2024年6月某日
金光教 本部
岡山県浅口市金光町大谷320
駐輪場あり(無料)
非信徒参拝可能(手続きなし)
立教1859年(江戸期)
幕末三大新宗教の聖地をコンプリートしたい。
天理教(奈良)へは参拝済みである。
天理教を除く「金光教・黒住教」は、岡山に本部がある。
この2か所を巡る1泊2日の旅。
宿はもちろん、金光教の教団施設である。
◉1日目
11:30 金光駅
意外と交通至便。
岡山駅から乗り換えなしで約30分。
ど田舎かと思いきや、意外と新しい家も多く、過疎化している様子は見受けられない。
駅最寄りの有料駐車場は一日最大250円。
着いてすぐに通称「金光饅頭」を味比べのために3店舗で1個ずつ購入。
個人的には光悦堂が好み。帰りに買う店に決定。
昭和の雰囲気漂う門前町。
金光教の印である八ツ波に金の提灯が各家々にぶら下がっている。
また、阿部寛主演の映画「とんび」(2022年)のロケ地となったようで、あちこちにポスターが掲示されている。
12:30 金光教本部教庁・金光図書館
本部にいきなり行くのも味気ないので周りから攻める。
幕の内弁当で唐揚げは最後に取っておく派。
美味しいものは最後に取っておく。
腹の中に入ってしまえば順番なんて関係ないのに…。
金光町大谷地区をうろうろ。
この田舎町に一際目立つ高層ビル。
「金光教本部教庁・金光図書館」である。
1階には教団関係資料の展示。
階段を上がると小さめの図書館。
教団資料もずらり。
誰でも利用可能。
手続き等なし。
13:00 金光教本部広前
案内所の若いお兄さんに「信徒ではないが参拝したい」と申し出ると「もちろんです」と言って、会堂への入り方について教えてくれただけで案内までは難しいようだ。
恐る恐る会堂へ。
黒衣を着た教師の方に、同じように「作法がわからないので教えていただきたい」と申し出ると作法が載った紙を渡されただけで、これを見てやってくださいとのこと。
布教に消極的な感を抱いた。
不親切といった感じではないのだが。
参拝だけ済ましてそそくさと出てしまった。
本当は「取次」というものをいただきたかったのだが、怖気づき、本部を後にする。
諦めない。
会堂の地下
休憩所となっており、中学生が恋バナに興じていた。
ご神水があり、セルフで飲めるようになっている。
さびれたショッピングセンターのフードコートのような雰囲気。
案内図に載っている教団関係の場所は一通り巡ってみた。
(本部周辺の教団施設は、一周して巡礼できるように配置されている)
一度歩いて自分の目で見ておいてからの方が、後の説明がより頭に入りやすくなるからだ。
地図の一番端にある「金光教教学院」まで行ったのだから、かなり疲れた。
このことを後で宿の職員に伝えたら驚かれた。
曰く「そこまであなたを掻き立てるものは何か」と。
14:30 光風館・チェックイン
時間なので宿泊先とした光風館へ。
ここは金光教の研修施設で、参拝者であれば宿泊できるとのことで、予約してあったのだ。
電話では信徒ではないこと、さらに一人で、金光にも初めて行くと伝えると大変驚かれたが、非常に好意的に受け入れてくれた。
信徒ではないと伝えたときは「ウェルカムだよ!」とかなり軽いノリ。
チェックインで受付にいくと、「あー、あなたね!」と。
「本部の方はまだ?」
「一度行ったが、よく作法が分からず、さーっと済ませてしまいました」
「お届け(取次)はした?教主様にお願い事をするのをお届けっていうんだけど」
「したかったのですが、怖気づいて出てきてしまいました」
「そりゃそうだよね、一見さんには難しいね、じゃあ、一緒にいってあげるよ」
という流れになり、まさかの宿の受付の方が案内係となってくださった。
実はこの方、金光教の教師であった。
この施設は金光教教師が当番することになっているのだ。
気さくで、終始親切にいろいろと教えてくださった。
自称熱量のない不真面目な教師。
当たりだ。
15:00 御取次
金光教は「取次」の宗教と言われている。
取次者が氏子の願いや悩みを神と取り次ぐ。
