2 五郎沼経塚跡

国道4号線沿いの五郎沼南東部堤体の小高い場所にあり、沼の向うに紫波三山が連なり、北西奥に岩手山が遠望できます。

五郎沼経塚跡は、昭和9年、それまで「蛇の塚」と呼ばれ古墳とされていた場所に「恩賜の郷倉」を建設する際に偶然発見されました。出土した経塚の埋納容器と推測される須恵器系陶器壺は、 12世紀後半のもので五郎沼経塚が、奥州藤原氏時代の経塚であることの証拠となっています。

紫波郡誌には、「本郡の古墳として知られている赤石村大字南日詰五郎沼の蛇塚は、享保年間に “じゃのつか” として知られ、 既に発掘せられて直刀を得たと称されている。 」とあります。