広場には大きなイチョウの木があって、落葉した葉とともに美しい黄葉の景色になっていました。
鎌倉 覚園寺の紅葉 (撮影: 2025年11月28日)
鎌倉駅東口から大塔宮行き京急バスで10分乗ると終点の鎌倉宮に着き、更に左手に7分ほど歩くと「覚園寺(かくおんじ)」に着きます。ここは鎌倉の紅葉の名所です。覚園寺は、鎌倉時代の1218年に執権・北条義時が大蔵薬師堂を建てたのがはじまりで、その後、1296年に北条貞時が元寇が再来しないことを祈って覚園寺を創建しました。入口すぐのところに愛染堂があり、ここまでは自由に入れて写真も撮れます。その奥には、薬師堂や黒地蔵などありますが、有料で写真も禁止です。愛染堂前には大きなもみじの木が並び、紅葉の時期には真っ赤に紅葉します。上を見上げると、一面真っ赤の素晴らしい景色がありました。
鎌倉 鎌倉宮の紅葉 (撮影: 2025年11月28日)
覚園寺から鎌倉宮まで戻ると、鎌倉宮も真っ赤なもみじがありました。鎌倉宮の祭神は後醍醐天皇の皇子・護良親王です。1333年鎌倉幕府は新田義貞の大軍によって滅びた後、護良親王は征夷大将軍になりましたが足利尊氏と争いになって捕らえられ鎌倉のこの地に幽閉されました。そして1335年、滅亡した鎌倉幕府の北条高時の子・時行の乱のときに護良親王は殺害されました。1869年(明治2年)、護良親王をあわれんだ明治天皇がこの地に鎌倉宮を創建しました。
山さんの日記 第1289号 (2025年11月29日号)
鎌倉 源氏山公園の紅葉 (撮影: 2025年11月26日)
平安時代後期の後三年の役で奥州平定のために出陣する八幡太郎義家がこの山の上に白旗を立て、戦勝を祈ったとされるのが源氏山です。英勝寺と寿福寺の裏山になる源氏山は標高92.6mです。昔は源氏の館があったとされるこの地は開発できずにおりましたが、1965年(昭和40年)に切り開いて「源氏山公園」を造りました。そして源頼朝の鎌倉入りから800年の記念事業として頼朝の銅像が1980年(昭和55年)に立てられました。その銅像の背後には真っ赤に紅葉したもみじの木がありました。
鎌倉 葛原岡神社の黄葉 (撮影: 2025年11月26日)
源氏山公園の一角に葛原岡神社(くずはらがおかじんじゃ)があります。日野俊基は後醍醐天皇を助けた公家ですが、鎌倉幕府倒幕計画が漏れてとらえられ葛原岡の地で1332年に斬首されました。しかしその翌年(1333年)5月には新田義貞率いる討幕軍が押し寄せ、鎌倉幕府は滅びました。日野俊基の霊を祀るため1887年(明治20年)に葛原岡神社が建てられました。現在は、縁結びの神社として若い人で賑わっています。神社の入口には大きなイチョウの大木があり、美しい黄色の葉が太陽の光に輝いていました。
鎌倉 海蔵寺の紅葉 (撮影: 2025年11月26日)
1333年、鎌倉幕府軍と討幕軍は源氏山の一角・仮粧坂(けわいざか)切通しで激戦となりました。稲村ケ崎から攻め込んだ討幕軍は、仮粧坂切通しも突破し攻め込んで近くの七堂伽藍を持つ大寺院・海蔵寺も焼き払って市中になだれ込みました。焼失した海蔵寺は室町時代の1394年に再建されました。現在は一年中花の絶えない「花の寺」となっています。鐘楼の奥に真っ赤な紅葉がきれいでした。
山さんの日記 第1288号 (2025年11月22日号)
鎌倉 円覚寺門前の紅葉 (撮影: 2025年11月18日)
JR北鎌倉駅前の円覚寺では、入口石段のもみじの紅葉が見ごろです。鎌倉全体の紅葉は12月上旬ですが、この円覚寺門前は朝夕と昼間の寒暖差が大きく日当たりの良さもあって早く紅葉が始まります。写真上は、石段上から紅葉とJR線を見たところです。写真下は、紅葉のアップです。
横浜 ランドマークタワーのXmasツリー (撮影: 2025年11月19日)
間もなく12月。街では各所にクリスマスツリーが飾られています。横浜・みなとみらいのランドマークタワーでも巨大なクリスマスツリーが飾られていました。5階吹き抜けの大きなスペースに大きなツリーがありました。
山さんの日記 第1287号 (2025年11月15日号)
鎌倉 鶴岡八幡宮のイチョウ (撮影: 2025年11月11日)
鶴岡八幡宮本殿前石段横にある大イチョウは、鎌倉時代に公暁が将軍・源実朝を暗殺に使用したとされる「隠れ銀杏」として樹齢1000年の歴史を持つとされていましたが、2010年3月10日の強風で倒れました。その後、根本から若株が生えて15年たち、立派なイチョウの木となりました。秋になり、葉の色も黄色に変わり、黄葉も見ごろになっていました。
鎌倉 浄妙寺のツワブキ (撮影: 2025年11月11日)
鎌倉駅東口から朝比奈方面行きのバスに乗り「浄明寺」で下車すると、歩3分で鎌倉五山第五位の浄妙寺に着きます。観光客の多くは同じバス停で下車しても「竹の寺・報国寺」に行くため、浄妙寺は人もまばらです。蓮を育てる大きなカメの前にツワブキの黄色の花が咲いていました。
横浜 山下公園の秋バラ (撮影: 2025年11月12日)
桜木町でのボランティアを終えて山下公園まで歩きました。バラ園には秋バラが咲き出していました。写真の背景は格式のある「ホテル ニューグランド」です。
山さんの日記 第1286号 (2025年11月8日号)
鎌倉 大船フラワーセンター (撮影: 2025年11月3日)
鎌倉市岡本の大船フラワーセンターでは、コスモスと秋バラの秋の花がやっと見ごろになりました。写真上は、スイレンの池のほとりに咲くコスモスです。池の淵を長い列になってコスモスが咲いていました。写真下は、バラ園の秋バラです。色とりどりのバラが咲いていますが、バラ園中央の休憩所と青空をバックに咲く白いバラは印象的でした。
山さんの日記 第1285号 (2025年11月1日号)
鎌倉 海蔵寺のシオン (撮影: 2025年10月27日)
鎌倉市扇ガ谷の海蔵寺は一年中花の絶えない「花の寺」として有名です。この時期は薬師堂横の庭園に紫色のリンドウ(竜胆)が咲くので見に行きました。しかし、今年夏の猛暑のせいか、開花が遅れていました。しかし、山門奥にキク科のシオンという花が沢山咲いていました。背の高い花で、私の背よりも高く花をつけていました。
鎌倉 久しぶりの富士山 (撮影: 2025年11月1日)
自宅からは富士山が裾野まで良く見えます。しかし朝、良く見えるのは冬の間だけです。雨上がりのこの日は、久しぶりに富士山が姿を現しました。テレビで見た初冠雪よりも雪が少なくなっています。私は毎日富士山が見える日を確認しています。今年は、1月は22日、2月は18日見えましたが、3月は3日、4月は7日、5月は3日に激減し、6月以降は6/26・7/19・7/21・7/26・8/2・9/25・9/26と見えた日はわずかでした。そして10月は1日も見えず今日11月1日は1か月と5日ぶりの富士山でした。
山さんの日記 第1284号 (2025年10月25日号)
鎌倉 長谷寺の秋明菊と杜鵑草 (撮影: 2025年10月23日)
鎌倉市長谷の長谷寺は、奈良時代の736年に創建されたと伝えられています。この境内には今、シュウメイギク(秋明菊)とホトトギス(杜鵑草)が咲いています。写真上は、入口すぐ左に咲くシュウメイギクです。大勢の観光客が前を通ります。写真下は、放生池の池畔に咲くホトトギスです。ホトトギスの名前は、鳥のホトトギスの胸の斑点の模様に似ていることから名づけられたようです。これは小さく地味な花で、観光客も気づかずに前を通ってしまうようです。
山さんの日記 第1283号 (2025年10月18日号)
平塚 馬入花広場のコスモス (撮影: 2025年10月12日)
富士山麓の山中湖を源として流れる桂川は、相模湖から相模川と名を変え、河口付近では馬入川と呼ばれます。馬入川の由縁は、江戸時代に徳川幕府が防衛のため大きな川には橋をかけず渡し船によって人や荷物・馬を運んだためと思われます。その堤防には、渡し場の石碑があります。堤防から内側には洪水に備えた広大な河川敷があり、サッカーの練習場や花広場が出来ています。この花広場には、春にはポピー、秋にはコスモスがそれぞれ30万本咲きます。今年は猛暑が続いたため、例年の10%程度しか咲いていませんが、それでも可憐な花が風に揺れていました。
また、堤防のすぐ外側にはゴーカートの練習場があり、ものすごいスピードで競っていました。
山さんの日記 第1282号 (2025年10月11日号)
鎌倉 浄光明寺の彼岸花とハギ (撮影: 2025年9月30日)
鎌倉市扇ガ谷の浄光明寺は、鎌倉時代前期に源頼朝の願いで僧・文覚が建てた寺が前身といわれており、その後1251年に5代執権・北条時頼が開山して真言宗の浄光明寺となったようです。室町時代には、足利尊氏がこの寺に閉じこもったこともあり、足利家に縁のあるお寺です。庫裏を望む芝生の庭の手前に真っ赤な彼岸花が咲いていました(写真上)。また、本堂前には、秋の花・ハギ(萩)が美しく咲いていました(写真下)。
鎌倉 海蔵寺の彼岸花 (撮影: 2025年9月30日)
鎌倉市扇ガ谷の海蔵寺は、鎌倉時代の1253年に5代将軍・宗尊親王の命により真言宗のお寺として七堂伽藍を持つ大きなお寺・海蔵寺が建てられました。その後、1333年の鎌倉幕府滅亡の際、近くの化粧坂の戦乱で焼失しました。その後戦国時代の1577年に建長寺派の臨済宗のお寺として再建されました。正面に「龍護殿」と呼ばれる本堂があり、左手には浄智寺から移設された薬師堂があります。そして真っ赤な彼岸花が咲いていました。
山さんの日記 第1281号 (2025年10月4日号)
藤沢 小出川の彼岸花 (撮影: 2025年9月29日)
藤沢市遠藤を源流とする小出川(こいでがわ)は藤沢市と茅ケ崎市の市境を流れ相模川に合流します。途中、大黒橋から数kmの川岸には赤や白の彼岸花が植えられ、見ごろになっていました。特に、真っ赤な彼岸花の中に咲く白い彼岸花は存在感を誇っていました。
鎌倉 大船フラワーセンターの黄色いコスモス (撮影: 2025年9月27日)
鎌倉市岡本にある大船フラワーセンターの芝生広場には黄色のコスモス「レモンブライト」が満開でした。そしてその奥には、10月31日のハロウィーンに向けてのオバケかぼちゃがゴロゴロと並べられ、幼児たちがさわって遊んでいました。
藤沢 二伝寺の彼岸花 (撮影: 2025年9月27日)
鎌倉市に近い藤沢市渡内にある二伝寺は、戦国時代の1505年に北条氏時により創建され、北条氏の玉縄城の砦の役割を持った近隣で最高地点にある浄土宗のお寺です。大本山の鎌倉・光明寺の「本山伝」が紛失した時に、この寺に写しの伝書があったことから寺名になったと伝えられています。裏門入口に真っ赤な彼岸花が咲いていました。
山さんの日記 第1280号 (2025年9月27日号)
大和 泉の森の彼岸花 (撮影: 2025年9月23日)
山さんの日記も2か月近く休刊しました。あれだけ続いた猛暑もおさまり、秋らしい日になってきました。山さんの日記を再開することにします。
小田急江ノ島線大和駅から西に相鉄線の地下化によって生まれた「ひなげしの道」を歩いて行くと「ふれあいの森」「泉の森」という2つの広大な森に着きます。長い東名高速道路のトンネルを抜けるときれいな引地川が流れ、その西側は傾斜した土手になっています。そこには、この時期赤や白の彼岸花が咲きます。今年も猛暑が続いたため開花が遅れていますが、本数は少ないながらすでに見ごろになっている花もありました。
鎌倉 鶴岡八幡宮側道の彼岸花 (撮影: 2025年9月26日)
鎌倉の彼岸花の咲きだしも猛暑のため遅れています。これまでは9月23日の秋分の日には見ごろになる鶴岡八幡宮の東側の道路の石垣の上の彼岸花も見ごろが10日以上遅れています。今はやっと数株咲きだしたところです。彼岸花は多年草で、風で種が飛んで広がることはなく、人が根分けをして増やします。彼岸花を見たら、優しい人が心を込めて植えてくれたと思ってください。
鎌倉 源氏山の彼岸花 (撮影: 2025年9月22日)
源氏山は鎌倉駅西口の奥にある高さ約100mの山で、一帯が源氏山公園になっています。後三年の役で、八幡太郎義家が奥羽に向かうときこの山に源氏の白旗を立てて戦勝を祈願したと伝えられています。山道の脇に白い彼岸花が咲いていました。扇ガ谷の住宅地が眼下に望める展望の良い場所で、ひっそりと咲いていました。
都合により2025年8月9日以降の「山さんの日記」は暫く休刊します
山さんの日記 第1279号 (2025年8月2日号)
鎌倉 扇ガ谷の海蔵寺 (撮影: 2025年7月25日)
鎌倉市扇ガ谷(おおぎがやつ)にある海蔵寺は、1年中多くの花が咲くお寺です。鎌倉時代の1253年、源氏3代の後を継いだ第6代将軍・宗尊親王の命により七堂伽藍のある大きなお寺・海蔵寺が建立されました。しかし、1333年の鎌倉幕府滅亡の際の戦乱で焼失しました。その後、室町時代の1577年に足利氏満の命により再建されました。庫裏の前には、紫色のキキョウ(桔梗)と、オレンジ色のノウゼンカズラの花が咲いていました。
鎌倉 扇ガ谷のサルスベリ (撮影: 2025年7月25日)
更に扇ガ谷を歩いていると、民家に紅色のサルスベリ(百日紅)の花が咲いていました。鎌倉では、アジサイの花が咲き終わると暫く花が少なくなり、8月になるとサルスベリの花が市内各所で咲き始めます。
山さんの日記 第1278号 (2025年7月26日号)
鎌倉 若宮大路のオニユリ (撮影: 2025年7月11日)
鎌倉の由比ガ浜の海岸から北へ鶴岡八幡宮までまっすぐに伸びる道が「若宮大路」で、鎌倉時代に源頼朝が造らせた道です。この中間にあたる二の鳥居から少し鶴岡八幡宮側に歩いた道端に沢山のオニユリが咲いていました。オレンジ色で下向きに咲くオニユリは真夏の花です。
北鎌倉 八雲神社の面掛行列 (撮影: 2025年7月20日)
