大銀Ⅱ遺跡の発掘調査は、平成27年度から平成29年度まで紫波町教育委員会、続く平成30年度に公益財団法人岩手県文化財事業団埋蔵文化財センターによって行われました。その調査結果により、樋爪の都市空間が北上川縁にまで広がることが確定的となりました。
この調査で、平泉の柳の御所にしかない格式の高い造りの塀の跡や、この塀跡に取り付くように約3mの間隔をおいた太い門の柱跡が見つかりました。柳之御所に存在したとされている棟門と推定されています。
柳之御所遺跡にあったものと同様の棟門が、大銀Ⅱ遺跡にもあったということは、大銀Ⅱ遺跡にも柳の御所遺跡と同等の建物等の存在を示すもので、出土品からも格式の高さが感じられ、北上川に面した立地からも柳の御所が連想されます。
このような大銀Ⅱ遺跡の状況から、樋爪館跡に肩を並べる拠点がもう一つある可能性が出てきました。この遺跡が、例えば初代清綱や弟の五郎季衡など、俊衡とは別の一族の居館であったと想定することもできます。
「吾妻鏡」に登場する「樋爪館」の所在地の再検討を必要とするかもしれないほど、大銀Ⅱ遺跡の重要な価値が認められ注目されてきています。