●アーカイブ動画
《 ダイジェスト版》

《 特別公演本編 》

●開催レポート
2023年1月17日、清水マリンビル(静岡市清水区)にて「令和4年度第3回ガストロノミーツーリズム研究会」が開催されました。雄大な駿河湾と富士山を臨む会場で、前回に引き続き会場とオンラインのハイブリッド形式で行われ、70名が参加しました。
“魚の仕立て屋”を講師に招き
開会挨拶に立った静岡県スポーツ・文化観光部観光交流局局長の影島英一郎氏は、今回の講師である前田尚毅氏を「静岡有数の港町・焼津で生まれ育ち、県内の食材の素晴らしさを伝え続ける方。多くの人に静岡に来てもらいたいという思いで、長年お仕事をされています。海外からも納品オファーを受ける”魚の仕立て屋”としてメディアからも注目されています」と紹介。地産地消をキーワードに掲げる研究会と親和性の高い前田氏の講演に、早くも期待が高まりました。
《 特別公演 》
前田氏は、まずは自身の生い立ちから語り始めました。
「焼津生まれ焼津育ちの私は、幼い頃から海鮮物を食べていました。母に背負われて浜に行き、エビをむしってそのまま食べたり、イカを食べたり。そのときの味は今でも鮮明に覚えています」と幼少期を振り返りました。
そして地元の小中学校を卒業して水産高校に入学、その後は流通を学ぶため沼津の水産会社に入り、20歳の時に初代が60年前に始めたサスエに入社しました。
そんな折、前田氏にとある割烹料理店の店主との出会いがありました。
「私がまだ目利きができない頃から、魚を買い続けてくれた恩人です。魚屋を10年続けて、ぼちぼち目利きができるようになり、そろそろ親方に恩返しがしたい思った矢先、彼はすい臓がんで亡くなりました。親方が引退する際、『俺に恩返したいという気持ちがあるのであれば、次世代の料理人にその想いを注いでくれ』と言われました。この言葉を胸に、私は今日まで魚の勉強を続けています」
ちょうど同じ頃、前田氏は『板前てんぷら成生』(静岡市)店主・志村剛生氏と出会い、2人3脚がスタートしました。今に続く、前田氏の人生を懸けた挑戦ともいえるライフワークの始まりです。
「まず、彼(『板前てんぷら成生』店主・志村氏)と最初に話したことは、『世界中から”食”だけを目的とした客を静岡に呼ぼう』という目標でした。しかし、当時は全くダメ。7席の店に1日2~3人しか来ないありさまで、毎日閑古鳥が鳴いていました。当時は天ぷら3,000円でぼったくりと言われた時代でしたが、『成生』では5,000円と8,000円コースで売っていましたから」と当時の苦しい状況を語ります。
「あるとき、彼と大喧嘩になりました。私は、築地の中央卸売市場に魚を買い付けに行く彼の行動に納得がいかず、『静岡には豊かな漁場があるのに、どうして築地から取り寄せるんだ』と訴えました。すると彼は『静岡には魚がない』と反論。私は、料理人に駿河湾の魚の魅力が伝わっていなかったことを痛感しました。その言い合いをきっかけに、彼と店の方向性を変えていくことになりました」
そして開店から5年目、ようやく県外(東京)のお客様に「新幹線を使ってもここには来る価値がある」と言ってもらえたことに、確かな手応えを感じた前田氏。「『静岡に成生あり』と初めて県外のお客様に認めてもらえた瞬間で、今でもよく覚えています。しかし、地元の飲食店からは『無駄なこと』『余計なこと』と、相当な批判を受けました。確かに、私たちのやっていることが手間を増やしているのは事実です。しかし、私達には国内外から人を呼びたいという大きなビジョンがあったので、人と真逆のことを続けました」
『魚のバトン』―オリンピック選手から着想