JR横須賀線北鎌倉駅の西北にある八雲神社の例大祭が7月13日から20日まで行われ、最終日の20日には面掛(めんかけ)行列も行われました。面掛行列は神社の隣にある円覚寺の60年に1回行われる洪鐘(おおがね)祭で江戸時代の1841年から行われていたものです。7つの変わったお面を冠った人が行進するもので、お面が重要文化財のため使用できずに長い間おこなわれていなかったものです。最近、お面の複製ができたことからこの行事が復活しました。太鼓やみこしなどを従えて、北鎌倉駅前から建長寺まで行進しました。
鎌倉 本覚寺のハス (撮影: 2025年7月11日)
JR鎌倉駅近くの本覚寺は、日蓮の遺骨を分骨したため「東身延」と呼ばれているお寺です。この寺に美しい鉢植えのハス(蓮)が咲いていました。咲きだして3日間が命のハスですが、短命だけにより美しさを感じます。背後の建物は「山門」です。
山さんの日記 第1277号 (2025年7月19日号)
鎌倉 妙本寺のノウゼンカズラ (撮影: 2025年7月11日)
JR鎌倉駅東口から東へ5分ほど歩くと妙本寺の入口に着きます。ここは境内の広い大きなお寺です。鎌倉時代に自分の娘を2代将軍・源頼家に嫁がせた比企能員(ひきよしかず)は、北条氏に代わって政権をとろうとしますが、反対に1203年北条氏により一族がこの地で攻められ滅亡します。妙本寺は比企一族が滅亡した屋敷跡で、1260年に比企一族の菩提を弔うために日蓮の弟子・日朗が創建したお寺です。仁王門の奥にオレンジ色のノウゼンカズラの花が咲いていました。カズラの名前の通り、つる科の植物で花はラッパのような形をしています。背後の建物は祖師堂です。
鎌倉 腰越天王祭 (撮影: 2025年7月13日)
下の写真の江ノ電の電車ですが、止まっている訳ではありません。群衆スレスレに走っています。事故が起きないのが不思議なくらいです。この日、江の島の八坂神社と腰越の小動(こゆるぎ)神社のみこしが、龍口寺門前で出会い、そろって道路を練り歩く天王祭です。大勢の担ぎ手と関係者が後を追いますが、この道路は江ノ電が路面を走る区間になっています。江ノ電は止まることなく、人のすぐ横を通過して行きます。常識では考えられない光景です。
鎌倉 大巧寺のオニユリ (撮影: 2025年7月11日)
JR鎌倉駅東口の若宮大路に裏門を持つのが大巧寺(だいぎょうじ)です。小さなお寺ですが1年中花の絶えない「花の寺」です。鎌倉時代は同じ鎌倉の十二所に「大行寺」としてありましたが、その後この地に移転し、源頼朝がこの寺で戦いの戦略を立てたところ大勝したので「大巧寺」に変わりました。寺の東側・小町大路の参道から入ると小さな門の奥にオレンジ色のオニユリが沢山咲いていました。写真背後の建物は本堂です。
山さんの日記 第1276号 (2025年7月12日号)
平塚 湘南ひらつか七夕まつり (撮影: 2025年7月4日)
第73回湘南ひらつか七夕まつりが7月4日(金)~6日(日)にJR東海道線平塚駅北口を中心に開催されました。国道1号線を車両通行止めにして両側にクレーン車や孟宗竹で吊られた10m以上の長い七夕飾りが下げられ見物客はその下を歩いて見ることができました。4日10:30からはオープニング行事として「湘南ひらつか織り姫」3名を先頭にした「七夕おどり千人パレード」が行われました。七夕飾りは世の中の出来事をテーマにしたものもあり、新横綱・大の里の飾りもありました。七夕まつりは日本三大七夕といわれるだけあって、それは壮観でした。
藤沢 鵠沼第2はす池のハンゲショウ (撮影: 2025年6月24日)
紅色のハス(蓮)が咲く藤沢市の鵠沼第2はす池の池畔に雪が降ったような「ハンゲショウ(半夏生)」が群生していました。半夏生とは、夏至から11日目の日のことで、この頃、緑の葉の半分以上が白く変わる植物が「ハンゲショウ」です。花は、ひげのような部分です。ハンゲショウは、鎌倉中央公園や藤沢の新林公園でも見ることができます。
山さんの日記 第1275号 (2025年7月5日号
北鎌倉 明月院のアジサイと竹林 (撮影: 2025年6月20日)
鎌倉のアジサイの名所・明月院は、余りに大勢の観光客で大混雑のため、市内に住みながら9年間訪れていませんでした。この日思い立って平日の午後訪れました。午後のため門前での長い待ち行列はなく円滑に入山できました。「明月院ブルー」と呼ばれるアジサイは健在でした。特に竹林前のアジサイとの再会は懐かしさを感じました。
北鎌倉 円覚寺白鷺池のアジサイ (撮影: 2025年6月20日)
JR横須賀線北鎌倉駅前にある円覚寺は、鎌倉時代の1282年に蒙古襲来で戦没した敵味方双方の霊を弔うために執権・北条時宗が開基し建立されました。その時宗も2年後に亡くなり、境内の開基廟に葬られています。1889年(明治22年)開通の横須賀線により円覚寺境内に線路が通ることになり、境内南側にあった白鷺池(びゃくろち)は半分が埋められました。線路南側の小さくなった白鷺池池畔にブルーのアシサイが咲いていました。水は濁っていますが、アジサイは美しいものでした。
大船フラワーセンターのハス (撮影: 2025年6月27日
鎌倉市岡本にある大船フラワーセンターでは、ハス(蓮)の花が咲きだしました。ハスは3日が命です。花の開き方から見て、写真の右側の花は開花1日目の花、左側の花は開花2日目と思われます。ハスは3日目になると開ききってしまい、4日目には散ってしまいます。
山さんの日記 第1274号 (2025年6月28日号
鎌倉 瑞泉寺参道のアジサイ (撮影: 2025年6月16日)
鎌倉市二階堂にある鎌倉宮の右手を更に奥に進むと永福寺(ようふくじ)跡があります。更に進むと通玄橋という石橋があってここから先は瑞泉寺に行く参道であったと思われます。この参道の右手が崖になっていて石積みの土手の上に沢山のアジサイが植えられていてきれいです。ここ10年くらいの新しいアジサイの名所です。
鎌倉 瑞泉寺のアジサイ (撮影: 2025年6月16日)
瑞泉寺の参道を更に進むと瑞泉寺の総門が見えてきます。瑞泉寺には鎌倉時代に夢窓疎石が作庭した庭園があります。総門の手前にはアジサイが咲いていました。
鎌倉 岐れ路地蔵とアジサイ (撮影: 2025年6月16日)
鶴岡八幡宮前から金沢街道が東に延びていて、岐れ路(わかれみち)の信号で鎌倉宮方面と報国寺・浄妙寺方面に分かれます。鎌倉宮方面に少し進むとお地蔵様があり、横にアジサイが咲いていました。この場所は、奈良時代に「由比の長者」といわれていた染屋太郎時忠の幼い娘が鷲にさらわれ、このあたりにも血のしたたりがあったとされています。このお地蔵様の裏手には深くよどんだ小さな川があり、鎌倉時代は「魔の淵」とよばれて大勢の人が落ちて亡くなった場所です。悪いことが続いたため、杉本寺のご住職がお地蔵様を建てて祈ったところ悪いことは起きなくなったとのことです。道路脇に立つお地蔵様にも鎌倉では歴史があります。
藤沢 鵠沼のはす池 (撮影: 2025年6月24日)
藤沢市を流れる境川は昔、蛇行と直流を続け、周囲には多くの取り残された池や沼が残りました。冬になると鵠(くげ=白鳥)が飛来したため「鵠沼(くげぬま)」という地名が付きました。その後土地開発が進み、現在は「第1はす池」と「第2はす池」だけが残りました。この二つの池も廃棄物の捨て場所となり荒地でしたが、地元住民の努力により清掃とハス(蓮)の移植が進み、現在は第1はす池は白、第2はす池は紅色のハスが咲くようになりました。
山さんの日記 第1273号 (2025年6月21日号
横須賀しょうぶ園のハナショウブ (撮影: 2025年6月12日)
JR横須賀線衣笠駅からバスで15分乗ると横須賀しょうぶ園に着きます。この時期はハナショウブとアジサイがきれいです。広大なしょうぶ畑に数えきれない種類のハナショウブが見ごろでした。かすりの着物を来た花摘み女性が、枯れた花をつんでいました。これは単に見栄えを良くするためだけでなく、枯れた花に栄養をとられて残りの花や来年咲く花に影響が出るためです。
鎌倉 雪の下のアジサイ (撮影: 2025年6月16日)
鎌倉幕府は3回場所を変えています。最初に源頼朝が造った大倉幕府の場所は、鶴岡八幡宮の東側の現在「雪の下」とよばれているところです。昔は「ユキノシタ」という草が多く生えていたためこの名がついたようですが、現在は、幕府跡の石碑から頼朝の墓までの道に美しいアジサイが咲いています。
山さんの日記 第1272号 (2025年6月14日号)
二宮せせらぎ公園のハナショウブ (撮影: 2025年6月7日)
JR東海道線二宮駅北口からバスで10分「団地中央」まで乗り10分歩くと「二宮せせらぎ公園」に着きます。駐車場もなくバスの便も悪いため訪れる人も少ないハナショウブとアジサイの穴場です。木道からはハナショウブを真上からも見ることもでき、休み家も整備されています。ハナショウブもアジサイも訪れたときがともに見ごろの時期で大満足でした。
小田原城のアジサイ (撮影: 2025年6月7日)
二宮駅から西に東海道線で小田原駅まで行き小田原城を訪れました。こちらもハナショウブとアジサイが見ごろになっていました。天守閣をバックにしたアジサイの花が特に印象的でした。
横浜 滝ノ川あじさいロード (撮影: 2025年6月9日)
横浜駅から市営地下鉄ブルーラインに乗り三ッ沢上町駅で下車して徒歩5分のところに「滝ノ川あじさいロード」があります。小さな川であった滝ノ川を暗渠にして地上を歩道に変え、10年以上前から道端にアジサイを植えました。それが現在は素晴らしいあじさいの道となり名所になっています。長さ700mくらいの歩道に800本のあじさいが咲き誇っていました。
山さんの日記 第1271号 (2025年6月7日号)
鎌倉 白山神社のアジサイ (撮影: 2025年6月5日)
鎌倉市今泉にある白山神社は観光客も来ない隠れたアジサイの名所です。鎌倉時代の1191年源頼朝が上洛の折、京都・鞍馬寺から毘沙門天像(平安時代の作)を請来してこの地に臨済宗の別当寺を建立しました。その後、境内に白山神社を勧進しましたが、明治の神仏分離令により寺の本堂は神社の本殿になり、別当寺は今泉寺と改め明月院の支寺となって左脇に移りました。参道にはアジサイが植えられ美しい花を咲かせますが、今年は気候のせいか咲きだしが遅く、花が少ない状態でした。
鎌倉 本覚寺のユリ (撮影: 2025年6月1日)
鎌倉市小町にある本覚寺は、日蓮の遺骨の一部を移して「東身延」と呼ばれる日蓮宗のお寺です。建立は、室町時代の1436年です。境内のアジサイはまだ咲いていませんがユリ科の花が沢山のつぼみを持って赤い花が美しく咲いていました。
藤沢 二伝寺のアジサイ (撮影: 2025年6月6日)
藤沢市渡内にある二伝寺は鎌倉市に隣接していて、戦国時代の1505年に近くの玉縄城主・北条氏時が開山しました。二伝寺は当時、玉縄城(現・鎌倉市)と尾根続きの砦の役割を持っていました。開山当時は寺号は違うものでしたが、大本山光明寺(鎌倉市材木座)に伝わる伝書が紛失したとき、この寺に伝書の写しがあったことから「二つ目の伝書」で二伝寺と呼ばれるようになったようです。境内は地域で一番高いところにあり、戦国時代は武者が待機した平場も残っています。生垣にはアジサイが植えられていて、白いアジサイが咲いていました。
山さんの日記 第1270号 (2025年5月31日号)
鎌倉 長谷寺のアジサイとハナショウブ (撮影: 2025年5月23日)
鎌倉市長谷にある長谷寺は、奈良時代の736年に徳道上人が開山したと伝えられている歴史のある浄土宗のお寺です。本尊の十一面観音は高さ9mを超す木造では日本最大の観音像です。観音堂の裏山には「海の見えるアジサイ散策路」があり、アジサイが少しずつ咲きだしました。また、放生池には紫色のハナショウブが美しく咲いていました。
鎌倉 光則寺のアジサイ (撮影: 2025年5月23日)
長谷寺の隣に日蓮宗の光則寺があります。鎌倉時代の1271年、日蓮は「立正安国論」を書いて鎌倉幕府に建白し執権・北条時頼の怒りを買って龍ノ口の刑場で斬首されるところでした。しかし、雷鳴と稲妻によって救われ、佐渡島流罪となりました。弟子の日朗は時頼近臣の宿屋光則に預けられ、屋敷裏山の土牢に幽閉されました。光則は日朗を厚遇し、その後屋敷跡に建てられたのが光則寺です。この時期はアジサイ好きの方が鉢植えのアジサイを持ち込み、境内は多種のアジサイであふれます。
山さんの日記 第1269号 (2025年5月24日号)
横須賀 くりはま花の国のポピー (撮影: 2025年5月13日)
JR横須賀線終点の久里浜駅で下車して15分歩くと横須賀市神明町にある「くりはま花の国」に着きます。ここは米軍基地の倉庫跡地に造られた広大な公園になっていて、お花畑には、春は100万本のポピー、秋には100万本のコスモスが咲きます。何年もこの時期に訪れていますが、訪問時はポピーの花が例年の1/10しか咲いていませんでした。それでも赤や白・ピンクの花は美しく、バックに鯉のぼりが風に揺れていました。
横須賀 ヴェルニー公園のバラ (撮影: 2025年5月13日)
くりはま花の国から京浜急行線「京急久里浜駅」に出て「汐入」まで乗車しました。駅前には米軍や自衛隊の軍港になっている横須賀港があり、港の西側が大きなヴェルニー公園になっています。このバラ園は、軍艦をバックに写真が撮れる数少ない場所です。ヴェルニーは、横須賀港にあった製鉄所建設などに大きな功績のあったフランス人技師の名前です。
鎌倉 大船フラワーセンターのバラ (撮影: 2025年5月8日)
鎌倉市岡本にある大船フラワーセンターのバラ園の春バラが見ごろになっていました。春バラは秋バラに比べ花が大きく豪華です。色も鮮やかで、その美しさに見とれました。
山さんの日記 第1268号 (2025年5月17日号)