信徒でなくても誰でもこの取次をいただくことができる。
この取次は、本部だけでなく各教会でも行われる。
畳敷の会堂内、正面向かって右側に教主(金光様)が横を向いて座っている。
ここがお結界(取次の場)である。
一段上がったところに教主が座り、段を隔てて教主に話しかける。
3000円(任意の金額)を包んだ封筒を差し出し、話が始まる。
所定の封筒は会堂に用意されている。
「信徒ではないが宗教に興味があり、憧れの金光に来ることができた。また光風館の方のご親切でここにご案内いただいた。このお導きに感謝する。ご相談したいのは、私は信仰のない家庭に育ったので、信仰の大切さについては理解しているが、なかなか生活に取り入れることができない。金光教ではどのように生活に信仰が取り入れられているか」
ということをお聞きした。
金光教の教えについて喩えをまじえながら分かりやすく簡潔に教えていただいた。
初参拝の方にお渡ししているという金光教経典の簡易版をいただけた。
教主は非常に柔和で、語弊を恐れず言えば、教団トップとは思えないほどに話しやすい。
教主は朝の3:50から15:40までこの本部の敷地内で過ごす。
365日欠かすことなく取次が行われる。
つまり、本部に行けばいつでも教主を拝顔できるわけだ。
金光教の最大の特徴は、教主にいつでも会える、いつでも話せる、といったこの取次にある。
教主の働きっぷりには頭が下がる。
なお、教主のいない夜中であっても本部広前は24時間参拝可能である。
もちろん誰でも。
手続きもなし。
夕の御祈念・お退(ひ)け(教主の退出)
15:20にお結界は閉じられ、15:40に教主は神前(正面中央)で御祈念を行う。
黒衣を着た金光教教学院生(年齢バラバラ)約30人が、約20分間畳に額を突く。
全寮制の教学院の学生はこうして毎日この時間に御祈念を会堂で行う。
そして声を出しての御祈念(拝詞を唱える)を約20分間行い、襷をかけて外を箒をかける。
このあと教主が本部広前から住まいへ退出するためである。
16:40 に近づくと、信徒たちがばらばらとどこからか集まって来て、教主一行が通る道(お道筋)に沿って並び始める。
カランコロンと下駄の音を鳴らしながら、提灯や大きな箱を持った黒衣のお付きの人3名に挟まれ一列で通り過ぎていく。
教学院生や信徒は、有り難そうに教主に向かって頭を下げたまま、教主一行が左から右へ過ぎていくのに合わせて体の向きを徐々に変えてお見送りをする。
信徒らは、姿が見えなくなると、三々五々散らばっていく。
宿のおじさん(失礼、実は金光教師)によれば、日課としている信徒もいるそうだ。ただ「パワーをもらう」といった表現にひっかかった。
3:40 お出まし(教主の出仕) お迎え
ほとんどが黒衣を着た金光教教師。
一般信徒は少ない。
約5分前に(ギリギリ!)ばらばらと集まり、それぞれに好きなところに立ち、一礼して、教主の住まいの方角を向いて待つ。
下駄の音がカランコロンと聴こえたら、体を二つに折るようにして頭を下げて通り過ぎるのを待つ。
通り過ぎたらやはりそれぞれに散っていく。
会堂に進んで御祈念に参加する者もいれば車に乗り帰っていく者もいる。
信徒の自由にかなり任されている。
4:40 朝の御祈念
6:30 おはなし会
は、断念してチェックアウトぎりぎり9時まで寝る。
10:00 チェックアウト
受付の金光教師とお話ししてお別れ。
いろいろお話しした中で「宗教学界で金光教は人気」という言葉が面白かった。
再度会堂へ行って最後のお参り。
昨日より参拝客が多い。
小川屋で焼きたての金光饅頭をゲット。
うまい。
小川屋はほぼもみじ饅頭ですね。
酒店へ。
ガラスのカップ酒と胡瓜の奈良漬を購入。
カップにしたのは金光教の印がプリントされているのでお土産として。
キンキンに冷えている。
いまから飲みたいが我慢。
いくつか店がある中で昨日一番好みであった金悦堂で金光饅頭を箱で買い、駅へ。
次の目的地、幕末三大新宗教の一つ、黒住教本部へ向かう。
● 金光教の特徴
1つにゆるい、2つに生活の教え。
1つ目、ゆるい。