静岡の魚の魅力を最大限に引き出す方法を探っていた前田氏は、ある時思わぬ所からヒントを得ることとなりました。
「7年前(2016年)のリオオリンピックを見ていて、400メートルリレーでの日本人選手の活躍に注目しました。日本人選手は、個人の速さでは世界に及びません。それにも関わらず銀メダルを獲ることができた理由は、ずばり『バトンの速さ』。このバトンを魚に例えられないか?と考えたのです。
当時は私と料理人の二人だけでやっていて、他に誰も味方はいませんでした。私たちに足りないのはスターター、つまり漁をしてくれる味方がいないことに気が付きました。
次の日、早速地元の漁師さんに『魚種はそのままでよいので、取り方、締め方を変えてほしい』と提案に行きましたが、当然門前払いされてしまいました」
前田氏に返ってきたのは「そんなことに何の意味がある」「いくらくれるんだ」……そんな反応ばかりでした。
「1人なら簡単に諦めたでしょうが、自分には『成生』というパートナーがいましたから。『お客さんの期待を上回りたい』という強い思いが、自分を支えていました。
それから魚ごとに漁法をとことん研究し、そのたびに漁師さんにお願いに行きました。門前払い受けても『話を聞いてくれるまで帰りません』と、玄関の前で座り込み。そうしてやっと家に入れてもらいました」
地道な活動を続けて7年が経った去年(2022年)の11月。目指していた魚の獲り方を漁師さん達が一通りマスターしてくださり、ようやく、従来とは全く異なる魚の状態に辿り着きました。
「生き物はとにかく『保水』が大事です。『保水』することで、過熱に耐えきれる魚、旨味が閉じ込められた魚ができます。今までの調理法が通用しないくらい、鮮度が変わりました。技術はもちろん、『人の温度』ではだれにも負けない自信があります」
前田氏は熱意という『人の温度』を粘り強く周囲に伝え続け、「この人のためなら」という思いを漁師や料理人に共有することにこだわりを持ち続けました。
日本一”食”が熱い県・静岡
「静岡の魅力を語る上で欠かせないと思うのは、日本で一番高い富士山と、日本で一番深い駿河湾。この壮大さは、静岡にしか出せません。そして新幹線が6駅も停車する横の広さ。この規模感を伝えずして、食は語れません。
色んな料理人やジャーナリストが言いますが、食の分野で今一番注目されているのは静岡、もしくは富山です。両者は環境が非常によく似ていますが、富山と静岡の違うところは、富山は官民一体となって富山を盛り上げている点。そこは見習わなければいけません。
静岡がこれだけ食で注目されているのは非常にチャンスですし、NHK大河ドラマ『どうする家康』放送中の今は絶好の機会です。皆さんが一致団結してパフォーマンスすれば、必ずいいものができると考えています」
前田氏はこの展望を『オール静岡』と表現します。食・文化・観光——それぞれの分野のプロが同じ共感の下に集って意見を交換し、県外や海外にアピールできる形が理想だと言います。
ここからは司会者からの質問に答える形で、前田氏の想いや活動を更に深堀りしていきます。
―前田さんが一番お好きな料理はなんですか?
「私は寿司、特に鰹が好きです。鰹は難しい魚で、『酸味が強い』『鉄臭いから嫌い』と言う方も多いですよね。しかし、その原因は処理の方法にあると思います。水揚げされた鰹は船の上でバタバタと暴れる無酸素状態になり、その状態が長く続くことはよくありません。そこで、漁師さんが水揚げした瞬間に絞めることで、無酸素状態がなくなります。すると独特の酸味が無くなり、余韻の中に鰹の旨味を感じることができます」
―個人に販売する場合とレストランに出す場合の仕込みの違いはありますか?