鎌倉 大船フラワーセンターのシャクヤク (撮影: 2025年5月8日)
鎌倉市岡本にある大船フラワーセンターのシャクヤク(芍薬)苑では、美しいシャクヤクが見ごろになっていました。シャクヤク苑としては広さも種類も全国で有数の場所です。今週のテレビ朝日「羽鳥モーニングショー」でも天気予報のコーナーで中継されていました。あふれるばかりの花に夢中でシャッターを切りました。
平塚 馬入川河口花広場のポピー (撮影: 2025年5月4日)
富士五湖の山中湖に源を発する相模川は、上流を桂川、中流を相模川、そして河口を馬入川と呼んでいます。江戸幕府は防衛線として馬入川に橋をかけませんでした。馬入川の深さから川の渡しは船を使いました。河川敷は広大で、現在はサッカーJ1の湘南ベルマーレの芝生練習場があり、その隣には春はポピー、秋はコスモスが咲く広大な花広場があります。今はポピーの花を見下ろすように高い空でヒバリが鳴いていました。
横浜 山下公園のバラ (撮影: 2025年5月3日)
横浜・山下公園の春バラが見ごろになりました。春バラは1番枝に咲くため、背が低く大きな花を咲かせます。背後には繋留されている客船・氷川丸があります。
山さんの日記 第1267号 (2025年5月10日号)
横浜開港記念みなと祭 (撮影: 2025年5月3日)
恒例の第73回横浜開港記念みなと祭 ザ・よこはまパレードが開催され、山下公園から伊勢佐木町までの道路を使って40団体の人たちが楽器演奏ゃダンスをしながら行進しました。小学生のキッズパレードから始まり、スーパーパレードとして高校生・大学生や社会人の団体が続きました。楽器演奏や踊りが素晴らしいだけでなく、その笑顔が何とも素晴らしいものでした。その一部の写真だけ掲載します。
山さんの日記 第1266号 (2025年5月3日号)
鎌倉 安養院のツツジ (撮影: 2025年4月29日)
鎌倉市大町にある安養院(あんよういん)は浄土宗のお寺です。北条政子が夫・源頼朝の菩提を弔うために長谷笹目(現在「鎌倉文学館」があるあたり)に長楽寺を創建しましたが、その後鎌倉時代末期に大町の地にあった善導寺に移し「安養院」と改めたものです。本堂の裏手には政子の供養塔である宝篋印塔(写真下の左側の石塔)があり、現在はその周囲に濃いピンクのツツジが咲き誇っています。
横須賀しょうぶ園のフジ (撮影: 2025年4月30日)
JR横須賀線衣笠駅下車の横須賀しょうぶ園にフジ(藤)の花を見に行きました。駅からは乗車10分のバスがありますが、乗る人が長蛇の列でとても乗り切れないと思い25分歩いてしょうぶ園に着きました。入園料320円を払って入ると、園内には約250本の紫や白のフジが見ごろでした。特に白藤の美しさは表現できないものです。
山さんの日記 第1265号 (2025年4月26日号)
横浜 みなとみらいの桜通り (撮影: 2025年4月9日)
JR京浜東北線桜木町駅前に広がる「MM(みなとみらい)21」に桜通りがあります。ランドマークタワーの下からクイーンズスクエアの下までのわずか500mの道路ですが、両側にソメイヨシノの桜が植えられ、この日は満開でした。駅からランドマークタワーに通じる高架歩道橋から見ると、圧倒的な桜の花の向こうに、MM21のビルと帆船・日本丸が見える景色は素晴らしいものでした。
横浜公園のチューリップ (撮影: 2025年4月9日)
JR京浜東北線関内駅前にプロ野球DeNAベイスターズのホーム球場「横浜スタジアム」がある横浜公園があります。横浜公園は明治9年に開園された歴史ある公園で、昭和53年に横浜スタジアムが建設されると、公園の大部分が球場で占められてしまいましたが、それでも残りの公園部分には春になると4万球のチューリップが植えられ、園内を美しく飾ります。色別に植えられた場所を見ていると、まるで波が海岸に押し寄せるようにも見えます。
鎌倉 仏行寺のツツジ (撮影: 2025年4月24日)
鎌倉市笛田に仏行寺(ぶつぎょうじ)というお寺があります。開山は戦国時代の1495年で、開山は日蓮宗の日秀です。鎌倉時代に活躍した武将に梶原景時がおり、その息子の梶原源太景季(かげすえ)も宇治川の先陣争いなどで活躍した武将です。梶原親子は、源頼朝の死後、鎌倉を追われ現在の静岡県で戦死しました。源太の妻・しのぶ(信夫)はその死を悲しみ、この地の山の頂上で自害しました。その後毎夜しのぶの泣き声が山から聞こえたため、これを弔うために「しのぶ塚」を立て、山の下に仏行寺が建てられたともいわれています。しのぶが亡くなった寺の裏山の頂には源太の片腕が埋められて円墳「源太塚」が作られました。「しのぶ塚」は現在は近くの別の場所に移されています。仏行寺は、ツツジの名所となっており、この時期は、寺の裏手の池の周囲や数十mある崖の途中にもツツジが植えられて、裏山全体がツツジの花で包まれる場所となっています。
山さんの日記 第1264号 (2025年4月19日号)
鎌倉 桜に包まれる光則寺山門 (撮影: 2025年4月4日)
鎌倉市長谷にある光則寺(こうそくじ)は日蓮宗のお寺です。開山は日蓮の弟子・日朗で、日蓮が1271年に龍ノ口の刑場で斬首になるとき、突然の雷鳴と稲妻で難をのがれ佐渡流罪になった際に、日朗は鎌倉幕府の要職にあった宿屋光則の裏山土牢に幽閉されました。光則は日朗を厚遇し、後に屋敷を光則寺としました。この日訪れると、小さな山門を覆いつくすように満開の桜がありました。素晴らしい光景でした。
鎌倉 妙本寺のカイドウ (撮影: 2025年4月7日)
鎌倉市大町の妙本寺も日朗が開山しました。鎌倉時代に娘を2代将軍・源頼家に嫁がせた幕府の重臣・比企能員(ひきよしかず)は、1203年に北条氏の謀略により一族全員が滅亡しました。比企一族の菩提を弔うために、1260年に比企能員の屋敷跡に建てたのが妙本寺です。境内正面にどっしりと建てられているのが祖師堂で、その左手には桜に似たカイドウ(海棠)の花が咲いていました。右手には苔むした比企一族の墓が連なり、「無念」の声が聞こえるような厳粛な場所です。滅亡の暗いイメージを払拭するのが、花婿・花嫁衣裳で結婚式の前撮り写真を撮るカップルで、訪れると2組は必ずおります。
横浜 大岡川の桜 (撮影: 2025年4月8日)
大岡川は、横浜市磯子区の円海山を源流として横浜港に注ぐ2級河川です。下流3.5㎞には約500本の桜が植えられ、横浜有数の桜の名所となっています。横浜市営地下鉄「弘明寺駅」で下車し、下流に歩きながら両側に咲く桜の花を堪能しました。素晴らしいの一語につきます。
山さんの日記 第1263号 (2025年4月12日号)
鎌倉大仏の桜 (撮影: 2025年4月4日)
鎌倉市長谷にある鎌倉大仏でも桜が開花していました。東京の桜が満開になっても大仏横の桜はまだ3分咲きでした。早朝でしたが、中国人の団体がパスで訪れ歓声をあげていました。
鎌倉 光明寺の桜 (撮影: 2025年4月4日)
鎌倉市材木座にある光明寺は浄土宗の大本山で、鎌倉時代の1240年に佐助ケ谷に建てた蓮華寺を1243年に現在地に移して光明寺としたものです。開山は法然上人の孫弟子・良忠です。立派な山門があり、その横に咲く桜が引き立てています。ここは観光客も少なく、静かに桜を堪能できました。
東京 神田上水公園の桜 (撮影: 2025年4月5日)
JR総武中央線東中野駅の東側を流れる神田上水(神田川)の両側には桜が植えられ、北新宿から小滝橋までの600mに約100本のソメイヨシノ桜が植えられ「神田上水公園」として桜の名所になっています。途中にかかる橋の中央に立つと、両側から桜がしだれかかり、中央に東中野駅前のタワーマンションが並ぶ光景は圧巻です。東中野駅より少し南側にある橋の近くのアパートでかぐや姫の名曲「神田川」(あなたはもう忘れたかしら・・・という歌)が作られました。
山さんの日記 第1262号 (2025年4月5日号)
鎌倉 本覚寺 しだれ桜 (撮影: 2025年3月31日)
鎌倉駅東口近くの本覚寺は日蓮宗のお寺です。日蓮の弟子・日朝は2代目住職の時に、身延山久遠寺に行き日蓮の骨をわけてもらい分骨堂を建てて納めました。これにより本覚寺は「東身延」と呼ばれています。この分骨堂の前に鎌倉では数少ないしだれ桜が咲いていました。しだれ桜は開花がソメイヨシノより少し早く、花期も長い桜です。木の下に立つと上から桜の花が滝のように落ちてくる錯覚を感じます。
鎌倉 段葛の桜 (撮影: 2025年3月31日)
鎌倉の由比ガ浜から鶴岡八幡宮に至る直線道路は「若宮大路」と呼ばれていて、このうち八幡宮寄りの500mは、道路中央に石を積んで一段高い道「段葛(だんかずら)」が造られています。これは鎌倉時代に源頼朝が妻・政子の安産のために造ったものです。かつて両側に植えられたソメイヨシノの桜が老木化したため、2014年から2年間かけて基礎からすべてやりなおし、94基の石灯篭を立て、177本のソメイヨシノの若木を植えました。9年後若木はすっかり成長して桜は5分咲きですが、トンネル状になり観光客を喜ばせています。
鎌倉 鶴岡八幡宮 源氏池の桜 (撮影: 2025年3月31日)
鶴岡八幡宮の境内には、本殿に向かって右側に「源氏池」、左側に「平家池」があります。源氏池の周囲にはソメイヨシノの桜が植えられ、まだ5分咲きですが美しく咲いています。池の中央にある島には「旗上弁財天」が祀られ、源氏の白い旗が掲げられています。
山さんの日記 第1261号 (2025年3月29日号)
鎌倉 若宮大路 二の鳥居の早咲き桜 (撮影: 2025年3月18日)
由比ガ浜の海岸からまっすぐ鶴岡八幡宮に伸びる道は源頼朝が鎌倉幕府として造成した若宮大路と言われる道です。そして二の鳥居から三の鳥居までの500mは一段高い「段葛(だんかずら)」とよばれる道で、これも源頼朝が造ったものです。今は二の鳥居の手前に早咲きの桜が咲いていました。二の鳥居は、回収工事中で、アングルが組まれています。
鎌倉 鶴岡八幡宮 平家池池畔の早咲き桜 (撮影: 2025年3月18日)
鶴岡八幡宮の境内に入ると、右手に源氏池、左手に平家池があります。平家池の池畔には早咲きの桜が見ごろになっていました。写真右側には、舞殿・本殿が見え、露店も出ています。
鎌倉 貞宗寺 (撮影: 2025年3月24日)
JR大船駅西口から神奈川中央バスに10分ほど乗って「植木」で下車し3分ほど歩くと、浄土宗の貞宗寺(ていそうじ)に着きます。ここは現在は比較的小さなお寺ですが、徳川幕府2代将軍・徳川秀忠の母・お愛の方の実母・貞宗院の菩提寺です。貞宗院は、江戸城大奥を最初に取り仕切った人として知られていて、晩年はこの地に隠居して1609年に逝去後は遺言でこの地に貞宗寺が開山されました。当時は、死後も幕府より膨大な俸禄が与えられ、周辺に広大な土地を持つ大寺院でありました。ご本尊(写真)は、阿弥陀三尊で、中央に阿弥陀如来、左右に、観音菩薩と勢至菩薩が祀られています。左右の菩薩は膝を立てた珍しいものです。
山さんの日記 第1260号 (2025年3月22日号)
大船 谷戸池の河津桜 (撮影: 2025年3月10日)
JR大船駅西口から歩10分の鎌倉市玉縄に谷戸池があります。湧き水の川をせき止めた小さな灌漑用の池ですが、池の周囲に植えられた早咲きの玉縄桜が満開になっていました。玉縄桜は、近くの大船フラワーセンターで改良された桜です。
大船駅西口の河津桜 (撮影: 2025年3月10日)
JR大船駅西口は大船観音のある出口ですが、駅前通りに数本の玉縄桜があり満開でした。玉縄桜はソメイヨシノの桜を改良した桜で、河津桜がピンクなのに対し、白を基調にしています。暖かい太陽の光を浴びて輝いていました。
大船フラワーセンターの河津桜 (撮影: 2025年3月9日)
鎌倉市岡本にある玉縄桜発祥の地「大船フラワーセンター」でも玉縄桜は満開でした。園内には、玉縄桜の原木もあり、台風の被害を受けましたが、再び元気に花をつけていました。
山さんの日記 第1260号 (2025年3月15日号)
三浦海岸の河津桜 (撮影: 2025年3月1日)
JR横須賀線の終点「久里浜駅」から京浜急行線に乗り換え「三浦海岸駅」まで行くと、そこは駅前から早咲きの河津桜が見ごろになっていました。そして駅前から小松ヶ池公園までの1kmの間に約1,000本の河津桜が植えられていて、満開の桜と木の下の菜の花が素晴らしい眺めになっていました。写真上は、駅から小松ヶ池公園に行く途中の風景で、右手に京浜急行線が走っています。写真下は、小松ヶ池公園の桜で、露店も出て大勢の人でにぎわっていました。
茅ケ崎 小出川の河津桜 (撮影: 2025年3月4日)
JR東海道線茅ケ崎駅北口から50分ほど歩くと、小出川(こいでがわ)の萩園橋に着き、川に沿って3分歩くと、約70本ほどの満開の河津桜と黄色の菜の花が出迎えてくれました。今年は寒い日が続き開花が大幅に遅れましたが、ようやく満開となり3/2まで第16回の桜まつりが開かれていました。この日はまつりも終わり、雨のふりそうな曇り空の寒い日となったため訪れる人もまばらで、ゆっくり写真が撮れました。写真奥の高架道路は「圏央道」です。
山さんの日記 第1259号 (2025年3月8日号)
松田町 西平畑公園の河津桜 (撮影: 2025年2月28日)
小田急小田原線「新松田駅」から北へ20分ほど歩くと、西平畑公園の河津桜まつり会場の入口に着きます。ここから階段を上って行くと、満開の河津桜と菜の花が美しく咲いていました。登り切ったところが松田山の頂上で、遠く富士山や眼下に松田の町が見えました。写真上は河津桜と菜の花の競演、写真下は河津桜の間から見えた富士山です。
小田原城の梅 (撮影: 2025年2月28日)
新松田駅から小田急電車に乗り小田原へ行きました。小田原城では、梅や河津桜が咲いていました。常盤木門のやぐらをバックに白梅が美しく咲いていました。
山さんの日記 第1258号 (2025年3月1日号)
