2023年8月某日
世界心道教 本部
愛知県豊川市諏訪2丁目101
駐車場なし(近隣有料駐車場あり)
非信徒参拝不可(電話で交渉しました)
立教1944年(昭和期)
前日に「信徒でないが参拝見学は可能か」と電話で尋ねる。
「この電話番号はどうやって知ったのか?」(たしかにホームページもない)
「信徒の紹介は?」
「ありませんが…」
「一応担当の者に確認する」(不穏な空気)
担当者は、
「基本的に信徒の紹介に限る」
と断りを入れつつも、
「建物の中には入れないがどうぞ、早朝や夜は避けて日中に来てほしい」
と渋々。
大通りに面した参道。この奥に守衛室がある。
当日。
まずは、正門守衛室へ。
新宗教施設に特徴的な、ニコニコなホスピタリティみたいなものはなかった(そもそもそれを求めるのがおかしいのであるが)。
挨拶はしてくれるがどこか警戒心のようなものを表情から感じた。
昨日電話した者と伝えるとすぐに分かったようだ。
70代くらいのおじ(い?)さんが案内してくれるとのこと。
この門より先は信徒以外立ち入り禁止。守衛室がある。
境内に入らせてはくれたが、建物の中には入れさせてもらえなかった。
境内の撮影も許可されず。
悪用されたりするからとのこと。
立ち入りも近年厳しくなったそうだ。
かつては立ち入りは自由であった。
おじさん曰く、
一回来てご利益ご利益とやられてしまって、親様の教えを理解されないまま帰ってしまうから
だそうだ。
おじさんは教えを、繰り返し繰り返し説明してくれた。
私たちは「親様・月日様・八方様」に生かされている。
そのお陰に感謝し、日々の暮らしの中から実践する。
「理(り)」があり、この世は機械仕掛け。
神様は全てをご存知だ。
人の生活は「因縁」によって返ってくる。
心を改良することが人助けの第一歩。
境内は撮影禁止。塀の外から撮影。
1938年、天理教教師を務めていた教祖・會田ヒデに、月読之命と国狭土之命の2社が天下る。
1944年に世界心道教を設立。
教祖は1923年に天理教に入信後、1925年に「ほんみち」、1933年に「天理三輪講」へと、天理教の分派教団を次々と移っている。
「天理教教祖中山みきの『お筆先』や『泥海古記』のある部分を『天保九年に天理教がはじまり、それから100年たったら天のさしづめが新しく人から出るようになる』と解釈し天の神が天保9年から100年たって本教の教祖親様である会田ヒデに天下ったとする」(『新宗教事典』弘文堂)
境内周辺には、教団の関連施設や無数の信徒用駐車場が点在。
全体的に閉鎖的な印象を受けた。
メディア発信もないし、布教に対する焦りもなさそう。
新宗教全体が信者数が減少する中、この教団も例外ではなかろう。
わかってくれる人だけでやっていこうという感じがした。
(一般向けの講話のような機会はない。教師による講話は信徒のみ。紹介がないとだめ。)
ただネットには、
「見学を申し込んだが門前払いをくらった」
「単なる見学は認めていないとのことで断られた」
などというコメントがみえる。
自分はラッキーだったんだなと思った。
その方は恐らく、私のように前日に電話でアポを取っていなかったのだろう。
教団によっては、聖地を荒らす輩に対する警戒心の強いところがある。
ホームページのない教団は特にそうだ。
事前アポは必須。
そのコメントには、
「天理教は自由に入れるのになぜ」だとか、
「宗教を広めたいなら断ることないのに」とかいうものがある。
教団には教団の事情がある。
見学には(信心がなければこそ)最大限の敬意と誠意が必要だ。
守衛室の前でおじさんに感謝を告げ、境内を後にする。
なおもしつこく塀の外を歩いてみる。
夏休みだからか、信徒の子供たちがプールではしゃいでいる声が聞こえた。
飛び込む前なのか、「四拍手」を打つ音が聞こえた。
Jポップの有線が流れており、意外だなぁと思った(何が)。
親様の位牌を祀った三重塔「祖霊殿」の相輪には、上から「榊」「月」「12の輪」の順にあしらわれている。この教団では「12」だが、通常は9の輪で「九輪」と呼ばれる。上から十二支の意匠。また、付け根に金の半球で太陽(お天道様)が表現されている。ちなみに、八角形は「八方様」を表す。
参道の横には、新しく建設された信徒用立体駐車場。
新しく「教祖殿(親様殿)」を神殿の横に建設中。
親様は引っ越す予定だそうだ。