「私は基本は町の魚屋です。近所の人が今日の夕飯に使う魚を買いに来ますから、値段も手頃な価格で提供します。県外の魚も店に置き、食べ比べてもらい、魚を好きになってもらうことを第一に考えています。
しかし、対料理人には値段も扱いも変わってきます。トップレストランに出す場合は、オーダーメイドで魚のコンディションを変えています。魚は生き物。体温があるため、冷やし方、締め方で旨味の出方が変わるんです。毎日試行錯誤しながら経験を積み重ねています」
―海外から来る料理人に、仕込み技術はどう伝えていますか?また、海外の方は静岡の魚にどんな感想を持ちますか?
「これまでに約28国から来ていただきました。自慢ではないですが、英語は話せません(笑)
もちろん通訳の方がいますが、不思議と通訳を介さなくても会話が成り立つんです。目的が一緒で、プロ同士なので、ジェスチャーで伝わってしまうものなんです。本当になんとかしたい、覚えたい、という人は顔に出ますよね。
タイなどの熱帯の国は、生で食べる文化がありません。しかし、現地の調理法を見てみると冷やすことをしていない。だから過熱をするしかない。そこで私が技術を教えると、生でも食べることができました。
海外の方に静岡の魚の魅力を伝えると、『輸出』につながっていきますが、正直、私は輸出に興味はありません。静岡の魚を取り寄せて食べていただけることはもちろんありがたいですが、私の理想は地元の人が地元のものを食べて好きになってもらうことです。そして将来は国際観光に繋げたい。食をスタート地点として、お互いがその国に行き来して国際交流が生まれてほしいですね」
―本日は料理人の方も多く参加されています。こんな魚を、こんな風にするとより美味しくなるというご提案があれば教えてください。
地元のメンバーには「高級魚に頼るな」と言っています。1万円の鮪を50円の鰯でひっくり返したいですし、それは可能だと信じています。「雑魚(ざつぎょ)」「大衆魚」と呼ばれる安い魚をぞんざいに扱うことが当たり前になっていますが、そこを変えないといけません。
漁師さんが自然界から魚を釣った瞬間に、料理は始まっています。ですから、漁師さんには「あなたがスターターなんですよ」と伝えています。釣り糸を巻くスピードでコンディションが変わったり、その後の処理法で魚はいくらでも変わります。高級魚はもちろんいい。しかし、誰でも知っている魚も、熱意と言う『人の温度』が入ることでいい状態を作り出すことができるんです。
《 鼎談 》
研究会後半は佐藤洋一郎氏(ふじのくに地球環境史ミュージアム館長)に加え、東海大学海洋学部水産学科の秋山信彦教授も登壇し、専門家3人が意見を交わす鼎談となりました。
佐藤)魚屋になってずいぶん苦労されたと思いますが、どこに苦労を感じましたか?
前田)確かに、静岡の魚はもともと美味しい。ただ、記憶に残るほどの美味さかと言うと、そこまでではない。魅力を引き出し、どう価値を高めていくかが課題でした。
佐藤)そもそも、美味しいって一体何でしょうね。美味さは数字になるものではなく、舌よりも頭で味わっているのでしょう。いつ、どこで、誰と食べたか、それが大事なんだと思いますね。前田さんは、今までで一番美味しかったお魚とはどんなものでしたか?
前田)おふくろの鰯のかば焼き。美味しいっていうのは旨味だけでなく、時間を忘れる楽しい空間、誰とどう食べたか。あとは、どんなふうに食材をとったか、も美味しさに関わると思いますね。
佐藤)秋山先生は?