鎌倉 荏柄天神社参道の白梅 (撮影: 2025年2月24日)
鎌倉市二階堂の荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)は、九州の大宰府天満宮や京都の北野天満宮と並ぶ日本三天神のひとつに数えられています。平安時代の1104年8月25日に雷雨とともに天神画像がくだり、村人が社殿を建てて画像を納め、ご神木のイチョウの木を植えたのがはじまりと伝えられています。鎌倉時代になって、鎌倉幕府の鬼門(北東)に当たるとして魔よけの意味から崇拝されたようです。現在は、神殿前に紅梅・白梅が咲きますが、長い参道にも多くの梅の花が咲いています。写真は、金沢街道に面した参道入口に咲く白梅と鳥居です。
鎌倉 浄妙寺の白梅 (撮影: 2025年2月24日)
鎌倉市浄明寺に鎌倉五山第五位の浄妙寺があります。鎌倉時代の1188年に足利義兼が創建した寺です。最初は真言宗の極楽寺でしたが、その後臨済宗の浄妙寺になりました。足利家ゆかりの寺として、室町時代でも栄えました。方丈の額のかかる本堂に至る参道の両脇に紅梅・白梅が植えられていて、今年は開花が遅れていましたが、やっと花をつけるようになりました。
藤沢 遊行寺の紅梅 (撮影: 2025年2月22日)
藤沢市西富にある遊行寺(ゆぎょうじ)は、一遍を開祖とする時宗の総本山に当たる大きなお寺です。鎌倉時代の1325年に、遊行呑海が廃寺を再建して開山しました。本堂横に紅梅が美しく咲いていました。
山さんの日記 第1257号 (2025年2月22日号)
鎌倉 青蓮寺の白梅 (撮影: 2025年2月19日)
鎌倉市手広にある真言宗のお寺・青蓮寺(しょうれんじ)は、「鎖大師」の俗名で親しまれています。平安時代の819年に弘法大師(空海)により開山されたと伝えられています。寺名の所縁は、空海がこの地の裏山で江の島の弁財天の力を借りて修行を達成したときに、ここの池に青い蓮の花が咲いたとの故事によるものです。今年は寒い日が続いて梅の咲きだしも遅れていましたが、やっと8分咲きになりました。
鎌倉 宝善院の白梅 (撮影: 2025年2月19日)
青蓮寺から江の島方面に歩くと、腰越に宝善院(ほうぜんいん)という真言宗のお寺があります。開山は奈良時代の高僧・泰澄ともいわれています。本尊は薬師如来像ですが、泰澄が日ごろ信仰していた十一面観音像を祀ったことから、現在も十一面観音像の赤い幟(のぼり)が立っています。本堂前には、白梅が咲いていました。
藤沢 龍口寺の河津桜 (撮影: 2025年2月19日)
宝善院から更に歩いて藤沢市片瀬にある龍口寺(りゅうこうじ)を訪ねました。日蓮は、鎌倉時代に「立正安国論」を書いて時の執権・北条時頼の怒りを買い、龍の口の刑場で処刑されそうになったとき、雷光が飛来して処刑は中止され、佐渡島流罪となりました。その後、この法難の地に建てられたのが龍口寺です。庫裏の横に、早咲きの河津桜が咲いていました。
山さんの日記 第1256号 (2025年2月15日号)
鎌倉 北鎌倉踏切付近のロウバイ (撮影: 2025年2月8日)
北鎌倉駅前を通って鎌倉駅方面に行く県道21号線横浜鎌倉線(通称:鎌倉街道)の明月院入口にあるJRの踏切横に美しいロウバイ(蠟梅)が咲いていました。ロウバイは中国が原産で、江戸時代に日本に渡来しました。「梅」の字が付きますが梅とは別の種類です。黄色の小さな花をつけますが、太陽の光を浴びてロウソクのロウのように透き通って見えることからこの名がついたようです。ロウバイは太陽の光を浴びて光輝いていました。
鎌倉 海蔵寺のスイセン (撮影: 2025年2月8日)
北鎌倉から亀ガ谷坂切通しを越えて、扇ガ谷にある海蔵寺に行きました。庫裏の前にニホンスイセン(日本水仙)が咲いていました。そして写真にはありませんが、その横に春を告げる花「フクジュソウ(福寿草)」が咲きはじめていました。
藤沢 常立寺のしだれ梅 (撮影: 2025年2月9日)
湘南モノレール「湘南江の島駅」近くに常立寺(じょうりゅうじ)があります。鎌倉時代の1274年に蒙古が襲来(文永の役)しましたが嵐によって蒙古の船が沈没し、翌1275年蒙古は使者を送り降伏を求めましたが、執権・北条時宗は使者・杜世忠たちを処刑したため、1781年再度蒙古が襲来(弘安の役)しました。このときも神風が吹いて蒙古軍は退散し元寇は終わりました。杜世忠の処刑は近くの龍ノ口処刑場で行われ、この常立寺にはその供養塔ともいえる元使塚があります。常立寺の本堂前にはしだれ梅の木があり、美しい花を咲かせていました。
山さんの日記 第1255号 (2025年2月8日号)
鎌倉 長谷寺の節分祭 (撮影: 2025年2月3日)
節分は、立春・立夏・立秋・立冬の前日に邪気(鬼)を追い払う行事です。特に立春は1年のはじまりの意味から節分といえば立春の節分を示すようになりました。通常は2月3日ですが、今年は2月2日になっています。長谷寺では2月3日に節分祭が行われました。豆まきの壇から、年男・年女のほか俳優の石黒賢さん・テニスの杉山愛さん・TBSテレビ天気予報キャスターの森田正光さんなどが元気良く豆をまきました。境内の放生池前の白梅が多くの花をつけていました。
鎌倉 鶴岡八幡宮の節分祭 (撮影: 2025年2月2日)
2月2日、鶴岡八幡宮で節分祭が行われました。13:00から弓を持った烏帽子姿の射手たちが本殿で神事を受け、13:30から射手たちが「鳴弦式」という弓の弦を鳴らすことで邪気(鬼)を追い払う行事を行いました。そして14:00からは、舞殿で豆まきが行われました。
山さんの日記 第1254号 (2025年2月1日号)
二宮 吾妻山公園の菜の花 (撮影: 2025年1月22日)
東海道線二宮駅北口から5分ほど歩いた吾妻山公園入口から約300段の急な石段を一気に上り、更に山道を10分歩くと標高136mの吾妻山山頂に着きます。広い芝生広場からは360度の展望があり、6万本の菜の花越しに富士山・丹沢山塊・箱根連山・伊豆の山々・相模湾の海・伊豆大島などが見えます。菜の花は例年より開花が遅れていましたが、やっと見ごろになりました。
鎌倉 鎌倉宮の河津桜 (撮影: 2025年1月28日)
鎌倉市二階堂の鎌倉宮は、1335年に幽閉された東光寺で非業の死を遂げた護良親王(後醍醐天皇の子)を悼んだ明治天皇が東光寺の跡地に創建した神社です。白い鳥居の前に早咲きの桜「河津桜」が咲きだしました。例年では満開になる時期ですが、今年は寒さのせいか開花が遅れてまだ3分咲きです。
鎌倉 鶴岡八幡宮の梅 (撮影: 2025年1月28日)
鶴岡八幡宮の源氏池と斎館の間にある白梅が咲きだしました。日当たりが良いためかこの梅は鎌倉市内でも早く咲きだす木で、すでに多くの花を咲かせています。2月2日は節分、2月3日は立春です。
山さんの日記 第1253号 (2025年1月25日号)
二宮 知足寺のつるし飾り雛 (撮影: 2025年1月22日)
東海道線二宮駅北口から徒歩7分のところに知足寺(ちそくじ)があります。知足寺は、鎌倉時代初期にこの地の支配者・二宮朝忠の妻が開基したお寺で、妻は仇討ちで有名な曽我兄弟の姉だったことから、境内には曽我兄弟の墓もあります。この時期は、雛飾りとつるし飾り雛をお寺に飾ります。今回訪れると、例年本堂内にギッシリ飾られる雛はなく、扉の閉ざされた本堂前にわずかな雛とつるし飾り雛だけがありました。境内にいた近所の方に伺うと、つるし飾り雛を作っていた近所の主婦も老齢化して制作をやめたため、寂しい飾りとなっているとのことでした。
藤沢 片瀬東浜の成人みこし (撮影: 2025年1月19日)
江の島の対岸に当たる片瀬東浜で毎年1月の第3日曜日に成人を祝う「寒中神輿(みこし)錬成大会」が行われます。今年は10:30から和太鼓演舞があり、11:00から神事、11:30から藤沢・鎌倉のみこし4基が成人を乗せて海中に入りました。この行事は4年間中止されていて、5年ぶりの実施となりました。
山さんの日記 第1252号 (2025年1月18日号)
鎌倉 来迎寺のスイセン (撮影: 2025年1月10日)
鶴岡八幡宮の東の鎌倉市西御門に来迎寺があります。来迎寺は鎌倉時代の1293年に、この年に発生した鎌倉大地震で亡くなった人を弔うために一向によって創建されました。本堂前にはスイセン(水仙)が美しく咲いていました。
鎌倉 本覚寺の初えびす (撮影: 2025年1月10日)
鎌倉駅東口近くに本覚寺があります。この地は、源頼朝が鎌倉幕府の裏鬼門に当たるところから夷(えびす)神を祀ったところです。室町時代の1436年に一乗房日出が日蓮宗の本覚寺を創建しました。2代目住職の日朝は、身延山から日蓮の遺骨を分骨してここを「東身延」としました。正月には緑色屋根の夷堂で夷神を祝う行事が行われていました。
江の島 冬チューリップ (撮影: 2025年1月7日)
藤沢市江の島の江の島神社は新年の初詣で大勢の人でにぎわっていました。長い石段を上って頂上にあるサムエルコッキング苑に行きました。明治時代に来日した英国貿易商サムエルコッキングはこの地に別荘を建て、植物園を造りました。現在は、これが再整備されて季節の花が咲いています。正月は冬(ウインター)チューリップが沢山咲いていて、一足早い春の訪れを感じさせてくれます。
山さんの日記 第1251号 (2025年1月11日号)
鎌倉 鶴岡八幡宮 (撮影: 2025年1月5日)
今年は喪中であったため3ガ日の初詣は控え、5日に前年の破魔矢を持って鶴岡八幡宮に行きました。古い破魔矢を納め、新しい今年の破魔矢をいただきました。鶴岡八幡宮の舞殿横で新年の行事「除魔神事」が行われていました。「除魔神事」は、源頼朝が鎌倉幕府において「御的始」「御弓始」と称して行った武家の事始めを起源としています。 「吾妻鏡」によれば、1180年(治承4年)12月20日、源頼朝の御所で、酒宴の余興に「御弓始の儀」が催されたとあります。
山さんの日記 第1250号 (2025年1月4日号)
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
新年の富士山 (撮影: 2025年1月1日)
関東地方はこのところ晴天が続き、2025年の元日も晴れて富士山が自宅からきれいに見えました。
新春恒例の箱根駅伝 (撮影: 2025年1月2日)
第101回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が1月2日・3日に行われました。2日は往路で、自宅から藤沢橋交差点まで行って第3区(戸塚中継所~平塚中継所)を見ました。1区では中央大学の吉居駿恭が独走してトップをとり、第3区もトップは中央大学でした。走者は本間颯(写真下)で、3区でも区間賞(区間1位)をとりました。しかし後続が抜かれて往路は2位、総合5位でした。総合優勝したのは青山学院大学で昨年に続き2連覇でした。走者は速く、アッと言う間に通り過ぎました。
山さんの日記 第1249号 (2024年12月28日号)
鎌倉 瑞泉寺の紅葉 (撮影: 2024年12月10日)
鎌倉市二階堂の瑞泉寺は、鎌倉アルプスハイキングコースの山を背にした禅宗(臨済宗)のお寺です。高僧・夢窓礎石が作庭した庭園前のもみじが真っ赤に紅葉していました。瑞泉寺は鎌倉の中でも最も紅葉の遅い場所で、総門上のもみじはまだ緑色で紅葉していません。
鎌倉 妙本寺の山茶花 (撮影: 2024年12月12日)
鎌倉時代、2代将軍・源頼家に娘を嫁がせ、鎌倉幕府の実権をねらった比企一族は北条氏により滅ぼされてしまいました。その屋敷跡に建てられたのが妙本寺です。もみじの紅葉は、瑞泉寺と並んで遅い場所ですが、この日は鐘楼付近がきれいでした。そしてその近くの本堂前には濃いピンクの山茶花(さざんか)の花が美しく咲いていました。
鎌倉 長谷寺の紅葉 (撮影: 2024年12月17日)
紅葉の名所・長谷寺を訪れたときは、紅葉は終わっていると思ったのですが、散ったもみじもありましたが、まだ紅葉も十分残っていました。赤い大きな提灯の下がる総門奥のもみじは真っ赤に染まりきれいでした。外国人観光客も多く、盛んに写真を撮っていました。長谷寺は紅葉の最盛期はライトアップをして、夜の紅葉も楽しめるポイントです。
本年もあとわずかです。今年1年も 山さんの日記をご覧いただきありがとうございました。また来年もカメラ散歩をがんばりますので、引き続きよろしくお願い申し上げます。どうぞ良いお年をお迎えください。
山さんの日記 第1248号 (2024年12月21日号)
まんだら堂やぐら群 (撮影: 2024年12月7日)
鎌倉市と逗子市の境界に「鎌倉七切通」の一つ「名越切通」がありますがその近くに「まんだら堂やぐら群」があります。鎌倉駅からバスで緑が丘入口行の終点まで乗り、10分ほど山道を歩くと着きます。鎌倉時代に鎌倉石の10m以上の崖に150もの四角い穴(やぐら)を堀り、内部に石塔を建てて納骨・供養する墳墓跡です。長い間放置されたため荒廃がひどく、10年以上の年月をかけてきれいになりました。現在は逗子市が季節限定の土・日に公開しています。昔、まんだら堂があったようですが、さだかではありません。訪れたときは、もみじの紅葉は終わり、大イチョウの葉が散って黄色のジュウタンの上を歩くようでした。そしてスケールの大きな遺跡に感動しました。
お猿畠の大切岸 (撮影: 2024年12月7日)
まんだら堂やぐら群の近くに「お猿畠の大切岸」があります。鎌倉幕府が三浦一族からの攻撃に備えるために、鎌倉石を垂直に切り落として3~10mの切岸と呼ばれる崖を造り、その上を平地(平場)にして兵を置き、矢を射かけて鎌倉を守ったとされています。切岸は各所にありますが、現在残っているのはこの「お猿畠の大切岸」が有名です。この大切岸も雑草などに覆われて荒廃していましたが、数年をかけて整備しました。鎌倉幕府は三方を山で囲まれた場所で、防御に知恵を出していました。