「入信・脱退に関わる規則や拘束(特別な献金や修行の義務)はありません」とホームページにもあるように、特に戒律といったものはないようだ。
これは実際にお話しした方たちも同じことを言っていた。
別の観点から見れば、教学院の学生さんの髪型や動きなどを見ても、厳しくされていないような感じがした。
また、「入会金、年会費等の金銭的義務は一切ありません」ともある。
2つ目、生活の教え。
「全国各地にある教会の結界でも、そうした悩み事や願い事の相談をいつでも聴いてもらうことができます。」とホームページにあるように、教師たちはカウンセラーの役割を担っているようだ。
教義にしても、宗教というより道徳。
現世利益というより信仰即生活といった感じ。
● 取次の際のお供え
いくらでもいい。
糊付けするのでその場でいくらお供えしたか取次者には分からない。
お供えをしなくても御言葉はいただけるようだ。
ホームページには
「人が真(まこと)から供えるのは神も喜ばれるが、寄付を募って人の心や生活を痛めて(苦しめて)は、神は喜ばない」
「金がなければ信心できないとなれば、貧乏(びんぼう)人はみな死ななければならない。私の方では、お供えする物がないと言っても、ご神米を下げるのである」
と教祖の言葉がある。
●金光町と天理市の都市形成の比較
以下、『新宗教と巨大建築 増補新版』における五十嵐太郎氏の分析を要約する。
金光教には「天地金乃神の広前は世界中」という考え方がある。「広前」とは教団が重視する「取次」という宗教儀式の行われる場所のことである。教祖の言葉に「神の社は、この天と地とが社である」という言葉がある。金光教では「取次」という宗教儀式が行われる「広前」と呼ばれる場を重視し、具体的な建築物にこだわらない。これは天理教の「ぢば」の考え方とは対照的である。
このことは、都市形成に影響する。金光町という町名になったのは1923年のことで、天理市よりも早い。しかし、金光町は天理の街の規模や詰所の移転の激しさに比べ、金光町の拡張はおとなしかった。天理の街は、ぢばに特殊な意味を与え、本部の求心力を増した。また、詰所の制度を整え、旅館のない都市を形成する。さらに、天理教に比べて、大祭と造営が計画的に催されず、祭典が少ないために、門前町化が抑制され、爆発的に拡張しなかった。
● 金光教研修サイト 光風館
本部参拝者であれば誰でも宿泊できる。
予約は電話のみ。
行事のときは宿泊できないこともある。
信徒の利用がほとんどのため、信徒でないことや宿泊の理由はあらかじめ伝えておいた方がいい。
団体向けの部屋が多いが、個人であれば少し値が上がるが洋室にすることもできる。
こちらから要望する形ではなく相談の中で決めているようだ。
一人で広い和室は嫌だよね?ということで(利用することもできたようだが)、施設の勧めでベッドが2つある広めの洋室となった。
全館バリアフリーで段差がなく、部屋は清潔感があり、普通のビジネスホテルの快適さ。
教団の施設ということでテレビなどがないかといえば、普通にあり、宗教施設といった感じではない。
ただ、宗教アレルギーの人からすれば、教団の施設というだけで毛嫌いしたり、部屋に飾ってある天地書附を気味悪がるかもしれない。
しかし、本部をじっくり信徒目線で学びたい人からすれば、本当にありがたい施設。
この金光町に泊まれるところが少ないし、すぐに埋まってしまう。
また、施設職員は金光教教師が勤めているので、金光教のことなら何でも質問できるのでラッキー。
注意すべきこととしては、施設の中に飲食物が買えるところがない。
22〜3時までは施錠されるので事前に購入しておく必要がある。
近くにコンビニがなく、徒歩20分ほどのところにセブンイレブンとスーパーがある。
食事をする場所については、近くに3か所ほどあるが、昼しか営業していなかったり、営業時間が短かったりするので要注意。先述のスーパーやコンビニがあるので何とかなるが。
また、基本的にセルフサービスで、ペットボトルなどのゴミは持ち帰りとなっている。
前払い現金のみ。