秋山)実は僕も水産学校出身なんです。インド洋まで行って、最初は酷い船酔いに悩まされましたが、その船上で、釣ってすぐに食べたキハダマグロが忘れられないですね。本来、そんなに美味しい魚ではないはずですが、あの場所であの仲間と食べた記憶が、美味しさとして残っています。
佐藤)そういう昔の思い出は残りますよね。ところで前田さん、先程、鰹の話をされていましたが、もう少し想いをお聞かせください。
前田)鰹は回遊魚なので、鮮度が勝負です。最近なにかと”熟成”が流行っていますが、私は熟成=腐敗だと思っているんです。ジビエの世界ではよいのでしょうが、海に関しては鮮度が第一だと信じています。水深によって魚の持つ筋肉も違うし、回遊魚は血合いが多く腐敗が進みやすい。だから酢で絞めたりするんです。特に青魚は鮮度が命です。
秋山)魚の温度の話をされていましたが、絶えず速いスピードで泳ぐ鮪は、海水より3~4度体温が高いんです。一方、ゆっくり泳ぐ鯛は体温が低いので、腐敗がやや遅くなります。だから漁師の扱いにも違いが求められるんだろうと、講演を聞いていて感じました。
佐藤)魚は同じ種類を大量に出荷しないと流通できないといいますが、本当ですか?
前田)そうですね。ある程度の数が無いと、お店はメニューが構成できないですから。私の店では毎日、朝の仕入れで料理人がメニューを組みます。1品しかなくてもOKです。料理人としての腕や感性が磨かれ、この魚をどう調理して落とし込めばいいか、提案できるようになります。
佐藤)雨が降ろうが槍が降ろうがこれだけ持ってこい、という注文は、環境に負荷がかかりますね。お客様にはその日までメニューを提示しないという方法は不親切かもしれませんが、これほど自然に沿った対応はないでしょう。
前田)私は逆に、前日からメニューを提示されると「ん?」と思う。当日仕入れた一番の食材で、自信を持って提供できるメニューを見せられた方が嬉しいです。大きなレストランでメニューがないのはあり得ないでしょうが、ガストロノミーツーリズムであれば成立するのではないでしょうか。
佐藤)ところで、駿河湾はどうして魚が獲れなくなったのでしょう?
秋山)海だけじゃありません。日本中で、虫も少なくなりました。反対に、特定の魚や虫が異様に増えていたり。バランスが崩れている気がします。
佐藤)すぐに温暖化と騒がれますが……
秋山)温暖化の影響もあるでしょうが、水の中はすぐに温度は上がりません。各地で杉の植林が盛んに行われてから70年程立ちましたが、その影響で山の栄養源や生産性がなくなりました。山から海に流れ込む栄養が減ったのでしょう。
前田)生態系が変わってきているのを感じます。鯖フグなどお金にならない魚が異常発生していますね。自分が一番気になっているのは、ある漁師の息子が後を継ぎたいと言っても、父親が「漁師だけは絶対やるな」と止めてしまうこと。きっと本心じゃないんです。子どもに言われて嬉しくないはずはないですが、食べていけないから泣く泣くそう言ったんだと思うとやりきれません。
佐藤)農家や料理屋についても同じことが言えますね。知識も経験も道具もあるのに、継がせられないということは、大変なことだと思います。
佐藤)前田さんに改めて伺いたいのは、『どうする家康』の活用法について。
前田)家康の好物が鯛の天ぷらだったと言われていますが、駿河湾には『タイ』のつく魚がたくさんいます。
秋山)スズメダイとか、鯛ではない種類も含めると100種類くらいいますよね。
前田)〇〇ダイと名前のつく魚を取り上げ、フリットなどの世界の揚げ物の調理法に合った鯛を選ぶ。そんな取り組みを実際始めています。
佐藤)今日の研究会を通して明らかになったのは、性急に話は進まないということ。僕たちはすぐに何か実現できないかと考えてしまうが、それではいけませんね。そして物を動かすのではなく、人を動かすということが大事。それがしずおか型ガストロノミーツーリズムだと確信しました。
閉会の挨拶に立った静岡県ガストロノミーツーリズム担当参事の土泉一見氏は、前田氏の講演で登場したバトンリレーの話を取り上げ、「ガストロノミーツーリズムも同様だと感じました。生産者と料理人を流通がつなぎ、さらに付加価値をつける旅行業者の協力が必要です」と、本研究会に集った様々な分野のプロフェッショナルたちに訴えました。
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