名越切通 (撮影: 2024年12月7日)
鎌倉の東に当たる名越(なごえ)は、鎌倉と三浦半島を結ぶ陸路として重要な意味を持っていました。このため、「名越切通」を造って外部からの攻撃に備えました。高さが10mもある岩場を細く切り落として、1人がやっと通れる切通としました。写真を見ても、大群が押し寄せても守れるように造られています。
山さんの日記 第1247号 (2024年12月14日号)
鶴岡八幡宮の子供イチョウ (撮影: 2024年12月3日)
鎌倉・鶴岡八幡宮本殿への石段左側には、樹齢推定1000年(平安時代から)の大イチョウ(銀杏)がありました。1219年鎌倉幕府第3代将軍・源実朝が暗殺された隠れ銀杏の舞台になったところです。この大イチョウが2010年(平成22年)3月10日未明の強風で倒れ、修復困難なため地面に近いところで伐採されました。その後10年以上経過して伐採したところから子供(ヒコバエ)が生え、現在では大きな幹・葉を広げていて、写真のように黄色く色づいていました。
鎌倉宮の紅葉 (撮影: 2024年12月3日)
鶴岡八幡宮から東へ歩くと鎌倉宮があります。後醍醐天皇の皇子・護良親王を祀るために明治天皇が創建した神社です。ここは鎌倉のもみじの名所です。駐車場横のもみじが真っ赤に染まっていました。
覚園寺の紅葉 (撮影: 2024年12月3日)
鎌倉宮の左手を進むと覚園寺があります。鎌倉時代の1218年に執権・北条義時がこの地に薬師堂を建てたのが始まりと言われています。その後1296年北条貞時が覚園寺としました。境内には愛染堂という建物(写真正面)があり、この前は真っ赤なもみじが見られる紅葉の名所です。愛染堂より奥は、有料参観できますが写真撮影はできません。
山さんの日記 第1246号 (2024年12月7日号)
埼玉 平林寺の紅葉 (撮影: 2024年11月30日)
埼玉県新座市にある平林寺は紅葉の名所です。JR武蔵野線新座駅からバスがあります。平林寺は南北朝時代の1375年に岩槻城主・太田備中守が創建し、江戸時代の1663年に松平信綱の子により、現在の場所に移されました。武蔵野の面影を残す平林寺は、13万坪の広大な敷地があり、境内には県史跡の野火止用水が流れています。宗派は臨済宗(禅宗)です。境内全域にもみじがあり、11月下旬~12月上旬には真っ赤に紅葉します。
山さんの日記 第1245号 (2024年11月30日号)
浄光明寺の紅葉 (撮影: 2024年11月27日)
鎌倉市扇ガ谷の浄光明寺は、鎌倉時代の1250年頃に5代執権・北条時頼が創建した真言宗のお寺で、後に足利尊氏ゆかりのお寺でもあります。鐘楼の横のもみじが真っ赤に紅葉していてきれいでした。
海蔵寺の紅葉 (撮影: 2024年11月27日)
鎌倉市扇ガ谷の海蔵寺も紅葉の名所です。今年は紅葉も遅れ、まだ緑色の葉も多いのですが、日当たりの良い木は紅葉が始まっていました。海蔵寺では、山門下と鐘楼奥のもみじの紅葉がきれいです。12月上旬まで楽しめます。
近所の公園の紅葉 (撮影: 2024年11月29日)
鎌倉市の自宅近くの公園のもみじが真っ赤に紅葉していました。鎌倉市内の紅葉は例年より少し遅れていて12月上旬が見ごろですが、この公園のもみじは見事でした。
山さんの日記 第1244号 (2024年11月23日号)
葛原岡神社のツワブキ (撮影: 2024年11月7日)
鎌倉・源氏山公園の一角に葛原岡(くずはらがおか)神社があります。1332年に鎌倉幕府討幕の罪で再度捕らわれた日野俊基はこの地で斬首されました。明治になって日野俊基を尊敬する動きが起こり、1888年(明治21年)に葛原岡神社が創建されました。現在は「縁結び」にご利益がある神社として若者の参拝が増えています。神社の社は小さなものですが、参道には冬の花・ツワブキ(石蕗)の黄色の花が咲いていました。
源氏山公園の紅葉 (撮影: 2024年11月7日)
海抜90m位の源氏山は、平安時代の1080年代の後三年の役で八幡太郎義家が戦勝を祈念して白旗を挙げた場所であり、源氏ゆかりの場所です。1980年に源頼朝の鎌倉入り800年を記念して頼朝の銅像をたてました。この銅像の背後に美しい紅葉が見られます。
円覚寺の竹林と紅葉 (撮影: 2024年11月19日)
鎌倉の円覚寺は、鎌倉五山第2位の禅宗のお寺です。総門前や三門裏のもみじはまだ緑色ですが、妙香池奥の竹林の前に真っ赤なもみじの紅葉がありました。緑の竹と対照的で美しい光景でした。
山さんの日記 第1243号 (2024年11月16日号)
円覚寺の紅葉 (撮影: 2024年11月9日)
JR横須賀線北鎌倉駅前にある円覚寺では、門前のもみじの紅葉が始まりました。朝日を浴びたもみじは、真っ赤に燃え上がっていました。間もなく鎌倉全域の紅葉も本格的に始まります。
山下公園のバラ2題 (撮影: 2024年11月13日)
横浜港の山下公園のバラ園では、係留されている氷川丸をバックに赤や白などの美しいバラの花が咲いていました。
山さんの日記 第1242号 (2024年11月9日号)
鎌倉宮の柿の木 (撮影: 2024年11月4日)
鎌倉市二階堂にある鎌倉宮は、1869年(明治2年)に後醍醐天皇の皇子・護良親王を祀るために明治天皇が建てた神社です。護良親王は1333年鎌倉幕府滅亡2年後の1335年に起きた北条時行の乱入(中先代の乱)の際にこの地で殺害されました。正面石段前に柿の木があり沢山の柿がなっていました。典型的な秋の風景です。背後の真っ白な神社の鳥居がまぶしく光っていました。
浄妙寺の十月桜 (撮影: 2024年11月4日)
鎌倉市浄明寺にある浄妙寺は鎌倉五山第五位にあたる名刹です。鎌倉時代の1188年に足利義兼が建てた極楽寺がのちに浄妙寺になったとされています。足利家の菩提寺で、足利尊氏の弟・直義の墓があります。墓地の裏手に十月桜が咲いていました。花はわずかですが、可憐な花でした。
新林公園のススキ (撮影: 2024年11月5日)
藤沢市川名の新林公園は裏山を含め広大な公園です。この公園には江戸時代の古民家を移築しており、写真の背後の建物は1841年(天保12年)に建てられた名主・小池家のもので、1983年(昭和58年)にこの地に移築されました。藁ぶき屋根の古民家の前にはススキが秋の季節をあらわしていました。
山さんの日記 第1241号 (2024年11月2日号)
鎌倉 長谷寺のシュウメイギク (撮影: 2024年10月25日)
長谷寺の山門横の入口を入るとすぐ左手にシュウメイギク(秋明菊)の白と紫の花が咲いていました。この時期は花が少ないのですが、「見てよ見てよ」と言っているようでした。
鎌倉 海蔵寺のリンドウ (撮影: 2024年10月19日)
鎌倉市扇ガ谷の海蔵寺の山門奥に地を這うように紫色のリンドウ(竜胆)の花が咲いていました。背後の建物は薬師堂で、薬師如来・日光菩薩・月光菩薩・十二神将像などが祀られています。
藤沢 天嶽院の六地蔵: 2024年10月30日)
藤沢市渡内にある天嶽院の境内には「温顔和楽」と題する六地蔵が座っています。近代的に石仏で、「ほかほか地蔵」「らくらく地蔵」「ふくふく地蔵」「にこにこ地蔵」「すくすく地蔵」「いきいき地蔵」の六体です。皆、大変良いお顔をしていました。
山さんの日記 第1240号 (2024年10月26日号)
北鎌倉 浄智寺の緑の池 (撮影: 2024年10月19日)
北鎌倉の浄智寺は、鎌倉五山・第4位の古刹です。鎌倉時代に執権・北条時頼の三男・宗政が早世し、宗政を弔うために宗政夫人が1281年に建立したのが浄智寺です。山門前には美しい緑色の小さな池があり、その左手には鎌倉十井のひとつ「甘露ノ井」があります。鎌倉時代は甘露と呼ばれるような甘いきれいな水が湧き出していたのではないかと思います。この場所は、映画・テレビのロケ地に使われる所です。
鎌倉 海蔵寺の花々 (撮影: 2024年10月19日)
鎌倉市扇ガ谷の海蔵寺は、一年中花の絶えない「花の寺」として有名です。写真の鐘楼を背景に咲く薄紫の花は「シオン(紫苑)」、その左手のピンクの花は夏の花「フヨウ(芙蓉)」です。
鎌倉 長谷寺のホトトギス (撮影: 2024年10月25日)
長谷寺は観光客の9割を占める外国人客で大混雑でした。山門にかかる大きな赤い提灯の裏手にホトトギスの花が咲き始めていました。花の斑点が鳥のホトトギスの胸の斑点と似ていることから名づけられたようです。あまり知られていない花のため、足を止める観光客もいません。
山さんの日記 第1239号 (2024年10月19日号)
大船フラワーセンターのお化けカボチャ (撮影: 2024年10月11日)
鎌倉市岡本の大船フラワーセンターでは、10月31日のハロウィンを前に沢山のお化けカボチャが芝生広場に並べられ、幼児たちが楽しそうに遊んでいました。
藤沢 二伝寺のヒガンバナ (撮影: 2024年10月11日)
藤沢市渡内にある二伝寺は戦国時代の1505年に近くの玉縄城主・北条氏時により開山されました。本山の光明寺の伝書が紛失したとき、この寺に伝書の写しがあったことから「二伝寺」に寺名変更があったようです。道路に面した垣根に白いヒガンバナ(彼岸花)が美しく咲いていました。
くりはま花の国のコスモス (撮影: 2024年10月2日)
横須賀市久里浜の「くりはま花の国」の広大なお花畑には100万本のコスモスが咲きますが、今年は猛暑のためか花の咲きが少なく寂しい状況でした。はとバス観光の団体も来ていましたが、早々に次の予定地に移動して行きました。
山さんの日記 第1238号 (2024年10月12日号)
鎌倉 鶴岡八幡宮側道のヒガンバナ (撮影: 2024年10月4日)
鶴岡八幡宮の東側道路際は土手になっていて例年真っ赤なヒガンバナ(彼岸花)が咲きます。今年は猛暑のため開花が遅れていましたが、やっと見ごろになりました。数年前よりも花の数は減ったように思えますが、それでも美しく咲いていました。
鎌倉 宝戒寺の白いヒガンバナ (撮影: 2024年10月4日)
鶴岡八幡宮から東に5分歩くと宝戒寺があります。1333年新田義貞率いる討幕軍が鎌倉を攻め、ついに稲村ケ崎側から攻め込みました。北条一族郎党870人は、東勝寺で自刃して鎌倉幕府は滅亡しました。後醍醐天皇は北条一族を弔うために足利尊氏に命じて北条家の屋敷跡に1335年に建立したのが宝戒寺です。滅亡の寺を象徴するように、寺の境内には白いヒガンバナと白いハギ(萩)が咲いています。これまで入山料は100円でしたが、境内の手入れをしっかりして300円になっていました。
コスモスに囲まれる弘法大師 (撮影: 2024年10月6日)
鎌倉市手広に鎖大師とも呼ばれる青蓮寺があります。開山は奈良時代で弘法大師が創建したと伝えられています。弘法大師がこの地で修行を達成したとき、池に青色の蓮が咲いたとの故事があります。境内には「旅する弘法大師様」と言われる大師の石像がいくつもあり、今年は猛暑で咲きだしの遅れたたくさんのコスモスに囲まれていました。
山さんの日記 第1237号 (2024年10月5日号)
鎌倉 海蔵寺のヒガンバナ (撮影: 2024年10月1日)
鎌倉駅西口から歩20分の鎌倉市扇ガ谷に海蔵寺があります。海蔵寺は古く真言宗のお寺としてあったようですが、鎌倉時代の1253年に七堂伽藍を持つ大きなお寺になりました。しかし、1333年の鎌倉幕府滅亡の際、近くの切通しの戦乱で焼失し、室町時代の1394年に禅宗のお寺として再建されました。近年は花の絶えない「花の寺」として多くの観光客が訪れています。この日は、猛暑で開花の遅れたヒガンバナ(彼岸花)が美しく咲いていました。写真正面は本堂、左手は薬師堂です。
鎌倉 亀ケ谷坂切通しの白萩 (撮影: 2024年10月1日)
扇ガ谷から北鎌倉へ抜ける道が亀ケ谷坂切通しです。三方を山で囲まれた鎌倉は、攻め込む敵を防ぐため七つの切通しという隘路を造りました。亀ケ谷坂切通しも、見上げるほどの高い崖を切り下げた狭い道になっていて、更に乗り越えるためには急な坂を上り下りしないといけません。昔、建長寺の亀がこの坂を上りはじめましたが、余りに急なため途中で引き返したことからこの名前がついたようです。切通しの北鎌倉寄りには長寿寺があり、白と紅の萩が美しく咲いていました。
鎌倉 寿福寺のハギ (撮影: 2024年10月1日)
鎌倉市扇ガ谷の寿福寺は、源実朝と北条政子の墓があり、鎌倉五山第3位の古刹です。花が少ないので山さんの日記では余り登場しませんが、この時期のハギ(萩)は圧巻です。
山さんの日記 第1236号 (2024年9月28日号)
藤沢 小出川のヒガンバナ (撮影: 2024年9月24日)
藤沢市遠藤に源を発して、藤沢市・茅ケ崎市・寒川町との境界を流れ、相模川に合流する小出川(こいでがわ)の両岸には赤や白のヒガンバナ(彼岸花)が例年はギッシリ咲くのですが、今年はほとんど咲いていません。わずかに咲いていた花にアゲハチョウが密を吸いに来ていました。
大船フラワーセンターの黄色のコスモス (撮影: 2024年9月21日)
鎌倉市岡本にある大船フラワーセンターの芝生広場には、黄色のコスモス(レモン・ブライト)が美しく咲いていました。この花は早咲きで、黄色が元気をくれました。
鎌倉 大巧寺のコシキブ(撮影: 2024年9月26日)
鎌倉駅東口前の大巧寺の山門奥に紫色の小さな実をつけたコシキブ(小式部)が茂っていました。同類のムラサキシキブ(紫式部)よりは実が小さいのが特徴です。花ことばは、「愛され上手」です。
山さんの日記 第1235号 (2024年9月21日号)
ダイヤモンド富士 (撮影: 2024年9月14日)
鎌倉の自宅マンションからは富士山が裾野まできれいに見えます。この日はダイヤモンド富士が見られる日です。朝からもやに包まれて姿の見えなかった富士が日没直前に突然姿を現して、無事ダイヤモンド富士が撮影できました。
中秋の名月 (撮影: 2024年9月17日)
9月17日は旧暦の8月15日です。この日の月は中秋の名月(15夜)と呼ばれます。中秋の名月は必ずしも満月ではなく、今年は中秋の名月が17日、満月が18日と1日ずれています。自宅からも北鎌倉の山の上に上る名月を見ることができました。写真下の横の帯は懸垂型の湘南モノレールのレールで、中央に「湘南町屋駅」があります。
大和 ふれあいの森 ヒガンバナ (撮影: 2024年9月19日)
小田急江ノ島線と相鉄線の大和駅から西に向かうと、相鉄線の地下化に伴っての線路跡が「ひなげしの道」と呼ばれるプロムナードになっています。更に西に進むと広大な「ふれあいの森」が広がっています。引地川源流に沿った斜面にヒガンバナ(彼岸花)が植えられていて、今年は猛暑で咲きだしが遅いのですが、白いヒガンバナが多数咲いていました。
山さんの日記 第1234号 (2024年9月14日号)
鎌倉・来迎寺のオミナエシ (撮影: 2024年9月7日)
鶴岡八幡宮の東方、鎌倉市西御門に来迎寺があります。鎌倉時代の1293年に大地震で亡くなった人々を弔うため一向が時宗のお寺として建立したと伝えられています。入口に立つと大きなサルスベリの木があり、その奥にまるでお城のような石垣の上にお寺があります。庫裏の前には、秋の花・黄色のオミナエシが咲いていました。
鎌倉・本覚寺のサルスベリ (撮影: 2024年9月7日)
鎌倉駅東口近くに本覚寺があります。境内には多くのサルスベリ(百日紅)の木がありますが、例年は8月に紅色で包まれる木が、今年は猛暑のためほとんど咲いていませんでした。しかし、9月に入って訪れると、やっと多くの花をつけていました。写真上は本堂、写真下は山門です。
山さんの日記 第1233号 (2024年9月7日号)
今年の8月は不要不急の外出自粛の注意が出される猛暑日が続き、更に迷走台風10号が大雨を降らせる異常な月となりました。買い物などの外出はありましたが、カメラ散歩を自粛したため今週は過去の思い出の写真にいたしました。
箱根・仙石原のコスモス (撮影: 2012年9月9日)
箱根の仙石原は東京や横浜より秋の訪れが早いようです。道路脇にピンクのコスモスがきれいでした。
東京・浜離宮のキバナコスモス (撮影: 2011年9月15日)
浜離宮のお花畑にはキバナコスモスが咲き、背後には汐留の高層ビル群が林立する秋の景色です。キバナコスモスはコスモスの名がついていますが、コスモスとは別の種類です。
埼玉・巾着田の曼殊沙華 (撮影: 2009年9月21日)
埼玉県日高市の巾着田は、日高川が蛇行して「ひ」の字に似た巾着の形をしているためその名がついたようです。ここは見渡す限りの曼殊沙華の真っ赤な花で埋め尽くされます。曼殊沙華は、ヒガンバナ(彼岸花)と呼ばれますが、ここでは山口百恵の歌にあるように曼殊沙華と呼んでいます。
山さんの日記 第1232号 (2024年8月31日号)
鎌倉 本興寺のサルスベリ (撮影: 2024年8月17日)
鎌倉市大町の横須賀線踏切横に本興寺があります。鎌倉幕府滅亡(1333年)の3年後(1336年)に足利家の一族・石堂義房が創建したお寺です。江戸時代初期に徳川幕府の命により一時廃寺となりましたがその後再興されました。本堂前には大きなサルスベリの木があり、この時期は木全体が紅色に包まれますが、今年は花はわずかです。掃除をしていたご住職に伺うと、長い猛暑と少雨のためと言っていました。
鎌倉 辻の薬師堂 (撮影: 2024年8月17日)
本興寺の前に「辻の薬師堂」があります。ここには奈良時代の720年代に創建された医王山長善寺というお寺がありました。「由比の長者」と呼ばれた染屋太郎時忠が赤子を鷲にさらわれ、血や骨のあったこの地に寺を創建したとの伝説がありますが定かではありません。寺は幕末に焼失しましたが、薬師堂は残りました。薬師堂には、両脇に日光・月光菩薩を従えた薬師如来があり、十二神将像もありました。病気を治す薬師如来は多くの人の知るところとなり、江戸時代には遠く江戸からも大勢の参詣客がありました。1674年には水戸光圀も訪れ「鎌倉日記」に記しています。奈良時代の仏像は損傷も激しく、長く修復作業が続けられた後、鶴岡八幡宮境内の鎌倉国宝館に納められ、薬師堂には複製品が飾られています。以前は100円を入れると扉が少し開いて写真を撮ることができましたが、現在はそれはできません。堂内の写真は、11年前の2013年8月17日に撮影したものです。
山さんの日記 第1231号 (2024年8月24日号)
鎌倉 本覚寺のサルスベリ (撮影: 2024年8月17日)
鎌倉駅東口から歩3分の本覚寺の境内にはサルスベリ (百日紅)の花が咲いています。今年は猛暑が続き雨が少なかったためか例年よりも花の数が少ないのが目立ちます。写真背景は本堂で、参拝のときに大きなドラを鳴らすと周囲に響き渡ります。
鎌倉 妙隆寺のフヨウ (撮影: 2024年8月17日)
鎌倉・鶴岡八幡宮の参道「若宮大路」の東側に平行に走る「小町大路」があります。信号がなくすいているため、鎌倉の抜け道として知られています。この小町大路に妙隆寺があります。創建は室町時代の1385年で日蓮宗のお寺です。僧・日親が6代将軍・足利義教に「立正治国論」という意見書を出したため、幕府より焼けた鍋を頭にかぶせられたそうです。現在は本堂前に朝咲くときは白で夕しぼむときは赤く変わる酔芙蓉(すいふよう)の花やサルスベリの花が咲いています。
鎌倉 来迎寺のサルスベリ (撮影: 2024年8月17日)
鎌倉市材木座に時宗のお寺来迎寺があります。源頼朝が伊豆で兵を挙げ、石橋山の戦いで敗れて房総に逃げる途中、三浦大介義明は平家一門から頼朝を守るために三浦半島の衣笠城で壮絶な戦死をしました。義明は89歳の老齢で多くの家臣を頼朝に付き添わせて房総に送り、残る家臣とともに勝ちのない城にこもって討ち死にをしたのです。義明を弔うために頼朝は能蔵寺(真言宗)を建て終生義明の恩を忘れなかったと言われます。能蔵寺はその後、来迎寺に変わりました。境内奥には、三浦義明と家臣を弔う小さな五輪塔が並び、サルスベリの花が横で咲いていました。
山さんの日記 第1230号 (2024年8月17日号)
横浜みなとみらい 帆船日本丸 (撮影: 2024年8月14日)
横浜・桜木町駅前のみなとみらい21(MM21)地区に帆船・日本丸が係留されています。日本丸は1930年に浦賀で建造された木造船で、船員教育の練習船として1984年までの54年間世界の海で活躍しました。引退後は1985年からMM21で一般公開されています。日本丸は、総トン数2,278t、全長97m、全幅13m、定員138人です。私は、月2日、船内の真鍮部分みがきのボランティアをやっていて、猛暑が続きますが頑張っています。写真背後の建物は、左がランドマークタワー、右がクイーンズスクエア横浜です。
大船フラワーセンターのオミナエシ (撮影: 2024年8月7日)
鎌倉市岡本にある県立大船フラワーセンターでは秋の七草の一つ「オミナエシ(女郎花)」の黄色い花が咲いていました。オミナエシは、黄色い粟粒のような花を飯に見立てた女飯(オミナメシ)から転化したといわれています。花言葉は「美人」です。
鎌倉・長谷寺 サルスベリ (撮影: 2024年8月5日)
長谷寺の慈照院裏手にサルスベリ(百日紅)の花が建物を覆うように咲いていました。花言葉は「饒舌」「あなたを信じる」です。
山さんの日記 第1229号 (2024年8月10日号)
鶴岡八幡宮 ぼんぼり祭 (撮影: 2024年8月6日)
鎌倉・鶴岡八幡宮では、毎年8/6~8/9の4日間ぼんぼり祭が行われます。この間、立秋の前日に当たる8/6には「夏越祭」が行われます。夕方、400点のぼんぼりのローソクに灯がともると神主が境内中央に作られた「茅の輪」をくぐり、夏の邪気を払います。8/7には、「立秋祭」が行われ、実りの秋の訪れが奉告されます。そして3代将軍・源実朝の誕生日を祝う「実朝祭」が8/9に行われぼんぼり祭は終了します。この日は初日の昼間訪れましたが、夜はぼんぼりの薄明りで幻想的な雰囲気になります。写真右のぼんぼりは、漫画家わたせせいぞう氏のものです。
長谷寺 サルスベリ (撮影: 2024年8月5日)
鎌倉市長谷の長谷寺の境内では、各所にサルスベリ(百日紅)の花が咲いています。写真は、山門右手にある「内仏殿」庭園のサルスベリです。連日の猛暑の強い太陽の光を浴びてたくましく咲き続けていました。
大船フラワーセンターのヒマワリ (撮影: 2024年8月7日)
鎌倉市岡本にある県立大船フラワーセンターには夏の花が沢山咲いていました。入口の管理棟の前の池の横には背の高いヒマワリの花が青空の下で咲いていました。ヒマワリ(向日葵)は北アメリカが原産のキク科植物で、日本には江戸時代初期にヨーロッパ→中国を経て入ってきたようです。花言葉は、「あなただけを見つめる」「憧れ」です。
山さんの日記 第1228号 (2024年8月3日号)
藤沢 道路両側のサルスベリ (撮影: 2024年7月31日)
鎌倉市に近い藤沢市村岡東の道路の両側600m以上に渡って植えられた、ピンクや白のサルスベリの花がきれいに咲いています。サルスベリは「百日紅」と書く字の通り夏から秋にかけて長い期間に咲き続ける花です。この近くには、薬品研究所では日本一といわれる武田薬品中央研究所(現:i Park湘南)があります。また、この道路を冬期に鎌倉市側から藤沢市側に走ると、道路の正面に真っ白な雪を冠った富士山が美しく見える場所です。2032年頃には、東海道線大船駅と藤沢駅の中間のこの地に新駅(仮称:村岡新駅)が開業して駅前道路になる場所です。
藤沢 青葉の古寺「天嶽院」 (撮影: 2024年7月31日)
藤沢市渡内に曹洞宗(禅宗)のお寺で「天嶽院」があります。1495年に北条早雲が創建したお寺です。境内に入ると両側に緑のもみじの木が並び、猛暑の中で涼しさと静寂さが味わえます。もみじの参道のお寺は鎌倉にはなく、京都のお寺を連想させます。振り返った中央の茅葺の山門は水戸光圀公が建立したものです。観光客は誰もいません。
73日ぶりの富士山 (撮影: 2024年7月30日)
鎌倉の自宅からは70㎞離れた富士山が裾野まで美しく見えます。しかし、春から夏にかけてはかすんでいてなかなか姿を見せません。毎日、富士山を見ますが、今年は5月18日からずっと見えずにいました。しかし、7月30日のこの日は、うっすらと雪のない富士山の姿を73日ぶりに見ることができました。霞がかかっていて山肌は細かく見えませんが、堂々たる雄姿を見せてくれました。
山さんの日記 第1227号 (2024年7月27日号)
鎌倉 大巧寺のオニユリ (撮影: 2024年7月18日)
鎌倉駅東口の前にある大巧寺は小さいお寺ながら1年中花の多いお寺です。現在は境内にオニユリ(鬼百合)が咲いています。写真下の背景にあるのが、大巧寺の本堂です。安産祈願でも有名です。
鎌倉 本覚寺のハス (撮影: 2024年7月18日)
大巧寺の近くに本覚寺があります。ここにはハス(蓮)の花がまだ咲いていました。背景の建物は、鎌倉七福神の一つ「夷(えびす)神」を祀った夷堂です。ここは鎌倉幕府の裏鬼門に当たり、源頼朝が夷神を祀ったとされています。
鎌倉 八幡宮近くのオニユリ (撮影: 2024年7月18日)
鶴岡八幡宮近くの鎌倉市小町を歩くと、道端にオニユリが咲いていました。オニユリの花言葉は、「華麗」「陽気」「威厳」です。
山さんの日記 第1226号 (2024年7月20日号)
江の島 天王祭 (撮影: 2024年7月14日)
江の島の八坂神社のみこしが山を下って弁天橋横の海に入る天王祭「みこし海上渡御」が行われました。例年は首までの深さの海水まで入るのですが、海が荒れていたためか、この日は海に下りる板張りの坂を下りた腰までの深さの場所でのみこし担ぎでした。それでも熱気あふれる光景でした(写真上)。海から上がったみこしは、弁天橋を渡って龍口寺まで進み、そこで鎌倉・腰越神社から来たみこしと合流しました。そして2基のみこしは、そろって腰越神社に進みました。通る道路は江ノ電が路面を走るところで、みこし関係者・見物人などの群衆の中を、2基のみこしと江ノ電がすれ違う様子は壮観でした(写真下の左のみこしが江の島の八坂神社のみこし、右のみこしが腰越神社のみこしです)。
鎌倉 海蔵寺の白いキキョウ (撮影: 2024年7月18日)
鎌倉市扇ガ谷の海蔵寺は、まだアジサイが生き生きと咲いており、庫裏の前には白いキキョウ(桔梗)の花が連日の猛暑にも負けずに咲いていました。キキョウは紫色が多いのですが、ここでは、紫色と白のキキョウが競って咲いていました。
山さんの日記 第1225号 (2024年7月13日号)
鎌倉幕府跡に咲くアジサイ (撮影: 2024年6月17日)
鎌倉はアジサイも終わり、次のサルスベリまで花が少ない時期です。今週は、未公開のアジサイの花をお届けします。源頼朝は1180年に鎌倉に入り、寝殿造りの屋敷を造った後、侍所・公文所・問注所などの役所をつくって鎌倉幕府としました。この場所が「大倉(大蔵)」と呼ばれる鶴岡八幡宮の東側の場所です。「大蔵幕府旧蹟」の石碑の近くに美しいアジサイが咲いていました。幕府の跡地は現在、住宅や学校になっています。写真左手の石畳の道を行くと、法華堂跡や源頼朝の墓があります。
鎌倉 妙本寺のアジサイ (撮影: 2024年6月26日)
鎌倉で遅くまでアジサイが咲いているのは、瑞泉寺と妙本寺です。鎌倉市大町にある妙本寺は、鎌倉時代には頼朝の家臣・比企能員(ひきよしかず)の屋敷でした。能員は娘を2代将軍・源頼家に嫁がせ、一族の隆盛を計りましたが1203年に北条氏によって一族は滅亡しました。その後、比企家の屋敷跡に比企一族の菩提を弔うために創建されたのが妙本寺です。苔むした比企一族の墓石の隣に、アジサイが咲いていました。
藤沢 古民家とアジサイ (撮影: 2024年7月2日)
藤沢市川名の新林公園には、江戸時代後期の柄沢村名主・小池家の古民家を移築したものがあります。建築は1851年で、1983年にこの地に移築されました。茅葺の大きな家で、土間・囲炉裏・和室があります。この古民家の入口前にアジサイが咲いていました。
山さんの日記 第1224号 (2024年7月6日号)
湘南ひらつか七夕まつり 2024 (撮影: 2024年7月5日)
第72回湘南ひらつか七夕まつりが7/5(金)~7/7(日)まで開催されています。JR東海道線平塚駅北口前の国道1号線を歩行者専用にして大型クレーン車や太く長い竹の先に大きな七夕飾りを下げます。仙台の七夕(8月)と並ぶ日本有数の七夕まつりになります。7/5の10:30から3名のひらつか織り姫を先頭にパレードがありました。今年の飾りには、NHK大河ドラマの紫式部や、新紙幣の渋沢栄一などもありました。
鎌倉 瑞泉寺参道のアジサイ (撮影: 2024年6月17日
鶴岡八幡宮の東、鎌倉市二階堂に瑞泉寺があります。その参道に当たる道玄橋から300mの道路と土手上に沢山のアジサイが植えられ、新しい「アジサイの名所」になっています。人力車もお客を乗せ、坂道をやってきます。鎌倉のアジサイも終わりに近づいていますが、瑞泉寺や妙本寺は遅くまでアジサイが咲いています。
大船フラワーセンターの蓮 (撮影: 2024年7月3日)
鎌倉市岡本に神奈川県立の大船フラワーセンターがあります。ここでは今、大きな鉢に入れた白や紅色のハス(蓮)が沢山咲いています。ハスは咲き始めから3日が命で4日目には散ってしまう短命な花ですが、その美しさは格別です。
山さんの日記 第1223号 (2024年6月29日号)
鎌倉 海蔵寺のアジサイ (撮影: 2024年6月20日)
鎌倉市扇ガ谷の海蔵寺にも美しいアジサイが咲いていました。海蔵寺はもとは真言宗のお寺でした。鎌倉時代の1253年に七堂伽藍の大きなお寺となりましたが、1333年鎌倉幕府滅亡の際、近くの仮粧坂の戦乱で寺院はすべて焼失し、室町時代の1394年に禅宗(臨済宗)のお寺として再建されました。現在は、一年中花の絶えない「花の寺」となっています。
鎌倉 英勝寺のアガパンサス (撮影: 2024年6月20日)
海蔵寺の近くに英勝寺(浄土宗)があります。昔このあたりは江戸城を造った太田道灌の所有地で、道灌の4代あとの娘・お梶の方は徳川家康の側室となり1600年の関ヶ原の戦いに供をして勝利したため、その後は「お勝の方」と呼ばれました。家康亡きあと出家して英勝院を名乗りこの地に英勝寺を建立しました。今、総門前に薄紫色のアガパンサスの花が咲いていました。アガパンサスは南アフリカが原産地で、花言葉は「恋の訪れ」「恋の便り」です。
藤沢・鵠沼 第2はす池のハス「誠蓮」 (撮影: 2024年6月24日)
藤沢市を流れる境川は、昔、蛇行を繰り返して多くの池や沼を造りました。冬には鵠(くげ=白鳥)が飛来したため、この地は「鵠沼」と名付けられました。その後、7つあった池は、周辺開発により「第1はす池」と「第2はす池」の2つになりました。沼は外来植物により在来植物は全滅しました。これを見かねた地元ボランティアが池を清掃して第2はす池には「誠蓮(まことはす)」という蓮を植え、失敗を重ねた後、見事、ピンクの花を咲かせました。現在は、池全体を蓮が占めています。
山さんの日記 第1222号 (2024年6月22日号)
鎌倉 白山神社のアジサイ (撮影: 2024年6月10日)
JR大船駅から鎌倉湖畔循環のバスに15分乗り「白山神社」で下車するとアジサイの名所・白山神社に着きます。鎌倉時代の1191年に源頼朝が上洛の折、別当寺を建立して毘沙門堂を作り平安時代作の毘沙門天像を祀りましたが、明治維新の神仏分離令により白山神社に変わり、寺は今泉寺となって神社本殿横にあります。観光客も全くいない穴場ですが、30mほどの参道両脇にはアジサイが美しく咲いていました。
横浜 超高層ビル46階無料展望回廊 (撮影: 2024年6月19日)
横浜MM21にあるランドマークタワー69階の展望フロアは入場料1,000円が必要ですが、近くにある2020年完成の59階建のマンションビル「ザ・タワー横浜北仲」の46階展望回廊は、眺めも素晴らしく無料です。場所は、みなとみらい線馬車道駅前です。そして部屋は億ションを含めて1174戸です。46階はカフェ、レストランが入り、周囲を展望できる回廊があります。下の写真は大さん橋、山下公園側を見たところで、氷川丸、ベイブリッジ、大さん橋、神奈川県警本部、APAホテルなどが眼下に見えます。料金は無料ですが、飲食・10名以上の団体・カメラの三脚使用・2時間以上の滞在・ペット持ち込み・大声などの迷惑行為などは禁止になっています。詳しくは、下のURLをご覧ください。
https://hamakore.yokohama/the-tower-yokohama-kitanaka-report/
横浜 滝ノ川あじさいロード (撮影: 2024年6月19日)
横浜TVKテレビで「アジサイの名所紹介」があり、行ってみました。横浜市営地下鉄・三ッ沢上駅で下車して西に5分歩き、大きな歩道橋を対角線に渡ると、そこに「滝ノ川あじさいロード」の看板がありました。滝ノ川という小さな川を暗渠にして上を歩道にしてボランティアがアジサイを10年前から植えているものです。長さ700mですが、きれいなアジサイを見ることができました。現地は、国道1号線、13号線、横浜新道、首都高速三ッ沢線、第3京浜(が集まる要の場所です。アジサイはやや盛りを過ぎていましたので、来年はもう少し早めに行きたいと思っています。
山さんの日記 第1221号 (2024年6月15日号)
二宮 せせらぎ公園のアジサイとハナショウブ (撮影: 2024年6月11日)
JR東海道線二宮駅からバスで「団地中央」まで乗り、10分歩くと「せせらぎ公園」に着きます。裏山から湧き出たせせらぎでハナショウブとアジサイが美しく咲いていました。木製の遊歩道が作られ、花を真上から眺めることができます。やや交通が不便なため見物客も少なく、のんびり時間を過ごすことができました。
小田原城のアジサイ (撮影: 2024年6月11日)
二宮駅から東海道線で小田原駅まで乗り、小田原城を訪ねました。天守閣の見える場所からアジサイも一緒に見ることができます。また、ショウブ畑にはハナショウブとアジサイの競演が見事でした。
山さんの日記 第1220号 (2024年6月8日号)
円覚寺のアジサイ (撮影: 2024年6月1日)
5月20日から頑固な風邪を引いて、カメラ散歩も大幅に制限され、病院にゆきましたが熱はないのに「発熱性感染症」として受診をことわられました。「風邪を引いたので病院に行く」が当たり前と思っていましたが、現在は「風邪引きはは病院に来るな」です。念のため自宅でコロナの検査をしましたが「陰性」でした。市販薬を飲んで少し良くなっては悪化を繰り返し、今だに本調子ではありません。少し回復した日に自宅から歩いて北鎌倉駅前の円覚寺を訪れました。境内各所には色鮮やかなアジサイが咲いていました。写真背後の建物は仏殿です。
東慶寺のアジサイ (撮影: 2021年6月3日)
円覚寺から近くの駆け込み寺「東慶寺」に寄りました。以前は頻繁に訪れていましたが、最近は「境内写真撮影禁止」のため、ほとんど素通りでした。久しぶりに寄ると、下の3年前の写真のようにアジサイがきれいに咲いていました。しかし、以前に比べ境内の手入れが行き届かず、しょうぶ畑は草ボウボウでした。原因は、ご住職が写真撮影者を締め出し、参拝者のみ従来の入山料200円を無料にしたため、費用的に境内の手入れが行き届かないのではないかと考えています。3年前は1眼レフカメラの使用のみ禁止でしたが、その後、写真撮影が全面禁止となりました。3年前にはご住職と話をして入山料を取って手入れをした方が良いと申し上げたのですが、頑としてご住職は聞きませんでした。
新宿公園のアジサイ (撮影: 2024年6月7日)
風邪の状態はまだ良くありませんが、すでに予約して変更がむずかしいため西新宿の大学病院・眼科に通院しました。診察を終えて目薬の処方箋を薬局に提出すると、「今混雑していて30分以上かかります」との話で、近くの新宿公園を久しぶりに散策しました。アジサイがきれいに咲いていました。背後には東京都庁の第1庁舎が写っています。
山さんの日記 第1219号 (2024年6月1日号)
長谷寺のアジサイ (撮影: 2024年5月29日)
鎌倉でも待望のアジサイが咲きだしました。長谷寺の「海の見えるアジサイ散策路」ではチラホラとアジサイが咲きだし、観光客でにぎわいはじめています。混雑時には2時間待ちの行列ができますが、現在のところは入場規制なしでアジサイが見られます。
光則寺のアジサイ (撮影: 2024年5月29日)
長谷寺の隣にある光則寺は日蓮宗のお寺です。鎌倉時代の1271年、日蓮の龍の口の法難で日蓮の弟子・日朗らも捕らえられ北条時頼の近臣・宿谷光則の屋敷裏山の土牢に幽閉されました。光則は日朗らを厚遇し、のちに日蓮宗に帰依して屋敷を光則寺に変えました。現在は、近隣の花好きの方がアジサイの鉢を沢山持ち寄り、花の寺になっています。写真下は、本堂裏の白いアジサイで鉢植えのものではなく、昔からあるものですが、美しい花を咲かせています。
県道藤沢鎌倉線脇に咲くアジサイ (撮影: 2024年5月30日)
県道32号線は藤沢と鎌倉を結び、途中鎌倉大仏などの名所も通る幹線道路です。この道路の鎌倉市手広・東レ入口付近に早咲きのアジサイがあります。鎌倉のアジサイが咲く前に、このアジサイが咲きだします。日当たりが良いのでしょうか。今日も早々にきれいな花を咲かせていました。
山さんの日記 第1218号 (2024年5月25日号)
くりはま花の国のポピー (撮影: 2024年5月11日)
JR横須賀線の終点「久里浜駅」から歩20分のところに「くりはま花の国」があります。元米軍の倉庫跡を広大な公園に改修したもので、春はポピー、秋はコスモスがそれぞれ100万本の花を咲かせます。今は鯉のぼりを背景にポピーが風に揺れていました。
横須賀 ヴェルニー公園のバラ (撮影: 2024年5月11日)
久里浜から京浜急行電車に乗って汐入駅まで行きました。そこは米軍と自衛隊の海軍基地があり、横須賀港に面した「ヴェルニー公園」があります。ヴェルニーはフランス人の技師で、横須賀製鉄所の造営に尽力した方です。遠くに米軍の艦船を見る場所にバラ園があり、美しいバラが咲いていました。
大船フラワーセンターのボタン (撮影: 2024年5月12日)
鎌倉市岡本の大船フラワーセンターでボタン(牡丹)がきれいに咲いていました。シャクヤクと似た花ですが、シャクヤクは草、ボタンは木です。
山さんの日記 第1217号 (2024年5月18日号)
平塚 グランド ビクトリア湘南のバラ (撮影: 2024年5月10日)
平塚市榎木町の相模川河口にあるホテル サンライフ ガーデンの「グランド ビクトリア湘南」は130年の歴史を持つ教会です。結婚式・披露宴ができる豪華な施設で、庭や垣根には美しいバラの花が春と秋に咲きます。教会の塔をバックにしたバラの花は華麗です。
平塚 馬入お花畑のポピー (撮影: 2024年5月10日)
相模川河口は昔から馬入川と呼ばれていました。江戸時代、防御のために徳川幕府は大きな川に橋をかけませんでした。大井川は「こし」で渡しましたが馬入川は深いため渡し船を使いました。ここには広大な河川敷があり、サッカーJ1ベルマーレ湘南の練習場とお花畑があります。3万㎡のお花畑には、春はポピー、秋はコスモスが咲きますが、今はポピーが見ごろになっています。見渡す限り色とりどりのポピーが風で揺れていました。
大船フラワーセンターのシャクヤク (撮影: 2024年5月12日)
鎌倉市岡本の大船フラワーセンターには、バラ、ボタン、シャクヤクなどの花が咲きとてもきれいです。中でもシャクヤク(芍薬)園は日本でも有数の規模を持つものです。その美しさには暫し見とれます。
山さんの日記 第1216号 (2024年5月11日号)
ザよこはまパレード (撮影: 2024年5月3日)
横浜・山下公園から伊勢佐木町まで行進する「ザよこはまパレード」が行われました。キッズは途中の赤レンガ倉庫まで、それ以外は伊勢佐木町までパレードしました。吹奏バンドや火消しトビ組合、国際衣装の団体などが参加しました。下の写真は、THE YOKOHAMA SCOUTSという団体です。今年で第72回を迎える歴史ある行事です。
藤沢 白旗神社「牛若まつり」 (撮影: 2024年5月5日)
藤沢市藤沢に「白旗神社」があります。創建年代は不明ですが、おそらく平安時代頃に寒川神社を分社して寒川神社としてこの地に建てられました。その後鎌倉時代に、奥州で源義経一行が殺害されその首が鎌倉に運ばれ首実検の後、この神社に祀られたとの伝説があります。源頼朝が神社名を「白旗神社」と改めさせたとのことです。この神社で第17回の「牛若まつり」が5月5日のこどもの日に行われました。約100匹の鯉のぼりが掲揚され、子供たちにたこ焼きや竹とんぼなどが配られました。大勢の人たちが訪れ、賑わいました。
横浜 山下公園のパラ (撮影: 2024年5月6日)
横浜港を訪れました。大さん橋横に巨大なビルが出来ていて驚きましたが、良く見ると豪華客船ダイヤモンドプリンセス号でした。Webで調べると、この日6:30清水港から入港し16:00鹿児島港に向けて出港予定となっていました。大さん橋から山下公園に行くと、そこは連休最終日で混雑していました。バラ園の春バラは丁度見ごろで、花の数は例年以上に多く、見ごたえがありました。
山さんの日記 第1215号 (2024年5月4日号)
横須賀しょうぶ園のフジ (撮影: 2024年4月25日)
JR横須賀線衣笠駅からバス10分または歩30分で横須賀しょうぶ園に着きます。6月には園内のしょうぶ畑に色とりどりのハナショウブが咲きますが、現在は、紫と白のフジ(藤)の花が斜面にギッシリと美しく咲いています。紫色の長い房を伸ばしたフジの花はとても優雅です。
鎌倉 仏行寺のツツジ (撮影: 2024年4月26日)
鎌倉の市街地から3km西の鎌倉市笛田に仏行寺があります。ここはツツジの名所で、本堂裏の池のある庭園の奥は断崖になっていて、その崖には色とりどりのツツジが咲きます。写真左手の石段を上って行くと、ツツジの庭を見下ろせます。満開時は崖全体がツツジに包まれますが、訪問した時は崖の上部のみ開花していました。そして頂上には、駿河で戦死した鎌倉時代の武将・梶原景時の息子・梶原源太景季の片腕を妻・しのぶが埋めた直径5mの円墳「源太塚」があります。
鎌倉 安養院のツツジ (撮影: 2024年4月29日)
鎌倉市大町にある安養院は、北条政子が夫・源頼朝の冥福を祈願して(現在の鎌倉文学館近くに)長楽寺を建てましたが、その後焼失したため鎌倉時代末期に現在の地に安養院として移したものです。門前や境内には赤紫色のツツジが咲きます。本堂横のツツジが本堂の硝子戸に映り美しい光景が見られました。
山さんの日記 第1214号 (2024年4月27日号)
鎌倉 段葛のツツジ (撮影: 2024年4月20日)
鶴岡八幡宮の参道である若宮大路の中央を通る段葛は、源頼朝が妻・政子の安産を祈念して石を積み、一段高くした長さ500mの参道です。両側には先週までトンネル状になった桜が咲いていましたが、今は桜も散って緑の若葉が茂っています。そして桜に代わって色とりどりのツツジが、きれいに咲いていました。
鎌倉 海蔵寺のツツジ (撮影: 2024年4月20日)
鎌倉駅西口から20分ほど歩くと扇ガ谷に海蔵寺があります。1年中花の絶えない「花の寺」で、現在は多くのツツジがきれいです。写真のツツジの奥に見えるのは山門です。鎌倉時代は七堂伽藍を持つ大きなお寺でしたが、1333年鎌倉幕府滅亡の際、近くの化粧坂切通しの戦いで焼失し、室町時代に小さな規模で再建されました。
大船フラワーセンターのフジ (撮影: 2024年4月23日)
鎌倉市岡本にある大船フラワーセンターに紫色のフジや白フジが咲きだしました。春と夏を分ける花ともいわれるフジですが、たわんだ房を近くで見るととてもきれいです。園内には、ボタンやシャクヤクの花も咲きだしました。
山さんの日記 第1213号 (2024年4月20日号)
昭和記念公園 桜とチューリップ (撮影: 2024年4月13日)
JR青梅線西立川駅前にある昭和記念公園は旧立川基地の1/2を整備したもので、広さは日比谷公園の11倍もある広大な公園です。「みんなの原っぱ」と呼ばれる広い芝生広場の隅には満開の桜(ソメイヨシノ)が多数あり、桜の下にシートを広げてお花見ができました。また、「渓流広場」には、これも見ごろの色とりどりのチューリップが咲き、桜との素晴らしい競演になっていました。今年は、桜の開花が遅れたために実現した贅沢な場所でした。
山さんの日記 第1212号 (2024年4月13日号)
横浜・大岡川の桜 (撮影: 2024年4月6日)
横浜市磯子区氷取沢町に源を発した笹下川は、横浜市港南区上大岡で日野川と合して「大岡川」となり、京浜急行線に沿ってMM21(みなとみらい)のある横浜港に注ぎます。途中3.5㎞のプロムナードには桜並木が続き、神奈川県第2位の桜の名所にふさわしい素晴らしい眺めが楽しめました。
鎌倉・段葛の桜 (撮影: 2024年4月7日)
鶴岡八幡宮への参道である若宮大路の中央に「段葛(だんかずら)」と呼ばれる盛り土の500mの参道があります。1182年に源頼朝が妻・政子の安産を願って造られたものです。2014年~2016年のリニューアル工事により、両側の桜も若木に植え替えられました。8年を経過した今年は、両側の満開の桜がトンネル状になり、素晴らしい桜並木になりました。
横浜公園のチューリップ (撮影: 2024年4月10日)
プロ野球DeNAベイスターズの本拠地・横浜スタジアムがある横浜公園に、チューリップの花が満開でした。色別に植えられたところは、まるで大きな波が押し寄せるようで素晴らしい眺めでした。
山さんの日記 第1211号 (2024年4月6日号)
千鳥ヶ淵の桜 (撮影: 2024年4月4日)
東京の桜が満開になったと聞き、名所を訪れました。まず訪れたのは、皇居・千鳥ヶ淵です。地下鉄東西線「九段下駅」から牛ケ淵、日本武道館のある田安門前を通り、千鳥ヶ淵に出ました。多くの外国人観光客でにぎわっていました。桜は満開で素晴らしいものでした。その後、戦没者墓苑に行く千鳥ヶ淵緑道を歩きました。驚いたことに、直径30㎝以上もある桜の巨木の多くが、高さ4mくらいのところでバッサリ切られていました。このため、桜の咲き方も例年に比べると少し少な目であるように感じました。それでも遠くから眺める真っ白な風景には感動しました。
小石川後楽園の桜 (撮影: 2024年4月4日)
千鳥ヶ淵の次に、東西線で飯田橋駅まで乗り、小石川後楽園を訪ねました。江戸時代に水戸徳川家の江戸上屋敷内に造られた築山泉水回遊式日本庭園(大名庭園)です。ここには大きなしだれ桜がありますが、この時は満開を過ぎて一部葉桜になっていました。しかし、ソメイヨシノは満開で、素晴らしい眺めでした。
神田上水の桜 (撮影: 2024年4月4日)
JR飯田橋駅から中央緩線(黄色の各駅停車)に乗って「東中野駅」で下車し、神田上水(神田川)の両岸に咲く桜を楽しみました。神田上水は、玉川上水と並ぶ江戸時代の上水です。井の頭の池を水源として三鷹・中野・早稲田を流れ御茶ノ水につながります。その両岸にはギッシリとソメイヨシノの桜が植えられ、側道も整備されています。途中の橋の上から眺めると、視野いっぱいに桜がひろがる絶景がありました。
山さんの日記 第1210号 (2024年3月30日号)
鎌倉・本覚寺のしだれ桜 (撮影: 2024年3月30日)
寒の戻りでソメイヨシノの開花が遅れましたが、しだれ桜は少し早咲きで見ごろになっています。鎌倉駅東口近くの本覚寺はしだれ桜が咲いていました。本覚寺は、身延山から日蓮の骨を分骨したため「東身延」と呼ばれています。その日蓮の骨を納めた「日蓮上人分骨堂」の前にしだれ桜は美しく咲いています。
大船フラワーセンターのハルメキ桜 (撮影: 2024年3月27日)
鎌倉市岡本にある大船フラワーセンターでは、早咲きの「玉縄桜」が咲き終わり、現在は「ハルメキ」という早咲き桜が咲いています。ソメイヨシノの開花が遅れる中、園内で真っ白な目立つ存在です。ハルメキは、淡紫桃色の一重の花で、咲き進むにつれて色が淡くなります。
山さんの日記 第1209号 (2024年3月23日号)
常泉寺のミツマタ (撮影: 2024年3月19日)
神奈川県大和市福田にある常泉寺は、ミツマタの花が沢山咲くお寺として有名です。小田急江ノ島線「高座渋谷駅」から歩7分のところにあります。常泉寺は、戦国時代の1588年に創建された水にゆかりのあるお寺です。境内の各所に河童(かっぱ)の石像が飾られ、2022年からは石彫家・倉田辰彦氏が34年の年月をかけて彫った五百羅漢像も飾られて、にぎやかです。ミツマタは、紙幣や和紙の原料になる植物で、鎌倉のお寺では直径1㎝くらいの小さな花が多いのですが、この寺のミツマタの花は直径3~5㎝の黄色の大きな花です。枝が3つに分かれているのが特徴です。
鶴岡八幡宮・旗上弁財天の早咲き桜 (撮影: 2024年3月15日)
鎌倉・鶴岡八幡宮の源氏池の一つに旗上弁財天があります。源頼朝が源氏再興を掲げた際、弁財天の霊験があったことから源氏池の島に政子の安産を願って祀られたものです。ここに真っ白な早咲きの桜が咲いていました。ソメイヨシノの桜の開花はまだですが、この桜は鶴岡八幡宮の中でひときわ目立っていました。
皇居お堀端のつくしの子 (撮影: 2024年3月14日)
つくしの子は、スギナという植物の子供です。「つくしんぼ」とも呼ばれ、早春に生えることから春の歌にも歌われています。皇居のお堀端を歩いていると、沢山のつくしの子が顔を出していました。
山さんの日記 第1208号 (2024年3月16日号)
大船フラワーセンターの玉縄桜 (撮影: 2024年3月9日)
鎌倉市岡本の県立大船フラワーセンターの園内には、各所で地元「玉縄(たまなわ)」の名前のついた「玉縄桜」が満開です。玉縄桜は、ここフラワーセンターでソメイヨシノの桜を早咲きに品種改良した桜で、写真上はその原木です。台風などによる強風被害に何度もあいながら見事に咲き続けています。写真下は、園入口にある玉縄桜で、下を黄色の菜の花が飾っています。
大船・谷戸池の玉縄桜 (撮影: 2024年3月9日)
JR大船駅西口から歩10分のところに「谷戸池(やどいけ)」があります。灌漑用の小さな人造池ですが、池の周りを満開の玉縄桜が飾っています。昔は近所の子供たちが、ザリガニ取りで遊んだところです。
山さんの日記 第1207号 (2024年3月9日号)
茅ケ崎・小出川の河津桜 (撮影: 2024年3月2日)
小出川は、藤沢市北部を源流として茅ケ崎市と寒川町の境界を流れ、相模川に河口で合流して相模湾に注ぐ1級河川です。下流の茅ケ崎市では早咲きの河津桜70本が川岸に植えられ、下を黄色の菜の花が飾っています。上流のヒガンバナの名所では川幅はわずか5m足らずですが、ここでは50mをはるかに超えています。交通が不便なことから、見物客も少なく、静かなお花見ができました。
鎌倉・長谷寺の寒緋桜 (撮影: 2024年3月3日)
鎌倉の長谷寺では、上境内の鐘楼前に早咲きの寒緋桜が咲きだしました。濃いピンク色で下向きに咲くのが特徴です。今でも大勢の観光客が訪れる鎌倉ですが、これから各種桜の咲く時期を迎え、ますます混雑するのでしょうか。
山さんの日記 第1206号 (2024年3月2日号)
鎌倉・若宮大路の桜 (撮影: 2024年2月28日)
鎌倉駅東口から出た若宮大路に早咲きの桜が咲いていました。色は白く、ピンクの河津桜ではありません。交通量の多い通りが明るくなっていました。若宮大路は、由比ガ浜から鶴岡八幡宮に続く参道で、源頼朝がつくりました。
鶴岡八幡宮のミモザ (撮影: 2024年2月28日)
鶴岡八幡宮の入口にある三の鳥居の左側茶店の横に美しい黄色のミモザが咲いていました。ミモザは、(銀葉)アカシアとも呼ばれています。花言葉は、「優雅」「友情」「秘密の恋」です。
マンション前の河津桜 (撮影: 2024年2月24日)
藤沢市民会館前にある高層マンション前の公園に鮮やかなピンクの河津桜が咲いていました。ひと際目立つ存在で、遠くからもそれとわかるものです。マンション居住者に春の到来を教えているようでした。
山さんの日記 第1205号 (2024年2月24日号)
三浦海岸の河津桜 (撮影: 2024年2月20日)
京浜急行線三浦海岸駅前から小松ヶ池公園まで続く河津桜の1000本の並木は、今が最後の見ごろです。2月5日~3月3日まで桜まつりが行われています。今年は暖冬の影響で開花も例年より早く、満開を過ぎたところです。上に濃いピンクの河津桜、下に黄色の菜の花が咲き、素晴らしい眺めでした。
山さんの日記 第1204号 (2024年2月17日号)
松田の河津桜 (撮影: 2024年2月16日)
早咲きの河津桜を見に松田に行きました。小田急小田原線新松田駅で下車して、桜のピンク色で染まる松田山に向かって上って行きます。途中、上にピンクの河津桜、下に黄色の菜の花が咲くのを眺めながら階段を上って行くと、頂上からは真っ白な雪をかぶった富士山が美しく見えました。大勢の観光客で混みあっていましたが、素晴らしい眺めを堪能しました。もう少し楽しめそうです。
小田原城の河津桜 (撮影: 2024年2月16日)
新松田駅から小田急線で小田原駅まで乗り、小田原城に寄りました。白梅も美しく咲いていましたが、天守閣の見える広場には、満開の河津桜があり、天守閣とのコラボが楽しめました。
山さんの日記 第1203号 (2024年2月10日号)
新林公園の紅梅・白梅 (撮影: 2024年2月3日)
藤沢市川名にある新林(しんばやし)公園は、周囲の山を取り込んだ大きな公園で、裏山をめぐる散策コースもあります。江戸時代の古民家を移築して、幼稚園や小学校の遠足場所にもなっています。古民家前の白梅と紅梅は早くも見ごろを迎えていました。今年は暖冬のせいで、梅の開花も早いようです。
常立寺の白梅・紅梅 (撮影: 2024年2月3日)
藤沢市片瀬の常立寺(じょうりゅうじ)は、鎌倉時代の1275年に執権・北条時宗により処刑された元の使者・杜世忠らを弔う塚が境内にあります。境内には、しだれの白梅・紅梅が咲き、花見客も訪れていました。
龍口寺の白梅 (撮影: 2024年2月3日)
常立寺近くに日蓮法難の地に建てられた龍口寺(りゅうこうじ)があります。1260年に日蓮は「立正安国論」を書き、時の執権・北条時頼に建白しました。日蓮はその後迫害を受け、1271年にこの地で斬首されそうになりますが、江の島から雷光が飛来し危うく難をのがれました。その龍口寺の本堂横の日蓮像の隣に白梅が美しく咲いていました。
藤沢 第2はす池のハンゲショウ (撮影: 2025年6月24日)
紅色のハス(蓮)が咲く藤沢市の鵠沼第2はす池に葉に雪が降ったような「ハンゲショウ(半夏生)」が群生していました。半夏生とは、夏至から11目の日のことで、この頃、緑の葉の半分以上が白く変わる植物が「ハンゲショウ」です。花は、ひげのような部分です。ハンゲショウは、鎌倉中央公園や藤沢の新林公園でも見ることができます。